scene 3 …


 

「……亮太?」
  周りの音がうるさくて、良く聞き取れない。でも、雑音が混ざりながらも、この声だけはちゃんと分かる。私の心にそのまま染みこんでいく唯一の音色。
「あれ、もしかして出先? 悪い、掛け直そうか」
  駅の構内にいれば、周りがだいぶ騒がしく聞こえるだろう。そうじゃなくても携帯って、周囲の音が良く聞こえるし。
  でも、私にとってはそんな亮太の気遣いが、かえって突き放されたように感じられた。
「え、そんなっ。大丈夫、ちょっと待って」
  携帯を握りしめたまま、慌てて周りを見回す。
  今立っているのは通路のちょうど真ん中。でも少し歩けば、ステーションモールとの境目の場所がある。柱の影、エアポケットみたいな場所に、身体を滑り込ませた。もしも電波が届きにくかったらどうしようかと心配したけど、大丈夫だったみたい。亮太の息がふっと落ちるのが耳に届いてきた。
「もう平気、うるさくないでしょ? 私の声、聞こえる……?」
  私は必死だった。亮太は携帯を切ろうとしてる。そんなこと、しないで。もしもこの繋がりが絶たれたら、私たちは二度とこうして言葉を交わせないかも知れない。
「本当に、大丈夫なの? 忙しいなら、何も今じゃなくたっていいんだから」
  亮太はまだためらっているみたいだ。
  どうして、そんな風に言うの? 私はこうして亮太が連絡してきてくれて、嬉しかったのに。やっと、やっと、声が聞けたのに。なのに、どうして。
「ううん、そんなことない。大丈夫だから、話しを続けて」
  てのひらサイズの携帯が、心許ない。私はメタリックレッドのそれを、指先が白くなるほど握りしめて、祈るような気持ちで言った。
  ステーションモールの入り口は少し離れたところにある。それなのに私の目の前には、きらびやかなショップのディスプレイが並んでいた。でも、それは手に届かない。すぐそばにある硝子の壁に隔てられて。時折、冷たいビル風が吹き込む外に続く通路。幸せに届かない場所に私はいる。
  マッチ売りの少女が見た、幻影みたいだね。私の目の前にある全ては触れることが出来ないものばかりだ。楽しそうに、幸せそうに。歩いていく人たち。週末の街並みはやはり浮き足立っている。
  こんな風に、ひとりで取り残されるのが怖かった。だから、いつも近くにあるぬくもりにすがってしまった。そんな安易な行動が今の私の境遇を作り上げたのだから文句も言えない。
  見えない糸で繋がれた向こう側で、ごくんと息を飲む音が聞こえた。
「……ごめん」
  最初に、亮太はそう言った。何故、そんな風に前置きをするのか。たったひとことで、私はまた自分の心がひりひりと干上がっていくのを感じていた。
「色々あってさ、天音のメール、ついさっき受信したんだ。時間が経っちゃって、悪かったな、ホント申し訳ない」
  色々あって? それって、どういうことなの。
  次々にこぼれ落ちる亮太の声が遠い。待たされた時間が長すぎるからだろうか。いつものように亮太の電話にすぐに飛びつけない。少し距離をおいて、出方を待ってるみたいで。
「そう。別にいいの、気にしないで」
  他に何と言えば良かったのだろう。どうにも言いようがないじゃない。
  私がメールを送ったからと言って、亮太が必ず連絡を取らなくちゃならないと言う決まりもないんだから。このことについて、責め立てることは出来ない。
「でさ、遅れついでて悪いんだけど。そんな感じで急なことだし、今週はちょっとそっちには行けないな。明日予定を入れてあるんだ。――で、来週も。日曜に同僚の結婚式があって……」
  無数に落ちてくる硝子の欠片が、次々に胸に突き刺さる。
  ――どうして?
  私は息を飲んだ。どうして、亮太の口から、こんな言葉が出てくるんだろう。
  だいたい、「同僚の結婚式」なんて言葉、今まで一度も聞いたことなかったよ。亮太がどこでどんな風に生活しているのか、そんなことも全然知らなかった。
  年に何度か、私たちは再会する。でもその時の亮太は私のことを慰めてくれるだけで、自分の「今」を話そうとはしなかったから。私も聞こうとはしなかったから。
  亮太と私は「別れた恋人」。だから「今」や「未来」を共有する必要なんてなかった。私たちにとっては過去だけが確かなもの。楽しかった頃の思い出話は出来ても、「今」のことや、ましてや「これから」の希望なんて話す相手ではなかったのだ。
  だけど、実際には私たちは「今」を生きている。だから、亮太には亮太の生活があって当たり前。分かっていたのに、私には次の言葉が出なかった。今のこの感情を口にすることは不可能だったから。
「だから、悪いけど……な、大丈夫? 今回はヤケに早いじゃないか。何かあったの……?」
  会えないと、亮太が言う。そんなこと、今まで一度も言われたことがなかったのに。
  私がひとこと「会いたい」と言えば、亮太は必ず会いに来てくれた。ひとりぼっちで待っている私の部屋のドアを開けて、昔のままの笑顔で包んでくれたのに。
  ―― 会えないんだ、亮太に。
  そのことを、自分に納得させるのにとても時間が掛かった。言葉では理解しているのに、心には染み通っていかない。亮太の言葉を私はどうしても受け入れることが出来ないのだ。
  私の心の一番大切な場所で笑っていた亮太が、すううっと音を立てて遠のいていく。手の届かない場所まで。二度と会えないところまで。
「――ううん、平気。大丈夫だよ」
  それなのに。私の口から出てきたのは、あまりにもあっさりとしたひとことだった。
「何でもないの、ごめんね、心配させて。全然平気だったの。ただちょっとだけ、声が聞きたくなっただけ」
  声が震えないように、どうにか言葉を繋ぐ。頬をさらさらと涙が流れていく。あとからあとから溢れ出てくるもので、声が詰まりそうになる。
  ようやく気付いた。
  きっと亮太は、私には会いたくないんだ。…ううん、もしかすると今までだって、嫌々会いに来てくれたのかも知れないね。でも、悲しくて崩れそうだった私にはそれに気付くだけのゆとりがなかった。亮太が来てくれれば、それだけで嬉しかったから。私が会いたいと思ったのだから、亮太だって同じはずだと勝手に信じていた。
「予定」とか「同僚の結婚式」とか、そんなありきたりな単語で私を突き放そうとする。これが亮太の本心なのだから。
  とっくに終わっている女だったんだ。こんな風に、いつか切り捨てられる運命にあったんだ。
「大丈夫、なのか? ……本当に?」
  まだ探るような声。私のことを心から心配してくれているのが分かる。
  優しいね、亮太。でも、その優しさが、私を思い上がらせたんだよ。最初から断ってくれれば良かったのに。情けなんて、かけてくれなくて良かったのに。
「うん、わざわざゴメンね。本当に、気にしないで」
  その時。柱にもたれ掛かっていた身体ががくっと落ちた。手から携帯が滑り落ちて、通りを転がっていく。
  ―― 私と、亮太を繋ぐもの。唯一の、残された希望。
  遠ざかっていくのに、拾いに行けない。絶え間なく流れていく人の波に消えていって、もう見えない。私はもう、何もかも自分には残されていないんだと言うことに気付いた。

 しばらく経って。
「これ、おたくのちゃう?」
  スーツ姿の男性が、流れの中から湧き出て、こちらに歩いてくる。そして、少しトーンの違う言葉で私に携帯を差しだした。
「ありがとう……ございます」
  しゃがみ込んだまま、私は腕を伸ばしてそれを受け取った。相手の男性はにっこりと人なつっこい笑顔を浮かべる。
「もう落とさんときや」
  その言葉には頷くことしか出来なかった。その人が立ち去ってしまうと、私はホッとため息を付いた。自分の手に戻ったものをそっと指で撫でる。指先がじんと熱くなった。
「……天音、聞こえるか?」
  思わず、自分の耳を疑う。危うくまた、落としてしまうところだった。驚いたことに、受信口からは、ちゃんと亮太の声が聞こえて来る。通話は切れていなかったんだ。
「あ、ごめんね。ちょっと下に落としちゃった。びっくりしたでしょ」
  大きく深呼吸してから、出来るだけ明るい声を出した。悟られないように、泣いてることを。
「ちょっと待て。天音、……今どこにいるんだ? その――」
  亮太の言葉が止まる。じっと息を潜めて、何かを伺っている気配。
「も、もう切るね。電車に乗らないといけないから。……ゴメン、本当にっ!」
  早口に言って、それきりにしようと思った。亮太の気持ちはよく分かったから、これ以上しがみついても申し訳ないだけだから。
「――待てっ、……天音っ、待ってろっ! 十分…じゃあ、無理か。三十分、いや二十五分でいい。そのまま、そこに立っててくれっ!」
  耳元で。亮太が大声で叫んだ。と思ったら、ぶつっと通話が途切れる。どうしたの、一体何があったの。まさか、……ううん。
  私は柱の影にしゃがみ込んだまま、しばらくボーっとしていた。亮太の言葉を信じていたと言うよりも、腰が抜けたみたいに立てなくなっていたのだ。

 二十五分なんて待てない。どうするのよ、最終の新幹線行っちゃうじゃない。もうホームに行かないと間に合わないんだよ。私、切符だって買ってない。
  そう思うのに、動けなかった。

 どうして、こんなところまで来ちゃったんだろう。自分が滑稽に思えて仕方ない。
  でも、亮太に会えないから。せめて近くに行きたいと思った。まだこの街に亮太がいるという保証はない。またどこか違う場所に行ってしまったのかも知れないのに。それを知るのは次に会った時で。メールなら、どこにいても届くから、亮太の所在場所なんて知らなくて良かった。
  私の想いは、すぐに亮太に届くから。どこまででも私の鳥は飛んでいくから。何も心配することはなかった。亮太には何時でも会えるから、気に病むことなんてない。
  信じていたのに。ずっと、信じていたのに。
  私はひとりぼっちで待っていた。鳥かごの中で、飛べない羽を抱えて。亮太という飼い主が、私の元に戻ってくれるのを待っていたんだ。でも、亮太が来ないから、戻ってきてくれないから。だから、とうとう鳥かごの外に出てしまった。
  水の色をした、この広い空のどこかに、きっと亮太が住んでいる。見つけるつもりだったのか。そんな、海岸で落としたピアスを探すみたいな行為をしようとしていたの…?。無駄な努力だって、どうして気付かなかったのかな。
  時計が、最終の新幹線の発車時刻を示す。でも、私はそのままの場所にいた。もうどこにいても同じだったし、この先のことも思いつかなかった。

 風が、また吹き込んでくる。長い外階段の下は、駅のロータリー。駅から噴き出してくる人の波が、どんどんとそちらに向かって流れていく。
  ――と。
  その流れを逆流して、紺色の塊が駆け上がってきた。それがスーツの色だと言うことに、しばらくして気付いた。
「―― 天音っ!!」
  近くにいた全ての人が、振り返るような大きな声が響き渡る。私を呼ぶ、懐かしい声。また伸びかけた髪、少し血走った目が、泳ぐように辺りを見渡した。
「天音っ――っ!!」
  私は。よろよろと立ち上がっていた。柱にもたれ掛かった腕で弾みを付けて前に飛び出す。
「……あ……」
  背中に、羽を感じた。大きく広げて、一番戻りたかった場所まで一気に舞い上がった。
  さざめきも、きらめく光りも。
  全部全部、消し飛んでいた。目の前にただひとりの佇む人。その人に、まっすぐに。あたたかいぬくもりに包まれた時、もう―― 他に何もいらないと分かった。

◇◇◇

「…亮太、どうしたの?」
  ふたりっきりの部屋で。私を柔らかく抱きしめたまま、髪を梳いたり、首筋に口付けたり。飽きることなくそんな風に、ただ無駄な時間を過ごしている彼に、私はぼんやりと話しかけた。
  まだ、夢を見てるみたいだ。
  もしも、こんな奇跡が起こったらすごいとは思っていたけど、実際にそうなるなんて期待してなかった。
  あの場所は亮太の取引先の人がよく電話をかけてくるところで、だから周りの音も耳に覚えていたという。亮太にしても、私がまさか彼の住む街まで来てるとは思わなかったんだろう。携帯はどこにいても掛かるから、私がアメリカにいても気付かないかも知れない。着信が可能な場所ならば、だけど。
「どうして、何もしないの……?」
  もう、あれこれ、二時間以上こんな風にしている。じらすだけじらされた感じで、私は自分の身体が待ち望んで熱くなっているのを知っていた。でも……恥ずかしい、こんな風に誘わないと駄目なの?
「ん〜? ……だって、もったいないから」
  亮太の腕が、またしっとりとまとわりついて、服の上から、微妙なタッチで触れてくる。期待してしまう自分が悲しい、もうすっかり飼い慣らされていたことに今更ながら気付く。
  ひとり分のベッドの上。ふたりで座って。
  ここは亮太の部屋。女の人の気配なんて、全然なかった。そうだよね、もしも彼女がちゃんといるなら、不用意に私を招き入れないはずだもん。女は意外と敏感なものだ、自分以外のメスの気配にはすぐに気付くんだから。
「亮太ぁ……っ!」
  また、タバコに伸ばしかけた手を、乱暴に掴んで自分の方に引き寄せる。何で、こんなに意地悪するの? ひどいよ、私が何を待っているのか、ちゃんと分かっているんでしょう。
  いつもいつも再会する時は、まず最初に亮太が欲しくなった。自分が好き者みたいで嫌だったけど、本能だから仕方ない。
  会えない時間の空白を埋めるには、私の全てを亮太でいっぱいにして貰うしかなかった。亮太を感じられない私は、もう酸欠寸前で、もう一度生き返るために、亮太が必要だったのだ。
  そんな私を知っていて、亮太はいつだって優しく、でも自分の全てを刻みつけるように抱きしめてくれたじゃないの。
「また、そんな目をする」
  亮太の瞳の奥が妖しく光って、私の心に感情がぬるりと流れ込んでくる。
「俺が、その視線に弱いって知ってるんだろ? 全く抜け目がないんだからな、天音は。でも、今日はその手には乗らないから」
  も、いや。身体が、焼け落ちちゃう。怖いよ、どうなっちゃうの、私。
「嬉しいな、天音がこんな風に会いに来てくれるなんて。俺、滅茶苦茶嬉しくて、うぬぼれているんだけど…どうする? 思い上がらせると、あとが怖いよ……?」
  亮太はそう言うと、まるで私の心のひだのひとつひとつに入り込むような、柔らかい抱擁を繰り返す。私の熱くなっている場所を避けて、その周りに手のひらを滑らせながら。
  つい最近、パソコンを買い換えて、データーは全部入れ替えたのだけど、メーラーの設定の時に、私に教えたメルアドを登録していなかったんだという。
「だって、天音が次に連絡してくるのは、どう見てもあと二ヶ月は先だと思ってたし。天音以外に教えてないアドレスなんだから、毎日待つのも辛かったんだよ。俺が天音のメール、ずっと待っていたなんて、知らなかっただろ」
  そんなこと、知らない。ついでにプロバイダを変えて、メインのメルアドも変わったのに、私に教えたアドレスを生かしておくために、前の会社に月三百十五円の使用料を払っていたことも知らなかったわ。亮太も亮太なりに、私との接点を残そうとしていてくれたんだね。
  嬉しいけど、口惜しい。そうならば、何でもっと強引にしてくれなかったの? もしも亮太がもっと強気に私の全てを求めてくれたなら、迷うことはなかったのに。亮太が優しくて、でも何を考えているのか分からなかったから、ずっと不安で信じ切れなかった。
「ごめんな、怖かったんだよ。天音のこと、しっかり捕まえようとすると、逃げられちまいそうな気がしてたんだ。いつも、俺の方ばかり働きかけていたから、不安だったんだから」

 駅の通路で。人目を気にせず泣きじゃくる私を、亮太はずっと抱きしめてくれていた。
  いきなり現れた存在は本当に嬉しかったけど、マッチ一本分の輝きで消えてしまう幻影じゃないと、どうして信じられるだろう。ちょっと気を抜くと跡形もなく消えてしまうような気がした。
  ―― 嬉しかった。けど、それの上を行くほど恥ずかしかった。帰りのタクシーの中で、亮太はぽつんとそう言った。

「天音は俺が下心丸出しで近づいていっても、全然気付かなかったもんな。馬鹿にされているのかなと随分気を揉んだんだよ。それで、思い切って告白したらあっけなくオッケーが出て、拍子抜けしたんだよ。こんなに簡単でいいのかって」
「そんな」
  あまりにも意外すぎる告白が続いて、私は言葉が続かなくなっていた。
  お互い、知らないことばかりだ。亮太がそんな風に私のことを思ってくれていたなんて。ずっとずっと待っていてくれたって知っていたら、私、迷わなかったのに。どうして捕まえてくれなかったの、どうして何でもない振りをしたの。
  たくさん、たくさん、遠回りをしたね。そして、これから私たちはどうなるの? この週末、一緒にいられたって、また離ればなれになるんだよ? 私はそれに耐えられるの? いくらふたりの想いが一緒だからって、金銭的にも精神的にも負担が大きすぎる。
「ほら、またそんな顔をする」
  亮太は私の不安ごと、またふんわりと抱きしめてくれた。でも、足りないよ。こんなじゃ、満足出来ない。もう亮太の腕から飛び立てないように、亮太のことしか考えられなくなるように、しっかりと抱いていて。私を亮太の鳥かごに入れて、もう離さないで。
  こんな風に言ったら困っちゃうんだろうなって思うから、無口になる。亮太とずっと一緒にいられる夢を見ちゃいけないのかな?
「天音……」
  亮太の手のひらが私の輪郭を包み込む。そして、しばらくそのままじっと瞳に私を映してから、いつものようにふっと目を細めて微笑んだ。
「天音が、二度と不安にならない魔法をかけてあげようか? でも、これをしちゃうと二度とやり直しがきかないんだけど……それでもいい?」
  グーにした手の中に、隠されたもの。左手の薬指。すううっと通してくれる。きらきらの未来。私たちの明日を守るもの。
「……亮太」
  私が信じられない、と言うような顔で見上げると、彼も恥ずかしそうに頬を赤くした。
「ごめんな、これ三年前に買ってあったんだ。本当はこっちに来る前に渡そうかと思って。でも……だいぶ古くなっちまったな」
  何て、言えばいいの。本当に、本当に私でいいの? 今までのこと、全部知っている亮太なのに、それでも私を選んでくれるの……?
  声が出ない。想いの全てが喉のところで詰まって。どうしていいのか分からないよ。
  もう、泣くだけ泣いたから、身体の中に水なんて残っていないはずなのに、それでもまた視界がぼんやりとしてくる。そんな私の震える手を、亮太がゆっくりと包んでくれた。
「まだ、これは内々の話なんだけど、春には東京に戻れるんだ。他の奴の二倍は頑張ったからな、これも愛の深さだと思ってくれると有り難いんだけど」
  それから、耳元までわざわざ唇を寄せて。こっそりと内緒話みたいに囁く。この部屋には他に誰もいないのに、ふたりだけの秘密にしたいと言う感じで。
「一緒に暮らそう。そう誘ったら、応えてくれる……?」
  羽を休める場所を、探していた。空に羽ばたいても、ちゃんと戻ってこられる場所。変わらない、いつまでも安心して目指せる場所を。
「いつも、いつでも不安だった。必死になって追い求めたら、消えてしまうんじゃないかって」
  背中に回った腕に力がこもっていく。今までと違う熱を感じて、触れられたところから溶けだしていくような気がする。するすると私を覆う布が取り払われていく。ほんの少し残った躊躇を、全てはぎ取るみたいに。残るのはお互いのぬくもりだけ。肌のくぼみに、しっとりと重ね合わされるもうひとつの身体。
「消えないわ……もう、どこにも行かない」

 鳥かごの扉が閉まる、微かな音がした。ふたりの間の最後の鎖が外れるのと同時に。

了(031013>

 

 

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TopNovel短篇集Top>鳥の手紙・3

 

※作品の冒頭に出てきました「子供の頃に聞いた唄」はさだまさしさんの「分岐点」という曲です。もしも興味のおありの方はこちらのサイト(さだまさし全曲歌詞集)から、歌詞をチェックしてみて下さい。アルバム名「14・うつろひ」です。
最初にこの唄を聴いた時はさすがに「何、やな女」と思った記憶が…(苦笑)。

※言語指導(?)…『らぶらぶ』*みつき様。お忙しいところ関西言葉の添削ありがとうございましたv