ことば悦覧in 神奈川大学 2009年10月29〜11月01日 home 学生 小金丸信光 村上敬祐 長谷川明 坂本友里恵 杉山聖昇 社会人 丸山美紀・新田有平 本間義章 松野由夏 番外編 松田朋春 本間義章さん 30日 神奈川大学 6階小会議室にて 晴れ その01 その02 その03 その04 その01 佐藤:はじめまして、本間さんの産まれところや生年月日を許せる範囲でお願いします 本間:1974年の10月◎日生まれで、静岡県 静岡市の生まれです 佐藤:育ったのは 本間:静岡市です ずーっと静岡ですね、はい 佐藤:小学生時分にはどんな事して遊んでましたか 本間:小学生の時は何も考えてなかったと思うんですが、小学校4年ぐらいからミニバスとかバスケットボールとか、それが中学までずーっと続いて。 佐藤:9年間バスケット浸るですか 本間:そうですね 佐藤:スポーツマンだったんですね 本間:だったんです。ふふふふ、今はもう面影がなくってしまて。 佐藤:おかた 大人になるとそうですよね 本間:はい 佐藤:高校はどうされたんですか 本間:高校の時に実は僕右足が悪くって 膝があんまりよくなくって、 佐藤:バスケやりすぎってこですか (絵ネットより) 本間:そうですね。そうすると右の方がちょっと長いので、足が。膝を痛めましてね。で何時も靱帯を固定するようなかたちになっちゃって。で、高校からは趣味程度でバスケをやるようになったんです。で、高校の時に、小学校中学校一緒だった同級生が居て高校も一緒だったんで。その人がですね、それこそレッドツエペリンだとか、 佐藤:あ!ギター小僧に ですか 本間:ふふ、ジャニス・リン・ジョプリンだとか、そういう世界を紹介してくれましてですね 佐藤:熱唱 ロックですかロック漬けね 本間:ロックで演劇で言うと寺山修司さんだとか 佐藤:じゃ状況劇場もですか、アンダーグランド演劇を 本間:そうです、そうです。で、そこで (絵ネットより) 佐藤:高校生だとそれは何年ぐらいですか 本間:1986年から89年で卒業していると思います 佐藤:寺山修司死んじゃっているね 本間:そうです、そうです。だから遡るようなかたちですよね、 佐藤:レッドツェペリンと寺山修司の接点は無いよね 本間:そうそう。でも何となく、70年代、80年代から70年代初頭の文化っていうの、急速に高校時代に、 佐藤:エレキギターは毎日弾いてたんですか、ギターやりながら演劇の発生練習をしてたんですか 本間:演劇はまだその頃、寺山さんにしてもどちらかと言うと詩集だとか。 佐藤:ああなるほどね。 本間:ああいうのに填っりまして。寺山修司の本道に行かないで 佐藤:文学が本道だよ 本間:そうですか、 佐藤:俳句から始まったんだから、僕も寺山大好きオジサン 本間:だから赤い糸で縫いとじられた物語とか、そういうのを 佐藤:童話系のようなものですね 本間:そうですね。 佐藤:全部嘘だけど読んでいると世界がそうなっているように思えてくる、寺山修司の話が出るとは!嬉しい。僕も寺山修司の話はかなり大好きなんですけど。ギターの方はバンドか何かつくって、 本間:コピーバンドではないんですけども。何となくライブはしないんですけど。セッションみたいなかたちで友達と集まって。 佐藤:高校の3年間は演劇を音楽と 本間:演劇というよりは、そういう寺山さんのテキストを読むような、あと音楽は聞いてましたね〜。聞いて。 佐藤:今も寺山修司に凝っているんですか 本間:今寺山修司というよりは唐十郎さんとか。ふふふふだから毎年一回は花園神社とかの赤テントに 佐藤:ああ唐組公演ね、唐版風の又三郎あたりで俺と会っているかもしれないね 本間:ふふはあはははは 佐藤:1年に一回は行ってないけど、だいぶ観てる。80年代のは福島公演もお化け煙突とか腰巻きお仙とか、タイトルわすれちゃたけども 本間:それこそ状況劇場 佐藤:李礼仙がスターでね、唐組ではなかった 本間:そうですね状況劇場 佐藤:団員の宿の手配とかチケット売りとか、ブルーシート寄付したりとか色々手伝って交流しましたけれどもね。その話はおておいて、後で盛り上がるとして。じゃ高校時代にギターを弾いたり詩集を読んだり、スポーツ少年から文学少年へと文系少年にかわっていく 本間:そう 佐藤:やはり足の痛みですか 本間:足は悪かったからですかね、それは決定的でしたね。 佐藤:他の良い世界もあったと。 本間:はい。 佐藤:どこか駄目になってみると違う世界の扉が開かれると。その時は深刻だったですか 本間:深刻でしたね〜 佐藤:スポーツできないっていうことで 本間:そうですね。 佐藤:人生は終わりかみたい はははは 本間:そこまで、一流選手じゃなかったので。でもけっこうバスケは好きだったんで。何かちょっとやっぱり、もぎ取られた感はありましたね〜 佐藤:あそうか何か欠落していく感じで、ちょっとさみしいな〜と 本間:はい 佐藤:なるほどね、そうですかそれで大学、っていうか建築に来るまでにどこか寄り道してきましたか。 本間:いや僕は、 佐藤:寺山修司にあこがれて早稲田の文学部に入ったがとか、 本間:そうは言いつつも僕なぜか、数学とかがどちらかっていうと得意な方だったんで。迷わず理系にいったんですよね。 案の定そんな世界をやっていたんで浪人しまして、受験に失敗して。で、浪人したときがちょうど89年で。名古屋で浪人してまして。ちょうど都市デザイン博、名古屋でデザイン博があって、そのときにシンポジュームとかで安藤さんとか、 佐藤:浪人の暇つぶしで、偶然都市博で、必要な情報が周りに出現するという感じだね、都市博の、レクチャーを聞いて 本間:新聞社主催なので葉書で申し込んだりとかはしたですけど。 佐藤:そういう人々の話を聞きたいと考えた理由は 本間;高校生の末ぐらいから何となく建築をやりたいな〜っていう思いがあって。建築学科を受験して、失敗して。 佐藤:建築でどんな事をしたかったですか 本間:漠然と。分からなかったですね当時は。ただ 佐藤:ばくぜんとデジカメを作りたいとは思わなかったですか 本間:思わなかったですね、実際に家を建てるとかっていうのはあまり考えてなかった。ただ建築って言葉に憧れてた部分もあるのかな〜と思いますけど。残るぞ!とかそういう 佐藤:残るってね、言葉の方が残るじゃないですか、 本間:そうですね。 佐藤:同じ残るけど言葉の方がずーっと長生きするよね 本間:日本の場合は特にそうかもしれない 佐藤:言葉は腐らないしね 本間:はい、木造建築は腐っちゃいますからね。 佐藤:持ち運びは不便だし、こんな不便なものを、なんで一生懸命作るんだろう 本間:今になってそう思います はははははは 佐藤:昔はそうは思わなかったと。 本間:まあ実体験してませんからね。高校生の頃は 佐藤:漠然とだからね。それで理系が得意で、名古屋へ行き 本間:河合塾とかですよね。 佐藤:静岡県は隣だからね近いしね、毎日通っていたんですか 本間:いや寮に入って 佐藤:寮に入って 葉書で講演会参加を申し込んで、色んな道草を食いつつ 本間:そうです、そうです 佐藤:1浪で終わりですか 本間:僕 2浪したんです、そっからまた静岡に戻って、また実家に戻って、実家で予備校通いながらっていうかたちで。で、その時も法政大学で寺山とかを教えてくれた友達は、帰省の時に会ったらヒッピー、 佐藤:演劇やってた 本間:音楽やっていた 佐藤:寺山修司教えてくれた人と音楽を教えてくれた人2人いるわけ 本間:同じ 佐藤:友達の悪影響を受けてと 本間:そうそう、それが今でも続いてて唐組は彼と一緒に今でも 共にふははははは、 佐藤:もう20年ぐらい通っているんじゃないか 本間:そうですふふふ 佐藤:飽きもせずに ファンになってずーっと通い続けて、そうなんだ。いいねそういう、演劇とか音楽の話ができるって、観た後のダベリが楽しいじゃないですか 本間:そうですよね〜 佐藤:ずーっと観劇後語り合う とりとめの無い話を何時までも続けられるよね 本間:そうなの 佐藤:良い友達もっているね〜 本間:はい。お陰様で、 佐藤:バスケットボールじゃ無い世界に 語れないものがあるよねと、スポーツは目的と結果がはっきりしているからね、唐産演劇の場合はどこが結末なのか現実なのかわからない、ドンドン融合されていって音楽もそうだろけど。融合されてまた新たな音楽が出てきたりとか。結果も求められないし、結論も付け成れないので、いいかげんな世界へようこそおいで下さいました。それで20年間続くわけだよね 本間:はい。建築も似てませんかそれって。 佐藤:それはよく分かりませんけど、終わりもないけども始まりもない、優劣もない処に建築の魅力みたいなものを感じているっていうことだね 本間:はい (神奈川大学に) 佐藤:そうなんだ。それで2浪して、相変わらず建築ですか、建築やめようと思わなかった 本間:思わないですね〜残念ながら。 佐藤:漠然とした割にはよくそれで 続くもんだね、建築系は名古屋にも大学があるじゃないですか、神奈川大学に来て、さすが3浪はやめて。 本間:そうですね。 佐藤:学部生の時はどんなことを考えてたんですか 本間:学部の頃はですね、演劇は観ないでですね。それこそ みんな たぶん寺山とかやっていた、 佐藤:詩集も読まないで 本間:読まないで。今度は映画にハマリましてふふふふ 佐藤:どんな映画ですか 本間:ゴダールだとか 佐藤:ゴダールに填ったと (絵ネットより) 本間:ちょうどレートショーとかで、シネビバンという所に地下で。それこそフランスのヌーベルバーグの時の 佐藤:六本木の地下の映画館なんていうんですか 本間:シネビバンの上がウエーブっていうレコード屋 佐藤:レコードね、レコード買いに行ったら地下に映画館が在ったと、フトみたら足下にゴダールが落ちていたと 本間:そうそう、 佐藤:そこで躓いて。ゴダールの勝手にしやがれとかです 本間:そういうの観ましたよね〜レートショーで、あのころは丁度新ドイツゼロ年だとか、そういう処から観ましたね〜 佐藤:ヌーベルバーグの旗手を見て居ていると、対話映画とかも 本間:ありますよね〜ジャックリベットのやつとかでも、彼女たちの舞台とかって映画の中で演劇が展開されるような 佐藤:映画史も観たんですか 本間:映画史みましたね、あれはユーロスペースで観ましたね。映画史は 佐藤:今でも映画館には行ってますか 本間:たまーに行ってますふふふふ 佐藤:今出てきたものはみんな作り事の世界だから共通しているよね、インチキの世界だよね 共にふふふふふふふ 本間:それも建築と似ているふふふふ 佐藤:それを言うと みんなからハッシング受けるんじゃないの 本間:でも作り事と言う意味では、 佐藤:作り事だったものが作り上がったときにリアルな世界になって、転換する面白さ 本間:そうなんですね〜 佐藤:自分が手書きしてた絵がいつのまにかリアルな物にかわっている。置き換えられたときに現実と言われている 建築と呼ばれる 本間:そうなんです、でも自分の中で現在過去、ノスタルジーだとかそういうものってのが、必ず空間の中にも持ち合わせて来るものなんで。そういうのが自分が作ったものと、咬み合うときに。あるいはそこから別な世界に飛び立つ。ってのがあると思う。そういのが もし作り事というんであれば、そういうのが僕の設計する中でどのくらい埋め込められるか?っていうのはやってみたい。っていうかやりたい事だと。 佐藤:なるほど、文学を建築的形式に置き換えるかみたいなテーマですね 本間:ふふふふそこまでも、しっかりとした、ものはまだ持ちあせてない。気もしますけど。 佐藤:そうですか。映画を観ながら建築の、レコード屋さんに行ったら映画に填って、 本間:そういう感じです 15:01 その02へ |