2010夏 ことば悦覧 in うるとらまんchin々 (仮想領域 大坂・京都) | |
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水野大二郎 博士 「デザインイーストを語る」 聞き手:佐藤敏宏 その01 02 03 04 05 06 07 |
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その04 | |
佐藤:新しい職業を生み出せない限りは整理できないじゃないかな 水野:そうなんですよね〜 佐藤:移行期としてはアーテストをこなしながら イベント仕掛けしつつ 教育しつつ情報を収集し編集発信する 一人何役も異領域にて活動していくっていう状況なんだよね 水野:そうですねそういう意味で本当に藤村さんたちRAJ 頑張っているな〜って 本当リスペクトしてますね〜 すごいじゃないですか〜、もっと言えば建築って昔からそういうメディアとの関連性ってずーっと考えて色々な活動がなされて来ている 佐藤:コルビュジェっていうモデルが有るからね 建築の人は案外楽。 デザインヌーボーでしたか本をつくり スポンサーにも新しい生活を指導広めて世界中を渡り歩いていた 紙媒体を自分で作って巨匠になると そういうモデルがあるので 建築家はメディアの使い手でもあるんですよね 水野:そうですね 佐藤:建材は物に情報を付け加えて流通させる 建材を組み立て建築に仕立てる 情報加工屋でもある 強烈な編集能力と実行力が要る ターゲットリーダーに向かって自作自演しなければならない点もある 水野:それが例えば僕の経験に則して言うと、日本の大学で美大で美術で勉強をして来たアーテスト志望の若い子らっていうのが、どういう教育受けてたか知りませんけど。自分が作品で何を表現しようとしているのかっていう曖昧なことについて無理矢理 喋ろうとするからプレゼン滅茶苦茶下手なんですよ。ほとんどの場合。 佐藤:ふふふふふ 水野:おおい みたいな。何言っているのか全然分からないですよ こういう感じの あのあれがみたいな。 で本当だったらそれ作品で表そうとしているそれを喋らなくって別にいいじゃないですか。喋りたいんだったら 図像学なり記号学なりでも援用してしゃべれば良い。ただしゃべらなきゃいけないのは それを作るに至った考えのプロセスとかだと思うんですよ。自分がどういう、例えば生い立ちだったとか。自分がどういう処に興味があって何んでそういうようなものに興味が有るのかとか。それは深く内省すれば勝手に作品を補足してくれる、出て来るじゃないですか 佐藤:そうだよね 水野:それを全く言わずしていきなり作品のことだけについて喋ろうとする。それは破綻しますよね。そんなんばっかり観て来て。 本当に心苦しいといいますか。もうちょっとね〜何かしゃべり方 換えてくれたらいいのにな〜っていうのがあるし 佐藤:専門領域の人たちも 聞き手を絞りきってない 自分に言っているだけのアーテスト語りですね 水野:そうなんですよ 佐藤:それでは社会化しないので、自分がせっかく苦労して作り上げた考え 積み上げた言葉が出せないね 水野:そうなですよだから アーテストも社会性にだよ〜と 佐藤:村上隆さんのように 上手に社会のなかでアート的な波乗りしないとね 水野:あはははははあそこまでやるとね 本当面白いですよね 潔い 潔すぎで 佐藤:面白い 社会化され 世界中で流通してますよね 水野:でもそういう たぶん現状があって 村上隆はあえてやっているんだるな〜とことですから。でもなんか息苦しさを感じるんですよね。作家たる者作品を通して全てを語れみたいなんとか 佐藤:古いシステムと価値観と ある内で新しい行為をしようと 突出するから息苦しくはなるよ 水野:そうですよね、そんな中で結局必要に今なってるのは横断領域的な言説というか言語のプラットフォームみたいなものに成ってくるわけだから。でもそれって実は色んな領域にちょっとずつ足踏み入れてないと、なかなか出来ないじゃないですか。 佐藤:全部に通じるけど どこにも通じなくつちゃう という 事実もあるよね 水野:それが一番恐いことだなと 佐藤:多文化生き するとそうなりますよね。だから当事者じゃない人がそれを言語化して可視化してあげないとね。 自己言及的に言ったらよりグジャグシャニなるから、もう一つ必要なのはDEの中に プラス当事者じゃない観察者が要ると思うんですよ。 今日の水野さんインタビューのような立場で 「あんた達 DEで何やっての」って聞き続け記録し続ける非当事者が要る。 そうすると水野さんの欲望も 家成さんのそれもバラバラであると分かるけれども その事は多くの人に影響を与えて行われると記録される 自作記録だと どちらの領域から観ても手前味噌ふうの不可解さは残り イベントの当事者は息苦しさからは逃れられない。 ある状況へ移行するためには 息苦しい当事者は要る。既存の権力領域に引き込まれるにしても、水野さんの考えているようなアートや表現の複合的な新しい領域を 切り拓くためには しょうがない状況を経ないとしうまれでないよね。 もしかすると 時代と社会がそれを求めなかったら それは消えていくんだから。でも記録は残る。 社会全体の欲望と併走しつつ 息苦しさを生きている。 いつでも むっくり起きて隣の女に乗り換えるぞ的 雄の態度は身につけつつ 愛の多文化主義行為を孕みつつ 生きるしかない。 だから余計複雑さは増しているので見分けにくい そこを通り過ぎるしかないよね |
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水野:そうなんですよね 佐藤:こういう状況というのは正常なんじゃないかという気もしますが 水野:そうですね 佐藤:原理主義のように白黒はっきりさせて活動する必要もないと思うですけど、専門領域につっこんでからの曖昧さが面白いという そこでの活動が素晴らしいと 水野:あわよくば価値というかアイディアが評価されて観た人がそのアイディアを持ち帰って自分の実生活の中で何らかのかたちで発言してくれたらいいかなと思うんですよね。 例えば今複合的な処で色んな活動している人が増えてきているじゃないですか、それで出てきたのが例えばMITみたない場所ですよね、メディアラボがあって、訳から分からない人たちがメディアアートという、日本だと全く位置づけがフワフワふわふわしたままの処にエンジニアとかデザイナーとかアーテストグシャ混ぜになって。やれオープンソースだとか何だって言っているわけじゃないですか、それはそれで凄い健全だと思うんですよね。 結局そうやってやっていくと デザインにもエンジニアリングにも美術にも還元できるような何かが生まれてくるわけです。実際 教えている人たちも訳分かんないじゃないですか。 MTTから行った石井さんでしたっけ。そういう状況が日本でももっと起きないかな〜っていうのが正直な処です。何か近代の話で巧いこと縦割りというか分断させて、領域ごとにっていうことでない。 佐藤:近代制度は システムだけが発展して システム内住人は青息吐息のように見えるんですから どなたも そちらも 訳分からなく成ってきている 何時も不満は出て来るけと 何も変化していかない 閉塞状況が20年 続いてますからね 水野:僕生い立ちに関連する話になっちゃうんですけど っていうRCA・学校に合計7年行っていたんですよ。やたら長い。小学校より長くなっちゃいましたよね 訳分かんないですよ。 そこに行っていたときに、長いこと居たぶんだけ多くの違う学科に友人が出来た訳なんですけど。学科によって壁が凄くはっきり 出るときもあるんですよね 美術系ファインアート系の人たちはファインアート系の考え方があって。プロダクトとかに相容れない部分があったりとか、ないしは逆もあって。ぼく一応ファッション勉強してたんで チンかすですよ ファッションなんてものは 佐藤:自己内で発酵してる ちん粕の 研究酢か〜 ふふふふふ 水野: お洒落なもんだけ作っていれば良いんでしょうみたいな 佐藤:思想 ないと 水野:思想はないでしょう みたいな。結構言われちゃうんですよね 佐藤:服売るために そういう言い方を流通させているからね 水野:はい、それで良いんだと言っている人ももちろん居るし。それで良い部分っていうのも有るわけでよね。毎日思想を着るっていう訳にもいかないじゃないですか 佐藤:はははははは 水野:はははははは 佐藤:重そうだ 〜 〜 水野:重いじゃないですか何kgあるんだと。 でもねそういことう言っていても日常生活の中で服を着て町に出たら自分は見られたりする訳ですよね 何着ててもね。 佐藤:寝ぼけてパジャマの上に 無意識で服を着ないもんね ある種の表現 水野:そうなんですよ 自分と他人を結びつけたり切り離したりする装置としても機能するじゃないですか。そうやって考えていったりすれば。 別にファインアートの領域でもプロダクトの領域でも横断するような言語というのは獲得しうるんじゃないかっていうふうに思ったのが大学院に入る前ぐらい、直前ぐらいの時かな。入ってそれをテストするような かたちで色んな人と話をしていったら、機能するときもあるし、そうでもないときもある。反応 薄いような ね 感じ 佐藤:日本の大学には一切 関わって 育ってないんだ 水野:日本の大学行ってないですはい。高卒出て イギリスに行って で、イギリスは一般教養無いんですよ大学。なんで一般教養やったよ っていうようなことにするために、デザインの基礎コースみたいなの1年間やらされたんですよ。君はやりなさいって。 佐藤:それを履修しないと 入学させてくれないと 水野:はい入学させないよって。大学のそのイアーゼロっていうふうになっているんですけど。エアーゼロのところに入ったんですよ、そしたらなぜかたまたま建築だったんですよ ははははははは 佐藤:最初に異領域を勉強させるように仕掛けてあるわけね 水野:そうなんですよはい。そこで建築をやった、そこが完全に脱線の始まりと 佐藤:横ずれ はじまり〜はじまり〜 と 水野:はははははは 佐藤:そこでは建築の何を教えるんですか 水野:建築の初歩的な考え方だったですね 本当にアート 建築で作品を作れとか。写真におけるフレーミングから空間を理解せよとか。 フィールドワークをして町を理解しろとか。モンドリアンの絵画が三次元になったらどういう構成なのか立体物つくれ、30p四方の箱かなんかを削り出してより三次元っていうのを感じさせる立体を作れとか。そんな授業だった 佐藤:プレゼンも同時にするわけでしょう 水野:はい 佐藤:批評とかもすると 水野:でも優しかったですけどね エヤーゼロだから。そんなことを僕は高卒で普通に美術予備校とかに行ってた訳でもなくって 何となく音楽とか映画とかに興味がある程度で何となくファッションやろうかなと思った奴だったんで。何のことやらさっぱり分からない最初の半年間 佐藤:ははははは 水野:あ きゃーみたいな ははははは と思ったんですよ。でも何となくこう 分かり始めて。友達、日本の大学を途中でやめて来た奴とかもいたので。そういう奴と話しをすることで 何となく分かって来た ぞ というのがあって。 それで分かったなと、何となく自分の中でこういう感じなんだな〜というのがつかめたらエアーゼロが終わって そこから、ファッションに行ったですよね。 ファッションに行って一番最初 日本に居たとき、高校生の時に、大学に入るに当たってファッションデザイって俺 服作ったことねーし分かんねーな〜と思って。マーケティングみたいなのもやっておたほうが これは生き延びれるな〜と思って。入ったのがマーケティングとファッションデザイナー でマーケティング最初1年間やったんですよ。デザインもやりましたけど。めちゃつまんねーな〜と思って。もうやめようと。でコース変えます。そしたらファッションデザイコースがその大学はファッションデザイとマーケティングコースで有名な大学だったんで。僕しか居ないんですよ 佐藤:はははははは 水野:ははははははは俺一人か〜ってはははははは 佐藤:先生の数の方が多いんだ 水野:そうなんですよ〜訳わかんね〜ほほほほんでもう〜知らないって。残りの大学、イギリス3年なんで残りの2年間を一人でこそ こそと 作って やっていたんですよね〜 意 味不明の大学生活になってしまいました。 それでもうちょっとデザイン勉強したいなっていうのから、院に結局行ったんです。そういう 何ていうのかな 建築が最初にまずありきで、で、途中でファインアート系ファッションと 佐藤:そういう勉強の道だったんだ 院に行ったのは論文を書くためにですか 水野:学部も論文ありましたけど。 論文が書きたかったからっていうよりかは、もっとファッションデザインのことを知りたいかったし。 (絵ネットより) 浅はかなんですけど学部のときの卒業制作 ジル・ドゥルーズ(フランス・哲学者)の襞とベルナール・チュミのラフエレスノアっていう、家に覆う 屋根掛けるっていう乱暴なプランがあったんですけど。そこで起きる イン ビトインみたいなの 興味が有って。それを なんで それが出てきたのかな〜 1:000:5 その05へ |
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