TopNovelヴィーナス・扉>憲ちゃんの彼女・8

本編で残念だった佐々木さんの恋バナ


「……こなつ?」
  ――あれ。今、誰かが私を呼んだような……?
「小夏っ、……おいっ、本当に小夏だなっ! 偽者じゃないよな……!」
  私は慌てて目をこすった。そしてもう一度顔を上げる。
「……え……」
  そこで私の歩みは止まった。というか、身体全体が固まって動かなくなっている。
「小夏ーっ……!」
  そうしているうちに、黒い塊がどんどんこっちに近づいてくる。
  でも……ええと、これって。 
「し、……憲ちゃん……?」
  ううん、違う。私の知ってる憲ちゃんは、こんなによれよれしてない。いつだって自信満々で真夏の太陽みたいにキラキラしているはず。意中の彼女に振られたときはそりゃあ落ち込むけど、それだって全力で感情を露わにする。
  仕事帰りなのかな、スーツ姿だ。こういう憲ちゃんを見るのは、実は私にとってすごく新鮮な経験だったりする。でも……やっぱり、覇気がない。
  ――もしかして、まだ立ち直ってない?
  そんな馬鹿な、ちゃんと仕事には行ってるはずだよ。それはきちんと、憲ちゃんのおばちゃんに確認を取ってた。そういうときは公衆電話を使うようにして、足が付かないように細心の注意を払ってた。
「この馬鹿っ、いきなりいなくなるな! なに考えているんだ、お前は……!」
  私の目の前に立ちふさがった憲ちゃんらしきその人は、いきなり怒鳴りだした。なんで、こんなに怒ってるんだろう。よくわからない。
「探したんだぞっ! この一月、そこらじゅう探し回ってたんだからな……!」
  急に熱くなって、そしたらちょっと憲ちゃんらしくなった。でも、それとは反比例に私の心が冷たく冷え切ってくる。
「……探してくれなんて、頼んでない」
  私もう、憲ちゃんのそばにはいられないんだよ。一緒にいると、憲ちゃんが幸せになれないから。
「もうたくさんだよ、憲ちゃんの面倒みるのは疲れちゃった。だって私、自分のことだけで精一杯だもの」
  憲ちゃんは、大きく目を見開いた。私がこんなこと言うなんて、思ってもみなかっただろう。
「……そうか」
  こちらに伸びかけていた腕が引っ込む。そして、憲ちゃんは目を逸らすと小さく溜息をついた。
「俺の存在が、重くなったのか」
  私は、黙ったままで頷く。そうするだけで、やっとだった。
「だろうな、俺も小夏には今まで甘えすぎていたと思う。今回、そのことをすごく反省した」
「……だったら、もういいでしょ?」
  本当はね、憲ちゃんにもう一度会えたら、そのときは泣き出しちゃうかと思ってた。感激しすぎて抱きついちゃうかなとか。
  でも……実際の私は、すごく冷静。
「私、明日も仕事だから」
  嘘みたいに足が楽に動くようになってた。だから、そのまま前に歩いていく。春の夜風が私の髪をくるくると揺らしていった。
「……もう面倒なんてみてもらわなくていい。小夏に甘えるつもりもない」
  憲ちゃんの低い声が、私の背中を追いかけてくる。だけど振り向かない、絶対に後ろは見ないって自分に言い聞かせた。
「その代わり、今度は俺が小夏を甘やかせて、面倒みてやりたいと思う」
「……え?」
  なに、それ。驚きすぎて足がまた止まっちゃったよ。
「そういうのって、鬱陶しいか?」
  どうしていきなり、そんなことを言い出すの。あんまりにも驚きすぎて、心臓が飛び出してきそう。
「……」
  誓いを破って振り向いてしまった私。そこにあったのは、お酒も飲んでないのにトマトみたいに赤くなった憲ちゃんの顔だった。
「なにをいまさら、とか思っているんだろう? そりゃそうだ、俺だってそう思う。でもようやく気づいたんだ、俺は小夏がいてくれないと駄目な男なんだってことを。楽しいときも悲しいときも、小夏には一番近くにいて欲しい。黙って姿をくらますとか、二度と止めてくれ」
「……」
「俺のこと、ずっと好きでいてくれるんだろう? 小夏、そう言ってくれたじゃないか」
  憲ちゃんはいつも全力投球、どこまでも真っ直ぐで曲がったことが大嫌い。そんな姿が眩しすぎて……だから永遠に追いつけないって思ってた。
「……私たちって、別々にしか幸せになれないんだよ。それくらい、憲ちゃんだってわかってるでしょう?」
  決定打とも言える一言を投げつけたのに、憲ちゃんはまだ諦めてくれない。
「そんなこと、誰が決めたんだ。俺は小夏と幸せになりたい、お前の方はそう思えないかも知れない。だがいつか、きっと俺といて良かったと言わせてやる」
  そこまで言うと、憲ちゃんはばつが悪そうに視線を逸らす。
「俺、他の奴に小夏を取られたくない。我が儘な男と思うかも知れないが、それが今の正直な気持ちだ」
「……え?」
「お前、どうして俺がここに来たか、それを不思議に思わないのか?」
  言われてみればそのとおりだ。憲ちゃんちのおばちゃんは私がここにいることを知らない。もちろん、田舎に戻った両親に連絡を取ってくればわからないことはないけど、そこまではさすがにしないだろうし。
「この前の男が俺を訪ねてきたんだ。あいつ、お前の上司なんだって?」
「……」
  そ、それって、もしかして田中チーフのことですか!? え〜っ、昼間はそんなこと全然言ってなかったのに……!
「俺が行動を起こさないなら、どんな手段を使ってでも小夏のことを手に入れると言いやがった。あいつ、善良そうな顔をして腹ん中は真っ黒だなっ。あんな奴に、小夏を渡すことはできない。そう思ったら、勇気が出た」
「け、憲ちゃん……」
  不二家のマスコットキャラクター相手にマジにならないでよ! あんな人の言うこと、本気にしなくていいって。
「小夏には俺しかいないってこと、たっぷりと教えてやる」
「え……これからチーフを呼び出すなんて無理だよ。もう帰っちゃったと思うし……」
「違う」
  憲ちゃんはしどろもどろになる私の言葉を強引に遮った。
「あんな男には用はない、俺が教え込むのはお前の身体だ」
  そしてそのまま、漫画みたいにひょいっと抱き上げられてしまう。
「……え……」
「もっと早く脱がせてみればよかった。服の下に、あんないい女が隠れていたとは思わなかったぞ」
  憲ちゃん……それって、すごくえっち臭い言葉のような気がしますけど……。
「……でもっ、そんなのって」
「文句は終わってから聞いてやる、俺だってもう限界なんだ」
  私の顔を見たらいきなりスイッチが入っちゃったって、ホント? え〜っ、そんな!
「もちろん、存分に満足させてやるつもりだ。だから安心しろ」
  どうしてそこで自信満々ににやっと笑うの? もうもう、恥ずかしすぎて無理! だから憲ちゃんの胸に顔を埋めちゃった。

 でも……いいの? それって、私を選んでくれるって、そういうことだよね……?

 私たちの頭上にぽっかり浮かんだのは、春色の淡い月。
  それは、これからの夜を想像したみたいに薄桃色に頬を染めていた。

 

おしまい♪ (110826)

 

2011年8月26日更新

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