TopNovelヴィーナス・扉>憲ちゃんの彼女・5

本編で残念だった佐々木さんの恋バナ

 そのあと、憲ちゃんは丸二日寝込んだ。
  予想はしていたけど、やっぱり顔や身体の腫れは当日よりも翌日の方がひどくて、これではとても仕事に行ける状態じゃない。ちょうど大きな仕事が終わったばかりである程度の自由はきく状況だったこともあり、ここは命の洗濯とばかり有給を使ってもらうことにした。
  憲ちゃんは無口だった、人が変わったみたいになにもしゃべらなくなった。だから私もなにも聞けなかった。憲ちゃんが話したくないなら、それでいい。その代わり、バイトは休んでずっと側にいた。
  掃除したり洗濯したりご飯作ったり。頑張りすぎてやることなくなったら、憲ちゃんの側で昼寝をしたり。ちょっと買い物に出ることはあったけど、それ以外は片時も離れなかった。

「……小夏?」
  彼がようやく重い口を開いたのは、三日目の夕方。ようやっと顔も見られるようになってきて、これなら明日は出勤できるねって思ってた頃だった。
「なに?」
  そのとき、私は取り込んだばかりの洗濯物を畳んでいた。たったそれだけのことなのに、とても幸せな気分になる。
  今までこの部屋に四年も通い続けていたのに、こんなにのんびりとふたりで過ごしたのは初めてだ。
  ――ううん、今までで一番長く一緒にいられた気がする。
  そうなんだよね。知り合ってからの時間はすごく長くても、いつの間にかお互いの存在が空気みたいになっちゃってて、だから付き合い方が適当になってしまってた。
  いつも忙しく過ごしている憲ちゃんは、後ろを絶対に振り向かない人。私はその背中を追いかけてるだけで精一杯だった。
  でも、今回だけは特別。
  こんな憲ちゃんをおばちゃんが見たらびっくりしちゃうだろうし、だから私がお世話するしかなかったんだよ。もちろん、私だってすごくすごく驚いたけど、それでもちゃんと受け止めることができた。
「俺、情けねーな。……ホント、最低だと思う」
  大きなベッドに横たわったまま、そんな風に呟く憲ちゃん。その眼の縁がちょっとだけ濡れているのを、私は見て見ぬ振りをした。
  きっと、……憲ちゃんは振られちゃったんだ。結婚したいって思ってた人に。
  何故だかはわからないけど、そんな気がした。でも、それをこっちから聞くこともはばかられる。
「そんなことないっ! 憲ちゃんは、すごく素敵だよ。だから、この先、絶対に幸せになれる。それは私が保証する」
「……小夏」
「ちっちゃい頃、たくさんたくさん助けてもらったもんね。だから、今回は思い切り恩返しができて嬉しいよ」
  わざと元気よくそう言って、私は用意していたブツを取り出した。
「ささっ、今日は飲もうっ。ほらっ、とっておきの準備しちゃった!」
  どーんと、両手に一升瓶。昼間、買い物に出掛けたときに調達してきた。
「小夏、お前……」
  あらら、やっぱ、ちぐはぐな組み合わせだった?
  そりゃそうだよね、私は全体がプチサイズな上にものすごい童顔だしっ。もちろん、コレを買うときにも当然のように年齢確認されてしまった。
「私、これでも結構強いんだよ! だから、やけ酒の相手としては最適だと思う〜」
  嫌なこと、全部忘れちゃえばいいよ。
  そうしたら、またゼロから新しく再出発できる。
  憲ちゃんには輝かしい未来が待ってる。だから私が、そこまで導いてあげるよ。
「おつまみだって、いっぱい作ったよ! すごいでしょ、私だって本気を出せばこんなもんだよ!」
  フローリングの床にトレイを直接置いて、その上にずらずらとお皿を並べていく。
  うわーっ、我ながらなんて美味しそう。鶏の唐揚げにフライドポテト、ツナサラダに枝豆。シシャモの焼いたのだってあるよっ。そして、絶対に外せないのがポテトグラタン。これは憲ちゃんの大好物。
「ま、まずは一杯! 乾杯しようよ、憲ちゃん!」
  憲ちゃんが呆然としながらもグラスを手にしてくれたから、私はそこにどぼどぼと豪快にお酒を注いだ。それから自分の分も手酌で。……って、一升瓶から直接でも「手酌」って言うのかな?
「さーっ、憲ちゃんの未来にカンパーイ!」
  私は陽気だった、どこまでも陽気だった。
  まるで、沈みきった憲ちゃんに付き合ってしんみりした数日を過ごしたことへの反動みたいに。
  いっぱい食べて飲んで、そして笑った。そのうちに私につられるみたいに憲ちゃんもどんどん元気になっていった。
「旨いな、この酒。でも、小夏の料理もそれに負けないくらい旨いぞ」
「えへへへ〜っ、嬉しいこと言ってくれるじゃない!」
  私たちはベッド寄りかかって座っていた。マットレスが背中にちょうど当たって、ふかふか気持ちいい。
「小夏っ、本当にお前はいい奴だな〜っ!」
  またまたまた、そんなこと言われたら舞い上がっちゃうじゃない。私、すごい単純なんだから。
  私は少し赤くなった憲ちゃんの顔をそっと覗き込む。そのときの私の心は、何故かちりちりと震えていた。
  うん、残念ながら酔いなんて全然回ってなかったんだよね。ホント、私って不経済だ。こんなに飲んでもシラフ同然なんて。
  ――もうこんなの、止めなくちゃ駄目だね。
  友達もチーフも、みんながみんな口を揃えて言う。私の恋は永遠に報われることはないって。だから、そろそろ覚悟を決めないと。これ以上、憲ちゃんのことを縛り付けてちゃ駄目だ。
  だから、一度大きく深呼吸をして、それから意を決して口を開く。
「憲ちゃん、私ね……憲ちゃんのことが大好きなんだ。ホントのホントにね、世界中で一番大好きなんだよ。だからこれからも、ずっとずっと大好きでいさせてね」
  それは祈りにも似た告白だった。
  私は静かに立ち上がると、ニットの上着を脱ぎ捨てる。そしてその下のキャミソールワンピースも。レギンスは最初から脱いであった。
「……こ、小夏っ……!?」
  良かった、憲ちゃんもちょっとは驚いてくれたみたい。
  ――というか。もしかして、驚くのとおり越して顔面蒼白……かな?
  そうだよね、なかなかすごいでしょ、この勝負下着。キラキラしたクリーム色に黒のレースがてんこ盛り、ちょっと小悪魔っぽいところがとても気に入ってた。こんなのいくつもいくつも買ってスタンバってたなんて、私も結構本気だったんだな。
「ねえ、……えっちなことしようよ。そしたら、きっとハッピーになれるよ?」
  鏡の前で必死に研究した悩殺ポーズで、私は憲ちゃんにしなだれかかる。
「ばっ、馬鹿! 冗談言うなっ、お前相手にそんなことができるわけ、ないだろ……!」
  予想どおり、憲ちゃんは弾かれたように後ずさりした。でも、一瞬の隙を突いて、私はその胸にしがみつく。
「……これでも、駄目? 私じゃ、ときめけない?」
  そんなことないよね、必死にバストアップの体操したもの。ブラによってはFカップだったりするんだよ? これってかなりのボリュームでしょ。
  憲ちゃんが胸の大きい人が好きなことだって、ちゃあんとわかってる。戸棚の裏側に私に見つからないように隠してあるAVだって、みんなそんな感じだもん。
「小夏――」
「憲ちゃん、嫌なことは全部全部忘れちゃおう。そして、明日から元気に仕切り直しだよ?」
  私は憲ちゃんの片腕を掴むと、その手を自分の胸に引き寄せた。
「こんなの、ホントじゃないんだから。全部全部、夢なんだよ。だから、憲ちゃんの頭の中、ぽやぽやっとしてるでしょう……?」

 

つづく♪ (110816)

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2011年8月16日更新

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