業務日誌(2003年3月その3)

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3月29日 池袋法律相談/雑感

 本日は土曜というのに池袋の東京パブリック法律事務所(東京弁護士会の都市型公設事務所)内の法律相談の当番に当たってしまい、行って参りました。

 週末ともなるとかなり寝不足が蓄積していて、予定がなければ土曜の朝はたいてい爆睡しているものなのですが、眠い目をこすりつつ朝10時に出勤………してみたら、「本日は11時30分に1件予約が入っているだけなので、それまでご待機ください」だそうで。

 だったら遅く出勤させてくれー(^^;まあ、飛び込みの相談もあるかも知れないからそうも行かないのかも知れませんが。

 それはさておき、夜間や週末の法律相談は、サラリーマンの方に便宜を図る意味があると思われますが、弁護士にとっては痛し痒しという側面があるのも事実です。

 なぜかというと、その1回、夜間や週末に時間を作って相談を担当すればいいという話ではなくて、もし相談を受けた件について引き続き受任するとなった場合、次回以降も夜間や休日に打ち合わせの時間を作らざるを得ない、ということになりかねないからです。

 相談者としては、平日日中に仕事を抜け出すことができないからこそ、夜間や土曜の相談に見えられているのでしょうし、最初の相談が夜間や土曜日に行われることから、それ以降も当然夜間や土日に対応して欲しい、という気持ちをお持ちになるのは当然の流れだと思います。

 しかし、弁護士も自分の生活もあるため、受任した後の打ち合わせも夜間や土日に当然OKです、というわけにはなかなかいかないのが実情です。土曜日に出たから次の平日に代休を取ります、というわけにもなかなか行きませんしねえ。相手方や裁判所が連絡を取ってきて「本日は弁護士が代休です」と言われても納得してくれんだろうし。

 まあ、サービス業という側面からすると、まだまだ殿様商売という批判は免れないのかも知れませんが、悩ましいところです。




3月28日 プチ日誌

 本日は朝から刑事事件で木更津に出張………と思ったら、動労のストで、千葉方面のダイヤは乱れまくりでした。千葉駅で9時57分発の内房線に乗ったつもりが、「ただいま発車の準備をしています。もう少しお待ちを」という放送だけが延々と流れ続け、結局発車したのは20分遅れ。「発車の準備」って、ひょっとして運転手を探していたのかしら??




3月26日 新拘置所

 ローカルな話題ですが、最近第1期工事が竣工し、収容者が移された東京は小菅の新拘置所に接見に行って来ました。

 従来の東京拘置所は、いったいいつ建てたのかすら想像もつかないほどオンボロで、よくぞここまで持たせたといいたいくらいでしたので、最新の建物になって、まあよかったことは間違いありません。

 しかし、新しい建物は、まあ何というか、鉄とコンクリートでできた灰色の要塞といた感じですね。収容者から人間性を奪っていくのに、これほどの環境はないという感じです。

 受付と一般待合室は、なるほど近代化されて、一見大病院の待合室かと見まがうばかり。しかし、パソコンを多数導入して、受付をハイテク化しているのと思いきや、結局面会切符を手書きで作成しているので、かえって受付係の方の労働強化になっている風情(^^;前よりさらに受付に手間取るようになってしまいました。

 弁護人待合室は、広さでは前の5倍くらいになりましたが、だだっ広い談話室というか、空間がありすぎてなんだか逆に落ち着かない(笑)また、机がローテーブルになってしまって、待ち時間に書き物をしたり、パソコンを叩いたりすることができなくなってしまいました。弁護人の実情を知らない役人が備品を購入したか、あるいは単なる嫌がらせか(^^;どっちかでしょう。

 そして、この弁護人待合室が中庭側に面していて、放射状に広がる10階建ての建物のうち、運動場になっているウイングをかいま見ることができます。この運動房、外から見ると金網が貼ってあって、なかで運動している収容者はまるで金網デスマッチ状態です。2階ごとに吹き抜けになっていて(奇数階は刑務官の通路があって、要は上から見下ろして監視されているらしい)天井は高いのですが、あまり気持ちのいい眺めではないでしょうねえ。




3月23日 終わりの始まり

 アメリカのイラク攻撃話も、もううんざりという方もいらっしゃるでしょうが、とりあえずこれで一度打ち止めにします。

 この戦争の結果がどうあれ、ある意味でこの戦争は、「終わりの始まり」を意味するかも知れませんね。

 例えば、90年代は、経済のグローバル化の進展に伴い、「デファクトスタンダード」の定立とローカルルールの撤廃が、経済界からその他の領域にもどんどん広がっていった時代でした。その場合の「デファクトスタンダード」とは、すなわち多くの場合、アメリカを想定していたものであったことは周知の事実です。

 これがアメリカの圧倒的な経済力によるものであることは言うまでもありませんが、もう一つ、やはり民主主義と自由主義を標榜するアメリカの制度に対する見えない信頼感が、アメリカを単一モデルとする流れに対して国際的な反発が生まれるまでには至らなかった原因ではなかったか。

 しかし、アメリカは決して世界が期待するほど理想的な大国でも、度量の広い民主主義国家でもありませんでした。自国に対するテロに対しては、どこぞの小国と同じくヒステリックに反応してしまい、国際的な平和秩序など二の次で「自衛権行使」に走ってしまうという意味で、実は非常に幼い国民性の国であった(別に日本の方が大人だなどと言うつもりはありませんが)ということが明らかになりました。

 よくよく考えてみれば、もともとそんなに理想的な国ではなかったのでしょう。私の前2回の日誌で書いたことは、よくよく読み返してみると、アメリカの民主主義を、理想化しすぎていたものだったかも。

 しかし、今後しばらくは、単にアメリカをお手本にして、デファクトスタンダードを定め、ローカルルールを撤廃していくという流れには強いブレーキがかかるのではないでしょうか?

 法律家の世界も同様です。

 現在、弁護士の数が足りない、ロースクールを導入せよ、という流れで動いている司法改革ですが、論者の頭には、いくら否定してもデファクトスタンダードとしてのアメリカがあったことは事実です。

 アメリカをお手本にしていればOK。そんな思考方法から、今度こそは脱して、どうせ改革するなら、世界一理想的な司法制度を目指すべきでしょう。