ことば悦覧in 神奈川大学 2009年10月29〜11月01日 home 学生 小金丸信光 村上敬祐 長谷川明 坂本友里恵 杉山聖昇 社会人 丸山美紀・新田有平 本間義章 松野由夏 番外編 松田朋春 本間義章さん 30日 神奈川大学 6階小会議室にて 晴れ その01 その02 その03 その04 その02 佐藤:当時は建築の勉強もせず映画館に入り浸りって感じですか 本間:そうです 佐藤:凝り性なんだ? 本間:凝り性なんですふふふふほんとう〜凝り性です 佐藤:バスケット断念したことはすっかり忘れて映画に没頭 本間:だれもバスケットやってたって言っても信じられない 佐藤:本人だって忘れているといいね〜 本間:ふふふふふ 佐藤:何年間ぐらい映画に浸ったんですか、 本間:映画漬けは学部1年生から4年生と大学院と、そこから実はまたコンテンポラリーダンスっていうふふふふふふ、ダンスの表現に また填りましてですね。どんどん自分の興味の映画からまた、身体表現 佐藤:例えば誰ですか (絵ネットより) 本間:同級生がそれこそ小学校中学校一緒だった女の子が珍しいきのこ舞踊団っていう処で踊ってまして。で、彼女の 佐藤:それは何年ぐらい踊っていたですか、 本間:彼女は90年代ですね。日芸の西洋舞踏科の人達で結成されたダンスカンパニーなんで。で、僕はそれこそ中学の同窓会で会ったのが93年とか4年。それで95、6年になって初めて、そういういわゆる抽象の世界。 佐藤:今もやっているんですか珍しいきのこ舞踊団は 本間:今もやっています 佐藤:どんなダンスなんですか、集団で行うんですか 本間:集団ですね。5人、 佐藤:女性だけで 本間:女の子だけです。一時期ちょっと男の子も入ったりとかしたんですけども。直ぐやめやって女の子だけになりました。 佐藤:評価は高いんですか 本間:評価高いですね〜、それこそ 佐藤:舞台衣装はどんなふうですか 本間:どちらかと言うとカラフルな抽象的なものだったりとか。例えば水色とピンクとか、そいう 佐藤:ステージはどうですか 本間:最初はどういう処だったかな〜ラフォーレ原宿だとか。 佐藤:何にも無しで 本間:何にも無しのホワイトキューブのホールみたいんところ 佐藤:そこでカラフルな衣装を身につけてでコミカルな踊りなですか 本間:日常生活の動きをダンスにするっていう 佐藤:ご飯食べたり、顔を洗ったりと 本間:そいうのがある 佐藤:そういう動きを5人もで踊るから都市空間生活を俯瞰するような配列になるわけですか 本間:そうです、だから時々横尾忠則さんのそれこそ状況劇場のポスターみたいなああいう風景がその中であったりとか。ちょっと面白い。 佐藤:自分の身体を虚構のように扱うと 本間:そうですね〜 佐藤:演劇と映画との中間ぐらいという ダンスかな 本間:はい 佐藤:コンテンポラリーダンスだと。同級生がやっていて今も交流していると、今やるから観に来なさいと 本間:そういう感じふふうふ 佐藤:キップ20枚売ってと 本間:そこまではないふふふふふ 佐藤:来ないんだ。いい友達一杯いますね 本間:ああお陰様でというか。そうですね。周りの影響は凄い強い。どれだけ僕がちゃんとしてないかって事なんでしょうふふふふふ (修士課程で) 佐藤:建築ってあらゆる出来事と関わっているから、言葉も使うし身体も関わるしね。何か一杯しゃべらなきゃいけないことがある気がするけども。大学の修士課程では何をしてたんですか。 本間:僕は、ここ神奈川大学だったんですけど、室伏次郎さんの研究室に居まして。 佐藤:コンクリート住宅のね 本間:はい。どちらかと言うと大学院は、 佐藤:フォルム派だったんですか 本間:その時たまたま篠原一男先生も大学院授業、なんて言うんですか製図の授業持たれてまして。で、週に1回だけだったんですけどね。その授業 佐藤:構成主義者の生篠原一男を 本間:おおーって。とにかく週に一回1/100か1/200の模型を毎回作らされてやって行くってかたちの授業なんで 小さい模型を一杯作る癖がついたのがその時ですね 佐藤:ロジックは産まれなかったんですか、そこでは形を作る訓練するだけですか 本間:形を作ってそれを喋りなさいと。そういう練習でしたね。 佐藤:論文とかは書いたんですかそこで 本間:私は書かなかったですね。書きたいとは思っていたですけど、学部の頃はまだ西 先生が。やはり調査してそれを野帳をとってそれを図面の起こしてっていうことはやってたんです。そっから大学院で僕は建築やりたいんだと思って。で設計の室伏次郎さんの処に。大学院から行ったんです。修士ですけど実際にはコンペが多かったです。みんなでデスカッションしながら。 佐藤:篠原さんの事務所には 本間:敷居がが高くってそんな〜ふふふふ、そんな感じでも無かったです。凄いオーラがありましたね。 佐藤:それは演劇してたんじゃないの?だまされたかも、篠原さんが篠原さんを演じてたとかじゃないんですか 本間:って言う話も聞きますねふふふふふ 佐藤:あそうなのふふふふ、言ってみただけなんだけど。生篠原一男さんに会った事ないから分からないけど。 本間:それだけ建築家っていう職業を背負っている、凛とした姿勢。凄いオーラがあってカッコイイ。存在がかっこいいと思っちゃったんですよね。 佐藤:体が大きいとか 本間:おっきかったですね (静岡の組織事務所へ) 佐藤:修士その後はどうなったんでしょうか 本間:大学生として室伏研に2年在籍して、そこから静岡の設計事務所に一回はいるんですよ。 佐藤:就職したっていうことですか 本間:はい、就職しました 佐藤:今は横浜に居るんだけどその間はそういう事だったんですか 本間:で2年間働いて、一応プロポーザルから、 佐藤:地元の公共建築を多数請け負っている設計業者・事務所って感じですか 本間:あ。そういう感じ。 佐藤:地元を請け負う 地方の組織事務所ってことですか 本間:そうです、そうです 佐藤:何人ぐらいの事務所でしたか 本間:50人ぐらいですかね 佐藤:地方にしては凄い数だね 本間:だから、構造、設備まで全部あったんで。で意匠5グループぐらいあったのかな。それにスタッフが3人ぐらい付くようなかたち。ちょうどグランシップ磯崎さんが静岡でやっていたと思う 佐藤:外壁の石が落ちてたのを10年ほど公表してなかったって 昨日だったかの新聞に載ってた建築ですね 本間:そうです、あの協力事務所だったんですね、静岡の。ほんとうスレートがとか 佐藤:あの建物をね 本間:丁度 佐藤:奈良の建築は瓦を掛けているようだけど静岡のは鉄平石のようなものでしたかね 本間:オーストラリアから輸入したやつですね 佐藤:グランシップの設計の地元協力事務所ということで 本間:僕はいってないですけども、何人かが派遣。磯崎アトリエ派遣されて。 佐藤:アトリエ事務所と地方の組織事務所がコラボして、条件かましたのかな、静岡パブリック建築を設計したと組むと。そういう組み合わせが一杯あったわけだね 本間:そうですね 佐藤:そういう中でどうして独立してしまうんですか、2年しか居なかったと 本間:はい、そこから独立したと言うよりは、また大学に戻って来ました。それこそ研究生で 佐藤:ああ 研究生にね 本間:はい 佐藤:何でまた研究生になどに?、モラトリアム状態?か 本間:そうです、常にモラトリアム 佐藤:地方の組織事務所へ入っても居場所がないとか、居場所探しかね 本間:どうなんですかね 佐藤:一回保留するっていうのは何でだったんでしょうかね、2年間勤めてみて不満があったんですか給料もらえたんでしょうか 本間:う〜ん。今思えば、凄い自分の奢りだったとは思うんですけども。 佐藤:どういう意味ですか奢りっていうのは 本間:あの〜やっぱりこう地方の事務所っていうのはあるこう、価値観がやっぱり都市部ほど多様ではないっていうか。 佐藤:具体的にどういう事なのんですか 本間:なでしょうね〜デスカッションするっていう環境があまり無かったような気が 佐藤:経営の目的が、明快で 機械のように図面を描くだけど、機械の部品みたいな気分なのかな? 本間:そうとも言い切れない部分もあるふふふ 佐藤:ふふふ、議論しながら作る部分もあるわけですね 本間:あのときのことを振り返るとどうなんですかね 佐藤:聞かれても困るよ。篠原さんに形を作り言語化する訓練を2年間受けただから 本間:それがこちらが働き掛けても暖簾に腕押しじゃないけれども。あれっていう。 佐藤:そういうデスカスしてないで早く図面書こうようていう視線が在る訳ね、 本間:その環境とやっぱり、田舎なので 佐藤:仕事終わった後に延々語るとか 本間:呑みとかはゼンゼン無かったんですよね〜、だからそういう環境も、語り合う場所っていうのもあんまり 佐藤:建築を考えるっていうよりは単なる作業だと 本間:そうなんです 佐藤:ひたすら作業をしている場所であったと 本間:そういうかたち だったと思います 佐藤:自分で作れと言いたいところだが、そのありかたに対して不満を感じで、もうこれは建築を作っているという手応えが感じられないと。巨大すぎたからじゃないんですか、建物が。 本間:あ、私が担当してたのは、それこそ3000u規模の理容美容専門学校だったりとかしたんで。そこまで大規模じゃなかったんですけど。それこそ。 佐藤:それを3人ぐらいでやるんですか 本間:設計は二人で現場監督が1人の方が入って。結局3人ぐらいですかね。 佐藤:その他に設備とか構造とかそういう人達が関わってきてと 本間:そうです、4,5人で 佐藤:積算もするんでしょう 本間:そうです、積算部の方が 佐藤:計算するでしょう。そこの中で議論をしたかったと。 本間:何かなふふふふ 佐藤: いまでも曖昧だが 議論して作り上げた形を求めて ね 本間:そうだと思います。 佐藤:積算部の人に議論吹っかけてもね、設備の担当者に蘊蓄を語っても、通用しないけど。意匠の人同士で議論をするのが建築を設計する事だっていうふうに 本間:思ってました 佐藤:それが気負いだったかもしれないと 本間:はい 佐藤:色んな領域の人達を上手にコーディネートして、スムーズに作っていこうとするからゼンゼン考えが咬み合わなかったと 違ったと 本間:違ったんですよね、あれ??ってふふふふふ 佐藤:書生臭いと、話がイヤなんでしょうかね 何年間研究生をやっていたんですか 本間:僕は2年近くやっていましたね〜 佐藤:その研究生時代は何をやっていたんですか 本間:その頃は他の事務所を手伝って、それこそコンペを手伝ったりとか。 佐藤:実験的な提案をするのが好きだったのかな 本間:そうなんですかね〜 佐藤:あいまいだったと 30:09 その03へ |