TopNovel短篇集・2 Top>真珠色の欠片・1


scene 3…

 

 

「あ、やべぇ! ……時間だっ!」

 ようやく辿り着いたと思った瞬間に、あっけなく身体を剥がされる。まくれ上がったTシャツと後ろのホックだけ外して肩に絡みついた下着を直しながら起きあがると、ベッドの脇で篤郎が背中を向けて身支度を整えていた。

「商店街の若い奴らとの飲み会、7時からだったんだ。言い出しっぺが遅れたら、どやされるぜ」

 あああ、頭の後ろ、跳ね返って寝癖が付いてる。おじさん臭いポロシャツもくたびれてるし。ずんぐりと肉付きのいい背中が、すごく中年臭いよ。これで今年成人式を終えたばっかだって言うんだから、信じられない。

「なあに? 予定があるのに、こんなことしてるの。あんた、配達の帰りだったんでしょ? いきなり人の部屋に押しかけて、何考えてるのよ」

 そんな風に突き返す私も、人のことをとやかく言える感じではないかも。

 先週かけたパーマは何だか強すぎて、ぐるんぐるんになってしまった。まるでお金と時間にゆとりのないおばさんが、たまに行く美容室で「強めにかけて」とお願いしたみたい。でも、やり直してもらいに行かない私。だって、頭が爆発していたところで、そう気にする人はこの町にいないもの。

「鍵はかけなくていいからさ。でも、玄関のドアはきちんと閉めて行ってよ? あんた、いつもケツ抜けなんだから」
 足元の方に丸まっていた下着とジーンズをきちんと履き直すと、私はさっきまで読んでいたファッション誌を手にした。そして、乱れたままのシーツの上にごろんと寝っ転がる。

 あ〜、疲れた。たまの休日、久しぶりに数字の羅列する書類から解放されてくつろいでいたら、いきなりこうなんだもの。全く嫌になる。

「……あ、そうだ。お袋から、伝言があったんだっけ」
 そんな台詞にふと顔を上げると、篤郎はコンドームの箱を私の机の引き出しに戻すところ。

 人の部屋にこうして色んなモノを置いていくのはやめて欲しい。セカンドハウスじゃないんだからさ。……ま、もっとも奴の方はそのつもりかも知れないわね。

「明日の日曜、ウチの店がお得意様感謝デーだろ? また手伝いに来て欲しいんだって。バイト代は弾むから、よろしくって言ってた」

 それだけ言い残すと去っていく間男みたいな奴。自分がやりたいときに勝手にやって来て、コトが済むとハイさようなら。

 ――ああ、こんな服、この前会ったときに彩音が着ていたっけ。

 スケスケの上着をふんわりと羽織ったモデルがにっこりと微笑むグラビアに、ふうっと溜息を落とす。その瞬間、バイクの走り去る音が耳に届いた。

 

◇◇◇


 残り物同士が仕方なく一緒にいる。私たちにはそんな肩書きがぴったりだった。

 あんな奴でも、多分、町内の人たちは全て、ウチの両親も含めて、私の彼氏だと思っている。まあね、ほとんどセフレ状態とは言っても、高校の頃からもう……ええと、5年も付き合ってることになる。

 うわあ、今数えてびっくりした。もう、5年……? 嘘でしょ!?

 

 小学校の頃からの腐れ縁。あの頃には他にも仲間がいて、男3人・女3人で6人組の仲良しグループ。でも、あとのふたりと比較して「何かな〜」と思うのが奴だった。

 すらりと長身で、こんな片田舎には似合わないほど格好いい修司は、女の子の間でも一番人気。大工の息子で口数の少ない健一は、それほど目立つ存在ではなかったけど、いつも一歩先を見てる大人っぽい雰囲気があった。何気なくおしゃべりしながら、それでも「あ、コイツやるじゃん?」って思うときがある。そんなふたりの影で、ずんぐりむっくりで幼稚な篤郎はひときわ情けなく見えた。

 まあ、それは奴も同じだっただろう。彩音はとっても美人なお母さんにそっくりで、ちっちゃい頃からとにかく目立っていた。黒目がちのいつも濡れている瞳に、サラサラした綺麗な髪。ほっそりとした印象なのに、女らしいラインはちゃんとある。玲香だって、すごく可愛くて、それに家庭的な感じがあった。手先も器用で、お菓子作りとか洋裁とかささっと出来て。いい奥さんになれそうだなーって思ってた。
 それに比べたらね〜、やっぱ私はワンランク落ちるかな? 仕切屋で「姉御」とか呼ばれていたけど、女らしいことはからきしだったし。クラスメイトからはオトコオンナとか陰口を叩かれてた。

 ……そう。篤郎とは正反対だわ。

 奴は甘えん坊で依存心が強くて。ひとりでいると寂しくて仕方ない。だから仲間を誘って、わいわいするのが好き。「遊ぼうよ」って言われると断れずに、あちこちに約束してしまって。「どうするんだよー」なんて責め立てられてあたふたしてるなんて、日常茶飯事だった。お調子者で、いつも勝手に騒いでいて。本当……、お呼びじゃないって感じ。

 

 それなのに、高校への進学時。気付いたら同じ学校を選んでいた。

 まあ、都会とは違って、選択肢の少ない田舎の高校。バリバリの進学校にそこそこの普通科、それから農業高校に工業高校、そして私たちは商業高校。私はバレーボールのスポーツ推薦だったけど、篤郎は一般入試。でも、別に私を追いかけて……とか言うんじゃない。奴の家が酒屋だからよ。店の跡取りだから、仕方なく選んだまで。

 小学校から中学校に上がるときは仲間がみんな一緒だった。いくつかの小学校がそのままくっついた感じだったから。それが、高校に行くと知り合いはぽつんぽつん。そうなると、やはり顔なじみに会うとホッとする。もともと甘えん坊な篤郎は何かと声を掛けてくるし、私も断る理由もなかった。

 ――けどなあ。それだけで、こんな風になって良かったモノなのだろうか。

 私は女としては発育が良くて、だから篤郎よりもちょっと背が高いくらいだった。ほとんど目の高さが同じ。まあ、子供の頃なら、それもありがちよね。ただ、奴の場合はいつまで経ってもそうだった。今だって、指摘はしないけど……多分、私の方が数センチ高いと思う。

 おしゃれなミュールなんて、絶対に履けない。それどころか、歩く姿が知らないウチに猫背になっているって母親に言われた。「しゃんと背筋を伸ばして!」とか、言われるじゃない? でもスラリとした素敵な彼が優しく見つめてくれるならそうもなるけど、私の隣にいるのは篤郎。だんだんみみっちく、貧乏たらしくなってく様な気がする。

 

「あ〜、また。貴重な休日が潰れてしまうなあ……」

 ごろんと、寝返りを打つ。本当のところ余り気は進まないけど、やっぱり酒屋のおばさんの顔を思い浮かべると行かないわけにはいかないなと分かっていた。

 

◇◇◇


「あらあ、恭子ちゃん! 嬉しいわ、待っていたのよ〜!」
 ビール会社の名前が入ったエプロンを着込んだおばさんは、大袈裟に叫んで出迎えてくれた。

 朝の7時過ぎだというのに、もう店は開いている。店内ではパジャマか部屋着か怪しいような服装の近所のおばあちゃんがひょこひょことお醤油のペットを抱えていた。

「実はまだ、値段表が間に合わないのよ。悪いんだけどさ、いつものようにちょちょっとやってくれない? ……あ、その前に夢子にお茶でも出して貰おう」
 運びかけのビールのケースをそこに置き、おばさんは裏の家の方に走り去っていく。

 あらあ、こんな歩き道に危ないわと片づけると、さらに品出し途中の商品があっちにぽつんこっちにどかんと置かれている。そうなんだよね、おばさんはいい人なんだけど……何というか段取りが良くない。自分で仕事を仕切りたくてやりきれない量のものを抱え込んで、いつでもキーキーと文句言って。
 家族経営の小売店とは言っても、町にひとつしかない酒屋だから忙しい。バイトの学生のひとりも雇えば楽になるのに、おばさんのそんな性格が災いして上手くいかないみたい。

「ええ〜っ! お茶だったら、冷蔵庫から勝手にペットを出してくれればいいじゃない。私は忙しいのよ、待ち合わせの時間に遅れちゃうわ〜!」

 勝手知ったる他人の店で、ひとつひとつ確認しながら商品棚に並べていると、先ほどおばさんの消えた裏口から、ひょっこりとケバい女の子が覗いた。

「ああ、おはよーございますぅ、恭子ちゃん。今日も一日、どうぞよろしく〜っ!」

 篤郎の妹の夢子ちゃんは、今年の春に高校を卒業してる。一応、自宅から通っている学生さんだけど、何しろ学校が山また山を越えて遠いから滅多に顔を合わせることもない。子供の頃から変わらない聞き慣れた鼻に掛かる声に顔を上げると、私は言葉を失った。

 うわわ、また髪の色が変わっている。しかも全部が同じ色じゃなくて、ところどころ白い房がラインになって混ざってるのが何ともスカンクの毛並みみたい。田舎では浮きまくっているハイビスカスの花びらみたいな大袈裟な服。鳥の尾っぽのようにまとめた髪にまで造花が付いているんだけど、何か頭が悪そうに見えるよ。一応、この界隈では名前の通っている短大生のはず……なんかなあ。
 
「じゃ、私、今日はデートなんだ。あとは頼みますぅ!」

 いってきま〜す、と私の脇をすり抜ける。ぷうんと鼻につくコロンの香り。兄の篤郎に似て、確か150そこそこの身長のはずなのに、私と肩の高さが同じくらいだった。
 あ、……そうか。かかとだけじゃない、全体的に上げ底になってるミュール。スパンコールとビーズがパンチ穴の空いた表面にこれでもかというくらいくっついてる。おばさんなんかは何も知らないから「何、このちゃちなサンダルっ!」とか言うけど……違うんだな、あれは有名ブランドの限定品で、確か一足2万近かったはず。

 くたびれたおじさんポロシャツの篤郎の妹なのに、何かすごい金遣いが派手。一体、出どころは何処なのかと、考えているうちに、背中の大きく空いた姿は見えなくなっていた。

 入れ違いで、おばさんが戻ってくる。

「ごめんねえ、恭子ちゃん。……あらっ、助かるわ、こんなに片づいて。んもう、本当に恭子ちゃんが頼りなのよ。夢子なんて全然言うこと聞かないし……店のこと何て自分には関係ないと思ってるんだから。ウチのお父ちゃんが甘やかしてるから、こんなコトになるんだわ。――ああもうっ、忙しい忙しい……!」

 夢子ちゃんはお母さん似だったはず。だから、こののっぺりしたおばさんの顔も、時間を掛けて塗りたくればあんな派手派手になるんだ。それにしてもすごいアイラインだった。ああいうのって、本当に十代にしか出来ないメイクよね。
 倉庫に走っていくおばさんの足元には、正真正銘の「つっかけサンダル」。角の靴屋さんで、198円で特売していた奴だ。ちなみに私の履いてるのは、その隣のワゴンにあった500円のシューズ。

 

 ――なんかなあ……、いいんだけどね。

 慌ただしい風景にしっくり馴染んでいる自分が、ちょっと情けなかった。

 

◇◇◇


 物心付いた頃には、もう篤郎は傍にいた。

 お互いに両親は仕事で忙しくて、祖父母に子守をして貰っている間柄。しかも下の兄弟が生まれたとなれば、邪険にされるのは当然だった。田舎町で同じ年の子供は少ないから、上の子が下の子の面倒を見るような大所帯で、それこそ日の暮れるまで野山を駆けめぐった。

 篤郎は男のクセに気が弱くて、いつもヘビや毛虫を上級生に投げつけられてはわんわん泣いていた。そう言う風に過剰に反応するから、相手は喜ぶんだ。何度も言って聞かせたのに全然学習しない 。
 一日の半分はべそをかいている状態で「だったら、こっちのは来なけりゃいいのに」って、何度言ったことか。子供たちの中でもいくつかのグループは出来ていて、大人しくファミコンしてるのが好きな奴らもいたしね。

 なのにさ、また次の朝になると迎えに来る。「恭ちゃん、あそぼ」って……別にあんたとは遊びたいわけでもないのにって、ムッとした。篤郎がいるとみんなから遅れちゃうんだもん。山の中を探検に言ったときだって、篤郎がなかなか付いてこないから、私まで迷子になったりする。いい加減にしてくれと思った。

「恭子と篤郎、デキてるんだろ〜っ!」

 学校でもそんな風にからかわれることが多くて、マジに口惜しかった。他のどんな男子と噂になるよりも情けないことだと思っていた。どうして私が、こんな役立たずな男とくっつくのよ、馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ。
 それにそんな時の篤郎の態度がまた許せなかった。たまには言い返せばいいのに、いつでも真っ赤になって俯くだけ。何だよあれ、誤解してくれと言ってるみたいなモノじゃない。

 ガキの言うことならまだ分かる。だが、敵はそれだけではなかった。狭い町内、誰もが顔見知り。大人たちの間でも、私たちは勝手に「お似合いね」とか言われていたのだ。ただの挨拶代わりと思っていたが、そうでもないらしい。

「恭子ちゃんなら、ウチの篤郎にぴったりだわ。ボーっとしてたら、お尻を叩いてくれそうだもの。それに安産型だし、子供もたくさん産んでくれそうだしね」

 ……普通さ、言う?

 当時、まだ小学生だったのよ、私。なのに、おばさんってば、まるで他の人たちに牽制するみたいに、会う人ごとにそんな風に話す。あまりの熱心さに、最初は笑って聞いていたウチの両親も気味悪がり始めた。だよねえ、どう考えたって変よ。

 

「別に、この町に骨を埋める必要はないんだからな」

 ウチの親はサラリーマンだったし、それほど故郷への執着もなかったらしい。

 父などは母と所帯を持つ前は都会暮らしをしていたし、その頃祖母が腰を悪くしなかったら、きっと戻っては来なかったと思う。当座のことだと引っ込んだら、そのうちに通勤路も整備されてバスの便も良くなった。それで、わざわざ遠くに家を建てるまでもないだろうと結論に至ったようだ。

 そんな両親の考え方の元で育ったんだから、子供の私たちだって当然同じ考え。弟は今年受験だけど、思い切って遠くの大学に行くとか言ってる。私の同級生でも、修司や玲香は東京の学校に行ってるし。そう珍しいことでもないんだよね。アイツはそれなりに成績もいいしさ。

 そこを行くと私は。気が付いたら地元の高校に通って、その後1年間だけそこにくっついてる専門学校に通って。この就職難のご時世、どうにか町内の信用金庫に滑り込んだ。田舎に残るには、家業の後を継ぐか公務員になるか、それくらいしか道はなかった。普通の就職口なんて本当に少ないし。良かったんだか、悪かったんだか、「この町に骨を埋める」方向にまっしぐらな今日この頃。

 男関係だって、華やかなことなんてひとつもない。だって、気が付いたら篤郎だよ? もう、同級生の悪ガキたちの思うつぼって感じじゃない。腹立つったらないわ。

 

◇◇◇


「ああ、そうだわ。恭子ちゃんに聞きたいことがあったんだ」

 お客の途切れた昼下がり、遅めの昼食をとっていた。特別の時だけ頼む天ぷら蕎麦はどんぶりからはみ出そうにエビが横たわっている。いくら花も恥じらう若い娘だとは言っても、空腹には代えられない。何しろ朝早くからの立ち仕事だったんだから。小皿のお新香だって、残すもんですか。

 

 お得意様感謝デーとか言っても、いきなり全商品が半額になるとかそんなすごいサービスは出来ない。しがない町の小売店では、身体を張って勝負するしかないんだ。篤郎なんかは子供連れのお客に風船やお菓子のサービスをするために、炎天下にずっと立っている。一応、ビーチパラソルはあるけど、あんなのあまり頼りにならないだろう。

 私も試飲サービスの紙コップをお盆に乗せて配ったり、追加の品出しをしたり。かなり幅広くダイレクトメールも配るし新聞の折り込みチラシも入れるから、遠いところからわざわざ出向いてくれるお客さんもいる。実はあまり儲けはないんだけど、この店頭の賑わいがおじさんやおばさんたちにとっては嬉しいみたい。

 ただ、余りの忙しさにへとへとになっていたら。納入の業者さんがやって来て「若奥さん」と言われたのには、さすがにムッと来たわ。

 こんな風にしなくちゃやっていけないなんて、販売業って大変だなと思う。篤郎なんかは小さな頃から両親の背中を見て育ったんだろうし、当たり前だと思ってるみたい。でも、私は会社勤めの家庭に育った。何ヶ月かに一度垣間見る経営の裏側にはまだまだ慣れないことばかりだ。
 ビールなんてシーズンごとに新製品が出るし、今はお客のニーズも多様化していて色々と大変そうだ。大量に仕入れれば卸値も安く抑えられるけど、ちょっとずつ種類を多くしようとしたらそうもいかないし。店長であるおじさんも、この頃さらに頭のてっぺんが薄くなってきていた。

 

「郵便局のお向かいの杉田さん、あそこのお嬢さんが今年就職なんですってね?」

 ずずずっと、お蕎麦をすする音。近所のうわさ話なんて、そんなに珍しいことでもない。でも、私はその瞬間、何だかおばさんの切り出し方が引っかかった。長年の勘というモノなのだろうか。自分の中に湧いてきた疑問符を取り払うべく、その答えを探ろうと篤郎の方を見た。だけど、奴はおばさんの言葉なんて耳にも入っていない様子。ガツガツと食事をしていた。

「……どうもね、金融関係に決めたいらしいんですって。でも、この不況でしょう、なかなかいい仕事が見つからなくて。あそこは一人娘だし親御さんも心配らしいのよ。……で、聞かれたんだけど。恭子ちゃんって、いつまでお勤めするつもり?」

「は……?」

 いきなり、話が飛んできてどうしたのかと思った。顔を上げた私に、おばさんはさらに身を乗り出して話し続ける。

「あそこの奥さんに、ちょっと聞かれちゃったのよ。杉田さんのご主人って、居酒屋チェーンの本社にお勤めなんでしょ? 今度隣町に新店舗を出す計画があるんですって。その店で出す地酒をね、少しウチに注文してもいいとか仰るのよ……ああ、もちろんまだ本決まりと言うわけではないわ。でもね、……」

 篤郎とおじさんは、何も言わない。ふたりとも同じ姿勢でTVの画面を見つめながら、蕎麦をすすっている。こんな風にこの家の家族と一緒に食事することはそう珍しくなくなっていた。こんな風に手伝いに借り出されるときには、いつでもごちそうになる。後片付けが長引けば、夕食も頂くことさえあったりして。

 おばさんばかりがひとりで話題を提供するのはいつものこと。それは分かってる。でも、何? これって、お昼のお蕎麦をすすりながらする会話?

「どうせ、恭子ちゃんにはそろそろ店のことを本格的にたたき込んで行かなくちゃならないだろうし、丁度いいんじゃないかと思って。遅かれ早かれ、同じことよ。私もだんだん肩や腰がきつくなってきたし、早いとこ楽になりたいわ」

 その言葉を聞いても、篤郎は無反応だった。まるで自分には関係のない話題みたいに、知らんぷりを決め込んでる。きっと早朝からの疲れでそれどころじゃないんだろうけど、でもひどい。こみ上げてくる怒りを逃そうとえび天をかじった。でもいつもなら美味しいはずのそれが、無味無臭のスポンジみたいに思える。

 

 ――だけど。その時、一番驚いたのは。

 おばさんの話を聞いても、まったく自分の心が動かないと言う事実だった。

 


 

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