報告・感想・ひとりごと

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『くわな史跡めぐり』を読んで16/10/8

 桑名市から『くわな史跡めぐり』というガイドブックが刊行されました。これは平成3年に発行され、その後長らく絶版になっていた『志るべ石−桑名史跡めぐり−』の改訂版として出版されたものです。
 内容は平成16年に多度町、長島町が桑名市に合併されたのに伴い、それらの地域の史跡が新たに加えられました。史跡の配列は主要街道沿いを幹とし、ぞれぞれに脇道コースを設定しています。
 
また、武家関連や建造物や天然記念物、文学・文化、それに祭礼に関する史跡についてはそれぞれ特集コーナーを設けて紹介しています。

 各史跡の解説は全体の史跡数が増えたためか、総じて旧版よりも簡単で少し物足りない感じがします。寺院に関しては宗派を記して欲しかったと思います。桑名城跡については最近の研究成果を取り入れてかなり詳しく紹介されています。

 地図は1:2,500現況図をベースに各史跡をプロットしたものが随所に付いていますが、旧版と同様に距離スケールが入っていないので距離感がつかめません。また東海道は道順の流れを重視したためか、一部に天地逆のベース地図の上に表示されている図版があるのは違和感を覚えます。

 写真は新たに撮り下ろされたものがほとんどですが、中にデータの古いものも混ざっているようです。考古史跡の発掘当時の写真は貴重ですし、適所に入れられた古地図のクローズアップ写真は良いガイドになると思われます。しかしレイアウト面で写真のキャプションなのか本文のタイトルなのか紛らわしい部分があったり、本文に校正ミスも散見されます。史跡ガイドブックでは重宝する索引が貧弱で、使いにくいのも残念な点です。

 また、「はじめに」とか「あとがき」など編纂者の言葉や思いなどがどこにも記されていません。わずかA5版200ページのガイドブックと言ってしまえばそれまでですが、どこかに編纂者の顔を見せて欲しかったと思います。それと桑名市発行の出版物であるのに最近の市のキャッチフレーズ「本物力こそ桑名力」のロゴマークが入っていないのはどうしたことでしょう。

 この冊子は市役所総務部文化課のほか桑名市博物館、石取会館、六華苑で1冊1,000円で頒布しています。


北山C遺跡第6次調査現地説明会報告15/11/4

 10月31日、桑名市志知の北山C遺跡現地説明会に行ってきました。三重県埋蔵文化財センターの発掘調査で今年で4年目の調査です.。今年度は昨年の調査区の南縁に張り付く細長い調査区で新たに古墳時代中期の古墳14基が見つかりました。

 これまでの調査結果を合わせると55基という北勢地方屈指の数を誇る古墳群になりました。これまでの調査では古墳群の西側に円墳、東側に方墳が分布する傾向が見られましたが、今回の調査によって東端にも円墳が確認されたため、この古墳群での形の違いは何を意味しているのか謎が深まりました。多くの古墳は後世の耕作により墳丘とともに埋葬施設も消滅していました。これまでの調査で埋葬施設が残っていたのは2基の方墳だけでしたが、今回円墳の埋葬施設が1基見つかりました。その結果、円墳と方墳のどちらも、細長く掘った穴に直接、木棺を安置して埋める方法がとられていることが分かりました。

 遺物は、古墳の周溝から須恵器の甕、ハソウ、坏(ツキ)、土師器の甕、、高坏などが出土しました。当初、この北山C遺跡は古墳時代の住居跡だと考えられていましたが、掘ってみたら大規模な中期古墳群だということが分かりました。それではこれだけの多数の古墳を築いた人たちはどこに住んでいたのかという問題が出てきます。昨年までの調査で副葬品にヤリカンナ、刀子、鎌などの鉄製品や良く使い込まれた砥石なども出土しているようで、古代の大鐘郷も近いので鍛冶集団の墓域なのかも知れません。

 この遺跡の調査は新名神高速道路の建設に伴うもので、昨年の調査区の部分は既に山が掘り下げられ、工事が着々と進んでいました。場所は桑名西高校の西側で、来年にはこの辺りの景観は驚くほど変貌していることでしょう。
写真はここから

伊勢一の鳥居の建て替え15/6/3

   
 お木曳きの様子  地面で組み立てられ起立した新鳥居

 6月2日、七里の渡し場跡に建つ伊勢一の鳥居が建て替えられました。一昨年の伊勢神宮の式年遷宮に合わせ、内宮の宇治橋北詰に建っていた鳥居の古材を譲り受けて20年に一度の建て替えです。古材と言っても桑名市内の寺社建築会社で寸法の調整を行い、表面に鉋をかけて白木の地肌を出したり、地中に入る部分に銅板を巻いたりして新材同様に蘇らせたものです。

 この鳥居の柱は平成4年から24年までの20年間、外宮正殿の棟持柱として使われていたものです。今回は桑名で「全国山・鉾・屋台保存連合会総会」が開催されたこともあって、伊勢神宮から奉曳(ほうえい)車を特別に借り出し、石取祭車も加えて5月31日にお木曳きを開催し市内を練り歩きました。
新しい鳥居は柱の基礎が固まるのを待って6月7日(日)午前10時から竣工式が行われます。

なお、今年は桑名では東海道筋の城南神社の鳥居も内宮の第一鳥居を、赤須賀神明社の鳥居も瀧原宮の鳥居を譲り受けて新しくなるようです。

諸戸徳成邸の保存へ朗報15/2/18

 消滅が危惧されていた諸戸徳成邸に対して桑名市が調査事業費を計上することになりました。
諸戸徳成邸は二代目諸戸清六が本邸(現在の六華苑)の別邸として、大正末から昭和初期にかけて桑名市東方(ひがしがた)の丘陵上に建てた敷地面積7,700uの邸宅です。和洋を巧みに取り入れた応接間のある主屋や、松尾流の流れを汲む複数の茶室などで構築され、丘陵の自然の高低差を生かした建物や庭園配置が特徴です。
 
しかし昭和の末頃から空き家となり老朽化が進んでいました。一時はマンション建設の話も持ち上がり、諸戸家と市で活用策を話し合ってきましたが、市は財政難から方針が定まらず、存続が危ぶまれていました。
 
そこで、市民有志で「諸戸徳成邸の保存活用を考える会」を組織し、シンポジウムやウォーキングの開催などの啓蒙活動を続けてきました。今日の新聞報道によると、市は土地鑑定と保存活用方法について調査するとしています。買い取りに向けての準備だと思われます。
 
 徳成邸が保存されることになれば、桑名の近代化に貢献した諸戸家の明治(諸戸氏庭園)、大正(六華苑)、昭和(徳成邸)の遺産が桑名に残ることになります。徳成邸の近傍には明治中期に建設された「諸戸水道貯水池遺構」もあり、これらの遺産をどのように連携して活用することができるか、「考える会」の一員としても夢が膨らみます。

アクセスカウンターが30,000になりました15/1/5

明けましておめでとうございます。
リンクをはらせていただいている「北伊勢の道標」さんから「桑名歴史案内」を開いたらアクセスカウンターが30,000になったよとの連絡をいただきました。
最近、他の仕事にかまけてHPのメンテもおろそかになっていたのでアクセスカウンターの数もあまり気にとめていませんでした。年が明けたとたんに3万件になったとはうれしい限りです。

思えばこのサイトを開設したのは14年前の春でした。それ以来、訪れていただいた方が3万人という数を多いと捉えるか少ないと考えるかは難しい問題ですが、
これからこのHPも桑名の歴史や史跡を紹介するサイトとしてさらにきめ細かく充実していきたいと思います。

さしあたって悲願である多度・長島の史跡の紹介をしなければなりません。長島については既に裏口から工事現場を覗かれた方もお有りかも知れませんがほぼ完成しつつありますので近々公開できると思いますどうぞご期待ください。

北山城跡・中野山遺跡発掘調査現地説明会報告14/10/7

 10月5日、四日市市北山町地内の発掘調査現地説明会に行ってきました。先の北山C遺跡に続く新名神高速道建設に伴うもので、平成22年度から行ってきた調査の最終年度です。
 調査面積は、2つの遺跡を併せて合計61,000平方メートルにもおよぶ広大な範囲で、この調査によって、縄文時代から奈良時代の住居跡が約380棟見つかり、複数の時代にわたって丘陵が利用されてきたことがわかります。

北山城跡遺跡
 北山城は文献史料にも登場しない中世の城館ですが、工事区域内にこの城に伴う遺構があるのではないかと思われました。しかし掘ってみると城館の時代よりも古い弥生時代後期〜古墳時代前期の竪穴住居約70棟、掘立柱建物2棟が見つかりました。これまでの調査を含めると、弥生時代〜古墳時代の竪穴住居は120棟を超え、北勢地方最大級の集落遺跡であることが明らかとなりました。今回の調査では、多くの弥生土器が出土しています。

中野山遺跡
 北山城遺跡とは谷を挟んで隣接する遺跡で、今年度の第14次調査では古墳時代後期〜飛鳥時代の竪穴住居10棟、掘立柱建物10棟が確認されました。これまでの調査を含めると、縄文時代早期の煙道付炉穴が173基見つかったほか、縄文時代から奈良時代までの住居跡が265棟見つかっており、この地では複数の時代にわたって生活が営まれていたことがわかりました。

台風18号の接近により開催が危ぶまれましたが、幸い午前中は小雨で、傘を差して見学することができました。しかし午後になって雨は本降りとなり、間一髪の現地説明会でした。道路建設は遺跡の周辺まで進んできており、本日が遺跡の見納めとなりました。
(写真は中野山遺跡での説明風景)
その他の写真はここから

北山C遺跡第5次調査現地説明会報告14/8/31

 8月31日、桑名市志知の北山C遺跡現地説明会に行ってきました。新名神高速道建設に伴う発掘調査で昨年に続く調査区ですが、新たに方墳24基、円墳1基、土壙墓・木棺墓17基が見つかりました。いずれも後世の耕作により墳丘は削平されていますが、平成23年度からの調査で古墳が45基となり、北勢屈指の古墳時代中期の古墳群であることがわかりました。
 今回は周溝から円筒埴輪や家形埴輪が出土したり、大量の石が見つかったりしていることから葺き石を持つ古墳もあったようです。埋葬方法は木棺直葬のようですが土壙墓・木棺墓については割竹型木棺の周りを粘土で固めたり、底に砂利を敷いたりバラエティーに富んでいます。また古墳と土壙墓・木棺墓が同居しているのも特徴のようです。

 現地は員弁川と朝明川に挟まれた標高60mほどの段丘上で、これらの暮域に葬られた人たちはこの段丘上に住んでいたのか、川の近くに住んで暮域を山の上に作ったのかはわかりません。
また昨年の調査区でもそうですが、刀子や鎌・鏃などの鉄製品そして砥石など金属加工に伴う副葬品が多く出土していることも特徴で、後の大鐘郷に結びつく人達の暮域ということも考えられそうです
写真はここから

員弁川右岸丘陵上に古墳24基出土!桑名志知北山C遺跡現地説明会報告13/12/17


 12月15日、桑名市志知の北山C遺跡の現地説明会に行ってきました。冬型の気圧配置で時折りみぞれ混じりの冷たい雨が降る中、約70人程の参加がありました。場所は桑名西高校の西方の台地上で、やはり新名神高速道路建設に伴う発掘で、三重県埋蔵文化財センターが昨年度から4回に分け発掘調査を行ってきました。


 今回公開されたのは第4次調査の現場ですが、古墳時代中期の方墳が13基見つかりました。第1次から第3次までの調査で円墳6基、方墳5基が見つかっていますから合わせて24基の古墳群になります。残念ながら後世の耕作などにより墳丘は消滅し、大半は周豪だけですが、埋葬施設が残っているものもありました。この遺跡は四日市市と桑名市にまたがる遺跡で、これまで弥生時代後期と古墳時代後期の集落跡と考えられてきました。ところが蓋を開けてみると桑名市内では初めての古墳群の発見ということになりました。
 周濠からは県内では初めてという現代の調理器具のボールの形にそっくりな須恵器の鉢が見つかっています。そして現地説明会の直前になって調査区の隅から剣、刀、鎌などの鉄製品を副葬した土壙墓が新たに見つかったそうです。この遺跡は来年度も東の方に延伸して調査を進めるそうなので古墳の数はさらに増える可能性があります。写真はここから 

縄文時代の埋甕の中から勾玉出土!四日市小牧南遺跡現地説明会報告13/10/29

 10月27日、四日市市小牧町の小牧南遺跡の現地説明会に行ってきました。場所は前回の中野山遺跡・北山城跡から朝明川を挟んだ対岸の丘陵上で、やはり新名神高速道路建設に伴う発掘で、三重県埋蔵文化財センターが今年の6月頃から調査を行っていました。この遺跡は約4万5千平米にわたる広大な面積を持っていますが、今年はそのうち約7千平米の発掘だそうです。

今回の発掘の目玉はなんといっても新聞で報道されたとおり、縄文時代の埋甕の中に納められた勾玉が発見されたことです。
死者の埋葬に伴うものと考えられ、県内初だそうです。甕はまだ取り上げず地面に埋めたままになっていました。また縄文時代中期の堀立柱建物が6棟、竪穴住居が2棟、集石炉1基が出土しています。縄文時代のまとまった集落跡の出土は北勢地方では珍しく、先の中野山遺跡の前期の煙道付炉穴群の出土と共に、この地域の縄文時代を考えるうえで重要な遺跡となりそうです。

 そのほか弥生時代後期から古墳時代にかけての竪穴住居が40棟も見つかり、S字甕も出土しています。この遺跡の発掘調査は来年度も続く予定で、しばらく目を離せません。今回も現地説明会は午前、午後の2回開かれました。小生は午前の部に参加しましたが300人近い見学者がありました。 写真はここから

縄文時代の炉穴130基発見!中野山遺跡・北山城跡現地説明会報告13/10/9

 
 10月5日、四日市市北山町の中野山遺跡・北山城跡現地説明会に行ってきました。現地は員弁川と朝明川に挟まれた丘陵上で四日市市とはいっても桑名市と東員町の境界にも近い所です。新名神高速道路建設に伴う発掘で、三重県埋蔵文化財センターが2010年から調査を行っています。現場は4万平米にわたる大規模な遺跡で縄文時代から古墳時代にわたる遺構が見付かっています。今回の発掘のトピックスは縄文時代早期の煙道付炉穴(えんどうつきろあな)が130基も見付かったことです。これまで三重県内での発見は中・南勢方面が多く総計60基余りでした。北勢地方で一挙にこれだけの出土は驚異的です。また縄文時代早期の押型文土器の破片が出土しました。また伊勢神宮の社殿の原型になるような弥生時代の近接棟持柱建物が見付かりました。古墳時代の遺物では鉄サイ(鉄を溶かした際に出る屑)や赤い×印の付いた須恵器が複数見つかり鍛冶集団との関わりがうかがえます。北山城跡は土塁の平坦面が確認できましたが、今回の工事区画内で見付かったのは弥生時代後期から古墳時代初頭の竪穴住居でした。小生は午後に参加しましたが、新聞で大きく報道されたためか、午前中170名、午後80名ほどが見学に訪れました。
写真はここから

弥富ふるさとガイドと歩く「明治の東海道と近代化遺産」に参加して13/7/29

 県外の行事なのでイベント情報に掲載しなかったのですが、7月28日隣町の愛知県弥富市で開かれた標題のウォーキングに参加しました。これは弥富市の歴史民俗資料館と隣の愛知県埋蔵文化財調査センターの共催で開催されたウォークです。朝9時に事前に申し込んだ20名ほどが集まり、今年結成された地元のガイドさんと資料館の学芸員の案内で巡りました。ウォークと言っても資料館の周辺約3Kmほどを歩く史跡散歩です。この辺りは木曽川下流部のゼロメートル地帯ですが資料館は周りよりも小高い自然堤防上にあり、この堤防が明治時代の東海道になっています。コースは蓮如堂→ふたつやの渡跡→子育て地蔵堂→筏橋→竹長押茶屋→尾張大橋緑地公園→立田輪中人造堰樋門→六門橋→山口誓子句碑→埋蔵文化財調査センターで時間はたっぷりあったのですが参加者が地元の人が多く、説明にいろいろと合いの手が入ったりしてたっぷりと3時間かかりました。最後の埋蔵文化財調査センターでは9月1日まで「あいち考古樂市2013」が開催中で埋文センターのこの世界では名の知れたそうそうたる先生方から展示品の丁寧な説明がありました。
ウォークの写真はここから
あいち考古樂市2013の詳細はここから(愛知県埋蔵文化財調査センターのHP)

「馬と千代吉〜多度上げ馬神事再興余話〜」を観て13/2/3

 イベント情報に掲載しなかった行事なのですが、2月2日桑名市民会館で開催された劇団すがおと桑名演劇塾の「馬と千代吉〜多度上げ馬神事再興余話〜」の公演を観てきました。南北朝時代に始まったといわれる多度神社(現多度大社)の上げ馬神事の再興を長島一向一揆の惨劇に巻き込まれた一人の男の子と馬との触れ合いを通して描いた物語です。

 脚本は名古屋在住の木村繁氏で、多度、長島の町史等の歴史資料を読み込み、実際に街を歩いて構想を練ったそうです。長島一向一揆の説明によく登場する木曽三川下流部の古図を物語の進行のキーに利用して、多度の民話で語られる川の底に沈められた多度神宮寺の鐘の音で長島願證寺門前の往時の光景を幻想的な回想シーンとして登場させたり、伊勢音頭をフィナーレに用いるなど意欲的な構成・演出になっていました。

 キャストは少ない人数を掛け持ちで回しているようでしたが、いづれも熱演で特に桑名演劇塾の子役が頑張っていました。劇団すがおは今年が創立50周年だそうです。アマチュア演劇団が50年も続き、このような郷土の歴史をテーマにした演劇を上演できるなんて桑名の文化力もまんざら捨てたものではないと思いました。

 なお、この公演の様子は桑名市多度地区、朝日町、川越町のCCNetのケーブルテレビで3月15日まで毎日AM11:00とPM4:00から1時間番組として放映されるそうです。

『桑名の戦争遺跡』の上梓12/8/6

 このたび小生の所属する「しるべ石勉強会」が標題の冊子を上梓しました。この本は桑名市内に散在する戦争遺跡を悉皆調査したものです。市内にはついこの間まで戦争の痕跡を留める建造物などがここ彼処に見られましたが、今ではそれらの多くは消滅したり建て替えられたりして、忘れ去られようとしています。今のうちに少しでも残っているものを記録に留め、後世に伝えたいと思い編纂しました。ここで言う戦争遺跡とは時代を明治維新から第二次世界大戦までとし、各所に残る慰霊碑等も取り上げました。

 「しるべ石勉強会」とは郷土史家の西羽晃さんを中心として桑名の歴史をあらゆる角度から勉強している6人のグループで、毎月1回定例会を持って、しるべ石の「たづぬるかた」、「おしゆるかた」の伝言板のように訪ね合い、教え合っています。

 そんな我々が5年間かけて編纂したものです。この冊子には桑名市内と周辺の木曽岬町を駆けずり回って探し出した73件の戦争遺跡をカラー写真と地図を付して紹介している他、長島町で撃墜されたB29を目撃した人の手記や、会員の桑名空襲の体験記や当時の新聞記事なども収録しました。
購入方法など詳細はここから
郵送申込先はここから

『町衆の黄金時代を築いた 桑名米穀取引所史』の紹介12/3/19

 桑名の郷土史家、西羽晃さんがこのほど『町衆の黄金時代を築いた桑名米穀取引所史』という小冊子を出版されました。
 この本は桑名米穀取引所の最後の理事長水谷吉兵衛が昭和12年頃に著し、西羽さんの手元にコピーが保存されていた手書き原稿「桑名米穀取引所史」を活字化して当時の新聞記事や、統計書、解説などを付けてまとめたものです。

 桑名は木曽三川の河口に位置しており、古くから舟運を利用した物資の集散地として栄えました。そのうちでも米は主要商品であり、米の取引所が天明4(1784)年に開かれ、昭和6(1931)年まで約150年間続きました。特に明治時代は最も活発な時期で、桑名の米相場は全国から注目され、この時期に桑名の町衆たちは米相場で財産を蓄え、桑名の町づくりに寄与してきました。

 この本はその中心となった取引所の発展から終焉までの様子をその間に身を置いた人の目で克明に綴った記録です。
A4判63頁 定価500円(税込み・送料別)、
販売先は新光堂書店本店(桑名市田町22)電話0594-21-2521、
新光堂書店アピタ桑名店(桑名市中央町3-21)電話0594-23-1898


「四日市宿と東海道・参宮道」を観て
11/11/11

 11月10日、四日市市立博物館で開催中の「四日市宿と東海道・参宮道」を観てきました。
多くの旅人で賑わった東海道や参宮道の様子を、四日市宿を中心に紹介した企画展です。 先ず入口を入ると、日永の追分に今も建っている大きな道標と、今は日永神社に移されているそれ以前の道標の原寸大のレプリカがお出迎えです。大きな道標は嘉永2年に桑名の尾張屋文助が建立したもので、その際、地元の庄屋が奉行所へ提出した文書と図面が展示されています。

 この展覧会の趣旨書きにも書いてありますが、四日市は戦時中の空襲や伊勢湾台風で昔の文書が残っていないと言われてきたが、実際には相当程度の史料が残っているのだそうです。
 四日市には二つの本陣があって、その間取図や一番本陣であった清水家に残る宿札や、吉良上野介やケンペルが宿泊した記述のある大福帳などが展示されています。

 また、宮まで海上を渡る際に桑名を経由せず四日市宿から直接渡海するケースが増えたため、桑名宿の伝馬役や旅籠屋連が道中奉行に訴えた訴状や、これに対する判決文も見ることが出来ます。このほか平成11年に発掘された四日市代官所跡から出土した考古史料も展示されています。

 さらに天井から神宮のお札が降ってくる様子をディスプレイした「おかげまいり」の紹介コーナーもあり、お札の実物や柄杓、旅の道具など、そして各地の名所図会や名物にもここで出会えます。

 また、出口には手っ甲脚絆などの旅装束を実際に身に付けてみたり、籠を担いでみることの出来る試みもあります。
 古文書も多いこれだけの内容の展覧会なのに図録が作られていないことが惜しまれます。せめて出陳目録ぐらいはネットによる開示ででも必要ではないでしょうか。

 会場の随所には「展覧会を拾倍楽しむ豆知識」と題するシートが置いてあり、これがなかなか充実した内容で、江戸時代をより深く知るための知識がたくさん盛り込まれています。学芸員の図録を作るエネルギーがむしろこちらに注がれているようにも思われました。このシートは毎週火曜日発行で、展覧会の後半になる程シートの数が増えることになります。
(12月4日まで(月曜休館)
 なお、この展覧会に付随して、12日午後2時からは「四日市の東海道・参宮道」と題する学芸員による講演会が開催されます。

「下級武士の米日記」を読んで11/6/23

 平凡社新書から表題の本が出版されました。
 著者はここ数年間、桑名の公民館で両日記の解読講座を担当されている加藤純子先生です。加藤先生は地元の桑名高校や四日市高校で国語を教えておられた方です。

 内容は「桑名日記」、「柏崎日記」を元に米と関わる現場業務に携わった桑名藩士(下級武士)の仕事や暮らしぶりを考察したものです。
 喜怒哀楽に満ちた下級武士の日常をそれぞれ百万字以上にもわたる饒舌な程の口語体で記された日記の中から、検地・検見、公事方(裁判)など藩役人としての仕事、城内の米倉業務の様子、近所付き合い、子育て、病気、行楽などのテーマを設定し、該当する箇所をパッチワークのようにつなぎ合わせて考察しています。

 これによって江戸時代後期の武士社会の仕組みや庶民生活の様子がリアルに浮かび上がってきています。また筆者が言うように米というものが藩の財政の基盤だけでなく、侍の生活の隅々まで影響を及ぼしていたことがわかります。
 この本は3年間にわたる桑名での講座の集大成としてだけでなく、この両日記に初めて触れる人にとっても是非翻刻本を読んでみたいと思わせる内容になっています。

 発売は6月15日だったのですが、お膝元の桑名には配本が少なかったようで、小生は市内の書店3、4件を探してやっと手に入れた次第です。
 おそらく本屋は平凡社の新書なんて地方では売れないだろうとの取り次ぎの判断をそのまま受入ているだけで、よもやこの本の著者が桑名在住の人とは知らない結果だろうと思います。本屋の情報力、眼力の不足がよくわかります。これでは全国何処へ行っても売り場がベストセラーとコミック誌であふれかえるわけです。

三重県立博物館移動展示「くらしの道具いま・むかし」を見て11/1/28

 1月28日、多度ふるさと文学館で開催中の三重県立博物館移動展示「くらしの道具いま・むかし」展を見てきました。この展示会は県立博物館に収蔵されている民具や少し前の時代の道具を衣、食、住のテーマで分け、その材質の変化、形の変化といった視点から紹介するものです。火熨斗や竿秤、階段箪笥や戦前の学校の机、ブリキ玩具、手回し式洗濯機など珍しいモノ、懐かしいモノに出会えます。

 おもしろいのは会場に入るとプロローグとして水を汲む道具の変遷として木の手桶が展示されていて、出口の所でエピローグとして道具から学ぶ先人の技術とデザインとして桶職人の道具を紹介するという味な展示になっています。また多度町内の小学3年生の「昔の道具」についての調べ学習の発表の場ともなっていて、それがメインのテーマと絡み合いながらの展示構成になっています。

 しかし子供たちの調べ学習はともかく、博物館側のパネル説明が饒舌で読み進むのに大変な労力を強いられます。説明はこの半分でも良いのではないでしょうか。先日、この分野では全国的にも注目されていて、今回もそこの学芸員の記念講演も予定されている北名古屋市の歴史民俗博物館を見てきましたが、説明パネルは少なく、ほとんどモノに語らせる展示になっていました。もっともあちらは展示物の質・量とも並のスケールではないですが。

 今回の移動展時はどういうわけか何時になく、展示物の写真と説明パネルをそのまま収録した立派なカラーの冊子が調べ学習の分も含めて二冊も頂けるのですから、蘊蓄のある説明はそちらに譲っても良かったのではないでしょうか。

 それにしてもこれらの収蔵品が晴れて常設展示される新博物館の完成を待ち望みたいと思います。

2011年明けましておめでとうございます 11/1/1

新年明けましておめでとうございます。
 昨年はこのHPのコンテンツを増やそうと思いながら、日々の忙しさに押し流されて果たせないまま新しい年を迎えてしまいました。
 今年は開設10年目に入ります。また卯年でもありますので兎のような躍動感を持ってHPの運営を進めて行きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。