佐藤敏宏の LRAJ in 大阪 体験記 (2009年3月7日) home ■会場へむかう 福島は吹雪いていた。 2009年3月07日大阪で開催される ROUNDABOUT JOURNAL 公開ディスカッションに参加しようと思い立ち 福島駅発10時50分の新幹線に乗る。新幹線を乗り継ぎ新大阪駅に15時30分頃着いた。とても暖かい快晴いい天気だ。討議開始時刻まで30分しかない。 会場着16時には間に合いそうもないので携帯を入れる。「遅れても大丈夫です」とのこと。関西弁に包まれトコトコ地下鉄は南下する。心斎橋に下車。10分ほど西へ地下道を歩き 四つ橋駅に着く。地上に出る。 ■INAX社のビルの在る当たりは懐かしい。建築系書店の柳々堂さんがキーになり若者がコーディネートし1997年より議論の輪を広げている「アーキフォーラム(年表参照のこと)」に呼ばれて1998年7月に来ている。 そのこと以外にも90年代には渡辺豊和さんなどの建築家や大島哲蔵さんなどの建築批評家や大学関係者などが共同して開く勉強会が 何度も行われいたので参加した。関西で建築を目指す若者を建築の議論の場に招いていた中心的な場である。年に数度は俺も参加し多様な人々と多層に交流していた。そんな事を思い出すから懐かしさが自然にわき上がってしまうのだ。 数年前にINAXビルは日建設計の山野さんの設計によって(伊庭野さん日記参照)建て替えられたそうで 外観は全く変わっていた。入り口や 1階から2階の構成は建て替え前の構成を踏襲しているように思われた。受け付けには数人の若い男女が居て 「EVにて13階の会議室へ行くように」と指示される。 13階には柳々堂(書店名)の松村さんが チームRAJが豪腕にて作り上げた「1995年以降」などの書籍を並べ売ってた。 出店がおかれている廊下手前の扉を押し開けると 講義が始まる寸前の気配。 ひな壇にはくの字型に講師陣が並びいる。 対面するような形でくの字型に観客席が70席ほどしつらえて在った。視力が衰え遠くが見えないのだが、開演ギリギリに着いてしまったので しかたなく最後尾の列に座る。観客の服装を後ろから見ていると 白髪や剥げ頭もなく、30前後の若い男性が多い。 ■ 議論 はじまる くの字型に曲がった講師の列には10人ほどが並んでいる。近眼と老眼が共にすすんでいるので 誰やら判別できないが声の主は誰だか判る。 司会の声の主は藤村龍至さん(建築あそびなど2004年 2008年 記録) である。 切り出す藤村 1995年以降は「(社会では)情報空間論と(建築の場では)アルゴリズムデザインの2つに分ける整理してみたい」と論は開始される。 公共領域についての仕分けが話されないので 受け手は戸惑ったのではないだろうか。 今現実の社会で起きていることは 公共領域間の闘争と言えるのだかからだ。 グーローバルとリージョナリズムの対立。対応する リベラリズムとコミュンターリズム。市場モデルと社会モデル。 次に市場モデルには福利厚生経済の大きな政府と、公共選択アプローチの小さな政府のはなしなど。 コンピューターコミュニケションが発達した現在では 共同体主義や個人主義においても自生的秩序がうまれだろう。多数の試行錯誤が行われるのが前提であるが、そこでよき道筋が開拓され 新たな統治機構の発明へと移行するだろうと俺は想っている。 公共領域内でのチームRAJが目指す方向を示されない!で この切り出しは、ややり解りにくいのではないか? まあ「IT技術に乗って、実空間に積極的に出て行き活動する。そこで作りあげられた新しい仮・共同体=応答都市内では 個々人の意見が更新され続ける。さらにそのネットワークに基づいた活動が、最良の統治機構を探し出し 構築改良され続けるはずだ」という立ち位置と解しておこう。俺好みの自生的秩序論にしてしまったが、我田引水である。チームRAJのメンバーは建築主義者ではあるが 現状批判の先に、いかなる社会モデルを提示しようとしているのか判らない。 議論から脱線し 俺的建築界からみたチームRAJの魅力 ネットは幾ら書いても誰も止めないので、チームRAJの魅力を書いておく。藤村さんが強引に東工大関係者などを仲間に巻き込み活動しているチームRAJの魅力とは、多様な欲望を持つ人々の集まりが生み出す未知の可能性の魅力であり、多種多様な欲望をもった者が乗船する 宇宙船LRAJ号のエンジンは快調に動き出しているが行く先が示されない。 めざす先は建築的御山の天辺?、はたまた海底深くの建築的竜宮城か? または暗黒の宇宙空間そのものなのか? それが示されないで動き出している面白さである。 安直な状況の社会を救うという小さな目標でもあるまい。そのような未知なる魅力がある ○次に藤村龍至さん自身は議論好きのアトリエ系建築家 。渋味を極めつつ先をうかがっている藤井亮介さんは坂倉建築研究所。俺と対極にある都会人でかつリッチ道をひたひたと歩む伊庭野大輔さんは日建設計。言葉や漫画の使い手にみえる松島潤平さんと本瀬あゆみさんは 隈研吾建築都市設計事務所。とそれぞれ組織事務所に所属している建築家。苅谷悠三さんは建築界を経て本を編集制作している。山崎泰寛さんは建築ジャーナリズムへ所属しいるが、東工大の関係者ではなく唐辛子のような味を加えている。それらの人間模様が魅力的である。 ○建築家の種類は 俺のような瘋癲的インテペンデ志向者から、数人で構えるアトリエ内建築家。 小〜大に至る組織事務所内建築家。施工会社内建築家。アカデミズム内建築家。役所内建築家 など多数の人種が存在しいてと思われる。しかし年齢や組織を越えた交流や配置交換可能の追求は行われておらず、もっぱら派遣社員にて他力。他律的に建築家自身が移動させられてしまっている。建築家の貧困交流しかないのではないか?今。 仲良し部活的であり同じ大学卒業がつくりだす強固な境界の存在の善し悪しはあるものの 現実にある建築家の貧困交流を変えようと自らが社会に出向き仕掛けている積極性が 第三の魅力である。 まだ他大学卒の建築家が共に手を携えてイベントやフリーペーパーや本を社会に投機するまでには至っていない。 ○各種建築家が参集するローカルな組織は建築学会、建築家協会、建築士会などある。それぞれに優れた組織ではあるが巨大化と官僚化がすすんで硬直している。走り出した若者建築家に自由な活動が与えられる場ではないく 大人の社交の場であろう。大人の場であるから、 若者から眺めればその場は硬直し未知の魅力は無いように見えるだろう。そこで若者たちは数人で引き籠もって温い関係作りにいそしめばし好いが、面倒なので たった一人籠で引き籠に至る状況も生まれよう。 身銭をきっての活動に対して 大きな組織をたて予算をたっぷり確保し行動する大人から観れば ガキの仕業でのようであろうチームRAJの活動は「勝手メディア」とか「部活なんだねと」解されてしまう 可能性をはらむ。覆すためにはチームの継続性と 今後の実績と領域の拡張と予算の確保が必要だろう。そこでは 大人的コミュニティーを変革させる可能性を持っている。その点が第四の魅力である。 今は大人の領域での発言は無視して勿論よいが、そのことで自己・内部崩壊を加速させないよう願いたい。 俺・個人からみたチームRAJの面白さにつて 同世代の建築関係者に仕掛けたチームRAJの魅力は、承認されつつあるが、俺の様なオヤジ・田舎の独り者・野良犬的建築家に向けたフットワークのよさを持っている。個人で問いを発してもチームが押しかけてやって来る面白さは他にはあまり知らない。かって大島哲蔵さんが大阪の建築的若者を引き連れて何度も福島にやって来た例以外に自主的な押しかけ建築関係者を知らない。 押しかけ来る実例を示そう。2008年1月26日にINAX銀座にて行われたLRAJ(らいぶ・らうんど・あばうとじゃーなる)に偶然紛れ込でしまった俺は彼らに向かって「お前ら何なの?」問いを発してしまったところ、2週間後の2008年2月10日に4人一組が福島までやって来て、2日間ワイワイしまくった。 俺が問いかけたからでもあろうが、個に向けた動きの早さは偶然だったのか?そして個に向けた動きも継続されるのか? それらはもう少し時を待たねば判らない。 大阪での活動内容を観て思ったのは「巧すりぎるんじゃないか!」だ。 チームRAJの一年間の活動は、彼ら自身を鍛え上げた。はたして貯えられつつある 活動力は権威主義に回収されはしないのか?。もまだわからない。 チームRAJの2008年の課題を振り返る 福島で討議された結果 チームRAJのの2008年の課題内容の記録があるので参照にしつつ、今後のチームの活動を 観察栽培しようではないか。そのとき話された主な課題を羅列しておく。 (俺の2008の課題を示す) 都市に出る。(建築的権力を捨てるために路上へと活動場を移動) 議論の雛壇をつくる。 同世代とやっていく。 ポスト近代のやり方で社会を救う。 お互いの目的の違いを形式においてまとめていこう。 形式の上にお互いの色々な目的が並んでいる 形式をつくってハードルを下げる(境界を溶融させる) 7つほどの課題が上げられていた。活動の成果はともあれ、大方は実践されている。1995年以降という(インタビュー集)本もだされた。 新たな課題も見えてきているはずだが いずれ集合し各自の2009年の課題を聞かせていただきたいと思っている。 以上 脱線 終わり ■ 当日の議論の雛壇の中身へ 開始早々30分ほど 藤村さんが今までのチームRAJの活動を簡潔に説明した。それはフリーペーパRAJーVOL1〜9についてのこと。 チームの各人が置かれてい位置づけについては 都市の表層と深層を受け持つ アトリエ系建築家と組織事務所内建築家の役割分担としての アイデアとスピードの対立があり 都市内の建築的状況が進展してきそこに関わっているとの事。続いてアトリエ系建築家の藤村さんの建築的作法の解説。最後にフリーペパー発行の回を重ねるごとに議論のフレームが生成されていることが明らかにされた。 大阪での議論が開始されるのだが、2009年ライブ・RAJの今年の議題設定である「アーキテクチャー」という概念について ローレンス・レッシグを参照し、規律訓練型社会から環境管理へと激烈に移行する社会であるが、環境管理から環境管理ともいえる様な社会の深層に在るアーキテクチャーとは何か?。そのような状況下ではどように活動が可能なのか?などを、建築系に引きつけ解説が行われた。 (ネットよりの絵 レッシグ) 最後に今日召還した講師各人の特質や位置づけについて簡単に説明が行われ、各講師陣の話へと進み 議論まえの藤村さんの説明が終わる。 ■アンケート用紙の特徴の順にすすむ 議論会場でアンケート用紙が渡されたが、チームRAJ・SPACESPAECE・柳原照弘・dot architets・山崎亮の各講師陣に対しコメントが求められている形式があらかじめ作られていた。よいアイデアである ●spacespace3人のチームの中から香川貴範さんがこのチームが目指しているヒューマンスペースについて熊本駅西口こんぺ案と群馬県情報センタ案にて具体的に解説される。 08年 インタビュー記録へ ● ISLATION UNIT 柳原照弘さん建築家でない立場を考えながら仕事の可能性を追求しているとで、建築家・デザイナー・ラウンドスケープの関係者が同一のテーブルで話せる可能性についてしめされる 08年インタビュー記録へ 07年 建築あそび記録へ ● dot architetsは現在は3人のチームであるが作る人でもあり使う人でもあり、ユーザーでなく、作り手でもないと語る。目指すは作らないで作る 作り手と使い手が超並列に在る様は可能か?と自分自身にも会場の人にも問いかけていて 危険きわまっている。 会場では残念ながらユーザも作り手も共に入れ替わってしまう可能性をもつ状況を稼働させた中で 何時・誰がどのようにして建築として定着させるのか? かれらが持つ魅力あるその問いは語られずじまいであった。住宅だから可能なのだという語りは建築の概念拡張を試みる場にあっては害でしかないと思った。 08年インタビュー記録へ ●syudio−L 山崎亮さんによって建築的アーキテクチャーとコミュニケーションのアーキテクチャーの特徴などが語られ、相互乗り入れにて 楽しい状況を作ることが好い!そこでこそ可能性があるのではないかと示された。建築的アーキテクチャーは壁とか床とか天井だとはいうがもっと深い層にもあるあよと、受けとめ以下を書き進める 一巡しそこから議論が解かれ始め あっという間に修了の時間となる 建築的アーキテクチャーとコミュニケーションとアーキテクチャーの循環交流が促進される豊かさは想像すると楽し事態ではあるが 建築的権力の中で育てられてしまった建築関係者にありがちな楽観論である。とりあえずは 大阪で生まれた新たな議題設定として好い結末でもあった。藤村さんは後日日記にて下記のように書いている 「アーキテクチャ」という概念のもと考えられるのは、デザインというコミュニケーションの形式に、人々のコミュニケーションやアクティビティを誘発する形態を生み出す契機があり、デザインとユーズの循環的な関係が隠されているということだ。そのことが今回の議論でよく見えてきた。そのことこそは、濱野智史さんがいうようなwebの生態系から建築が学べること、あるいは建築という伝統的な社会システムが思い出すべきことなのではないか ■立ち上がる次なる課題 2つのアーキテクチャーは まだまだ、理解租借されたうえでの実践例が無い そのなかで議論中に提示されていた「アーキテクチャー」を構築するに場に至るような役割は建築家に廻ってこないのではないだろうか? さてどのように建築関係外の社会とコミットし建築関係者はその場を獲得しようと道を拓いていくのだろうか?それらが次なるチームRAJの課題として立ち上がったわけで、とても佳い事態だった。 上流派からか始めるか下流派から始めるか?という 話し合のありようは 囲い込まれた中での話なの でつまらなかった 次にチームRAJの活動については刮目・注目されたのだが! 出版されたばかりの本の中身については語られない! この状況は 腑に落ない、余りにも受動的な会に成っていたのかもしれない、確かめなかったので推測である。 2010年の ラストLRAJは大阪と東京で同時開催にてフリーペパーを同時発行するのだと宣言されていた 本当にやる気なのだろうか!?! ■ 質疑応答の中見えた問題 多数の質問が出て盛んな応答があったのだが、一つだけ気になったので書いておく。 市民参加型の民主的な討論の果てに獲得される建築は平均値的なものになる。新しい空間と見たこともない建築が出来にくくなるのではないか? 問いかけにモダニズムの病ではないのか!と切り捨て、関わった者の力量の無さがそうさせると返していた。 会の終了と同時に会話の回路をひらいておくためにと 釈明に行く行為は理解しがたい。 新しい空間と見たこともない建築は可能か?という問いは成立しない。それが可能であれば建築とは称しないだろうから 見たこともな!と思わせる建築は不可能である。同様に新しい空間も不可能である。各概念を拡張した後、それらの事象は建築のなかに取り入れられ建築になってしまうので、何時までも新しい空間や建築に出会うことはないのだからだ。 あくまでも建築内部にあって概念を拡張しようとする行為の中にもしかするとその可能性のありかが手渡されるのではないだろうか。 俺は建築と人間の交流の場とそこから生まれ出る言葉にのみ興味があるのである、質問の様な疑問は持った事がなかった。 やれやれ 建築が生み出す建築的権力の暴力を思い出してしまったではないか。 ■ 懇親会の様子 INAX大阪 2Fにて INAXの関係者の皆様いつもご支援ありがとうございます 感謝! ■ 二次会はレストランで 今井敬子さん 左今栄亮太さん右 丸山寛文さん 細野大二郎さん 島田陽さん 川久保将大さん ■ 三次会は柳原さんの事務所で このような事にて真夜中までワイワイが続いたのでありました チームRAJの皆さん 大阪の皆さん本当に ご苦労さまでした! 心より皆様との出会いに感謝申し上げるしだいです 以上 佐藤敏宏が体験した大阪での主な内容です ■ 参考資料 呼びかけ文 (コピーする) ローカルな領域で生まれた活動はダイナミズムを失わずにグローバルな広がりを作れるか タイトル:ROUNDABOUT JOURNAL 公開ディスカッション テーマ:続・手の内側 日時:2009年3月7日(土) 15:30開場16:00-18:00 懇親会18:00-19:00 会場:INAX the TILE space(四ツ橋) ゲスト:SPACESPACE, dot architects, 柳原照弘、山崎亮 モデレート:藤村龍至, TEAM ROUNDABOUT 藤村さんブログより LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009にて、大阪より殴り込みを掛けて頂いたdot architects, 柳原照宏さん、山崎亮さんに加え、「若手建築家のアジェンダ」にもご登場頂いたSPACESPACEの香川貴範さん、伊藤立平さんにも加わって頂き、議論の延長戦をやろうと思います。白熱間違いなし。あいにく「卒業設計日本一」と重なりますが、卒業設計はとっくに卒業された皆さん、「けんちくの手帖」でご興味を持って頂いた皆さんは、ぜひこちらにどうぞ。fujimura |