業務日誌(2003年3月その2)

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3月19日 昨日に続き(適正手続きの保障)

 報道によれば、アメリカを支持する国が45カ国(うち、公表国が30カ国)に達したとか。………って、北朝鮮と国交がある国や台湾を承認している国とレベルが変わらないやんけ!

 いつからアメリカはそんなマイナーな支持で満足する国になったのでしょう。

 それはそうと、私は、、大学で憲法を習って以来、アメリカ型民主主義の最大の長所は、「適正手続きの保障」にあると思ってきました。

 適正手続きの保障は、日本国憲法にも定められています。

 憲法31条 何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。

 一見すると、刑罰に対するだけの規定に見えますが、広く行政手続きにも該当すると解されています。

 しかし、私はこの条項には、もっと広く、民主主義の根元的な価値が反映されていると考えます。民主主義は、多数が賛成すればどんなことでも容認されるという原則ではありません。同時に「定められた手続きを踏む」ということが大前提としてあります。定められた手続き(この手続き自体が正当なものであることも必要です)を踏んで、決まったことであるから、国家が個人の自由や財産、果ては生命まで制限することが許されるのです。定められた手続きを踏まないのでは、単なる多数の暴走になり、予測可能性がないため結局少数者は萎縮して生きていくしかなくなります。

 イラクの現政権だって、それくらいの権利は認められてしかるべきでしょう。結論が正しいと一方的に確信しているからといって、手続きを勝手にうち切って自力救済に走る今回のアメリカは、自ら体現してきた民主主義の価値を放棄しているとしか思えません。





3月18日 法の支配

 昨日脳天気なPCコラムを書いている間にも、イラク情勢はどんどん進展して、ついに最後通牒にまでいってしまいました。いつまでも話題を避けているわけにもいかないので、本日はやむを得ずこの話題。

 難しい議論は抜きにして、私は戦争が嫌いです。

 自分を犠牲にして、家族は守ろうとするくらいの根性はあるかも知れないが、国を守ろうとするまでの気はありません。仮に徴兵制度がある国に生まれていたら、良心的兵役忌避者の道を探ったことでしょう。

 はっきり言って、運動神経が優れているわけでもなく、力もない自分が戦場で生き残れるとは思わない。自分が勝ち残れるフィールドではありません。

 私が弁護士という職業を選んだ理由もそこにあります。

 正義感は弱い方ではないと思います。不条理やルール違反についても人一倍腹が立つ方だと思います(だから電車の中でよく他人を注意して、嫁さんに「いつ逆切れされるかも知れないからやめて!」と怒られている(^^;)。でも、率直に言って、物理的な力では相手に従わせることは到底無理でしょう。

 でも、弁護士は弁論というフィールドの中で戦える武器を持っています。それが制度上、保障されているわけです。悪くいってしまえば、自分の戦えるフィールドに逃げ込んで籠城しているようなものですが。

 でも、このような「弁論」という力が保障されているのは、力による支配(人の支配)ではなく、法の支配が成立している世界だからです。そうでない社会、時代に生まれ合わせてしまったら、やむを得ず全然違った職業を選んでひっそりと生きていったことでしょう。

 戦争は事情はどうあれ、力による支配をめざすものには違いありません。弁護士の出る幕はありません。エゴだと言われようが、個人的な理由からも戦争は嫌いです。

 さて、個人的な理屈はこのくらいにして。

 今さっき使った「法の支配」という言葉は、芦部信喜「憲法」によれば、「専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理」です。

 基本的には国内法としての憲法を念頭とする議論ですが、国際的な関係であっても妥当はするはずです。ことにアメリカのように、普遍的な民主主義を標榜する国家であれば、国際関係においても、法の支配の観念は最も尊重しなければならないことでしょう。

 もちろん、イラクは多分、「人の支配」の国家でしょうね。でも、国際社会の合意を得られないままに、武力行使に突っ走るアメリカの論理もまた、「専断的な国家権力の支配」を目指すものになってしまいます。

 自国への危険があるからといって、先制攻撃論が正当化されるのならば、アメリカによる封じ込めを自国の存亡の危機と捉えて無謀にも先制攻撃を仕掛けた日本とどこが異なるのでしょうか?

 そういえば、日本もアメリカに占領されたお陰で、現行憲法を与えられ(論者によっては「押しつけられ」)、初めて「法の支配」が通用する国家になりました。だからと言って、日本が先制攻撃もしていないのに、アメリカに一方的に開戦されて占領され、憲法を押しつけられたら、日本人には恨みこそ残れ、民主主義は全く根付かなかったのではないでしょうか。現に日本の方から開戦したにもかかわらず、「押しつけ憲法論」にこだわる人が絶えないのですから(「押しつけ憲法論」を主張する人がかなりの割合でアメリカを支持しているのは整合性があるとは思えませんね)。




3月17日 X31&T40

 Centrino発表と同時に、ThinkPadX31が正式発表日なりました。昨年、X30が出たときにも「X31待ちかなあ」などと言っていた私ですので、逝ってしまうのも時間の問題かと(^^;

 しかし、Xシリーズは、現在持っているX20(もう2年半たった!)から、X22、X24と大幅にマイナーチェンジを繰り返した結果、X30は筐体こそ変われ、中身はX24のマイナーチェンジであって、今回も驚くほどの変化はないものでした。

 こんなことを書くのは、同時に出たT40がなかなかの衝撃だからです。

 VAIO Zもすごいかもしれないが、T40も厚さ26.6mmと負けてない。重さも着脱式ドライブでありながら、VAIOとほとんど変わらない2.28kgで、何よりT30で鈍重になってしまったデザインが相当Sharpになって、往年の560を彷彿とさせる鋭さを感じさせます。

 でも、T23が自宅にあるし、今回必要なのは、X20の後継なんだよなあ………




3月14日 プチ日誌

 昨日は司法修習生の飲みにつき合い、気がついたら午前2時………
 今日も所属の若手派閥、法友全期会の年度末懇親会。眠いです。
 そういえば、日誌以外最近ろくなコンテンツが書けていません。ThinkPadT40、X31ネタも書かねば、とは思っているのですが。




3月11日 裁判員制度

 仕事休業も可能に 裁判員制度
 市民が重大な刑事裁判の審理に参加する「裁判員制度」の素案が11日、公表された。審理に参加する市民が仕事を休めるようにするため「裁判員休業制度」を創設することなどが柱だ。裁判員が正当な理由なく出頭しないと行政罰の対象になることも規定し、出頭が市民の義務であることを明記した。

 「裁判員制度」は、現在進められている司法改革の中で、珍しく「諸手をあげて賛成」できる改革です。

 とにかくキャリア裁判官は、世の中の常識が通用しない人が多すぎます。こういう人とかね。常識が通用せず、書面上の理屈にばかりこだわる人を相手にしているうちに、弁護士の感覚までおかしくなってしまいます。

 弁護士の仕事は人を説得することです。どうせ説得するなら普通の人を相手に説得したい。実際には裁判官を説得するよりも困難でしょうが、弁護士冥利に尽きる仕事のはずです。

 ですから、裁判員制度が導入される場合、仕事の休業が認められるべきは当然でしょう。市民社会を成立させるための義務と考えて欲しいものです。

 問題は、キャリア裁判官と裁判員の人数比です。最高裁、法務省は、必死で裁判員の人数比を抑えようと、「裁判官3人に対して裁判員2,3人」を主張しているそうです。はっきりいって、これでは何も変わりません。裁判官より圧倒的に人数が多くなくては、裁判官の主導の下、ご意見を拝聴するだけの裁判員制度に終わってしまうおそれが強いです。

 それにしても、どこまでも「民」を信用しない最高裁、法務省の態度は何なんでしょうね。