TopNovelヴィーナス・扉>憲ちゃんの彼女・7

本編で残念だった佐々木さんの恋バナ


 それから、一ヶ月。
  大学の卒業式もめでたく終えた私は、相変わらずあのファミレスでせっせと働いていた。
「いらっしゃいませーっ! 何名様でしょうか、おタバコはお吸いになりますか?」
  元気いっぱいの笑顔でお客様を迎え入れ、テーブルにご案内する。そしてメニューを手渡すと、お水を準備するために一度引っ込んだ。
「おんや、萩原さん! 今日も元気だねえ……」
  そんな私に声を掛けてきたのは、今日も絶賛「ポコちゃん」顔の田中チーフ。彼とはその後も普通に仲良しにしている。ツーショットになるのは避けてるけどね。
「萩原さんは元気だけど、彼氏の方はその後どう? そういや、この頃休憩室でも話題に出ないみたいだねえ……」
  あのう、チーフ。今って、バリバリに仕事中なんですけどっ! 無駄話はあとにしてくださいません?
  でも、ここは一気に片を付けちゃおうっと。いつまでも引きずられたら面倒だし。
「話題に出しようがありません、だって全然会ってませんから」
  きっぱり言い切ると、チーフはすごくびっくりした顔になる。その脇を、私はにやりと笑いながらすり抜けた。

 私は、憲ちゃんの看病で丸二日仕事を休んだものの、その後は普通に出勤してる。休む暇もないくらいにシフトをギリギリまで入れて、すっごく頑張ってるんだよ。
  ……だって、ひとり暮らしって色々大変なんだもの。
  憲ちゃんと連絡の取りようはない。だって、あの頃使ってた携帯は解約しちゃったし。手続きとか友達への連絡には多少手こずったものの、あと腐れないようにさっぱりと縁を切るためにはこれっきゃなかった。
  すこしはびっくりしてくれたかなあ、憲ちゃん。
  でもさ、憲ちゃんだって悪いんだよ。私の携帯以外の情報を全然知らないなんてどうかしてる。まあ……それだけ興味も関心もなかったってことかな? バイト先だって、一度も聞いてくれなかった。あとからこのことに気づいて愕然。
  私はずっと憲ちゃんのために生きてきて、憲ちゃんのことで頭がいっぱいだったのに、本当に独り相撲だったんだなとしみじみだ。
  もしかしたら、実家に戻っておばちゃんから情報収集をしようとしたかもね。でも、そうだとしたらすごく驚いたと思うよ。お隣に建ってたはずの私の家がなくなって、更地になってるんだもの。
  父親が早期退職して故郷に戻ることになったのは今年になってすぐ。でも憲ちゃんにはそんな話、全然してなかった。これも私の作戦だったってこと。
  憲ちゃんはお正月だって元日にちょこっと戻ってくるだけだもの、だから気づかなかったんだろうね。一方の私は、両親と離れてひとり暮らしを始めてた。実家が人手に渡ってしまったために住み続けることが不可能だったから。だから、年が明けてからの「宅配」は、全部自分で作ってた。でも憲ちゃん、それにも全然気がついてなかったよね。
  人が溢れんばかりにたくさんいるのが大都会。だから私たちはこのまま出逢うことなく暮らしていくことが可能。それがお互いのためだってわかってたから、私が決断した。
  ――でもなーっ、最初のえっちは憲ちゃんで本当に良かった。今もそう思ってる。
  あの夜、憲ちゃんがぐっすり寝入っているうちに、私は部屋をあとにした。
  煙のように姿を消せば、本当に全てが夢だと思ってくれるかもと願って。証拠隠滅だってしたからね、超恥ずかしかったけど使用済みのブツとか持ち帰って自分のゴミで出したし。

「お待たせしました! こちらが日替わりAランチになります〜、プレートがたいへん熱くなっておりますのでお気をつけくださいませ!」
  接客の仕事って、やっぱり好きだ。忙しく働いていると、あれこれ悩んでる暇もないし。ひとり暮らしの部屋に戻っても、疲れすぎてすぐに眠くなる。
「……じゃあ、萩原さんは今、フリーってこと?」
  空いたお皿を運んでいったら、チーフはまだそこに突っ立ってた。この人も暇だなあ、まあ今日はお客さんもまばらでのんびりムードだけどね。
「いいえ、そうじゃないと思います。片思いは今でも続行中ですから!」
  憲ちゃんと結ばれて長年の夢が成就すれば、そこで気持ちをすっきりと切り替えられるのかと期待した。でも全然そんなの無理。えっちなことをしてしまった私は、前よりもずっとずっと憲ちゃんのことが好きになってる。今も、じっとしてると「大好き」が身体じゅうから溢れてきそうだ。
  だけど、我慢我慢。憲ちゃんのためにも私自身のためにも、きっぱりと諦めなくちゃね。
  憲ちゃんのことだもん、またすぐに新たなるターゲットが現れるはず。今頃、もうその人相手に大盛り上がりをしているかも知れないよ。
「ふうん、……でもそれって、萩原さん個人だけの問題なのかなあ」
  チーフは私の耳元にこそっと呟くと、くわんくわんと首を振りながらホールに出て行った。

 昼間からのシフトだと、仕事上がりは夜の九時か十時。
  私は人通りのまばらになった帰り道を歩いていた。外灯のに照らされて、私の足下から影が長く伸びている。それを踏みしめながら進んでいくと、気持ちが少しずつ沈んでいく気がした。四月と言えど、真夜中に近づくとかなり冷え込む。
「……憲ちゃん、どうしているかな……」
  仕事場では、不自然なくらい明るく過ごしている。そうなると、ひとりっきりに戻ったときにはどうしてもその反動が出てくるんだよね。
  だけど、これは自分で決めたこと。考えに考えて実行したんだから、今更引き返すことなんてできない。
  私だって、それほど馬鹿じゃないもの。何度も同じ失敗を繰り返せば、いい加減気づくよ。
  憲ちゃんが私を恋愛や結婚の対象として見てくれることがあり得ないなら、早いとこ踏ん切りをつけなくちゃ。お互いが幸せになるためにも、ね。
  私には私の未来があって、憲ちゃんには憲ちゃんの未来がある。どこまでも交わらないふたつの道ならば、それはそれで仕方ないんだよ。
  ……でもやっぱ、今はまだ辛い。
  物心がついたときにはもう、憲ちゃんのことだけを見ていた。もちろん、ちょっと素敵だなと思う人は他にもいたけど、いつも「憲ちゃんが一番」という結論に達してしまう。
  今までだって、一月くらい会えずに過ごすことはあった。でも、二度と会えないと思うと、その時間が何倍にも何十倍にも長く感じられる。
  ぎゅっと抱きしめられたときの温かい気持ちとか、ふたりで同じ感覚を共有することに対する喜びとか、そういうのが時折ふわっと心の奥から浮き上がってきてたまらなくなる。我慢するって、すごく辛い。いつかこの気持ちも、当たり前のものに変化していくのだろうか。
「ちゃんと……ご飯食べてるかなあ」
  足下に向けていた目線を少し上げる。アパートはもうすぐそこ、いくつかの灯りがぼうっと霞む。
  そしたら。
  ほとんど滲んで原型を留めなくなっていた風景の端っこが、ゆうらりと揺れた。

 

つづく♪ (110821)

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2011年8月21日更新

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