業務日誌(2003年12月その2)

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12月31日 この1年

 恒例のスキーから帰ってきて、実はもう年が明けてしまってから更新してますが(笑)。

 今年は昨年にも増して忙しくなってしまった観のある一年でした。何を自分でこなして、何を人に任せるのか、仕事のスタイルを本格的に考えていかないと、そろそろやばいですかね。

 毎年行っている安比スキー場、雪がないせいもあるでしょうし、スキー人口自体が減っているせいもあるでしょうが、がらがらです。レストハウスもリフトも間引き営業で、全盛期を知るものとしてはもの悲しいものがあります。スキー場にお金を落とす人がこれだけ減っちゃったんでしょうね。。。

 日本経済も、どうやら底にはたどり着いたようですが、ここからどこまではい上がれるのかまだまだ不明瞭な状態です。来年は、どうなるのでしょうか。

 ところで紅白をちらちら見ていると、懐メロのカバーばっか………。はっきり言ってゴマキにオリビアを聞きながらは歌って欲しくない。リバイバルブームと合わせ、オリジナルの曲が出せない、歌えないのは、日本の衰退の予兆なのでしょうかね?




12月25日 人の数だけ正義がある

 例の刑事事件の控訴審判決が本日あり、100頁以上の控訴趣意書に対してわずか20分の言い渡しであっさり棄却されたので、ちょっと鬱状態です。

 さて、それはそうと、イラク問題に関してこのまま何も言わないのも個人的に気分が悪いので、年末に一言。

 弁護士をやっていて、毎回思うのが、「人の数だけ正義がある」のだなあ、という実感です。

 例えば民事事件では、100対ゼロで片方が一方的に正しく、もう片方には一分の理もないという場合はほとんどありません。たいていの事件においては、双方にそれなりの言い分があり、そこには部分的にせよ、ある種の正義が存在します。

 刑事事件だって、例外ではありません。時の権力によって、あっという間に犯罪が「創作」されるというのは、ロシアの新興財閥の逮捕劇を見ればわかりますし、そこまでいかなくとも、一時の社会のムードによって、本来犯罪として処罰されるような違法性があるかどうかは疑問であるものが、処罰されかねないことは、昨日の安田弁護士の無罪判決の例を見てもわかります(債務者側の利益を守ろうとすれば、多くの場合債権者の利益と衝突します。それのどこまでを強制執行妨害等で刑事処罰の対象にするかはかなり微妙な問題です)。

 浜田省吾の「J.BOY」というアルバム(古いなあ(ぉ)に収録されている「A NEW STYLE WAR」という曲の歌詞に「正義はバランスで計られ」というくだりがあります(歌詞は例えばこのページに)。この歌詞自体は、たぶん冷戦時代の核抑止力のことを言っているのでしょう。かなり否定的な意味で使われています。

 しかし、法律家というのは、まさに「正義をバランスで計る」種族です。前述のように、紛争の当事者には、たいてい双方に、何らかの「正義」が存在する以上、これを解決するには、結局は何らかの物差しを当てはめて、バランス論で結論を考えるしかありません。

 で、戦争も同じです。国家と国家の正義がぶつかり合ってしまうために戦争が起きます。その決着において、勝者が総取りしてしまっては、負けた側は立つ瀬がなく、いつまでも怨恨が残ります。それを回避する知恵として、国際法が整備されてきました。

 アルカイダのテロも、イラクでのテロも、彼らには独自の「正義」が存在しているからこそ起こります。もちろんテロリズムが許されるわけではありません。しかし、「被害者」が単に報復を行えば、彼らの「正義」が生き延びてしまうことになるでしょう。

 要は、相手の「正義」をただ踏みつぶすだけでは解決には何らつながらない、ということです。しかるべき手続きを踏んで、バランスを計りながら敗者に敗北を納得させてこそ、勝者が勝者たり得るのではないでしょうか。




12月22日 明日の日弁連を築く会vs日弁連の再建にとりくむ会

 2年に一度の日弁連会長選が迫ってきました。

 既に何度も触れているように、弁護士会は、こと選挙になると人口2万人の村落のように、選挙好きの人であふれかえります。

 そしてこれが日弁連会長選ともなると、かつては票集めのためになりふり構わぬ豪華な接待が繰り広げられたとか。

 最近では、そんな光景もあまりなくなり、ここ数年は専ら主流派対反主流派の対決です。

 主流派は、現在の司法改革路線に基本的に賛成のグループ。反主流派は、現在の司法改革は保守反動勢力と財界によって進められるものであるとして、これに反対するグループ。もう私が弁護士になったころから基本的に同じような対立です。

 面白いのは、選挙間近になると、それぞれの選対が突然政治団体(?)を旗揚げしてくること。たぶんこれは事前運動を禁止した選挙規定をすり抜けるために考えられた老練な知恵(?)なのでしょう。

 主流派の今年の政治団体の名前は「明日の日弁連を築く会」だとか。確か前の前の選挙の際が「明日の日弁連をつくる会」で、前回の際も似たような名前だったよなあ。オリジナリティのないこと甚だしい。

 これに比べると、反主流派の方がまだ意味がわかります。今回は「日弁連の再建にとりくむ会」だそうで。「政財界の走狗になってしまった日弁連」を正しい道へ戻すのだ!という意気込みは一応感じられます。ちなみに前回の反主流派の団体名は「憲法と人権の日弁連の会」だっけ。

 しかし、何と言っても反主流派系政治団体としては、これも2回くらい前の選挙の際に旗揚げされた際の「弁護士法一条の会」というネーミングがもっともインパクトがあったため、その後どんな団体名を名乗ろうと(中心人物はいつも同じなので)、相変わらず「一条の会」としか呼んでもらえないようです。

 注【弁護士法1条】弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。

 さて、現在の司法改革について、私はどちらかというと、やや懐疑派です。もちろん、裁判員制度の導入や司法過疎の解消の取り組み等、個々の論点では大賛成の部分もあります。しかし、例えば弁護士の増員については、業界エゴといわれるのを承知で言えば、増員の必要性は認めつつも、年間3000人の増員はあまりに性急で粗製濫造ではないかなあと心配しています。ま、最終的には国民が決めてしまったことですから後は国民に判断してもらうしかないと思ってますが。

 この弁護士増員は、弁護士のプリミティブな本能的危機感に結構訴えるらしく、一条の会も、増員論反対をずっと前面に押し出しています。

 ただ、一条の会について、それなりに正鵠を突いた指摘もあるとはいえ、どうもついて行けないなあという面もあります。議論をしていると、「反対のための反対」に終始していて、「それじゃあお前はどうしたいんじゃあ!」という感じなのです。

 例えば、先日の法科大学院設置について、4校が不認可となったニュース、これなぞは弁護士増員反対という一条の会の立場からは当然のことであり、むしろ「4校しか不認可にならないのは茶番だ。もっと不認可を増やすべきだ」という議論になるのかと思っていましたら、どうも逆らしい。

 一条の会によると「不認可が出たことで、法科大学院が文科省・法務省の支配下に置かれることがはっきりした」という理由で「不認可には反対」らしいです。でも一条の会の本来の理屈から言うと、法科大学院自体反対のはずなのですが、なぜか結論的には自由競争主義的になってしまっていて、何がなんだかわかりません。これはもう、例えば護憲を掲げる社会党が、自衛隊のシビリアンコントロールに反対しているようなもので、本質がどこかに行ってしまっています。

 かといって、主流派のように、単なる楽観主義で司法改革に大賛成!とはとても言えないのが悩みどころです。




12月18日 丸紅ダイレクトの19,800円パソコン事件(再)

 11月12日の日誌の続きですが、月刊ASCIIの1月号のコラム(法律家が見るIT業界)に、私の見解に真っ向から反する見解(塩澤一洋助教授、といっても向こうは私のことなど歯牙にもかけないでしょうが(^^;)が示されていたので一言。

 塩澤助教授の見解の要旨は、
@ 丸紅が民法95条の錯誤無効を主張する余地はあるが、同条但し書きの「重大な過失」があると思われる。
   従って注文者全員に表示どおりの激安価格で販売することにした同社の結論は、法的には「いたしかたのないこと」である。

 
注 【民法95条】意思表示ハ法律行為ノ要素ニ錯誤アリタルトキハ無効トス但表意者ニ重大ナル過失アリタルトキハ表意者自ラ其無効ヲ主張スルコトヲ得ス

A 社会的に見ても原価割れした価格で大量販売することには弊害もあるが、それでも同社の決断は「一流企業であることの証である」
  そもそもインターネットは信頼度の低いメディアである。したがってそのような場を市場としてビジネスを展開するには“信頼”を勝ち取ることが一般の店舗よりもはるかに重要である。e-commerceの発展のために同社の判断は“英断”である。

 と、手放しで賞賛していますが、私は全くそうは思いません。

 まず@については、民法95条の但し書きの適用が問題になりうるのは確かですが、売値のミス=「重過失」とされてしまっては、企業は真っ青でしょう。

 そもそも95条但し書きは、錯誤による表示を信じて取引に入った相手方の保護との調和を図るための利益調整の条文です。ですから具体的取引状況に応じて、相手方の保護すべき利益の度合いも勘案しながら判断されるべきでしょう。

 本件についていうと、NECの新品パソコンが、バッタ屋でもない商社の公式サイトで19,800円で売られることがあり得ないというのは、ちょっと考えれば判明することです。しかも同社サイトに殺到した消費者は、掲示板や価格情報サイト経由で情報を入手しているのですから、新品パソコンの相場について何らの知識もない消費者ではなく、一定の情報収集力と判断力を備えているはずです。

 ですから、この場合買い手の側に保護すべき利益があるとはあまり考えられず、本件の売買について重過失を認めるだけの状況はないといわざるを得ません。

 Aについてもかなり疑問です。丸紅が全員に表示どおりの激安価格で販売することにしたこと自体は、理解できないわけではないですが、その根底にある発想は「法的に無効を主張する→掲示板等で騒がれて大ダメージを被る」のがとにかく嫌だった、という理由が最大のものだったのではないでしょうか?

 私は消費者側の立場に立って事件を受任することも多いですが、前述のように、本件の消費者は、無知で保護すべき対象としての消費者ではなく、それなりの情報収集力があり、悪乗りしている気のある「消費者」です。そのような「消費者」にあっさり降参することが、同社単体についてならともかく、「e-commerceの発展」につながるのかどうか、顔の見えない取引であることをいいことに、一般的な商取引の信義すら守られないという風潮を助長しただけであったのではないかと考えます。