大島哲蔵さんからの便り 私信交換 1996年 分 1995年1996年1997年 1998年 1999年 2000年 1996年 1月16 2月15 26 5月20 30 7月9 21 30 8月11 9月9 17 17 19 19 20 20 23 24 29 10月21 11月15 12月10 24 1996−1−16−21:02 TAF設計 佐藤様 リベスギントを支えてるエネルギー(日本人に欠けてるパワー)の源はいわゆるユダヤ的な体質なのですが、世界的に見て、ほとんどのCreative Workがここに由来しているのは、感動的であると同様に、空しい感じもします。 恐らく日本でも天皇制イデオロギーの根元から出る変な意識しか、それに対抗できる緊張感と持続的な行動力は期待できないと思います。三島事件が物語るように日本では曲がった美意識の自己運動でしかありません。 では何が可能かというと自分しかありません。私にとっての私。佐藤さんにとっての佐藤さんの意識と言語と行動が一番の可能性を保持してるわけです。ユダヤのパワーも日本の右翼パワー(よい意味で使うとほんの数えるほとになりますが)も被害者意識のメンタリティーが大きいと考えられ、元左翼で、未だに自己実現してな小生などの被害者意識は(もうその意識は脱して)かなりの次元に達しており、何かのキツカケが与えられれば爆発する自信はあります。 私見では佐藤さんは優しい体質を持っておられますが、タカサキシ並のパワーを秘めていて、今後次第では現在のヨウさんが占めているような東北の雄になられる人だと考えていますので、自分に期待して下さい。 昨日旅行から帰りましたが、やはりチュニジア奥地の砂漠地帯の地下住居が一番感動しました。古代のような生活形式を今でも体現している人々は貧しく、必死の感じとサトリきった感じで生活してましたが。目先の変な利益など関係ない聖人・動物的な次元で生きており、一瞬の対面を果たすことで旅行者は満足することが出来ました。 Lichten Stlin や Pollockはポピュラーな人だけに、多くの本が出ていますが、やはり同じ買ってもらうなら良いものが、送りたいので、もう少し時間をいただきたいと思います。 ロシア旅行は今つめていますので、来週末 位にフレームがニッタ氏より伝えてもらえるのではないかという所まで来てます。 大島哲蔵(時差呆け気味で乱文になり・・) 1996−2−15 10:30 佐藤様 なにか久しぶりに会話ができるような気がしています。先日友人の若い建築家がユダヤ美術館の現場に行って、完成へと急いでいる未完成のミュージアムをスライドでレポートしてくれました。 彼の話ではベルリンという深傷を負った都市の不思議な存在をヘイダックの建物とユダヤ美術館がやはり最も不思議に表しているようです。どんな手段を使ってみても、圧倒的な整合化への大波を避けきれない今日、彼らのマジックはまったく異質な精神、物質感、方法、目的に支えられて成立しているようです。 ただユダヤ美術館のような巨大な施設の場合には、それも限界があり、図表やオブジェから発する内容とはどうしても落差が生じるもののようです。それでもこの作品は今世紀末を代表する見逃せない傑作になると思われます。一度体験しに行かねばなりません。ユダヤの精神の奥底に息づくイメージの根源とはどんなものなのでしょうか? 整理の窮極の姿、宗教へ向かう帰依の終局イメージとは一体何なのでしょうか?シューンベルクの音楽、アイゼンマンの建築、ドナルドジャットのシナティ、などでチラチラしてるものの真の姿はまだまだ掴めませんが、決定的な確証はあるいは、わからないまま(不条理)になる方が良いのかも知れませんね 1996−2−26−10:33 佐藤敏宏 様 ここのところ引っ越しの準備に忙殺されていて、もうすべてを投げ出したくなっています。都市での意地を張りとおすのは並大抵ではなく、裏ではもう何度もくじけてます。 リベスギントの作るオブジェは何か特別のオウラが漂っていて、やはり異能者という感じがします。しかしあんなに大きい建物を作・・・それが可能なんでしょうか? 多分20年ぐらいかければ別ですが、そうはいかないでしょう。そこでも私達は彼のニオイや痕跡を求めて、建築を見に行くことになるのではないでしょうか? キリスト教やユダヤ教などは僕も詳しくありませんが、思うにあらゆる宗教はよく似た構造を持っていて、教会や音楽などとある条件が一致した時には、多くの人が感動出来る昇華された、空間や音が入手できる仕掛けになっていると思います。 そのためにまた多量の不出来なものが生み出されてしまいますが、それは仕方のない前提条件なのでしょう。 デュシャンやボイスに関しては自分(小生)のやりたかったことを実現してしまっているので、アプローチしても何か結論がそこに示されているようで、あまり近づきたくない感じがあるだけです。ボイスのパフォーマンスなどは特に街頭での即興的なやつなどは、その場に居合わせたら、どんなにラッキーだったか知れません。 デュシャンの残した言葉は大変気になってますが、自分には二通りの気持ちがあって、一つは自分の気に入るよなフレーズを求めたり捜したりしない状況下で遭遇したときにいつも気分をよくしてます。そうしたフレーズに出会う可能性が高い著者は、必要が特にないかぎり、むしろ読みません。つまり予定調和的な出会いのようなものは、好まない体質みたいです。 私が佐藤さんのことを大変気に入っているのは、ワタナベグループに自分の知らない人で、独自の世界を構築してる人が居るとは思って無くて、突然お会いできて、時折コミュニュケーション可能な人だったことです。 あの日は必ず行こうと思ってたわけでもありませんでした。結論から言うと私のようなタイプの人間が一番よいと思うのは、印刷されたデュシャンの言葉を読む時よりも、朝に届いた佐藤さんのFAXを読んでいる時の方がベターなのです。 ロシア旅行は楽しみにしてます。先方となかなか連絡が取りづらくて、スケジュールの調整が難しいですが、今がんばってやってます。 大島 日時不明 手紙 佐藤様 イギリスという国はなかなかユニークなところがあります。時々変な人(独自の考え方を持った人物)が出て来ます。歴史のある場所というのはそういうものなのでしょう。 最近ではスターリングがそうでした。ジックリ考えて、独特なアプローチを実現してしまうパワーがありました。出来上がったものにもよいものがいくつかあります。 京都でのプロジェクトも独特です。あれが建ったら日本も変わったかも知れません。違和感があるのですが、それ換骨奪胎しないでそのまま現実させてしまう人でしたから。 以前にパリに行った時、国立図書館コンペの展示を見たことがあります。本だけで見ていた時には気づかなかったのですが、その図面の多さと密度には舌を巻いてしまうほどでした。その点だけとれば、彼は職人のような人でした。 彼は晩年はウィルフォードと組んでましたが、それ以前は実におおくの人と数年ごとにパートナーを変えてひたすら建築三昧にふけっているような人です。 今の日本にはこういうタイプの人は居ない感じがしますが、村野氏などは同じパターンで仕事をしていたのではないでしょうか。 ついでに送ったカタログは6人のイギリスの主役達という、以前に組織された展示会のカタログです。手持ちがあり、買うほどのものではありませんから、失礼ですがパラパラ見るぐらいにしかならないでしょうが、差し上げます。 先日はTELいただき気分が良かったです。あの日はこちらは雨がひどく降って、昼一人来客があっただけで、誰かと話したい気分でしたので・・・京都でお会いできることを心待ちにいたしております。 大島哲蔵 P.s.またC&Dに大変な駄文を書いてしまいました。みていただくのも恐縮ですが、これまで書いてものは大半みていただいているので・・・・ 1996−5月20日 手紙 佐藤様 京都ではつたない話を聞いていただき、また佐藤さんを案内するといいながら実は私が楽しんだみたいで、悪いような気がしてます。 そして多くの本を買っていただき、本当に翻弄にむしろ迷惑をお掛けしたようにおもいます。支払いなど、分割でも遅れても良いですから。、そちらの都合に合わせてお願いします。これにこりないで、年に一度ぐらいはお互いに往来しましょう。年を重ねると、そんなことが楽しくなる一方で、本当に楽しみなようにおもっています、。 拙文もこれから少しづつ勉強して、期待にそえるよう努力します。これからもよろしく。大島哲蔵 1996−5−30−17:56 佐藤様 わざわざ遠くまで出かけて下さり拙い話を聞いて頂きなにか申し訳ないような気分でした。それでも久しぶりに皆が集まって楽しく話が出来たのは、ワタナベさんのキャラクターとゲストとしてはるばる駆けつけてくれた佐藤さんのお陰だったと思います。いつも連中+アルファーのところが利いていました。 奇しくも明日ヤツカ氏の来京にあたります。昼過ぎに始まるので、今日は失礼しようかと思ってましたが、ニッタ氏が熱心に誘ってくれたのと、ヒラヤマ氏が行くと言ったので、私も出かけることにしました。学生向けの話ですからあまり突っ込んだ話も出来ないでしょうが、はじめ氏も私たちが居るのでやりにくいかも知れませんね。 BOX11は2桁の始めの作品として第二弾シリーズ冒頭の作品として重要だと思います。そして田の字型と日の丸の結合というのは笑えるとしても面白い取り合わせです。国家と農家というのは補完的な関係にあり、また全く違った日常に置かれています。御真影というルールが行き渡って行ったことも連想されます。それもしても田圃の風景は心が安らぎますね。こんな所まで買い占められたり、戦の舞台になったとは、とても思えません。完成した時にはぜひ行きたいと思います。農家と町屋の混合として、新しい住まいの実験として、ヴァナキュラー・コンセプチャリズムなどというフザケタコピーも想起されます。 コートハウスという形式は多層な空間関係を出現させますが、そこに地下室が存在する不思議さが想像力を刺激しますね。住んでいる人達の今後にきっといろんなことが起こってくるのではないでしょうか。 砦のような感じ、牢屋のような感じ、動物舎のような感じももっていてドラマチックな印象を受けます。長い間計画のみになってたというのも解る感じかして来ました。 大島哲蔵 (佐藤注:box11の着工は阪神淡路震災のショックにて1年間据え置きした。工事しようという気が起きなかった) ●1996年7月9日 手紙 佐藤敏宏 様 先日はお便り有り難うございました。BOX11の屋根は付きましたか?あの田圃の横で雨に打たれながら、着々と変てこりんな建物が姿を現しつつあることを想像すると愉快な気分になります。こちらではそんな住宅は見かけなくなりました。プレファブか安ドウスタイルか、こないだ見たようなナウなヤツしかです。 もっともN君の住宅は変ですがもう少しやってくれると相当狂ってる感じになります。意外にまともな所もあります。(本人はそれをやると次の仕事が来ないから意識的に抑えてると言うのですが、やったほうが仕事が来るのではないかとも思います) デュシャンの出版社の人はなかなかしっかり者で、小生のジャッドは少しリスクありと見たようで、遠回しに断って来ました。出版社も最近は金もくれないし、出版もしてくれません。またどこか捜しますが、もう五カ所ぐらいボッったので、さすがにシンドイです。よい本なのにどうして判らないのでしょうか? パナマレンコ本当に良いですね。外人はクレイジーな人が多いですが、彼は特別です。前にアーコサンテに行た時に思ったのですが、ソレリは少し賢くなってしまったので、その後は余り発達していないようです。数人の入門者がホールで談笑してましたが、「時間外」とのことでドアを開けてもらえませんでした。私には考えられないことでした。 日曜や夜中に人が訪ねて来たら、こんなに嬉しいことはないのですが・・・私のところは1ケ月に1・2度そういう人がやって来ます。何時間も喋って結構楽しいのですが、本当に面白い人はやはり居ませんね。そんなことが重なると、もう時間外だから開けないということが起こるんでしょうか? いま芦屋で一緒に活動してる、写真家のTさんという同輩の人が体を悪くして入院しましたが、友人からTELがあって危篤状態だと言うことです。地味ですがとても良い人でした。講演会に行って(救えん活動に関連して)お金を少しもらったから近々そのお金で飲みに行こうって言ってくれたのが最後でした。 私などは同じようにお金をもらったのですが、その日のうちに一人で使い切りましたのに・・。ワルは残って良いモンは早死にするのかも知れません。でまだ回復される見込みはありますが BOX11は夏完成出来ますか。適当な時期に教えてください。見に行きます。こないだの写真送ります。 1996−7−21−23:03 佐藤様 「哭 旗 の家」ますます面白くなって来ましたね。設計者と施工者その取り巻きが設計に触発されてノり始めたので なおさら面白いです。 都会では相当クレージーな所にチンマリと人が居るだけの空間が多いです。あの芦屋の家も老夫婦がお行儀良く棲んでいるだけでは物足りません。ドラマとかアクションがどうしても欲しいですね シンディーシャーマンは見に来ませんか。何時でも付き合いますよ。先述のヒラヤマさんの事務所に泊まれますんで、私も一緒に一夜を過ごしますから本当に来て下さい。 友人のカメラマンは一週間前になくなてしまいました。でもあっさりとした良い死に方で、多くの友人が集まった、人徳を偲ぶ葬礼だったようです。(私はその時は友人と飲みに行ってしまったので仲間からひんしゅくを買ったようですが・・・) 27日に被災地で住民総会が開かれます。役所のテコ入れで出来た かいらい街協と私たちの全面戦争です。向こうは関西随一のベテラン都市コンサルが付いているので、その人と醜いやり合いを繰り広げます。 先方は「ボランティアコンサルなんて何の役にもたたない」とサボイています。初夏のイベントとしては最高の場外乱闘ですね。 シャーマンに行ければいいですね。連絡をまってます 大島哲蔵 1996−7−30−14:21 拙論がまた一つ増えました。読んでみてください。 10+1 計画者のテクスト ケヴィン・リンチのDuplex−Complex 「破棄の文化誌」(工作社1994年)の資料など送られてくる ●1996年8月11日 15:35 佐藤様 お手紙とカリヤ展の案内いただきました。27日と28日名古屋と滋賀だそうですが、どちらか1日か両日でもよいですが、一緒に行動しましょう。27日の夜はカリヤのみんさんと飲み会でしょうから遠慮しておきます。名古屋店は12時から開店ですから午後に来られると良いと思います。 今年のお盆は久しぶりに日本でくすぶっています。例年外国に出ていたのですが、今年はお金もないし、気力も今一つでせう。人気の無くなった都会もまた一風変わっていてよいものです。 リンチの感想はありがたかったです。友達のなかにも別の人と取り違えた人や建築家ではなかったのでもう一つ興味が乗らなかった、というのが居ましたが、それならまるっきり知らない人の方がよいわけです。次回はさらに普通の人はあまり知らないイタリアの批評家M・タフーリを取りあげます。 ただしその次はフタガワユキオの一連の写真集をやりますから、これは誰でもお世話になったので面白くなりそうです。 では近々お会いしましょう。 大島 1996−9−9−19:33 佐藤様 鉄缶(川合健二さんの家)前の写真ありがとうございました。ぼくはまた現像できないでいるのでもうすこし待ってください。ロシアで調子に乗って二度ほど地面に叩きつけられた私の写真機は変調していて、うまく写っていなかったら御免ください。 あと一月でコルの特集がでます。20年前にコル研究会を名古屋で旗揚げして、いろいろやったことを思い出します。あのころは、こんな風になるとは思っていませんでしたが、コルの取り憑かれたような恵心ぶりに触れて、本気で仕事をしようとした人物の熱気に犯されたような感じでした。長いようで短い人間の一生で、あれだけの量と質で仕事を続けた人は私たちにおおくの示唆を与えてくれます。 それと比べて鉄缶の主は一生を終えようとする時にあたり、知る人ぞ知る状況の中で淡々とした生を全うしようとしているのには頭が下がります。私は多血質のところと荒畑寒村のように超俗にあこがれるところと両方あります。コルブと鉄缶を合わせてグチョグチョにした状態を目指したいと思います。 先日ドーケ君のように可愛がってるミヤジマ君が参加した神学校を六甲山の裏まで行って見てきました。「薄められた宗教性」という感じでしたが、部分的にミニマルな表出があり、錆びた鉄板などを多様してイイ感じの所もありました。現場で話しかけて来た人が校長(牧師)と知らずに、錆びた鉄板の印象を聞かれた時に、ヨーロッパならすぐに「神は死んだ」という落書きが書かれるでしょうね。と言ってしまったので大騒ぎでした。 新作を見に行くのを楽しみにしてます。恐らくそこに色んな人が集まって談笑しているようなところから、多くの物語が多層的に発展していくのでしょうしょうね。自分もそんな所で生活してみたかったと思います。 大島 ● 1996年9月17日 大島哲蔵様 ケヴィンリンチの「廃棄の文化誌」がやっと手に入りよみました。東京三多摩地区の焼却灰ストック場のモデルプランを 絵本作家の田島征三さんダダにて依頼され模型を作って冊子を作成し都議会に配布した時のことを思い出しました。彼は今でもゴミと対峙しているようで、NHKのニュースで都庁のホールに座り込んでいたりしてます。 ゴミ=人口×人口×αといった気分ですが人がいなくなったり、物をつくらなくなったりするのは難しいでしょう。αの部分はどんな定数が入るのか判りません。生物を定数として捉えたりすることに無理があるようです。工業や経済といった物差しとは別の定規が必要と思いますが、退行的であったり、保守的であったりすることも疑問を感じます。新しい学問が必要です急がれることは間違いありません。 リンチのような問題提起は重要です。東京都の日の出町は将来宝の山になるのか毒の山になるのか見てゆきたいと思っていました。リンチのような静かな提起が少なく末説ばかりで環境問題のそれぞれに嫌気がさしたことを思い出しました。 ホーズだけの田島いわくエコババ的論が多すぎます。田島氏まで ややそれに近いので批判したらもう連絡はありません。水問題を調査するために 大阪や滋賀生協などを訪ねたりもしました。 前置きがながくなりましたが、週末にはBOX11(哭旗の家)は一部のこしほぼ完成すると思います。物が運び込まれ生活感あるれるのが住居と思いますが、自由にみるのはその前の方がよいでしょう。 大阪からはジェットだと毎日9:00と17:55に出ています。片道1時間阪ほどだと思います。夜行バスもあり料金は片道12000円ほどだと思います。近鉄06 772 1631で予約できます。京都難波西口でそれから上本町バスセンターや阿部野橋バスステーションでも乗れます。 阿倍野橋8:00 上本町27分 難波42分 京都21:44分発だそうです。須賀川まで11時間ほどで朝6:54分着 体力があるのであればこれが安そうです。 バスや飛行機の方がこちらでの時間がとれそうですが、いずれも朝早いのでいかがでしょうか。連絡を待ってます。 建築文化の関係の植田実さんやカメラマン以外の人に建築を見ていただくのは初めてでして(身近で興味を示す人があらわれない)、なかなか緊張しますしちょっと恥ずかしい気もします。 「またわざわざ見るほどの物か」とも思います。あの田園風景はなかなかいいですから田園を見るのも良いでしょう。 佐藤敏宏 1996−9−17 22:36 佐藤様 FAXありがとうございました。20年前に名古屋の私の店に出入りしてた女性が田島氏の弟子入りをして、佐藤さんと同じようなことを言ってました。一応先生としては尊敬しているが、どこかでご都合主義的なところがあって、結構上手く生きているんだ・・と。 私が密かに自負してることがありまして、それは建築を物体として審美的に見たことは一度もないということです。建築そのものは問題ではなく、そこにどんな状況が成立してるのか、、ということが決定的で、私は基本的に東京や大阪などの大都市では関係性が成立する余地が極端にないように思ってます。大阪で興味深い人物は○さんだけですが、かれも最近結構ご都合主義的な所が多くて、心配な面があります。 本当の感情と営為が成立してる場所が見たいです。例えば田舎の小中心地の少し頑張ってる本屋の空気とかオヤジの顔とか・・鉄缶ハウスの周囲にはそんな空気がありましたね。 佐藤さんの家がそのようなものであることは見なくても判っています。メディアに売れないのも良いですね。そして単に売れてないだけでなくてちゃんと一冊出てるのも実にいいです。あと五年ぐらいしたら別の特集が出るで・・出なかったら私達で出しましょう。 今日日航の予約カウンターに来たら片道で22000円だっので少し怖じ気づいてDと前日の夜中から車で行こうと話していた所です。バスはなかなか良いですが、もしDの友達のY君が行くなら間違いなく車で行きます。 彼が行かないなら(明日判明します)たぶんバスで行きます。いずれにしてもお知らせします。哭旗と田圃と佐藤さんに会って話するのが楽しみです。 1996−9−19−12:09 今のところまだ交通手段が決まりません。今日中に決まると思いますがもう少し時間が掛かりそうです。いろいろご心配かけますがよろしくお願いします 1996−9−19−20:08 やっと往路が決まりました。バスで行きます。帰りはやはり飛行機か鉄道で帰ります。須賀川という所で下ります。その後は朝が早いので適当に近所まで行きます。どこに行けばいいかご指示ください。 1996−9−20−9:20 何度もすみません。夜行バスは満席で予約出来ませんでした。二人が飛行機でいくと一時以上ズレがあるので遅いほう(名古屋発)にて二人とも乗って行きます。福島着は11:20の予定です。いろいろ変更してすみませんでした。帰りは電車か飛行機で適当に帰るつもりです。いつも連休は動かないのでこんな時はとまどいます 1996−9-20−20:03 本日名古屋発のチケットを2枚予約してきました。明日券を取りに行ってもらいますが台風の影響で飛ばないことがあるかもしれません。その場合は取りやめにして10月初旬に改めて行きます。なかなか行かせてくれないような印象があるのですが、何故なのか見当はつきません。台風の動きも関係なく、飛ぶ場合は出発しますのでよろしくお願いします。 1996−9−23−22:01 昨日と今日の2日に渡って貴地福島近辺の初秋の風情と貴作品を案内いただき本当にありがとうございました。 うかうかしてると、大阪も遅れをとるような気がして、貴兄をお手本に私ももう少しレベルアップせねばならぬと痛感しました。特に皆様の無理をしないで現状をプラスに受けとめて、福島の風土と生活を愛しておられる様子に打たれました。佐藤さんの精神が生みだした空間を理解して使いこなそうとする気持ちが何とも嬉しく、良い連休を過ごさせて頂いたことに改めてお礼します。 いずれソーンの本とベッヒャーの本をお礼に送らせていただきますので、楽しみにして下さい。ドーケ君もいつになく感心していたふうで、きっと将来よい結果を出してくれると思います。今年中にもう一度お会いできれば望外です 1996年9月24日 佐藤様 福島では大変お世話になりました。メチャクチャになりつつある日本ですが、まだまだまともな人がいるのがよく解りました。ロシアから帰国して以来。日本から脱出したい気持ちを抑えて 文筆の方に専念していましたが 時には自然と知らない土地の人々に会ってみたくなったというのが実情です。したがって佐藤氏作の建築空間はそのメディウムという訳ですが、他ならぬその創成物を通じておおくの人が開催して新しい関係が生じているわけで、誠に建築は異なもので、またやり様によってはとんでもない力や幸福、時には悲劇や いさかいを起こすリスキーな営為ですね。 寛政の大工と施主が作った「栄螺堂」が世界に唯一のものとして永遠のモニュメントになるなら 私たちもそうしたものを成就するチャンスは十分ありそうですね。でもジョンソーンの自邸をよく見ると、あのクラスのものを作るのはまだまだ無理ですけど・・・・。 福島のいろいろな人の力が合わさって、つまり友情、親しみ、信頼、ものを作ろうとする意志、自分の外部に共同的な力を樹立する意志、そんなものがすべて一致した時にとんでもない、不思議なことな起こるのではないでしょうか? 現今では三奇人や若手ではタカサキなどの古いタイプのカリスマ性でしか(日本では)そんなことが可能ではないようです。(残念です)しかしあきらめてはいなりません。いつか芝居がかったクサイことをしなくても人々の心を動かすことがあるはずです。 全共闘、書店員として文筆家として、地域の工作者として、ディレクターとして、私はそれを実現するつもりですし、佐藤さんはいずれ決定的な建築を設計して、そのことを世の中に知らしめるでしょう。 鉄缶ハウスは余り知られていませんが、彼(川合健二)が死んだ時に彼が正しかったことを思い知るはずです。私も笛も太鼓も吹きも叩きもしませんが、いずれそうしたことが解るようにしてやるつもりです。そうしたもろもろの意を強くした得難い機会が持てたことに対して、感謝の意を込めて貴兄に二冊本を送ります。気狂いジュントルコンと執念のドイツ人夫妻ベッヒャーの木製鉱山用具の写真集です。ではまたお会い出来る機会を楽しみにしております 大島哲蔵 Sep 24th 1996 1996−9−29 11:00 佐藤様 手紙とスライド落手しました。建築を作って行く上での基本的な態度が無くなってしまった今日、お書きになっていたアプローチが唯一のまっとうな道だと私も考えてます。文章とて同じで、書く以前の敗退というのがほとんどではないでしょうか。メディアに対する徹底した見切りを欠いて言説は成立せず、レトリックをいかなる根拠で決行するかを欠いて論述は成立しません。 昨日 豊和塾がありましたが、スペースの関係で今回はスライド映写はできなかったのですが、私とドウケから報告させていただきワタナベ氏も満足そうでしたので、いずれ皆にも見てもらいます。 J・ソーンとベッヒャーを気に入っていただけたようで喜んでいます。前者は比較的知られていないのがウソのような面白い作家だと思います。自分が設計した全ての作品のドローイングや模型を自作のホールに並べたドローイングなども作家が一度は見てみたい光景なのでしょうね。 タイプは全く違いますが、ピラネージ・ソーン・エッシャーという素晴らしき倒錯者の系譜とも言うべき流が感じられます。 ニッタ氏が哭旗ハウスの出来が良かったかどうか盛んに気にしてました。都会スマート派でない先輩が着実に進歩されているかどうか興味が深い様子です。彼の作家根性はたいしたものです。 大島 1996−10−21−21:29 その後お元気ですか? 福島はもう大分寒くなって来たのではないですか?以前依頼されたてものを少し入手出来たものがあるのでお知らせします必要なものをお知らせくださせばお送りします。 リヒティンシュタイン作品集 ¥13、000− ベッヒャーの作品集 ¥11,900ー Honses ¥ 3,900− Honss 一番最初の作品集でドイツのハーフティンバの住宅を撮影したもの¥9600円 本当は給水塔のものや化学プラントのものが、一番迫力があるのですが、両方とも売り切れです。(ドイツ語版は入手可) 1996−11−15−15:39 佐藤様 タカサキ氏の作品は外れだったみたいですね。昔はよい男でしたが俗っぽく成功すると皆がおかしなことになります。彼もまだ戻れる可能性が少しはあると思いますが、キシやタカマツなどと あちら側に行ってしまった。元友達です。 ハラさんは調べるほど浮き世離れした呑気者の実体が浮かび上がってきます。戦争の頃子供だった人達が、多くそんな風になってしまうのは不思議ですが、例の「あの焼け跡からこうなったのは奇跡的だ」というメンタリティーがどこかでマイナスに作用しているようです。 「アフリカで人が一杯死んでいるのだから私達先進国の都市住民は過密でも我慢はしなければならず、何人でも一部で高層高密度は甘受すべきだ」などと平気で言っているのを見ると呆れ果てて物も言えません。文章ももう書きたくない気持ちです。あの人は単なるオッチャンでたまたま小器用だというだけの人です。 またイソザキも今年の・・・という見せ物で「革命期の建築」ズタズタにして切り裂いて茶室の壁にペタペタ貼り付けるという、演目を準備してるそうです。全く日本はどうなっているのでしょうか。彼は建築界の麻原です。世紀末も彼らが活躍するのかと思うと憂鬱症になってしまいそうです。 隠居所の本を送ろうと思うのですが、ついでにニキ・ド・サンファールの本17,000円ぐらいを送ってもよいですか? 彼女はハリボテの太った人形を作るインディアン系のおばさんで、那須高原に彼女の個人美術館があります。白石かずこと友達で「タロットガーディン」というガウディのような庭も作っています。 大島哲蔵 1996−12−10−11:23 佐藤様 お元気ですか?ニッタさんから聞いていると思いますが、21日は豊和塾のラストでベルナール・チュミの「建築の断絶」の後半を読んで討論した後、飲み会を挙行します。ぜひお越しください。その日や次の日また遊びましょう。 建築思潮の方は当初から予定してたニッタ氏が外れそうだったのを。ドーケ君を起用して復活させましたが、それで時間切れになってしまいました。KBも別の人に書かせるのは原則だめなようですね。いずれ私が佐藤さんの建築を書く機会が来ると思いますが、その時を楽しみにしております。 先週イサムノグチのアトリエを訪問する機会がありました。イズミさんという助手を務めておられた方が頑張って維持管理をされてます。あそこはなかなか良いところで、いずれ墓地公園のような場所になるでしょう。財団化が図られていますが、アメリカとの関係もあり、まだ少し揉めているようです。 場所柄 魚やウドンも美味でアホな建築も一杯建ち始めてますが、まだましな指導者が軸になれば良くなるのでないでしょうか。大阪から高松までビックリしたのですが、1時間で行ってしまいます。さ来年は橋が明石海峡に出来ますから、車で1時間半ぐらいになります。(コストは高いでしょうが・・) 丸亀のTの猪熊美術館も見てきましたが、平日はすいていてのんびり出来ます。作品は一般的に言えば良くできているのですが、一般事務所を美しくシャープに仕上げた感じで、個人事務所の本当の良さがでている感じはしませんでした。21日楽しみにしております。 大島哲蔵 1996−12−24−13:38 佐藤様 本年は何度もお会いする機会に恵まれ、大変有益な時間を過ごすことができたと思います。来年も2〜3回はそんなチャンスにめぐり会えればと考えています。 F塾の運営はなかなかキビシイものがあり、つまり若い世代でこちらが楽しみになるような人がほとんど居ないということです。 建築はやたらと忙しくなる職業ですから、月に1回といえども余程本人が他人と建築を語る意義を解してないかぎりは、無駄だと思ってしまうのです。 私なども、これがあるので本を読むから続けているのであって、利己的な動機なのですが、それさえも自分にプラスになる実感が彼らにはないようです。そんなことでは、例えばもっと賢くて利己的なキシ君などには全然かなわないのに・・・。 そろそろ豊和塾から一人でも頭角を現して欲しいのですが、ドウケとミヤジマはいずれそうなりますが,豊和塾以前からそう思っていましたので、それ以外から展開力のある人が出てくれないことには納得できません。(注一期豊和塾生にタカマツ氏がいるのだが・・・) この調子では日本の建築や思想界は一部のオタクだけの世界になりますね。そして和風のものだけが伝統様式として残って、都会風のデザインが少しだけカッコイイ建築として人気を保つでしょう。本当に淋しい世紀末がやって来たものですね。自信のある人はみな海外に行ってしまいます。私のルートがあったらそうしていたように思います。なんせ ここは不愉快なところですから。ワタナベさんが居なくて、あとほんの数人の話の合う人が居るとすると、ぞっとする状況です。 学生の頃に学問や研究というに値しない内容に 「自己満足していた大学を解体するべきだ」として ストを敢行したのはやっぱり正かったようです。先日福島におじゃました折に、施主さんの皆さんとお会いして、こういう人達ならまだしも少しはやる気が起きるな、と思いました。 都会はほとんどダメです。洋書を買ってくれる人達も絵本やネタ本にしてる人がほとんどで、私の持って行くものを楽しみにして、1時間くらい楽しく話せる人はほとんど居ません。明らかに日本はダメですが、生きて行かねばならないためだけにやって行きましょう。もっともっと主流の人達に毒づいて徹底的に嫌がられるために・・。 大島哲蔵の1996年 ・ロシアにメルニコフ自邸などの構成主義の建築を見学 ・建築文化 10+1 C&Dに定期執筆開始 1997年 分 私信交換へ |