19997年分 大島哲蔵さんからの   HOMへ 

 1995年 1996年 1997年 1998年  1999年  2000年 

1997年分 28  10  24 09  16 23
 810 16 31   30 1021 22 24 24 30 
1111 12 15 21 24 29  12 15 18 

 1997−1−28 − 20:54

佐藤様 お久しぶりですが、お元気のことと思います。もうすこしであの作品(BOX11)が載った建築文化が出ますね。どんな風になっているか興味深々です。

 写真やページ割りで大分違いますからね。文章も写真の大きさや模試の大きさ・配列で大分印象が違います。 

 過日の明日香でのシンポの夜の部が雑誌で取り上げられていましたが、それはそれはひどいやり方をしていて、全く日本の建築メディアはたるんでいますWさんに抗議しるように言いましたが、案外気にしていなくて拍子抜けしました。

ところでスペインの画家でアントニオ・ガハシアという人が大変ユニークで面白いのですが、いかがでしょうか。¥29、000−ですが良い本です。(ドルが安い時の価格です)またメキシコのルイスバラガンという人の本は持っていますか。モダニズム系の人ですが、圧倒的に秀れています。(先年亡くなりました)これも最近良い本がでましたて、¥9、600− もしよかったら送ります。 
                 大島哲蔵

1997−2−2−1:54

 建築文化見ました。表紙に出ていたのは驚きました。嵐の日に行ったので全然印象が違いましたが、近年のスマートな作品と違って、ロケーション、コンセプト、作品と文章が奇妙にぴったりと来ることろが在り、好感をもった人が多かったと推察します。
写真も思ったよりも良かったのですが、あの住宅の魅力は1日にかけただけでは撮れないと思われいます。前後に載っていた作品などはいつ写してもほとんど同じだと思いますが、1日で写真に納められる作品など底が割れたものでしょう

Dが「日の丸の底に犬が飼われているなんて」・・改めて「そうだったんですか・・」と言ってました。こうなると○×思潮で取り上げなかったことがやはり惜しまれますね。

Wさんは「皆が知っているんじゃないと判らないから」と言っていましたが、皆の知らないユニークな人を積極的に取り上げなければ何にもなりません。

私はやなぎ何とかという作家で若手のアーチストが各国の国旗を砂糖で透明のレリーフに封印して、蟻がその中に入れてあり、会期日に細かくトンネルを掘るので、国旗が一日一日変化してしまう作品を思い浮かべました


1997−2−10−20:28

佐藤様 河合さんが亡くなったことは私も最近しりました。会いませんでしたが、最晩年にすれ違った感じですね。鉄缶目の句は私も好きです。20年後にあんな生き方が出来れば・・・と思います。

 雑誌にたまに登場するのはいいですね。全然でないもの、出っぱなしも愚かなことです

 昨日は知り合いのインスタレーションがあったので片山津にいってきました。海岸に行ったら重油の残り滓がベットリ手について、ゴミとともにゴミと共に重油を燃やしている煙がそこかしこに立ち上っていて、普段とは違う感じが良かったです。でも軍艦島と同じで、そんなことには無頓着な釣り人が呑気に糸を垂れていて、日本と言うのはそんな所なのでしょうね。

消防団・釣り人・ボランティア・立ち上る煙に同居してい

ドクロマークのイギリスからの中和剤のドラム缶も積み上がって船に一人のこってロシア人の船長のことなども思い出されました。


 1997−3−6−15:19

佐藤様
タフーリの論文を楽しんで頂けたようでなによりです。会計事務所もまた見に行きたいと思います。あのドローイングや線路が錯綜した場所に少し変なオフィスが建って、施主も少し戸惑いを覚える図は想像するだに楽しいことです。

起こりそうにないことが起こるというのが一番面白いですからね

建築家が多大な自己主張をして、どうだい!というもの面白いですが、なんだか変な顔つきをしたやつが、おかしな態度に出るのを、見ないふりして見ているいるもの好きなので・・・。

磯崎が早稲田の教授になるようです。大阪のkは神戸芸工大の助教授で、K氏は神戸大の教授になるようです。皆疲れていて、死に場所を確保するのに躍起に成っているようです。死ぬのは野垂れ死にが一番いいですね。

自分も周りの人も気づかないうちにコロリと逝くのが良いです

多分鉄缶ハウスのオーナーはそんな感じだったのではないでしょうか。また機会があったら婆さんに彼の話を聞きに行きましょう。金があったら譲ってもらって住むのも悪くは在りませんね。

過日新田氏と二人で磯野さん達が教えた、成安造形大学の第14卒業生の展示会に行って来ました。皆良くやっていて気分の良い学生達で作品のレベルも高くてそれなりに、満足して帰って来ました。

問題は社会の方でなかなかこうした人達を受け入れて、伸ばすような場所がありません。おかしなものです。能力をもった人達がそれを活かす場所がないのですから

大島

1977−4−24−23:01

佐藤様 久しぶりですがお元気ですか。時々夜更けにTELしてみるのですが、最近はあまり遅く仕事場にはおられませんね。その方がよいですが。奥さんの様子はいかがですか?快方に向かっていれば良いのですが・・・。

春秋塾はお陰様で無事スタートしました。人も集まり それなりに盛り上がりもみられたので、まずまず安心しております。問題はこれからですが、なんとなく行けるような予感がしております。

過日ニッタ氏の例の「スコラ」の正式オープン・ハウスがあり、概して不評だったようです。つまり前作の豊中の方が異物っぽいし、ワナタベ氏チックだったので、皆さんそちらのイメージのほうが彼に帰せ易かったのでしょう。

佐藤さんも何となく気にいってなかったようですが、それはまた別の意味なのでしょう。私はかなり買ってる方で、あのハッキリしない 何を考えてるのはスッキリしない感じが現在の彼の持ち味のように思うので。

そんなに特別でもないような施主に対しては、ああした調子が何か不思議な効果をもたらすだろうという期待から結構擁護したのですが、本人もあまり不評を気にしている感じはありません。

大阪は花の季節も完全に終わり、そろそろゴールデン・ウィークの準備に浮きだっている感じです。わたしもどこかに出掛けたいのは山々ですが、もうしばらく動けません。次の訳書直しでもして過ごすことにします。そちらも大変でしょうが、事情が好転するように陰ながら祈っております。    
           大島哲蔵


1997−6−9−23:09

佐藤様
大変な体験をされたのですね聞いているだけで芝居よりも劇的で普通の人には一生出来ない経験でしょう。私は2年前に大震災というすざまじい出来事に襲われましたが、佐藤さんのほうがきっと人間の不思議さに直接向きあわれたのですから。

小生には何も言えませんが、人間には喜びと悲しみが深く訪れた方がその人の彫りが深くなると考えてます。神が「こいつは相当出来るヤツだから、これぐらいは大丈夫だろう」と考えているとしか思えません。

BOX12はとても気に入りました。優美な印象が強くて、福島の評判の美人がスカウトされて御殿女中になったような感じです。両面の感じが劇的に背理しているのも良いし、扇形の掛け組みもチャーミングです。こういう構築性と壁性とがうまく組み合わされたものは、見ていて気持ちが良いモノです。

コストや建築会社の件はいろいろ難しいことだろうと思います。現在は人間と作品をキチンと判断して仕事をくれる会社は少ないと思います。日本で良いものが出来ない理由の大きな要因がそこにあるのではないしょうか。

そのうち素晴らしい協力者が現れることを期待して頑張る以外にはありません。

今のF塾は今度の木曜です、様子はまたお知らせしますが、気分は乗っているのでが、考える側と生徒の側の両方が噛みあわないと急速な展開は望めません。

今の日本にはモノの解るひとが1割居ませんからシンドイですね。平均的な人をグイグイ引っ張っていかないと状況はなかなか変わりませんが、彼らの鈍くささや餌でしか働かない腐った心はなかなか難物です。耳の聞こえる人達に高尚な話をしても伝わらないのですから・・。

私は佐藤さんをはじめとするごく少数の人達と交流することだけが、楽しい時間です。勿論何かを書く時、喋る時は手を抜かずにやってます。ごく一部ですが、良い評判もあるようで心強いですが、まだ序の口です。 ではまた近々中に 大島


1997−6−16−20:49

佐藤様
 先日はお疲れさまでした。建築を見に行くのは観光地嫌いの私には大変楽しい時間です。まして天気も良く、対象も素晴らしく、気の合う人と共に行くことになれば、言うことありません。閑谷校も藩主の意気を買うという意味で、大変いい経験となりました。奥さんの退院日にも関わらす1日に延ばして頂いたりして、本当にご迷惑でした。

この土曜日に調子に乗ってミヤジマと夜中の11時に急に話が決まって、龍神村の体育館を見に行って来ました。向こうに着いたのは夜中の2時半ぐらいで恐ろしく山深い所で、開いてる宿もなく、自動車の中で眠って現場に行きましたが、やはりなかなか見栄えのする、考えさせられる建物でした。

確かに人間にはある一定の時期に一定の条件のもとにその人の持っているすべてがフル稼働して大きな成果を上げることが出来るようです。共同幻想に染み込み刺激的なオブジェとして機能しているように思えました。いろいろ気になる場所もありましたが、佐藤さんは見に行かれたのでしたっけ?

高野山さか2時間ぐらいで行けるところなんで、夏にまたまだでしたら行くことができます。またこの高野山から南行する道は山また山の稜線をたどって進むのですが、ほとんど町らしい町もなく、本当に山ばかりの秘境です。

福島の山あいの村などはここと比べると、まだ都会で昔の人が歩いて熊野まで行ったなんてとても信じられません。もし来月可能であればぜひお目にかかたいと思います
よろしく 大島哲蔵


1997−6−23−13:33

佐藤様 
 日曜日に家に帰ったら、サクランボを少し持たせてくれたので、昨日から少しづついただきました。なんとも言えない上品な味と可憐な姿で、しばし雰囲気のある気分に浸ることができました。
 浄土堂の歌(句)はまた格別の出来で、重源に対する興味が刺激されています。週末に京都の本屋さんに行くので、入手して拾い読みをしてから佐藤さんに送ろうかなと思ったりしています。それかから多分佐藤さんのだと思いますがフィルムが見つかりましたが、現像しておくりましょうか?それともそのまま送りましょうか?どうしましょうか。 大島


1997−8−10−19:15

佐藤様  奥の院 聖を想い 気色ばむ(高野山行きを前に)

昨日実家に立ち寄りましたところ「佐藤さんから桃をいただいた」というので近所や親類に少しずつわけて、私にも数個もたせてくれました。今日昼1個いただきましたが水密桃という昔関西で呼んでいた感じでした。1週間ぐらい楽しませていただきます。それにしてもなんと魅惑的な香りなんでしょうか?シチリアのオレンジ、フランスの大型イチゴなどと並んで絶品ですね。本当に有り難うございました。

 奥さんの調子が良くないようで大変ですね。高野山は無理しないでください。元気でいてくれれば、憎まれ口も利きたくなりますが、調子が悪くなってしまったとき(自分でもどうしようもないことで)には全力を上げてアシストしてあげないといけませんからね。

最近の句はますます迫力が出てきましたね。かなり独自の領域に入って来られたように想います。寺山修司や奈良原一高がいなくなってしまったので、東の国の叙情を表現できる人が居なくなっているから、貴君が継ぐと良いです。

「住まいの百科」もマンネリ化しているから、作品と句で構成したら良い本ができます。

この国はどうしようもなく行きずまりはそういう ところからしか突破出来ないのです。(重源は浄土堂でそれに成功した)彼は高野山で修行をしたらしいので、私もあやかれるかもしれません。    大島


日時不明

藤様 黒ボールペンが無いので赤ボールペンで失礼します。

建築を停止してはならないと思います。建築と作歌は佐藤さんに課せられた義務ではないでしょうか。ただ発表しない時期や作らない時期があっても良いとは思いますが・・・。

 批評側としては、奥さんが調子を狂わせたという事実が、より困難な条件を活動に加えたとして、より根本的な要因を物を作りに付与する点が認められるのです。困難なものだとは思いますが・・・。

 ヨネダ君は「文化」6月号などに載っていますが、まだ本領は発揮してはいない若い人で、私の高校の後輩で好ましい人物です。京都に家がありますが事務所は東京でいっか紹介させて頂きます。知人のなかでは一番勉強家で将来のある人だと思います

ヴェンチェリーは決定的な本の無い人なので現状でましな本とZodiscの学校特集でいくつかの彼の近作が載っているものを差し上げます。(在庫が3冊あるので私が持っていてもしかたがありませんので)

最近いろいろな活動で思うことは基本的にはこの国はダメだということです。

佐藤さんが農政に関して言っておられたことが全てのジャンルに染み渡っていて、天皇制のイデオロギーと同じ戦後民主主義イデオロギー(実は拝金・既成事実イデオロギー)一色にそまっていて、いやでもおうでも個人主義的実存の道に追いやられてしまいます。

やるだけのことはやったので仕方が無いとあきらめるほかありませんね。せめて出不精にならないようにしたいと思います。ほんとに
フーコー曰く「狂気こそ正気の本質を照らし出す」と

ごもっともという他ありません  大島哲蔵


1997−8−16−17:55

田腑様
メッツセージを有り難く拝読しました。泉鏡花の「高野聖」は読まれましたか。あれは傑作だと思います。山中にわけ入る学僧の精神力としそれにも関わらすよぎる一抹の不安、峠や滝の描写、妖女のエロティシズム動物たちの奇矯な振る舞いなど幻想小説の極みを拓いた感がありますが、その半分位が「高野聖」なる言葉から触発されたものではないでしょうか。

拙句は高僧達と言うより、合宿に臨む自分の気持ちを表したものでしたが、いろいろ取ってもらえることに句の面白さがあり、空海や重源のイメージは最近とくに頭の中にあります。飛鳥や奈良から京都へ移った当時の日本の精神拠点、つまり古代的な中世から近世的な中世への移行を印しているのではないでしょうか。宗教から政治もしくは武力へのシフトが感じられます。日本の宗教は自然だけを相手にしたり、国家にすり寄ったり、民衆を見限ってしまったりしましたが空海は民事的要素を重視し、そのためには権力との関係もつけねばならないことをよく理解していたように思います。

ただ同時に現代の坊主達の無気力事なかれ主義、金儲け主義にはあきれ果てますね。宗教と政治それに学問は加速的に堕落して行くもののようです。空海の時代、あそこは最先端の思想基地でしたが、今は単なる過去のモニュメントでしかありません。23〜24日だけは本格的な説教をしてやろうと「気色ばんで」いるわけです。

奥さんのご容態はやはり良くないようですね。子供達の元気な姿を観た時はお元気なのですね。母親の気持ちの窮極的なバランスを感じる話です。男がバリバリやっていた地位やテーマから引退する時に、同じようなことがおこるのではないでしょうか?重源も大願を発し、それが曲がりなりにも成就するまで、当時としては異例なぐらい長生きをして、一応目的を果たした時点で亡くなりました。ショックをなるべく和らげあげて下さるようお願いします。

根詰めて  事にあたりし 後悲し              大島哲蔵


1997−8−31−23:34

佐藤様
高野山はうまくいきませんでした。4時間以上かけて龍神回りでアプローチして疲れが残っていたのかも知れません。危惧していたので2度ほど打ち合わせしたのですが、渡辺大将自身が武士道と腹切りに入ってしまって、例によって他の言い方を全く受け付けなくなってしまったので、どうすうることもできませんでした。吉野の時と考え合わせてみると、ぶちこわすのはたやすいけれど、内容の有る会を成立させるのは難しいことです。でも良いこともありました。龍神で入った露天風呂はとても良かったです。また夏にどこへも行かなかったので、良い小旅行になりました。

そんなわけで長い付き合いなのでやめられないのが大変ですが、豊和塾の段階で解散する気になったのはやはり正解だったようです。私達の時代はグループが形成され、維持されるような、中心になるイデオロギーや人物が不在なのですね。

若い人がシラケに取り憑かれるのも、こうなると良くわかります。あらゆる集合の裏にメリットやしがらみがこびりついていて、本当に信頼するに足りる共同関係が・・成り立たないのですね。今はまだ狂いたくても狂えませんが、いつかきっと全ての抑圧を爆発させる時が来ると思います。今はその一点に向かってあらゆる知識や経験やネットワークを温存して備えることでしょう。

希望も金も友もなく(友だけはあるのですが)ひたすら闘争心だけを育てたいと思います
。9月はミヤジマ君のアースワークの話と隈の最終回にするつもりです。
10月の課題は小図書館になる予定です。白河夜話の準備大変でしょうが頑張ってください。行きたいような気もしますが・・・大島


1997−9−7−19:05

佐藤様
9月4日に(ダイアナ妃に続いて)自動車事故でアルド・ロッジが亡くなったそうです。30才前後にとても愛好していて、彼の著書を訳すようにな望みを持った人だけに感慨があります。以前にも事故にあった人なので、よくよく乗り物に弱かったのでしょう。レナーテ空港は駄作でしたが、鉄道駅などどいやら、素晴らしいものを作ったような気がします。
 中部読売新聞社というところから追悼文を頼まれて、今書いています。ワイン好き、文学好きのお洒落なおじさんでした。それでいて愛嬌もタップリで典型的なイタリアーノだったと思います

ドウケ君が自分で小さな事務所を作りましたが、仕事がないようなので、実家の改築は彼にやってもらい、私も参加してやろうと決心しました。佐藤さんからいろいろアドバイス頂きたとおもうので、よろしくお願いします。基礎だけは残して大振りの2階建て(2階は半分ぐらいしか使わない)で和風の建物にする以外ないですが(隠居部屋ですから)鉄を使ったり、又は集成材を使った架構にして、寝殿造りのできそこないのような感じにしてやろうと思っています。1階は2部屋プラス浴室というシンプルな組み合わせです。ドオケ君が遠いのが気になりますが、私が毎週行き来するので、何とかなるでしょう。また報告します。                 大島


1997−9−8−23:57

佐藤様
本日お便りが届きました。いつも有り難く拝読させて頂くのですが、奥さんの病状が悪いようで、大変気の毒に思います。また仕事を一時休止されることも考えておられるそうで・・・傍の人間には判らないことも多いのですが・・・必ずしも一人の人間が一人の人間が病に入ったことで、もう一人の人間が仕事を止めてしまわねばならないこともないと思うのですが。無責任な話ですが、歌も建築も順境よりも逆境のときにどんどん良くなっていくようで、最近そのように感じておりました。私には判らない多くのことがあると思うのでこれは一方的な要望でしかありませんが。

無責任なついでに言うと、私は自由に無責任にやっているので、病を診てあげている佐藤さんをむしろ羨ましくさえ感じていたのです・・・。実際にはそんなことは話にならないと思いますが。とにかく運命はキッリチリやって来るようです。しかも素晴らしい人にこそ、苛酷に迫ってくるのですね。時間もないでしょうが、別に何も話しをしなくてもいいですから、半日ほど一緒に過ごしたいとつくづく思います。福島と大阪というのはいざとなると、結構離れているものですね。

預かってもらっているところとでもいうのでしょうか。より症状の重い人達と一緒にいると、なおさら悪くなるのではないでしょうか。お書きになったことちゃんと覚悟が感じられるので何も心配はありませんが、なにも手伝いが出来ないのは残念です。一昨日母親が「佐藤さんは詩がとても上手だ」と感嘆してました。他人と余り付き合わない人なので珍しいことだと思いました。いろいろ有り難うございましす。

                          大島

1997ー9−30−5:42

佐藤様  建築と作歌はつまり建築作歌(作家ではなく)というのは良いですね。佐藤さんにぴったりのフレーズだと思います。ロマンチックで強く、繊細な感じを持っていて優しくて大胆・・というと当然賢治を思い出しますが、文学の欠けた彼、あるいは化学の欠けたケンジは魅力がありませんからね。彼の妹は死んでしまって、かれの精神はますます磨かれていったわけですが、奥さんが変調をきたしたという・・その運命的な出来事が心の振幅を深くして行くのではないでしょうか?

うまく行っている人、成功裏に仕事と人生が動いている人の言うことや作品は、それなりにハッピーですし良いとには違いありませんが、本当の魅力には欠けるところがあります。そこには何か一方的な肯定が混じり込んで、どこか耐えられないところがあるものです

いろいろな問題を抱えていると、精神的に空しくなる時が確かにありますね。人の作品の判らない人、テクストを読むことが出来ない人、社会の意味に無自覚な人が、目の前にやって来て、愚鈍な表情でばかなことをながながとしゃべると、なぜこんなめに会わなければならないのかと、つくづく思うことがあります。

翻訳などいくらしてみたところで、まともな読者はほとんど居ないのですから、実際にはどうなるものでもありません。そう思いながらも細かい訂正をやら、句読点の位置などいじって、読む人が迷わないような改良作業にいそしんでしまいます。

佐藤さんの歌や設計はハッキリいってとても良いです。気持ちがこもっていて(Heartfulといいます)時流と関係ないからです(Tvdependent)

28日の準備は終わりましたか。一時よりは行く気が出てきています。高野山でのワタナベさんを見て気力が低下していたみたいですが、あれから会っているのでまた またワタナベ節を聞いてもよい気分になったようです

奥さんは栗ご飯をどんな気分で食べたのでしょうか。きっと美味しかったはずです。

T.O.


1997ー10−21−21:04

佐藤様
 お元気ですか?大変な中で活動されていると推察しています。こちらもようやくセーターを着るような季節になってきました。毎週いろんな行事も入っていて、気がまぎれていますが、いろいろプレッシャーが加わって、とても平常心で居られるものではありません。(みなさん多かれ少なかれそうだと思うが)
 
半月ほど前に28日の白河に行く気になって予約を(バス)入れましたが、次第に動く気力が無くなってきました。このところ胃の調子も悪く(痛い)薬で大分良くなったのですが、例の春秋塾で3時過ぎまでウィスキーを飲んでワタナベさんを送っていったりして、無理するとキチンとその結果が出るのですから体の限界ははっきりしています。
 
私のように自分のしたい放題をしている者は世間からますます疎んじられて、電話の半分はセールスで同じような断りばかりになってしまいます。でもそんな状態が(セールスは嫌ですが)自分に似合った状況だと強く思います。ワタナベさんは相変わらず元気でなにやら将来のあてもあるらしく盛んに「おれはもっとすごいことをやるんだ」と血気盛んですが、うらやましいかぎりです。彼の怪気炎を聞くのは1ヶ月に1度でたくさんだという気がします。

以前言っていた雑誌を出すのも断念しました。2〜3号出したら原稿集めに苦労する様なものは出さない方が良いのです。こちらの状態が極端に悪いと思って心配しないでください。私は元気でいつもの通りです。しかし日本的状況の愚劣さを毎日のように見せつけれられると気が滅入ってしまいます。こういう便りを書いていることがせめてもの慰めです。

ニッタ君とやっているプロジェクトはうまく行っています。今日は高速バスの切符をキャンセルしました。今の私は福島へ行く元気はありません。ワタナベさんの元気ある提案も耳には入らないでしょう。紅葉の美しさもかえって暗い気持ちになるような気がします。私は大阪の一室で本と一緒に週末を過ごそうと思います。講演会の順ホストは大変でしょうが、頑張ってください。福島の皆さんも珍しい人に接して意気が上がることと思います。100円で買ったポーの小説集を読んでいます。とても上手です。    大島

1997−10−22−11:15

佐藤様  昨日は1時頃に横になってほとんど眠れないで起きていた(5時)つまり佐藤さんからFAXを頂、ちっとも気がつかなかったので、やはり2時過ぎには眠っていたようです。本当にいつも佐藤さんには助けられます。気分がデクラインしているときによいニュースを入れてくれるからです。

批評文のことですが、小生がいままでありついたうちで最高の条件のもので、やる気が断然起きました。後世までの語りぐさにしたいと思います。タケナカで以前話をして10万円もらいましたが、それはバブルの頃でまた書いたものとは違います。

実を言うと批評もお手紙やKBの文章を拝見すると、断然佐藤筆のものは魅力があって、いつもかなわないと思っているのですが、今度は主催者と言うことで、小生が担当する名分はあります。少なくとも他の建築系のライターよりも自信はありますし。

28日は勝手ですが、新幹線で東京に寄って、会場で(少し早めに行きますが)お会いするということでも良いですか?もしどうしてもなら飛行機で行きますが・・。

現在朝の9時で前で、名古屋の事務所に来て直ぐこれを書いていますが、今日はいつもほど疲れを感じません。本当に現金なものです。なにか一方的に借りばかりが増えていって、逆にそのことで悩んでしまいそうです。

マリリンの 笑顔あさまし 死の演技

モンローの写真集を見ていると彼女の淋しさがダイレクトに伝わって来ます。誰も彼女の本当の姿を見ようとしていないから。特別な生き物として見ようとばかりする周囲の人達。その人達と実はちっとも違わないのに・・・。それでも一人の人間には永遠に戻れないという存在。その分裂を全うした彼女は偉かったように思います。破れた網タイツ。Fade outしたsex symbol。

いろいろ感謝するのみです。    大島哲蔵


1997ー10ー24ー12:33

佐藤様 たったいま現金書留を受け取りました。感謝感激しております。いつも夜中に仕事をなさってるのでしょうか。私もそんな時期がありましたが、昼客が来ないことを良いことに寝ていましたから気楽なものです。

東北本線の音を背に聞きながらというのは良いですね。今よりは30年ぐらい前の蒸気機関車の時代を思い浮かべてしまいます。ワタナベさんの話の内容・・今回は頑張ってほしいです。それが良くないと文書が書きずらいです。建築の質が高いと筆が進みますからね。かれと話していると、大物の片鱗を感じることがありますが、なかなか人前で話をしてそれが出るのはいつもあることではありません。以前は「血と怨念と狂気」を介して迫力を出していましたが・・準備が大変だったとは思いますが、あとは本番しだいでしょう。6時ぐらいに会場へ行きます。本当にいろいろありがとうございました。


1997−10ー24ー12:50

佐藤様 追伸「思い違い」なんかしていません。私が驚いているのは、この2年かかって心血を注いだ翻訳が30万円(コストは倍かかる)で、友達と会って温泉に入って、議論風発で、本来なら払わねばならない所ですで大金がいただけるとうのは望外なのです。・・の時はみないい人達ばかりなのですが、こちらの話をまともに受け取れる人達ばかりではないので、変な金だなと思っていました

以前ドウケ君とお邪魔したとき、普段は文句言いの彼が妙に納得していたのは、皆さん方がちゃんとした人たちばかりだったので、得心することが出来たのでしょう。

最近本を売って思うのですが、客は明らかに損をしています。つまり本をちゃんと見て読む能力がないので、1万円の本が2千円ぐらいの価値にしかないのです。私の事務所を休みにして、月末に行っても、それをはるかに上回る意義を見いだす自信があるので、感激しています。  大島


1997−10−30−23:27

佐藤さま
昨日そして一昨日はまことにありがとうございまし。有意義な2日間でした。記録を作られる場合は、張り切って書けそうでお待ちしています。白河の面々も皆さん個性的でエネルギーのある方々でしたので、触発されるところが多かったです。都会のリアリティーとは違った多くの問題と共に、怒り議論し飲み喰らいしている姿に共感を覚えました。様々なレベルで集まった人達が都市に対する興味を持ってくれれば良かったわけです。

ワタナベさんは以前から一貫していますね。自分のやったことに対する強い信頼と好き嫌いのハッキリした態度はさっぱりして好ましが、悪いパターンになると、一人よがりで一方的となります。今回はまずまず無難な線で話していた感じですが、何か話がつながっていけば面白いと思います。

やはり印象に残ったのは佐藤さんの周囲には個性的な人物が多数居られることです。実によいことだと思います。財産です。大都市で少し毛色の変わった建物を作ってメディアに受けているよな「作家」と全然違った存在感があります。

建築家というよりは詩人という方がぴったり来る感じです。重苦しい現代社会ではそう言う資質の方が待望されているように思っています。サイトウさんとのコンビネーションも絶妙で、小生には奇景や出土品より、そちらの方が面白いと思われました。動いているし結果がどうなるかわからないのです。皆さんに心から感謝してとりあえずのあいさつを送ります。     大島


1997年11月11日 手紙

佐藤様 PS 種魚さんに本を2冊差し上げて下さい。白河でいろいろお世話になったほんの御礼です。その後いかがですか?評文は書き始めていますから、ほどなく提出します。最初にプライベートなものとしてお目にかけます。それから、もし小冊子がでるのなら、全体の様子をお聞きして修正するこにします。お金は先日のもので十分ですので不要です。
今週の木ようにまた春秋塾があります。 今度はフクダさんです。どんな話をしえくれるのか楽しみです。 同封した本は大龍堂が出した本で、なかなかユニークなおじいさんの手記です。時間があればお読みください。(返してくれてもくれなくてもよいです)クリスチャンの人で時折こういう人が居ますが、そうでなくてもこういう生き方はできると思うのですが・・・・。年内にニッタ氏三人で忘年会でもしたいですね。私達が名古屋か黒姫で打ち合わせをやるときに合わせて、うまくセットできると良いのですが・・ほんとに女の力はすごいですね。その力はいつ発揮されるというわけではなく、やはり佐藤さんが居るからだろうとは思いますが・・・・。献身と発狂というのは紙一重です。   大島哲蔵


1997−11−12−0:00

佐藤様 学校はごり押ししてでも取ってください。いくらでも想像力が飛翔するはずなのに、いかにも怠慢な設計が多すぎ、反面教師につる他ないものばかりです。過日松村Aというもう亡くなった四国のアーキテクトの学校スライドを見学して来た若い人から見せてもらいましたがそれはなかなか良かったです。ご存じでしたか? もしまだでしたら、ついでの時にお知らせください。資料を集めてみます。場所はたしか八幡浜だったと思うのですが、何だったら見に行きましょう。

都会は超不況で皆不安な日々を送っています。戦後最大の危機じゃないかと思ったりもします。毎日生き残ることを考えています。壱千万ハウスぜひ頑張ってください。また学校も何とかなるように祈ってます。年内にもう一度お会いできることを祈ってます。ドーケ君は週末から1週間ほどアメリカのニューヨークに行って来るそうです。(平山氏と一緒に)少し寒いかと思いますが、羨ましい限りです。渡辺さんの投げかけを無意味なものにしないためにも力を合わせましょう。        大島


1197ー11−15ー2:04

佐藤様
本日御手紙落手しました。俳句はとてもぴったり来ました。智恵子抄をやはり想起しますが、それとは別に読んでいても独特の言葉使いと感性が感じれとても1年目とは思えませんね。素晴らしいの一言です「その蜻蛉・・・」の句は傑出しています。そのといというのが少し気になりますがそれがないとまた調子が、心地よく鋭い流れだけになって、やはり肯定的に見る以外ありません。新人賞を取れることを願っています。

1,000万円住宅は抱腹絶倒してしまいました。ぜひよろしくお願いします。ポストモダンでこの趣向が少々ありましたが、遠く群を抜いたアイディアと意匠です。アホなことをして知ったか振りしてる連中に見せたいところですが、彼らには判らないでしょう。知らん顔してやってください。ニッタ君が来たら見せてやりたいと思います。きっと真っ赤な顔をして笑いこけるでしょう。

学校の話は、私達都会では毎日のようにそんな目にあってます。現代日本の無神経、厚顔、不勉強、心的痴呆・・極まれりですが、悪口言っているだけでは彼らはのさばるばかりなので、土地でも何でもネタにして徹底的にオドシテやるべきです。少し同情するとつけあがって来るので注意してください。どこまでもねじ伏せるのが一番。

本日ロッシのシンポ公会堂でやりました。満員でそれなりに面白かったですが僕は出番が1回しかなく、3分ぐらいしかしゃべれませんでした。それでも2万円もらったので率はよかったですが・・。いろいろお礼まで。そちらも大変でしょうがこちらも同じなので頑張りましょう。         大島哲蔵


1997年11月21日 22:32

佐藤敏宏様
 本日の反省会はいかがでしたか? 講演会の開催までは突っ走れますが、終わったあとはいろいろ厳しい指摘もあったことでしょう。私も何度もそういう経験があって、しばらくは大人しくsているのですが、また何かやりたくなってきます。ある種のクスリと同じですね。でも少しづつ所期の目的に近づければ良いのですが、私のばいはそうもいかなかったので最近はもう電池切れになっています。本を作る(同人誌的な)話もあったのですが、2〜3号でパンクするならやらない方がマシと思ってやめてしまいました。 今は状況が悪いですしね。今の私には新刊ニュースでも発行しているのが似合っています。(ずっとそうではいけないとは思いますが)

ロッシを気に入られたようで、大変嬉しくおもいます。彼のpoesyを直感的にわかってくれる人だとは思っていました。スケッチとか模型であそこまでものが言える人は本当にうらやましいですね。形や色で人の感情に波動を起こすことができるなんて・・・。

佐藤さんは歌と設計でその域に達することの可能な人だと前から思っています。建築家というよりは詩人として空間を謳い上げてくれる予感がします。これは私の直感です。ワタナベさんは人間味でそんな異能を感じさせる人ですが、私にとっては都市プロジェクトでそれが出てくると思う人ではありません。

学校は詩の心がある人に設計してもらいたいものの代表です。豪華でもなくチームゾウのように、いっぱい色んなことがやってなくても ハートが欲しいのです。真剣さとユーモアが必要です。 昔の学校にはそれがあったように思うのです。人間鑑別所のようになってしまった空間からは人間味のない大人しか育たないのではないでしょうか。   大島哲蔵

●1997年11月21日頃 手紙

佐藤様 金曜の会に集まる皆さんに御一読いただけるよう感想文を送らせていただきます。これをもとにして、いずれ小冊子を出される際に、その目的、ページ数、小生の文の役割に応じて書き改めさせていただきます。少しでも参考になれば幸です。
皆さんの様子によって、何も出さないということもあるなと思います。あの話がどんな波紋を広げるのか、また広げる必要がないという考えもあります。あの提案とは直接関係なく、今後定例会をもって、白河の将来ビジョンを作るのもよいですね。

もちろん中学校の問題はそれの突破口となるはずです。これまでどおりのタルイやり方を絶対させないことをはっきりさせねばなりません。教育を考えることが先決です。カリキュラムと同様に空間も変われねばなりません。オープンな場所。教室、それからクローズなところも必要です。明るいテラス、暗い廊下の突き当たり、たまってはなせるスペース(ベンチ)などあらゆる変化形が必要です。

どんな校舎がすきなのか、アンケートもよいし、A・B案で投票しても良いわけです。生徒会の委員に計画コンサルタントになってもらうのも良いでしょう。役人など何の権利もありません。最低限の管理だけやっていれば良いのです。やつらは権威に齢ので教育委員会の長がしっかりした人物なら、だれかの紹介で直接あって話してみたらどうですか。市長か助役にに一人位まともな人がいそうなものですが・・・。間にあわなかったらゴメンなさい。大島哲蔵


1997年11月24日  9:44

佐藤様
 反省会の様子を頂きました。日本人は談合は上手いですが、議論をして結論を出すのはまったく下手ですね。 それぞれの見識はあるのでしょうが、他人と同意する点,、違うところを整理して、そこで話されたことを受けて行動することはできません。 自分の漠然とした考えにあくまでも基づいて、不可解な面を多く残してその場限りの発言や態度に終始してしまうのです。 これはもはや日本人の習性ですから受け入れることにしましょう。強く内味のある方針を出して「何となく」ついて来てもらう他ありませんから。

いずれにしても 行政担当者や一部の専門家以外に都市や建築や空間を考える一群の人が発生したのはよいことではないでしょうか。無理なく自然にその興味や作業が続いてくれれば良い方向に行くことを期待しておきましょう。

記録集については何なりと要望をお知らせ下さい。「簡潔に」とか××についてもっと詳しく」とかなにでも一応能力の範囲でお答えできますので。

学校はいろいろ問題が出てくると思います。協議会のようなものもうまく行く可能性もありますし、冒頭に述べた「習性」が悪い方に働く場合も大いに考えられます。各方面の方々をよく観察して、的確な対応をしないと基本的には「いつものようにやっておいた方が面倒がないのに」、と考えている本音は否定できないのですから。

中学生の意見を聞くのは彼らの思いを取材し、校舎をどう考えるのか材料を提供する目的で、現時点での要求を設計に反映するという意味はほとんどありません。勝手にやってしまうというやり方と、本人達の意見を上辺だけ取り入れるやり方は同様に無責任きわまりないやり方でしかありません。

父兄や発注者や従来型の設計者は、それ以上の「何も考えてない素人」だったのではないでしょうか。人間とそれが活動する場所の問題を考えてきた人がさらに構想をめぐらせることが求められます。 適当に資料や話題を提供して心をほぐしてあげることでしょう。なにか素材をみつけておきましょう。 頑張って行きましょう。  大島


 1997−11−29−13:27

佐藤様
やはり彼らは上手く逃げますね。本能的に危険を回避します。役人として永年つちかった唯一に直感力で、とてもかないません。都会だったら土地の問題は決定的ですから、多分もっと闘えたはずですが、白河だとまだ彼らの手がありますからね。気落ちしないで次のチャンスを作りましょう。 私も3年近く被災地で役人とFightしてますが、彼らは気楽いこちらが疲れるのをまってます。何百億という金を無駄使いしているのですが一向に気にしていません。こちらもそれなりの気分で対応してないと、先にクタバッテしまいます。

中学校の資料を作り始めたのに残念! ほんの入り口部分だけでしたが、近日中に送りますので参考にして下さい。その続きはいつでも作れいますので、また必要性がでたきましたらおっしゃってください。

渡辺レクチャーの件はワープロ原稿を拝見して、ご指摘の2点を加えて、いずれ送ります。とても楽しい仕事でした。今度どんな方向に枝がはるのか判りませんが、また何か起きてくるようにも思います。白河が今のままで中途半端に都市スプロール化するのは惜しいことです。どこででも中学校の一件のようなことが起きているのでしょう。無神経な当事者たち。無駄使いにされる資本。気力の失せた住民たち。なんたることでしょう。

サイトウ氏が自作の載った本を送ってくれました。ただものではありませんね。私にはややそうかいですが、東京にいたころ、運動も下火になってそろそろ次の身の振り方も考えねばならなくなった時、神田などでちょくちょくこのような本を買った頃を久しぶりに思う出してしまいました。崩壊感覚と清冽な叙情。ルサンチマンと超越への希求。(皮肉で言っているわけではなく、今でもそんな感情が実はわだかまっているのです)そこから抜けられない自分に嫌悪と遺憾を覚えますが、自分の回りをどうすることも出来ない事にとって甘受する以外の全てはないので仕方ありません。

週末は京都のギャラリーでポン・デ・ザール(フランスが鴨川に押し付けた「芸術」橋)の問題対話会です。自失だけでは素早く変わるので、皆都会に来たがるのかも知れません。先斗町と木屋と花見小路(祇園)の関係性です。人間の張り合いを鴨川が笑っているようです。


1997−12−4−3:07

佐藤様
今日はこちらも三重県で積雪がありまして、たった今帰り着いたところです。要は下記の点を強調する必要があると考えれます。

公立学校はこれまで管理者側が一方的に企画立案して教育の場としてふさわしくない建物やキャンパスを下げ渡して来た。これからはそうではなく、オープンに事を進めて行かなければならない。21世紀の初頭に合致した若者の向上心を鼓舞するような空間を計画する必要がある。密室で隠れて談合するのではなく、決定的のプロセスを公開して、各方面の意見を聞き取りして取り入れるべきです。コンペの方式やジュリーの進歩的で判断力を持ってる人物がリードせねばならない。その形式や人選も含めて「新都白河を考える会で」提案する。

これからの教育の場は地域の住民とつながりをもち、互いに寄与する形で運営することが望まれる。やはり管理側が秘密裡に事を運ぶことは許されない。行政、市民、生徒、教師が共に協力するなかで、理想に満ちた教育の場が構築出来るのである。

あとは佐藤さんが書かれた流で良い。ただ外国勢は数名招待参加してもらうのがベターくわしくはまたあらためて    大島


1997−12 ー12ー13:05

京都のアダム&イブのトミタと言う人は知りませんでした。若いのに明解な考えをしているのは期待できるかも知れません。考え方の方向性もほぼ的確だと思う。ただ経歴が・・・何か恨みを持った人かも知れません。最近の若者で変に合理的で革新志向の人が居ますが、そうでなければよいですが、私も聞いてみます。

(京都の人に)要は国はもち論、地方行政も概ね腐敗していますから、地方分権すればうまく行くわけでもないでしょう。ましな人と時間をかけてましな方向に持っていくための努力ですね。彼はまだ事務所を作り立てのようでうすから、立ち上げが良いなら期待できる人材に成長していくだろうし、いろいろつまづくとウエダAのようなことになるかも知れません。京都に来られたら、むしろ大阪にも立ち寄ってください。

白河の文はもう一週間ほど待ってください。今最終チェツクをしていますが、大阪と名古屋でやり取りしているので、少し能率が悪いです。昨日はイソノ氏が自分の教育活動を春秋塾で報告してくれました。熱心にやっているので若い人も良く答えていると思いました。塾自体はまだ明確なポリシーをが出て来ておらず、もっとしつかりやっていかないと失速するかも知れません。

学校の資料は来年の始めに第一次分を送ります。状況が進展するようだったら次のステップを考えましょう。日本の現状で、少しでも新しいやり方を採用しようとすると、大変な困難にぶち当たることを実感します。先方は私達が消耗するようなことを一杯やってきますから、めげるようにしないと行けません。民主主義とトップダウン、時にはヤクザ的な手法も使ってやらないとなかなか突破できません。彼らは全く思想のかけらもありませんが、こちらが弱味を見せると、的確につけ込んでつぶしにかかってきます。教育の基本には創造性が必要ですが、それが全く無いのが今の教育管理主義者なのではないでしょうか。また機会があったら郡山の川添さんにも会って来てください。植田実さんのようなイメージの人だと思います。 大島


1997−12−15−12:44

佐藤さんFAX有り難う。その気持ちは良く分かります。被災地の活動や、大きく言えば建築での評論の位置まで、お書きになった問題がどこかで出来ていますから、結局大変な消耗な話になります。私は気質から言ってその中であがくのが性に合っているところがあるので良いのですが、佐藤さんは気質から言って個人を相手に一つ一つやって行ったほうが確度が高いように思います。

役人や文化人を向こうに回して問題の解決をはかるのは現状では至難のわざですからね。まず成功はないってことを承知の上でやらねばなりませんし資料をまとめるだけでも一苦労です。(全く手を引いてしまうのは間違いだと思う)本来の設計の仕事はそれにかき乱されることなく進めることです。対社会の問題はW氏のような図太さと無責任さがなけば無理です。小生をはじめ,W氏と佐藤氏の中間に居るようです。私の口はともかくw氏のような自己肯定はとても出来そうにもありません。
そう言うことなら川添氏も延期下さい。彼はもちろん問題に翻弄されてまた私より穏健で支持も厚い方ですから、けつきょく東京で事務所を持って地方の女子大で進歩主義的な講義をしているということです。いずれ私と共に会いに行きましょう。(世間話をしに)

村の中学校の方が聞いていても楽しそうです。スタンドプレーをさんざんしておどしたりポストをちらつかせてねじ伏せないと動かない都会とは違って、また人の心が解る範囲なのですから。佐藤さんは平静心のある時のドンキホーテで、味のある高貴な社会外的な魅力溢れるおじさんであるべきです。

逆上したときの威勢の良いドンキホーテはWさんと私に任せておいて下さい。またお便りします。  大島哲蔵



1977ー12−18ー22:36

佐藤様
 本年も美味しいリンゴを送って下さいまして有り難うございました。こちらが一方的にお世話になっているのに申し訳ありません。ニッタ氏から新年会にでれるかもしれないと聞いております。事情が許せばぜひ来ていただきたくぞんじます。

新都白河」の原稿は遅くなりましたが、本日名古屋から送らせてもらいました。一両日中に着くと思いますがいろいろ資料を20点んばかり送ります。(みな薄いものばかりです)2〜3冊で全体が判るようないため、やむなくそういうことになりました。コストは全部で5万円です。支払いは1月末で結構です。内容的に足りない分は口頭かFAXでいつでも助言を精一杯やらせてもらいますからよろしく。

それから2月中頃から大阪のギャラリーで春秋塾の建築展をすることになりました。これまでの作品を並べる予定です。ただ塾生の作品ではかなり弱いのです。また来る人も塾生中心だとするとすると、これまでのものだけでは何ら新鮮でありません。そこで、第一回の課題が佐藤さんの学校構想がある程度まとまるようでしたらぜひとも出品して欲しいのです。無理ばかり言いますが御検討下さい。よろしく。  大島


 日時不明

先日のお手紙で以前お預かりいただいた本を購入していだだけるようで、有り難うございました。ロッシのVOL3などはいま手元にありませんので、追って来年お送りいたします。

年は定期的にお便りを頂戴し、またこちらもよく書かせて頂きました。私にとっては大変有意義なことでした。(原稿はあるが出版出来なかった本新都白河計画の一部「新都白河」提案を受けてと題した文章のこと)特に白河にご招待下さった件にっいては心底より感謝申し上げます。

例年、手元に金があるときは海外に出かけて、気を紛らわせておりましたが、ここのところそれすら叶わず、鬱々としておりましたが、白河の皆さんと交流るる機会に恵まれ、駄文を寄せるチャンスまでいただき、また望外の報酬をくださったために、私は再生出来たような気がいたします。

改めて感謝申し上げますと共に、唐突ですがクリスマスも近いことですし、手持ちのロッシのパンフレットなどをXマス・プレゼントに差し上げます。

どうか御笑納下さい。また決してお返しを考えないでください。貴公からはもう既に多くのものをいただきましたので。

architectture padaneとはPadaneの建築つまり、パドバを中心とするイタリア北部中央の平原血合いの建築という意味です。馬の絵を盛んに描いていたマンテーニヤ、そしてマニエリストの大家ペルッツィの設計したパラジォ・デル・テ。開催されたロッシ展、それらに触発された自身の建築のモデル達。ドローイング等です。

その背後にはパラディオの建築や農家の納屋などがあるのはもちろんです。赤い本はやはりその地方のパルコで設計したスパーマーケットです。写真はよくコンビを組んでるルイジギーリです。

訳はよくないが有名な科学的自伝も読んでみて下さい。無理だと思いますが、春秋の忘年会のパンフも同封しました。

学校の資料と小生の文章はそれぞれ年内と来週に送ります。よろしく 
                         大島哲蔵



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