業務日誌(2003年5月その2)

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5月19日 りそな破綻

 自分が引っ越しにかまけている間に、世の中では銀行が一つつぶれていました………。

 個人的には、今回の銀行破綻は1997年ころの拓銀、長銀らの破綻とは少し意味合いが異なると思います。

 拓銀、長銀が、市場から見限られ資金繰りに行き詰まったのに対し、りそな銀行は、少なくとも見かけ上は最後まで資金繰りに行き詰まったわけではなく、ただただ会計監査法人の査定にパスしなかったことにより、自己資本比率が基準を割り込み、公的資金投入を申請せざるを得なくなってしまったということでしょう。

 考えてみると、拓銀、長銀はダイレクトに市場の不信任を受けたわけですからあきらめようもありましょうが、りそな銀行の経営陣は納得はいっていないでしょうね。

 監査法人も、厳格に監査しないと自分自身が責任を追及されかねない時代とあって、手のひらを返したような追い込み、お客さんをつぶしにかからなければならないとは、弁護士よりも数倍因果な商売です。それが監査の役目とはいえ、難しい時代ですね。

 我々は漠然と、企業の決算は何か動かしがたい数字の上に成り立っているように思っていますが、実際には、あらゆる会計上の数字は「解釈」という名の操作で相当いじくれます。従来は、いかに企業に有利なように数字をいじくって、いわば合法的に「粉飾」するのも会計士の仕事でした。

 今回は、逆に数字の操作を企業に不利に変更したわけで、監査法人にとって前例のない判断だったとは思いますが、真に企業から独立したプロフェッショナルな判断だったのか、単に監査法人自体に吹いている逆風をかわすための保身の産物だったのか、時間が判断するしかないでしょう。




5月18日 プチ日誌

 5月10日に予告したとおり、16日に引っ越しをしました。
 まだまだ荷物が散らかっており、先が思いやられます(^^;
 日誌は明日あたりからまともに更新できますかねえ。




5月14日 東大法学部卒後10年調査

 という特集が今週号のAERAで組まれています。思わず買ってしまいました。

 ふむふむ、1993年卒業生の追跡調査を行ってアンケートをした結果の48人の回答を元にした記事だとか。私も93年卒業生ですが、アンケートは来なかったぞ。2回留年してるから、対象から外されたのかな(^^;

 記事を読む限り、各人各様の人生を送っているようですが(当たり前だ!)そこは雑誌の特集で、何か強引に流れを読まないと気が済まないようで、「疑問なく自信に満ちた人は一人もいなかった」「東大法学部卒の中には『司法試験』への憧れが大なり小なり燻っているようだ」等まとめがなされています。

 私は、現在でも自分が東大卒であることを誇りには思っていません。在学中に感じた何となくの違和感、疎外感を未だに引きずっています。

 東大法学部には、一直線に勉強して官僚になることに何の疑問も感じずに成長してきた人が相当部分いたような気がします。彼らには、私が司法修習中に裁判所に対して感じたのと同じ違和感を感じました。

 一方で、高校までは意識しなかったハイソサエティな階級の人たちが確かに日本にも存在する事実、また自分ではどう努力しても及ばないだろう天才肌の才能が存在する事実にもショックを受け、打ちのめされたのも事実です。

 だから、大学時代に私はとことん裸の自分の弱さに向き合わざるを得ませんでした。もはや逃げ道がない状態から、法律家を目指すという選択を取ったのは、周りの同期と一緒に官公庁や金融機関(当時は花形就職先でした)に行っても、自分は自分のペースがつかめず、苦しいままだろう、何か裸の自分で勝負できる土俵に上がらねば、という危機意識があったと思います。

 東大法学部の学生は、そんな私から見ると、学生時代に「自我の危機」のようなものにぶち当たることなく社会人になってしまう確率が多いのではないかと思います。試験自体は得意ですから、壁にぶち当たることが少ないのですね。記事中、現在の不況で激動の世界にあって、自分のポジションに思い悩んでいる人の感想を見ると、私が学生時代に悩んでいたものとレベルはほとんど一緒です。「何だ、そんなこと、今更気づいたの?」と言ってみたくもなります。

 弁護士になってしまうと、はっきり言って「東大卒」という肩書きは、ほとんどメリットがありません。大学を聞かれて、東大卒だと知ると尊敬のまなざしで見てくれる人もいますが、別段だから仕事をくれるわけではありません(かえって引いてしまう人もいますから、自分から宣伝することはありません。こんなコラム書いたらやばいかな)。

 弁護士に一番仕事を持ってきてくれるのは、中小企業の経営者の方ですが、彼らに東大生はほとんどいませんので、学閥は全く意味をなしません(むしろ日大などは出身校同士のつながりで仕事が来ると聞いています。うらやましい!)。

 AERAの記事で、ある女性弁護士のコメントとして「もう東大法学部を出ただけでは安楽に暮らせなくなりました」とありますが、弁護士になる人がそんなこと思ってたとしたら大間違いだよ!と言いたい気分です。





5月12日 新人弁護士研修

 東京弁護士会では、新人弁護士に対し、様々な研修を義務づけています。

 なかでも国選弁護を1件受任しなければならないこと、弁護士会の法律相談に指導担当弁護士と一緒に入って相談を担当しなければならないこと、さらにはクレジット・サラ金相談については相談で来た件のうち、1件は受任が義務づけられていることなどは、弁護士にもOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の観点を持ち込んだ意味で画期的だと言えるでしょう。

 ちなみにこの制度、私が新人のころは存在もしておらず、法律相談についてトレーニングの場もないままに私は手探りで担当したものです(もっともこの制度の導入にあたっては、「新人といえども一人前のはずの弁護士に研修を義務づけること自体おかしい」という伝統的教条主義的反対が強かったのですが………)。

 ま、そんなわけで、いつの間にか私は指導担当弁護士として、新人を指導する側にまわる年代になってしまいました。まだまだ若造のつもりなのですが(^^;で、先週霞ヶ関の一般法律相談に続いて、今日は神田のクレサラ相談で続けて新人弁護士の指導に当たらせて頂きました。

 この指導担当というのは、一見さんの相談者に気を遣いつつ、新人弁護士の面倒も同時に見なければならないという結構ややこしい二役を演じる必要があって気疲れします。

 また、一律に新人弁護士に研修を義務づけているので、先週に私が担当した新人弁護士などは、公設事務所に勤務している方でして、日頃から市民法律相談が多く、今更研修でもないよね、という感じでした。かわって本日は、企業法務中心の事務所の新人で、その意味では一般市民の方の相談を受けるのは貴重な経験ですが、実は事務所の顧問先にとある金融機関があって、相談者の債権者によっては利益相反(コンフリクト)で受任できない、というこれまたやっかいな事情がありました。OJTはなかなか難しいものです。