建築あそびin竹屋 2008年2月10日  home 

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           今後の  課題編 01

 手作書き手作り のフ リーペーパー 

佐藤
:俺 フリーペーパーもやってたんだ実は(会場え え え)じゃんじゃーんほらこれ手作りだよこれ。俺の名前も書いてある
伊庭野:やってんじゃないですか、フリーペーパー何もやっていないと聞いていたな〜
佐藤:実はやっていたんだな〜イラストまで書いてあるよほら
伊庭野:あら〜やっている〜会場ワイわいがやや
佐藤:この号のこれの記事は「建築土方はつらい」みたいな
伊庭野:これ幾つですか
佐藤:これ84年だ、何号続いたか忘れただけだ。
伊庭野:やってねーよと言いながらワイワイギャガガヤ

佐藤:俺が主体的にやっていたんじゃないよ
藤井:vol8って言うのはワイワイがやがや
伊庭野:こういうのやっていないと いいなら実はやっている
佐藤:昨日、今急に、ああやってたな〜思いだし探したの
伊庭野:取ってた 

  意味あるの 

藤村:第三部
佐藤:これ何時までも終わらないな、これは
    てづくりのぺーぱー見て 藤井 わらう わっぱははー
佐藤:イラストも文書も書いてさ、このフリーペーパーの中身はジャンル横断だよ、音楽の話とか
伊庭野:ちゃんと取ってますね

藤村:
第一部で我々の話を聞いていただいて、第二部で今佐藤さんの話を聞いと、「何かある連続性と差異」と言うのが浮かび上がってたと。

その部分をもう一回ハッキリ整理した上で「今後の我々の展望」というのをですね、それぞれの展望を明らかにして行こうと。議論を方向付けて行きたいと思います。「連続性」という意味では


佐藤:私が何か意義の有ることをやっていますでしょうか
藤村:え
佐藤:こういう事をやってる。
伊庭野:それを意味があるかどうか語る番組ですね
佐藤:本当に意味があるのかね?俺は敗北してるんだから

伊庭野:僕らだってこれやることは、まだ一銭にもなってないし。それが本当に意義があるかどうかと
佐藤:この過激。家庭は壊れるは居場所は無いは、仕事も来ない。だから「俺みたいにやるなよ」と言うわけ

藤村:でも何だろう、ある部分の差異、そういう差異は有りつつ、連続性もあると

佐藤:おれは連続性は判らないけど、近いものをやっいるかも と感じるの(会場うん)俺に判るように言ってくれ
伊庭野:「建築を(開いて)拓いて行こう」というのが
佐藤:下心は仕事欲しかっただけなんだけど
藤井:そうですけど「それをドンドン繋がって行っている」というのが、議論がドンドン組み立っていて

 パブリック建築と税金建築は違う 

佐藤:それは中学生に戻っていて「パブリップが無い」という事も確認されていて、じゃ「パブリック 俺作ろう!」みたいなさ。自分で「パブリックとは何か?考えて税金建築と言うのはパブリック建築ではないぞ」と、問題発言とかしてしまうよね
伊庭野:うちらみたいな業種、こういうイベント起こすとか、こういうイベント起こすっていうのは、業種として他にいるアートデレクターとか
藤村:どうなんだろう、いるかもしれないけど建築に限って言うと

佐藤:「中世の建築のイベン」トと言うのは、俺の中にイメージがあって、重源を理想の建築家みたいに思っちゃうわけよね,現代ではクリスト夫妻ね。 思想もやり、(古代から中世への移行期に当たり)「国家的な宗教を普及する」っていう目的があるんだけど、お坊さんでありながら建築家でありながら、アジテーターでありながら、勧進興行をやって天皇から貧民に至まで お金を取り集める。事業を実現を全部やるんだと思い込んでいるのよ。

仕掛け人であり制作者でもあるわけよね。今なんでそれは出来ないのか「そういいうふうにヤッタ方が良いんじゃないの」って言うのが図面納入業者じゃね〜あんまりだよね。 

文化で小特集されている「自生の建築」っていう考え方、「自分自身で生きる建築」を俺は目指してんだと。 税金を注ぎ込まないと生きていけない、なんてのはそれはおかしいぞと。建築って自生するそういうもんじゃないかいと。でこの「怪しげなmy建築の写真だけ見せると、「何だこいつはおかしな事やって、随分アナクロだな〜」って誤解されている事は判っているんだけど 誤解されいる。

 紙媒体に載る 


藤井:そういう写真と今やっている「建築あそびの」メデア全部ひっくるめて言うのが表現としてやっぱり戦略としてあるわけですか
藤村:さっきもちょっとおつしゃっていた、建築をメデァとして捉えている
佐藤:おれここ(86年の福島内雑誌)で今見ると思わず笑っちゃうだけどさ、一番最初の媒体に載ったのこれなのね。その時「建築とは何ですか」と聞かれているわけよ。なんて応えていたと想う俺
藤村:ななだろう 場だとかメディアとか
佐藤:そんなこと考えてないんだ判っていなかった。「私は判りません」と言っているんだ
伊庭野雑誌を読みあげる伊庭野「家族や人間とは何ですかと問い返したい」
佐藤:結局判りませんという事を言葉を変えて言っているだけ
伊庭野:でもあるコミュニティーの形態ということ

        
1986年 BOX4前での俺 →

佐藤
:まあそうだな、「人間関係について何かそれに関する答えであろう」と
伊庭野:家族や人間ということだど言う
佐藤:そう 考える事が建築だと思ってたけど、今は媒体だとか。当時はリアルな名詞に成ってないじゃない。これは、どっちつかずになっている。なんだかよう判からんぜ〜って。「俺は馬鹿です」ということを正直に答えた。印刷物って結構貴重だな〜って。(長男に散々この本が見えないからってからかわれたよ)恥ずかしいぐらい。建築の媒体と違うけど、友達BOX2の発注者の人が、書いてくれたんだけどね、おれ若いな、おれじゃねーな これ今見ると
藤井わらう
伊庭野:イケメンですね

佐藤:これが4番でこれが3番なんだけどね。ちょっと遠いから行けないんだけどね
藤村:これ何番ですか
佐藤:4番。媒体、最近そう思ってるだけであって
藤村:でもそうおっしゃっているじゃないですか
佐藤:媒体だなと、媒体であると、何の為の媒体かと
松島:ラディカルなテーマとしては、佐藤さんの中にこう事が在るわけでけれども、「今・建築とはメディアである」と言い出した事について言ってみると
佐藤:特化した来て戦略的に言って、受けもいいじゃない
松島:そうですよね


 見えない建築家の権力実践 

佐藤:
「媒体」と言った方がいいと、じゃそれは何のためだと。「人間が何を考えている」かっていうことを具体的に定着させたり、社会背景で人間こういうふうに生きなければいけない、いうことを建築を使ってカタチに出来るという
松島:「定着させる」ということですよね
佐藤:人間の思想をアクチャルな、そういうものを定着させる。アクチャルなものを定着させるから古くなって行って。使えなく成ったときにどうするか?そのためには建築そのもの魅力的な形式があれば、機能目的と関係なくドンドン使っていけるであろうと、いう事と同じで。

松島:RCというマテリアルと繋がって
佐藤:最初から(依頼された人の)プラン考えてないんだもの(会場笑い)「この部屋はこのために作る」っていうやり方では無いからさ。全然関係ない話で作って。後で説明の時に、ここの処台所。ここ寝室、「滅茶苦茶の建築」ハッキリ言えば。最初から機能目的からズラしてある。

一つの建築を作る時に、自分の仮説を一個入れて、昔知らなかったけど今風に言えば、幾つかレイアを入れてね。もう一つ発注者の現実の暮らしの為のレイア重ねた時に、こっち(建築家の仮説)のレイアは、みんな見えないんだよ。
藤井:説明しないと言ってた

佐藤:しないよ。「使える」って言う。機能目的合理の処だけ説明すれば良い。みんな納得するわけよ。(会場ふんふん)実は俺はこっちやっているだけどさ、こっちの機能目的で読めるない方は 興味がないからさ

藤井:
こっちの空間というのは

佐藤:でも今日行って見て判るけど、機能合理、こっちのレイアも結構使っている、結構おもろいな〜みたいな(会場わらい)みんな思うでしょう。俺は悔しいから、あんまり言いたくない。(かいじょうわらい)俺は本当はそっちが目的きじゃないんだけど、建築ってこんなに面白いんだぜ。

 多様に在る 

松島:だれもが、建築家としてもっている
佐藤:目を奪われチャう
藤井:でも「これが在ることで、空間がまた機能を生んだり」ということだよねっていうこと今日しました

佐藤
:そだよね、それは「意図的に違犯する」という事によって 初めて「相乗効果があるんだ」という。意図してやって見ないと判らない。普通は上手く調整した感じで手を叩く。ダブルスタンダードで行かない振りじゃない。もしかするとトリプルスタンダードに成っているんだ俺のやつは。俺はワザト違犯して、発注者にも周囲にも笑ってもらう。

なんぼもレーヤ重ねて、参集する者の欲望を重ねて。そこで立ち上がった建築のカタチと、リアルな壁ね、床とかね。「そこれが機能的に使える」ということ、現実化される。とりあえず違犯してる、そこでしか、近代を乗り越えられないじゃない。

使っている人が近代主義者なんだもの。近代の目的に教育され、「あなた〜」で良いパパママして生きているわけだからさ。(藤井わらい)「時代と言うのはなかなか辛いな〜」と思うわけさ

藤村:でもこれからはポスト近代の価値観を持った
佐藤:でもそうね、仕事来るかどうか分かんないから、仕事来るより「建築は媒体だから、媒体の中身を一所懸命やった方が面白い」ということに成って来ているわけだよ。各種媒体自身を循環して豊にするところに(つながる)、建築ではやらなくっても、その面白さは色々出来ちゃう

伊庭野:じゃ媒体として、今佐藤さんの建築は伝わっていると確信があり
藤村:「伝えるための媒体」ということじゃないと思うんだけど
伊庭野:それは違うか
佐藤:伝わなくって良いのよ。「アクチャルな社会状況と建築」という関係を、そこでどういうふうに考えているか?ということを考えて、定着できる媒体であるだけであって良いのね。 現代が持っているアクチャルな思想は、そのまま定着出来るから、繰り返しになるけど、古くなるわけね思考はね。批判されてドンドン更新されるから、その時に初めて建築が物である力が出て来るわけ、潜在力でそれを受けとめる

 目的合理の破綻から建築の威力が増す

松島:
建築自身の魅力があればOKだと

佐藤:機能が破綻したとき、参加者が会で言っていたけど「プログラムがすぐに使えなくなって駄目になるじゃないか」とか。違う。プログラムされて出来るって話だけど目的合理に合わせたプログラムだとそうなる。古くなった時に自生しなくなってしまう。解体!(あんた使い物にならない人機械と同じゃんそれじゃ)。いや、それは違うぞ!と。「建築そのもの」の魅力と融通性があると、プログラムが合わなくっても使える、プログラムと重なる新たなプログラムに読み換える

松島:今建築自身の物としての魅力という、神話的語られているですけれども、それは何のことですか
佐藤:どういう風に語られている、分かんないそれは人の本とか読んでないから
松島:今佐藤さんがおっしゃっている話ですよ、建築の物としての魅力はあると我々は信ずるしか無いんですけれども

佐藤:
実際そうだ、さつきも言ったけど、千万家は形式しか考えてないのに行って見たら物と生活者の関係が

松島:
竣工してから今「生きられた過程」と言うか そういう経験とか、そういう物が物としての魅力に成って行くといいんですかね

佐藤:逆に言えば使い方がいい建て主さん居れば幸せになって、そういう事が言えるけども。逆だって良いじゃん。

松島
:それと別に建築自身の天上高とかもの凄く物理的な図式とか

佐藤:そこまで俺の配慮が行き届かないと。形式と虚偽実ばっかり考えているから、デリケートなミニマリズムの建築とか、微妙な歪みとかね、天井の高さとか、色の微妙な変化に対応した面白さと、個人的感性によるデリケーとさ、その感受性を建築に付加出来ないという。

そこで勝負してしまうと、暴力的な僕の発想、暴力性ではそこに拘ると消化できないので。「俺がやる仕事でないな」と。いうことはあるわけよね。欠如というかね、色々出来ない。そこまで出来たらやりたいけど多分不可能だろうと。貴方にお任せみたいな処もあるけど

俺の答え出てないのに、次にステージになかなか行けないわけですよねと言うことでいいのかな答え。会場うん〜

 回避行為か 

松島:果たして佐藤さんがおっしゃっている「経験とか生活されてると人と物との、建物との関係」と言うものは「建築自身の物としての魅力」と言って良いのかな〜と
佐藤:それは分かんない、それはああやって付き合う事によって霞んで見えるのかもしれないな。建て主さんとコミュニケーションしたりして、出来るまで人間としての関係を作っちゃうじゃない。その事によってそれが見えなく成っている可能性はあるよね。本質の問題が、何か豊に成っちゃっているかのよう

悲惨な状況になるから俺が一層懸命ね「コミュニケーションしようと仕掛けて行って、それを忘れないように仕掛けている」っていうことは正しい。それは「何に対して恐れているのか」っていう事は自覚してないけど。「ほっとくと建築の魅力や場所が持っているパワーだとか」っていうのを、感じないママにやり過ごされて行って。建築家として納得出来ないんだね。 

要するにアジェンダーセッテン「議題設定をしてる」わけだよ。建築はオモロイだよみたいな。言い続けないとジャーナリステックに。それが俺が挑発しコミュニケーションする「下世話な欲望だ」と思うんだけど、建て主さんの処に行って面白い〜って、良く棲んでますね〜。住むためにはこうですね。議題をそこから抽出して、議題を忘れさせないと。「俺とあんたの議題はこれだったんだよ〜」と言い続けると。

                           ( 浄土堂パンフレットより↑)
ということは「建築はもしかすると捨てられるかも」しれないと、弱いね。で「やっているのかもしれないな〜」っていうことはあるよね。それは俺も判らないけど。という気もするな。「ほって置いたらどうなるか」という。ほっといても800年も生きる浄土寺浄土堂の虚実反転の内部のような魅力みたいにな。
松島:あれはまさに物としての魅力かもしれないじゃないですか

佐藤:でも浄土寺浄土堂ってホントにそうかな〜っ感じだしけどな。ものの魅力と言うよりは建築を支えている思想性っていうかな、生み出す媒体としての物とが地に合理的に生きている
藤井:別の層が絡んできている
松島:何処までも人間との関係で建築の魅力は維持されると
佐藤:たぶんそう何じゃないかなと
松島:人が居なければ「建築の魅力」というのは無いわけすね

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