1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2001年 2000年 大島哲蔵さんと佐藤敏宏の私信交換 home 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ●2000年1月09日 2:06 大島哲蔵様 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨年はいろいろと楽しい企画やお話を沢山いただき感謝いたしております。特にペロー作品集は大変効果がありました。講演会(フォーラム)への助言や おねいさん達への宣伝ありがとうございました。おかげで退屈な日常を少し変化させることが出来ました。 つい先ほど青森県立美術館コンペの案を送付したところです。コンビニのカラーコピーをふんだんに使い切り、コラージュなんて代物ではなく、ただの張り合わせになつてしまいました。とりあえず終わりです。 近いうちに写真などを送ります。感想などありましたらよろしくお願いいたします。 設計の基本方針は時雨来て 縄文ループの にしひがし 虹の波紋ぞ あまた楽しき現 地を訪れた時の歌を少しかえて作りました。 終わつて見ると「これしか出来なかったなぁー」、という感慨が浮かびます。もう少し総合力を付けねばならないと反省しているところです。 とりあえず提出資料の一部をFAXいたします。三内丸山遺跡の誤字に気が付いてしまいました。まいいかです。 ●2000年1月10日17:03 大島哲蔵様 追伸です新年早々FAXいただいた「建築の堕胎」はザビが入り読めないのが残念です。もう少し大きめでFAX頂ければ感想など申しあげられるとは思います。 昨日ニッタさんから電話がありました。どうやらコンペ作業真剣らしく、締め切り日終盤まで頑張るようです。ニッタさんは柱を6本立てたそうですが、何を勘違いしていることやら、しょうもな人ですね。今度の美術館の最大のテーマは、ありがた(退屈・旧来の価値)く拝観する場所からいかに離脱し、人(自分)の生と作品との距離を無くすことが出来るのかにあるのではないでしょうか。博物館や美術館の発生当初に帰り再構築することでしょう。そもそも見せ物小屋のように、ワクワクしない美術館などは必要ないと言ってもいいようです。知性を持ち得ない人にも、そのことが当てはまるのか、又は建築家の義務として無知からの解放を背負わなけらばならないのか討論の余地はあります。 ニッタさんの6本の柱は三内遺跡にあるので、相互にうち消しては何もならないのに。彼は旧来の建築家像を早く捨てないことにはどうしようもないですね。これでは建築家は当分歓迎されませんし春秋塾も先が暗いですね。 私は今回は余り無理をせず出来る範囲で作業をしましたので時間には余裕がありました。やり始めるとどんどん作業量が増えてゆくので何処で区切りをつけたら良いかもセンスの問題のように思いました。 大きな建築物のコンペは初めてでしたが、そこそこ自分の考えをまとめることが出来満足です。しかしプレゼン手法はまだモノ足りないので、今年は安価な手段で時間がかからないための腕を磨かなければなりません。それにしても事細かな条件は何を要求しているのかさへ忘れさせるほどです。多分たちの悪い建築家が行政を萎縮させたのが原因だろうと想像しました。建築家の偏狭な強い意志が悪い方にコンペを進展させたのでしょう。 コンペに参加することによって、青森の温泉や鰺ヶ沢の烏賊を食べたり出来ました。ただコンペ参加のみの馬鹿単純な考え方には興味がありませんが、コンペによっていろいろその土地を体験できるのがとても良いと思います。何の関わりもない土地と建築を通して関わりあうことこそがコンペの醍醐味なのだと私は思いました。 知らなかった土地を自分の想像の大地へと取り組むことが、生きることのダイナミズムではないでしょうか。 最初から敗北宣言のような話しでしょうもないですが、主観が伴う選考には行き着く果てなんかありゃしない。宗教戦争のように混乱するばかりか、他の競争原理が幅を利かせてしまうこと間違いなしです。 参加するモノの心得がだいぶん出来て来ました。こらから大いにコンペにも参加いたしますからアドバイスよろしくお願いいたします。 ●2000年1月10日 23:35 大島哲蔵様 先ほどは電話で長々とありがとうございました。成果品を送れないのが残念ですが全体の姿はこのようなモノです。送ったモノが成果品と印象が異なるので正当は評をお願いする訳にもいきません。 模型は時間の都合で概念的なモノとなりました。もう少し人手をかけるか、プレゼンのパソコンの腕を磨かなければどうにもならないと思います。 それにしても誰に向かいモノを言うのかは大きな問題です。長い時間をかけて回答を作り出さなければならないようです。 不備な点は沢山ありますが、大きな計画のための姿勢が理解できたように思います。いずれ又コンペ機会はあると思いますので、次回に経験を積み重ねたいと思います。 それにしても、年齢的に遅すぎるコンペへの参加ですね。長生きするつもりでコッコッ積み重ねるつもりです。 ● 2000年1月10日 佐藤様 FAXいただいております。まだ正式の写しが届いてないから感想を述べたいと思うので(春秋の時にでも拝見できます)それからになりますが、ループだけではなく、虹のループも意識されてる点には惚れました、また一応入ろうとしているとすると、コンセプトの口調が気になります。自分の決意を述べているのか、審査員に語っているのか、一般に対する表明なのか、曖昧だと思うのです。なぜ、どこからポシェットなのかも、解説にならない形で伝えないと魅力を感じるだけになってしまい、どう支持していいのかジュエリーも判らないでしょう。それが良いことろだとは思いますが、実際に本気で支持されないと入賞しないとおもうので・・・。 ●2000年1月14日 22:29 佐藤敏宏様 大規模な建築を小規模2人でまとまられて点心から敬服しました。トヨオペローラインも配慮に入れながら各所に佐藤流の感性も伺え、ファンの一人としては納得する所が多くありました。虹を意識されたような色彩も心地よく組織事務所では不可能な大らかさが感じられるところも良いと思いました。もし入賞することが目的だったとしたら、、そして500案もエントリーがあったなら、イトウさんいも私がジュエリーであったとても目がチラチラして良く分からない状態となって、大半はいたりつくせりの従来型の案を残すかも知れません。要は虹のコンプとの他に一目瞭然の特色が必要だったようです。アプローチの滝もアイディアとして面白いのですがレインボーカラーの7色を観賞や創作、事務や娯楽などに振り分けて処理するとか(いまいちですが)もしかしてそうなっているのでしょうか。どこかに無色透明の虹が消えるときのようなボリュームが巧く表現されているような(ペローの連想ですが、そううまくは行かないことはわかります)そんな手口がかにか欲しいようにかんじました。金と技術と人手をつぎ込んだ案に対抗するには恐らくそれしかないように思うのですが。人の判断力とは悲しいもので、誰の案か判らないということはワタナベさんの位なら判るのですが、これだけ多いと大組織とそうでないものとの判別ぐらいしかつかず、また恐らく余程の特色がないと個人建築家の案を強く推すことにはつながらないように思います。こないだニッタ案を見せてもらいましたが、胆のすわった決然として骨っぽい案でしたが、使っているデザイン言語が古すぎるのです。いくら縄文といっても創作主体は濃い趣味がれきぜんとしていて、私なら恐らくこういう案は入れないと思います。佐藤案はその類ではなく入選への資格はあるのですが、圧倒的に出来映えのする模型や細密なプランニングを見せられると(たとえばリケンのような)どうしてもそちらに気を取られるてしまいます。それなら造形で頑張るのではなく、直接視角に飛び込んでくるわけではないが、処理上の理念上の方針上の徹底した取組に着目することになるのではないでしょうか。雪が積もった時にその白の人狩りと光のトーンを生かした作品の資格的なマテリアルしても小生などはとても有意な貴作品でした。とても感謝しております。目の確かな人に見てもらって面白い感想があればまた報告します。老人になってもひつこくエントリーする気力が欲しいですね。私も別ジャンルでそうするようにしますのでこれからもいろいろ刺激を頂きたいと思います。どうも有り難うございました。大島哲蔵 ●2000年1月17日 16:39 大島哲蔵様 先日はコンペの感想をFAXや電話で長々と有り難うございました。プレゼンの問題は徐々に力を付けるしか、才能のないもなは仕方がないようです。 強い印象を与え、人の気持ちを捕らえるプレゼン。かすかな力でも人の心をキャツチする作品。いずれが良いかは判断に迷いが生じます。しかし私はこれからは後者の手法を身につけたいですね。仙台の人達はプランの無効性と言いますか部屋割りへの批評性は完璧でしたが、プレゼンと全体の立方体の単純な強さの違和感が、多重人格者のようで興味を引かれます。これを現実的と言うのでしょう。 私は虹のような状態を作るべく提案でした。水蒸気の粒の集合が光を受け、水蒸気のそれぞれが光を投げ返し虹を作る 。そんな水蒸気の集合体を建築化したかったのですが。水蒸気が道(虹)沿いに並ぶ姿を作ろうとしたようです。水蒸気や光を人は直接眼にすることができませんが両者が出会うと生まれる状態が虹です。人と建築が出会い生まれる蜃気楼的状態をなんと言い表すのか知りませんがそれが建築だと思うのです。 等価な人の集合態としての社会を目指すための、計画性への批評力では八重樫さんが勝っていました。全体の形態をとらないと言う姿勢ではコチラが勝っていました。いずれにしても目標は明確なのですからいずれ手に入れることがで来ると楽観的です。 コンペ案への自らの評も大島さんと同じでして、もう少し要領良く時間の配分を考えてプレゼンを制作しないといけませんね。仙台の豊雄柱(ワカメのように揺らいでる、大きいのでそう見えない)の横をすり抜けながらそう思いました。 昨日ひさしぶりに千万家を訪ねました。基礎工事完成です。基礎が訪ねる人に雄弁に語りかけてる様子が判ります。迫力ありで、訪ねて来る主婦が居るそうです。単純な円柱や箱の集合体が荒れ地の中に出現する。建前が大変ですね。基礎が強い力を生み出すようです。建主夫妻に基礎を眺めて感激、納得されるのは初めてです。すつかり千万家は私の手を放れ一人で歩き出したようです。 コンペ案は全体を並べて撮影しそのうち送ります。週末のシャドウジュリーには参加いたしませんが時代の壁を乗り越え、輝いてる案が多いことを祈ります。 近いうちに又コンペがあるでしょうから再度挑戦してみます。では又 ●2000年1月18日 クリスマスの夜のフォーラム年末のアーキフォーラムは(何と)クリスマスの夕に東京からマルヤマヒロシ氏が来阪され、新作の報告とその後にコウリンロウを追悼する対話会が開かれた。同氏のレクチュアーは昨年も持たれ、一部で馬鹿受けしたもので、そのアンコールとして開かれた由だから、まずは関西のオーデイエンスに対するビッグ・プレゼントだったと言えよう。 マルヤマさんは各誌で論考を発表し「難解」との定評を得ているが、そう思う人は一度彼の「話し言葉」に触れてみるべきだろう。というのも彼は思考の結果を言語化して解説する大多数とは違って、思考と発話が同時進行するから(レヴィ・ストロースの )「野生の思考」を地で行くがごときで、文明化されたエクリチュールでは伝わらないところが腑に落ちるのである。しかも思考の矛先は空間のエスピテモロジーという未開地帯に絞られており、東京方面の上品な先生方にはさぞかし「野蛮」に写るだろうがその分だけ当方の感性にはフィットするというわけだ。 周知のように同氏はピーターアイゼンマン事務所OBなのだが、造形方面でもしばしそのキャリアを想定させる以上に、透徹した空間的構造の闡明にまい進する動物的な本能を会得されたもののようだ。アイゼンマンが数理的構造の変容操作に主眼を置くのに対して、丸山氏は当該空間での可能な主体的体験を強く意識していおり、通常は住み手とか抽象的な第三者が代置されるのだが、彼の場合は他者がどう感じるかは眼中にないのが心地良い。つまり空間は誰かに仮託されるのではなく、自分自身が隅々にまで意識を行き渡らせることの結果として、誰かにとつても、それぞれの差異を生ずる中で共有されるのである。 評者はこの種の、フォルマリズムを掘り崩す知的探求には全面的に賛同するもので、というのも古典的な人間主義的身体が現代の空間から追放された後では、こうした試行錯誤が欠かせないと考えるからだ。アイゼンマンの師のロウやその師のウイットカウアーに遡及して考えてみると、パラデイアン・ヴィラの平面のタイポロジー(理想化された比例)からの虚の透明性(空間の知的解読)、そして後期テラーニの厳密な厳密な空間操作を経由して丸山氏のチャレンジがあるというわけだ。 今度の「SG/H/SG」邸を見ていると、彼がアイゼンマン事務所で担当したコイズミ産業ビルを見学したときのことを思い出す。つまりあの上階で展開された不思議な空間シークエンスのズレや緩斜面の交差−それはいまだに模型的でインスタレーションの類だ−が住宅スケールで実体的に遂行されている。そしてその実践はダイアグラムなどの補注的手段を付さなくても成立する、フロイトのいうところの「徹底操作」のそれだと言えよう。 前回に予告された作品が出来上がったレポートは、2台のスライドを駆使してモンタージュ的に−各ショットの衝突−提示されるはずだったが、色々な不備が重なり構想倒れに終わってしまった。ところが不思議なことに丸山氏のケースではそのことは大して気にならず、この大らかさと言うか部分が自立しているところと操作プロセスでの時間の流れが輻奏している点がアイゼンマンとは違っている。 後段はマルヤマさんの他にヨネダアキラ氏が加わり、コウリンロウの業績を偲ぶはずだったが、アル中気味で公式のレクチャーでは「何を言っているのかほとんどわからなかった」(マルヤマ氏の話)故人の霊が降臨したものか、所前提抜きに話が自己回転したものとみえ「コウリンロウおたくがごたくを並べているだけ」(ジュウ環境研のオオウチ氏)とチェクを入れられてしまった。これはその通りなのだが、何せ本人もそう言う人だったわけで、丸山氏が「それじゃぁコウリンロウは一体何処にいるわけ?」と言っていたように、私たちのように25年にわたって(米田君は15年)ロウと概念論的につき合って来た者の内面にしか彼はいないわけで、それが嫌だったら自分自身のうちに(今からでも)彼を育てて おたくの輪に加わる以外はないジャンなどと屁理屈を心中でつぶやきながら、 私はコーリンロウのあのとぼけた表情を丸山さんの人なつこい(ナカタニレイニンさんのいうとこでは北海道の炭坑夫のような)風貌に重ね合わせていた。 ● 2000年1月 23日 佐藤敏宏様 昨日の「シャドージュエリー」の様子をお話します。案は8点ほどで、この種の集まりには関係者が出席するため、久しぶりに盛況でした。出さない人で批評能力があると思われる。ヨシダヤスオ、タカサキマサハル、大島がコメントしましたが、主にヨシダと大島が話す機会が多かったようです。ワタナベさんが初めに「ボロクソに言ってくれ」と発言したせいか「全員まだまだ足らない」ということになりましたが、細部をよく見る余裕がないのでおおざっぱな話しか成りたちませんでした。流行を適当に折衷した案、屋根に草を生やしたカモフラージュ案、いたずらに建築家の自己意識を肥大化させた案、自分の持ちネタを展開しただけの案、ループを建物に取り込んで「無効化し」た案、何をやりたいのか判らない案などがそのリストでしたが、それでもそれぞれ時間をかけた力作という見方もできるし、絶対評価はなんとも言えないと思われます。「縄文」の解釈については、バロック的に表現主義的に頑張ったもので、余り気にしてない案に分かれましたが縄文だからおどろおどろしく表現したとう考え方は疑問です。それこそ弥生的なみかたというものではないでしょうか。。割合みなが要項をまもっていて、意味のある違反をしている人は少なかったように思います。 全体的に案が大人しく、関西独特の元気溢れる表現は少なかったように思われます。タカサキ氏など「革新的でパワフルなプロジェクトが見られると思って来たのですが、皆さん小粒ですね」とコメントしてました。案の作成に当たって若い人からの反論も余りでず、評者が一方的にケナしている感もありましたが、不思議にもそんなに雰囲気の悪い感じはありませんでした。従来のコンペのパターンから免れている案が見たかったのですが、これは見あたらず何となくこれまでのパターンを踏襲しているのは良くなかった。アイディア、技術、インパクトなど不足していて、これでは恐らく大阪からは一案も入らないのではないかと、いうことになりました。もし入ったら評者は袋だたきというところですが、実際入っても余りワクワクするような案ではなかったことは確かです。 府立美術館というところで何かもう意気消沈してしまうところがあります。ガチガチの要求を適当に入れて適当に無視してのびのび案作りのは困難のようです。ニッタ案は「竜飛岬美術館」とう感じでした。計画上の新提案もなく意匠上のテイストの違いだけだったように思います。それだけにつけ込むスキはあるように思われます。皆が金縛り状態にあるのですから。今回はレンゾピアノのチバウ文化センターのような感じの方が良かったのではないでしょうか。棟方やネプタでやっているような黒い縁取りを装飾に作って斜面から引っ張りだして、建築物は地形に合わせて沈ませるようなやり方ですが・・・。いつか自分もエントリーしてアレコレイチャモンばかり付けるほうではなく付けられる方にも回りたいと思いました。来週ぐらいにはもう8人が発表されるようです。果たしてどんな案が評価されるのか興味深いですね。 大島哲蔵 ●2000年1月25日2:03 大島哲蔵様 フォーラムの寸評とシャドージェリー の感想有り難うございました。今日まで東京を彷徨いていて、先ほどFAXを拝見いたしました。いろいろ有り難うございます。 建築文化の編集長さんのところへ仙台のヤエガシさんを連れて売り込みに行ってもきました。Tさんは3月号で編集長を代わりコソボ難民と化すそうです。重役の方が編集長で副編集長2人体制だそうです。少し運悪くというか運良くかは解りませんが、ハラさんの影響がまつたく見られないので好感を持たれました。 途中突然部屋を間違えて写真家のオオハシトミオさんが混じり、雑談になり青森のコンペ話題もでました。ハラさんやクロカワさんやその他の人に模型写真の撮影依頼があり断るのが大変だったとか、構造のササキさんも同じ状態だとかで、どなたもプレゼに構造にしのぎを削っている様です。皆仕事がなくて事務所経営の安泰のために必死な様子がうかがえます。日本らしいですね。コンペは大御所達の揃い踏みですが、審査委員がその者たちを全員落とし審査するとも思えずやはり無難な所へ落ち着く様ですね。 大阪の全員まだ不足とは何が不足なのか発言している人たちに自覚があるのでしょうか。唖然とさせる様な案があるとも、又情報化社会に満ち足りる案が必要とも思えませんが、発話が自分の鼓舞ににしか成らないのでは、これからの社会には通用しないでしょう。 社会の状況は変化し続けても、人の感受性や目的が変化するとは思えません。現代も、縄文の社会も、人の欲望の本質がそれほど変わらないと思います。人の心は進化しないのだと思います。虚実が混乱している様に見える今でも、人の認識とはそいう虚実の混乱が本質だからです。 タカサキ氏の発言の「革新」とは何なのでしょうか。真に革新的であれば形態からは意味や感情を受け取ることが出来なくなるのが現代なのですから、発言は的はずれです。古い言葉で新しいことを語 困難を極めるので、世代交代が行われないと建築は不可能のようですね。 いずれ自分で批評される側にいる方が気楽です。提案が500を越えたそうですから、日本初でしょうね。今週8名の入選者が決まると同時に一つの時代の終止符が打てれることを期待いたしたいと思います。 2000年 2月私信交換へ |