






2007.03.30![]() 10日振りに仙台より帰阪! 仙台の自宅庭の雑草抜きも無事終了し、今日大阪にたどり着いた。 今回は3ケ月ほど近所の人が自宅の建て替え期間中貸してほしいとのことだったので、例年より1ケ月ほど早く行くことになったのだ。でも大阪から1,000キロも北にある仙台はまだまだ寒かった。 一応車に電気毛布を積み込んでいったのだが滞在中は電気毛布や電気コタツは欠かせなかったほどだ。 以前から気になっていたトイレの水漏れも今回修理を依頼して完了。これでひと安心だ。 いつも帰りは陸路を利用して帰るのだが、今回は来るときと同じ名古屋まで太平洋フェリーを利用した。 2年ほど前に竣工したばかりで約16,000トンの日本でも最大級の最新鋭フェリー「きそ」号を利用したのだが、400人も入れる立派なホールや数々の設備も完備されており、寝台も個室でゆったりとしており大変過ごしやすくなっている。 今回はS寝台を利用したが車運搬料込みで2万円ほどだから、ガソリンや高速道路代、長距離の運転疲労など様々な条件を考えるとむしろかなり安いと感じるほどだ。 ![]() 食事も朝・昼は各900円、夜は1,800円のバイキングなのだが、品数・内容を考えると格安でうれしい限りだ。 大浴場も入港の30分前まで何時でも入れるし、太平洋を眺めながらゆったりと入浴できるのだから何となく優雅な気分にも浸れるのも船旅の大きな魅力の一つだ。 今回も夜はピアノとバイオリンの生演奏で、食後のひとときをのんびりと過ごしたが、すべてプロの演奏家で経歴を見るとかなり広範囲に活躍しておられるのだが、船旅での演奏となると堅苦しさはなくフレンドリーな気分になるのか、歌謡曲などの演奏もあり、普段では絶対見られないうち解けた雰囲気の楽しい演奏会だ。 21時間ののんびりとした船旅だが、時間だけはたっぷりとあるシニアの生活者にとっては最良の旅行プランかも? |
2007.03.25![]() 今、仙台での生活です。東北はまだまだ春は遠い!寒いです。 20日昼過ぎに大阪を発ち、西名阪国道を利用して約3時間で名古屋フェリー港に到着。ここから太平洋フェリーの「きたかみ」に乗って翌日17時に仙台港に到着。出港から実に21時間の船旅だ。 長旅でも退屈しないよう船会社もいろいろな企画を計画していて、広いホールでの生演奏や映画上映などもあってもちろん無料だ。 今回の生演奏は中国楽器の「揚琴」という珍しい楽器とピアノの生演奏だったがなかなか素晴らしい演奏だった。 清潔な大浴場も常時利用でき、日常生活とあまり大差ない生活が出来るようになっているので僕は仙台に行くときはよくこのフェリーを利用している。 このようなのんびりとした優雅な旅が出来るのも、時間がたっぷりとあるシニア生活者のまさに特権というところだ。 それよりも高速道路を走るよりも料金が安いのと昼間でも寝室を何時でも自由に使用できるのも魅力だ。 大体年に2回は仙台の自宅の庭の雑草狩りに行くのだが、昨年はちょうど仙台七夕の時期に行って久しぶりに豪華な七夕祭りを楽しんだ。 また近くには秋保温泉や作並温泉などの名湯もあるのでよく利用している。また多くの美味い果物が多い山形県にも近いので時期さえ合えば果物狩りに行くことも楽しみにしている。 ![]() 今年は4月末頃予定していたのだが、同じ団地内の方が住宅を建て替えるので、一時的に貸してほしいとの依頼があったので1ケ月ほど時期が早まった次第だ。 今年は暖冬といっても3月の仙台はまだ寒いので少し躊躇したが来てみると案の定まだまだ寒い状態でガッカリだ。 今回は電気毛布も持参してきたがこれは正解だった。今の状態ではまだ電気こたつやストーブも夜などは必需品だ。 庭の木々もまだ少し芽が出てきたという程度で、桜などの開花はまだまだ時間がかかりそうだ。 幸い雑草もこれから大きく伸びる寸前だったので作業は案外早く終わりそうな気がするが、面積が300u以上あるので大変だ。 ただこちらの寝覚めはめっぽう早く、常時5時30分だ。自宅の隣接地が太白緑地という広い緑地帯なのだが、野鳥の楽園にもなっていて多くの種類の野鳥が大きな鳴き声を発しながら一日中飛び回っている。 自宅の隣の木が10年以上もウグイスの縄張りなっているみたいで日の出と同時に大きな鳴き声で「ホッケキョー」と第一声を発するからだ。不思議なほどピタリと5時半になると鳴き出し、以降1時間ほどは自分の存在を誇示するためか鳴き放しだから寝ておれる状態ではないのだ。 ただ鳴き声が昨年のウグイスよりも若い感じがするので、もしかしたら代替わりをしたのかも知れない。 名前は知らないがほかの野鳥も入れ替わり立ち替わりやってきて一日中合唱を始めるので、うるさいほどだ。 というとかなり山奥のように感じるかも知れないが、れっきとした仙台市内で近くにはイオンの24時間営業の大型ショッピングや大型店舗も林立する賑やかなところなのだが、住宅地だけが緑に囲まれた理想的な場所になっている。 ![]() その上に住宅が強固な岩盤の上に建っているので、過去の震度7以上の宮城県沖地震でもコップ1つ転ろがった程度で地震にめっぽう強いところなのだ。 今のところは永住することは考えてないが、生活環境としては申し分ないところなのがなかなか手放せない理由だ。 昨年にはすぐ近くに天然温泉の「極楽湯」という温泉が開業した。 4ヶ所もの露天風呂もあり、料金も650円と安価なので滞在中はほぼ毎日温泉三昧の日々だ。 この2日間で約半分の雑草抜きが終わったので、この調子だと予定より早く終わるかも知れない。 |
2007.03.13![]() 「野村オープンカレッジ」の勉強会へ 昨日は緑陰クラブの会員23名で神戸の六甲アイランドへウォーキングに出かけてきた。 この土地は裏手に聳える六甲山の土で海を埋め立てた人工島なので、阪神大震災の時は液状化現象が起こり地面が至るところで盛り上がったりしたらしいことが写真入りの掲示板などで知ることが出来た。 でも現在は完全に修復され何事もなかったように高層マンションや大型ビルが林立している。 しかし、不思議なことに真っ昼間というのに人影がほとんど見あたらず、時々テレビで見る北朝鮮の昼間の光景のようで不気味なほど静まりかえっていた。 帰りには灘の酒で有名な菊正宗酒造に立ち寄り、酒の出来上がる工程などを説明員から聞いた後、試飲会場で原酒や雅、梅酒、甘酒などの試飲を楽しんだ。 この灘地区は全国区銘柄の造り酒屋が多いので有名だが、すぐ近くには白鶴酒造などもあり何処も最近では見物客大歓迎で展示施設もかなり完備しているようだ。 (とよなかオープンカレッジへ) 昨日は約2万歩以上も歩いたため、少々お疲れ気味なので今日のウォーキングは中止。昼からは野村証券豊中支店で開催されている「とよなかオープンカレッジ」の勉強会に出席した。 相変わらず会場はほぼ満員の盛況で、これから定年を迎える団塊の世代とおぼしき夫婦なども参加していて熱心にメモを取っていた。 この「オープンカレッジ」は2日に1回の割でテーマを変えて毎月開催されているのだが、中にはなかなか興味のあるテーマもあって最近よく参加するようになった。 勿論すべて無料だから気が楽な勉強会なのだが、ターゲットはすでにリタイヤーした人も含め、これから退職を迎える団塊世代をいち早く取り込みを図ろうとしているのは明らかなようだ。 それにしても毎回立派な資料を配付してくれるので大いに利用している。 今日の内容は「円熟人生セミナー」というテーマーだった。 第1部は「人生は楽しく生きたもん勝ち」というテーマーで漫画家で「課長 島 耕作」で有名な広兼 憲史のVTR講演。これは野村証券の全国の支店での統一講演なのでVTR放映だったが仕方ないことだろう。 第2部は「これからの10年のために〜誰に相談するかは、すごく大事」のテーマーで支店課長の1時間ほどの講演だったが豪華な資料のもとでの詳しい説明でなかなか理解しやすかった。 でも最後は当然自社商品の宣伝だが、それも控えめな薦め方には好感を持った人も多かったかも知れない。 証券会社というとこれまでなかなか店舗内には入りにくい感じだったが、最近はかなり様子が変わってきているみたいだ。 |
2007.03.06![]() 今日は僕たちの36回目の結婚記念日! 昭和46年(1971)3月6日、僕たちは東京千代田区の「東条会館」で結婚式を挙げました。 この会館はかって三島由紀夫が六本木の防衛庁に乗り込んで切腹自殺する直前に仲間と軍服姿で最後の記念写真をした有名な写真館が併設している結婚式場でした。 当時僕が29才、妻26才ですからまだ若かったですね。 ということは一緒に生活するようになってすでに13,140日が経過したことになります。 幸か不幸かはわりませんが、これから熟年離婚するにはすでに時機も逸してしまったなーという共通認識でいますので、今後の話題はあと何日一緒に過ごせるか、どちらがお先にお別れしていくかということになりそうです。 ![]() いつか来る別れる日は覚悟しながらも、出来るだけ今の人生を共に楽しんでいくしかないのではと話し合ったりしています。 今のところは二人とも健康状態はなんとか維持できているのでしばらくは大丈夫だとは思いますが、こればかりは「神のみぞ知る」というところです。 これからもお互い出来るだけストレスをためないよう、NHKの朝ドラの「芋たこなんきん」夫婦のようなたわいない内容でもいいから、会話時間を大切にしていきたいと思います。 |
2007.03.05![]() とうとう日本もおかしくなってきたのかなー この一週間ほどは異常な事の連続で、世の中なにもかもおかしくなってきたのではないだろうか。 景気回復が続いているといわれているが、過剰気味といわれながらも18,000円超えていた株価は一転して連続して大幅下落し、今日も600円近くの続落だ。 なんと5日間で1,570円以上も下落することなどいままであまり経験したことがない事態が起こっている。 更に円もドルに対して一気に5円も上がるなど輸出業者にとっても大きな打撃になるに違いない。 おかげで個人的にも大打撃だ。折角年初来の株価上昇で保有株式の含み資産が大きく膨らんでいたのが半減してしまった。でもすべて現物保有株なので今後の値上がりを待てばいいので慌てることもないのだが。 危険性を感じて、先日大きく含み益の出ていた一部を売却しておいたのは正解だった。まだまだ僕の勘は健在というところだろうか。 経済だけでなく天気の方も全くの異常続きだ。 昨日の日曜日は朝からの快晴で、ウォーキングで服部緑地に出かけたが、梅林では恒例の「梅まつり」が開催されていたが、すでに散り始めている梅の花も目立った。 かわりに隣の桜の木は花のつぼみがかなりふくらみ始めていてので驚いた。 気温も22.2度と上がり、4月中旬の気温だ。梅林の下で仲間と一杯やっていたが桜の花見と間違うほどで、汗が出てきて上着を脱がなければならないほどの陽気だった。 経済の異常は人為的な出来事だからあまり怖くはないが、最近の自然気象の異常さははっきりとした原因が解明されていないので不気味だ。 |
2007.03.01![]() 今日は僕の65回目の誕生日! いよいよおじいさんの仲間入り? 変な感じだ! 誕生日などもう飽きてしまったが、勝手に年一回は必ず回ってくるのだからしかたがない。 今日の新聞報道では男子の平均寿命はすでに78才を優に超えたということだ。ということはあと平均年齢まで生き延びるとするとまだ13年も生きていることになる。 還暦を迎えたときは、今後の10年間をいかに楽しく、有意義に生きようかと考えたが、5年経った現在の健康状態から推測するとうまくいくと平均年齢までいく可能性もなきにしもあらずで、少し軌道変更する必要があるみたい感じだ。 僕らが現役の時に払った厚生年金の負担額も75才になるまで年金をもらい続けてやっととんとんになるという計算らしいので、せめてその辺までは誰に文句も言われずに大いばりで年金生活を楽しめる権利があるということだ。 ところで今日は警察署に出かけて、新しい運転免許証をもらってきた。もちろんゴールド免許なので今後5年間は更新なしということだ。 但し次回の更新はちょうど70才になるので、通常の講習に加えて3時間の実地検査を受ける必要があり、しかも更新期間は3年に短縮になるらしい。もちろん枯葉マークを車に貼れる有資格者ということだ。 これからいろんな面で生きていくのに窮屈になって行くみたいだが、あまり何事も深刻に考えずに今後の人生を大いに楽しんでやろうと考えている。 |
2007.02.23![]() 今日は野村証券の「とよなかオープンカレッジ」 午前中は服 部緑地で1時間ほどウォーキングをやった後、すでに7分咲きの梅林の下で梅を見ながら缶ビール(もちろん第三のビールの安物だが)でウォーキング仲間と軽く一杯。 午後から豊中駅前の野村証券の勉強会に行くので早々と切り上げて急いで帰宅。 僕の参加している「とよなかオープンカレッジ」は、野村証券豊中支店の口座開設者を対象に毎月無料で開催している講座で、毎月時機を得たなかなか内容の濃い実践的な役に立つ勉強会だ。しかもすべて無料だから助かる。 ほぼ2日に一回の割で開催されていて、事前に送られてくる講座内容の中から自分の聞きたい講座を聞きに行けばよいので、僕らの年代にはピッタリの勉強会だ。 主な内容は「株式セミナー」「為替講演会」の定番から、「ホームトレードの基礎から実践までの知識取得」「知っておきたい相続の話」「野村の自由学校」など盛りだくさんの充実した内容だ。 今日の講座内容は「円熟人生セミナー」という題目だった。 第1部は「いつも、チャレンジ精神で」という題でTVキャスターの草野 仁氏のVTR講演だったが、持ち時間の30分をきっちりと解りやすく話せる話術はさすがだった。 第2部は「円熟人生のための資産管理」という題で支店課長の解説が1時間で、なかなかためになる内容だった。参加者のほとんどが還暦を過ぎた人だが、いつも女性の参加者が多いのも特徴だ。 リタイヤー後の資産管理も旦那には任せておけないということなのだろうか? 団塊の世代とおぼしき人達もいたが、なかには夫婦そろっての参加者も見受けられた。 このような勉強会を開催する野村のターゲットは、恐らく今後の団塊の世代の資産管理の獲得を目指していることは明らかなように思えるのだが...。 |
2007.02.16![]() 「野村証券」主催の講演会へ 今日は野村証券主催「関西ノムラ資産管理フェアー2007」が「京セラドーム大阪」で開催されるというので聞きに行ってきた。 この催しは毎年人気のある講演会なので抽選が行われるのだが、4人の講師の中で希望した堺屋太一氏の講演会の部が運良く当たった。 彼は大阪市で生まれ育ち、東大工学部入学後、経済学部に転入し、卒業後は通産省に入省の変わり者だ。 通産省時代には大阪万博の開催を提案し、1970年の大阪万博を大成功に導いた功労者だ。 ![]() 一方、草創期からの女子プロレスの大ファンであることでも知られている。それ以上に現在いろんな意味でも脚光を浴びている「団塊の世代」という言葉を初めて小説の題名で使用した人でもある。 今回は「職域社会から好縁社会」という題での講演だったが、90分の持ち時間できっちりと飽きさせず、眠らせず、話題豊富にまとめ上げる話法はさすがというほかないほどみごとな講演だった。 会場は普段は野球場だから、ばかでかいのだが関西企業を中心とした約120社近くの上場企業の投資家向け情報展示コーナーを設けていて講演時間以外にも大勢の人でごった返していた。 会場にはやはり団塊世代とみられる人達が多く見られたが、夫婦での参加者が多かったのは意外だった。 証券業界も今後の営業戦略として、きっちりとこの世代に焦点を当て、しかも夫婦そろって取り込もうという意図が読みとれた。 |
2007.02.15![]() 豊中市から「介護保険被保険者証」が届く! 今日突然豊中市保険室保険資格課というところから「介護険被保険者証」が僕宛に送られてきた。 40才になった時点で健康保険料とは別に介護保険料なるものを収めていたことは知っていたが、その内容に付いてはほとんど勉強したことはなかった。 そのためこの「保険者証」がどのようなものなのか全く理解できなかったので何事かと驚いた次第だ。 同封の説明書では「65才以上の人は原因を問わず介護が必要とされた場合に、介護サービスを利用できる」と書いてあって、それを利用するときの資格証明書みたいなものらしいことがわかった。 現在、自分はとりあえず健康に毎日を過ごしていたのに、改めて貴方は介護保険の要資格者として登録されましたといわれると、なんだか僕もそんな老人になってしまったのかなーと再認識させられた次第だ。 そういえば、まだこのような保険がなかった時代に、アメリカンファミリーという外資系の保険会社から「痴呆介護保険」なるものが日本で初めて発売されたので、将来どちらかが痴呆になってもお互い迷惑かけないようにとの思いで早速家内と二人で加入したものだ。 65才迄掛け続ける必要があるのだが、僕の場合は今年が満期になる予定だ。 もし僕が今後痴呆介護が必要になった時に月額15万円が20年間支給されるのを選ぶか、一時金としてすべて一括して受け取るかのどちらかの選択をしなければならないので検討しておいてほしいという通知が届いた。 今回のような介護保険制度が有効に利用できるのだったら、「痴呆介護保険」の方は一時金として受け取って元気な内に何回か海外旅行でも楽しんだ方がいいのではないかと目下思案中だ。 家内に選択をまかしたらどう答えるだろうか? |
2007.02.14![]() 緑陰クラブの郊外ウォーキングで大阪城の梅見物へ 今日の天気予報は雨の確率80%。しかも強風のおまけ付きという不安定なものだったが、電話連絡網が回ってきて決行ということで集合場所の梅田駅に出かけた。 メンバーの男女各9名づつの18名が集まったので、とりあえず大阪城に向けて出発した。 ちょうど出発するときになって雨がポツリ、ポツリと降ってきたが、今回は山道などではないので特に心配することもなかった。 電車に乗れば3駅ほどなのだが、今回はウォーキングが目的なので当然大阪城まで歩いていくことになった。 「 お初 天神商店街」を通り、露天神社(つゆのてんじんじゃ)にまずお詣り。ここは近松門左衛門の世話物「お初と徳兵衛」の「曾根崎心中」の場所として知られ、そのため「お初天神」という呼び名の方が有名なほどだ。 本来境内で心中事件を起こされるのは神社にとっても迷惑なことだが、そのおかげで1地方の神社が一躍全国区になってしまったのだから、痛し痒しといったところか。 ここから4キロほど歩いて大阪城に到着。 最近になってきれいに塗装されてしまったので姿、形は美しいのだが、逆に荘厳さが薄れて歴史に名を残す名城の重厚さが少しなくなったみたいで残念な気がするのは僕だけだろうか。 ここの梅林全体ではまだ五分咲きというところだった。ただ早咲きの梅などはほぼ満開に近い物も多く見応えは充分だった。 梅林内で梅の香をかぎながらゆっくりと昼食を済ませて、近くにあるNHKのスタジオ見学と、隣接の大阪歴史博物館に入場し、たっぷりと時間をかけて見物し帰路に就いた。 そんなに感じなかったのだが、帰って万歩計を見たら16,000歩を指していた。 詳細は |
2007.02.05![]() 18年度の「確定申告書」を提出に税務署へ 平成18年度の「確定申告書」については1月19日にはすでに作成済みだったのだが、あまり早く税務署に持って行くのも気が引けたので今日提出してきた。 本来は2月16日からなのだが、今年も計算の結果が還付請求することになったので正式の受付開始日前での提出でも良いというわけだ。 むしろ事前に提出した方が税務署も暇だし、還付金の支払い手続きもスムーズになるということでかなり早く還付金を振り込んでくれるみたいだ。 今年もインターネットで国税庁の確定申告作成コーナーから作成したので、約10分程で完成だ。計算間違いも皆無だし、なにより提出書類のすべてが自宅のプリンターで打ち出せるので このソフトはかなりの優れものだ。 最近めまぐるしく変わる税制にも正確に対応しているので特別な勉強も知識がなくてもよいし、さらに必要な添付書類も教えてくれるのだからいうことなしだ。 おそらく団塊世代の人達が今後増加し、年金受給者は必ず確定申告しなければならないので、税務署の手間を大幅に割愛できるように先手を打った作戦なのだろう。 ちなみに今年の還付金は33,000円ほどなのでちょっとした臨時の小遣いだ。 税務署から帰って、今度は地元の警察署へ運転免許書の更新手続きに出かけた。 もちろん無事故無違反なので今回もゴールド免許だ。 有効期間は5年間だから次回は70才到達時だ。 今回は30分程のビデオ講習を受けるだけでOKなのだが、次回70才時の更改時は簡単な実地テストもあるらしいと聞いた。 現在はあまり運転しないが、無職人間の「身分証明書」としては大変便利なので今後も保持する予定だ。 |
2007.02.02![]() 500万本の水仙が満開の淡路島水仙郷へ 今年の暖冬でほとんどの花が早咲き傾向にあるが、今日訪れた南淡路島にある灘黒岩水仙郷の500万本ともいわれる水仙が山一面すでに満開になっていた。 さわやかな水仙の香りが一面に漂い、ここはもう春の訪れの状態だった。 今日は久しぶりに阪急トラッピクスの日帰りバス旅行に参加して淡路島へ水仙見物に行ったのだが、今回の集合場所が我が家から歩いて5分程度の豊中市民会館前ということで7時30分という時間も全然苦にならなかった。 マイカーでも行けない距離ではないが、明石海峡大橋の通行料が高いのがもったいない。その点バスだと朝、昼、晩の3食付きで6.980円だから本当に格安だ。 当日ウィークデーにもかかわらず、同じコースに3台のバスが出たがすべて満員の盛況だった。 ![]() 目的地の灘黒岩水仙郷の水仙は、標高608mの諭鶴羽山の海に続く45度の急斜面に咲く日本の三大群生地のひとつだ。 約500万本の水仙が灘の海岸に向かって斜面を白一色に染め上げている光景は圧巻だ。 おまけに水仙独特の甘い香りが周辺に漂い、まさに夢のような光景が続いている。真っ青な海ともよくマッチして素晴らしいの一言に尽きる。 十分に水仙の満開を満喫した後は、高台に威容を誇る昼食場所の「南淡路休暇村」に直行。 50種類のランチバイキングを腹一杯食べて、温泉に入浴。 ![]() しばらく休憩の後、イギリスの湖水地方をイメージして造られた「淡路ファームパーク イングランドの丘」へ。 森と湖に囲まれた広々とした園内で、地ビールの試飲や、自家製ソーセージ、パンの試食を楽しみ、さらにコアラやワラビーや小鳥たちのいる園内を楽しみ帰路へ。 帰りも渋滞はほとんどなく3時間ほどで到着した。 ただ途中、中国道の西宮名塩あたりに来ると車窓一面にかなり積もった雪景色が飛び込んできて面食らった。 宝塚に近づくと何ともなかったように雪景色は消えていた。 今日は局所的に寒気が入り込んで雪を降らしたみたいだ。 帰りのバス内では夕食の「たこ飯弁当」が配られたが、昼のバイキングが胃にもたれてとても食べられなかったが、満開の水仙と格安料金の旅で大満足の一日だった。 |
2007.01.31![]() 29日〜31日まで久しぶりに東京へ 昨年暮れに息子が埼玉県の熊谷から神奈川県の川崎に転勤になり、川崎大師の近くに住むことになったとの連絡があったので新居の訪問と東京見物を兼ねて久しぶりに東京に行った来た。 正月には日本での初詣客の数では三位以内に入るといわれているほど賑わう「川崎大師」さんだが、さすがこの時期になると境内に通じる商店街も閑散としていた。 川崎というと昔は関西の尼崎と並んで工場地帯として空気の悪さで有名な都市だったが、現在特に駅前などは巨大なビルなどが建ち並び数年前とは様変わりしていた。 勿論近くには京浜工場地帯として現在も活況を呈しているのだが、周辺の環境も昔と比べて格段に改善されているようで、住宅地としても発展著しいところみたいだ。 息子も新天地で元気に通勤しており、スポーツクラブにも通っているというから健康にも注意しているみたいで一安心といったところだ。 翌日は家内は東京時代のバドミントン仲間と練習するんだといって朝早くから以前住んでいた小石川に張り切って出かけていってしまった。わざわざ大阪からラケット持参での上京だから恐れ入る。 還暦を過ぎてもまだ現役でスポーツをやれるのだから良しとすべきか。 ![]() 僕ははじめは鎌倉見物でもしょうと思っていたのだが、時間もたっぷりあるので、久しぶりに40年ほど前に学んだ学校近くを巡ってみたくなったので早稲田まで出かけた。 この学校には合計7年間もお世話になったのだが、睡眠時間も毎日4〜5時間ていどしかないほど青春時代真っ最中だった思い出深いところだ。 学舎の建物も当時のまま残っていたのには驚いたが、学校周辺の食堂、喫茶店の建物も当時と変わらず現存していたのにはもっと驚いた。 当時僕が住んでいた下宿は3帖一間で、勿論冷暖房などはなく、試験近くになるとほとんど毎日下宿近くの喫茶店に行き、コーヒー一杯で何時間も粘って勉強していたものだ。 当時鹿児島から東京に出てきてこの店で働いていた女店員のNさんと仲良くなって、特別にコーヒーのお変わりを無料でいただいていたものだ。 その喫茶店の名前はエコーといったが、なんと今は焼き肉店に変わっていたが、建物は昔のままで同じエコーという名前も残っていて本当に懐かしく感じた。 ![]() ![]() 当時親切にしていただいたその店員さんとは、「神田川」という歌の内容そのままで、僕たちのために書かれたのではないかと思うほどそっくりな内容なのだ。 僕たちのデートの起点となった当時の「面影橋」やそこを流れる神田川も昔のままだ。 当時僕は「光風館」というアパートの3帖1間に住んでいて彼女はこの橋を挟んだアパートで生活していた。 彼女の勤務が終わる9時過ぎにいつもこの面影橋で待ち合わせて近くのお風呂やさんに出かけるのを楽しみにしていたものだ。 この面影橋こそ夜のデートの橋だったのだ。 この「神田川」という曲は、昭和48年に南こうせつとかぐや姫が歌って大ヒットになったのだが、僕たちが生活していたのは42年頃だから、当時の僕たちの生活そのものが歌詞になっているみたいで奇妙な感じがしたものだ。 歌詞1番の「赤い手拭いマフラーにして、二人で行った横丁の風呂屋、一緒に出ようねっと言ったのに、いつも私が待たされた、洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸カタカタ鳴った。」 確かに当時の流行で僕も赤いマフラーを愛用していたし、一緒に風呂屋に行って待ち合わせをして一緒に帰ったものだ。 さらに2番の「あなたはもう捨てたのかしら、二十四色のクレパス買って、あなたが描いた私の似顔絵、うまく描いてねと言ったのに、いつもちっとも似てないの、窓の下には神田川、三畳一間の小さな下宿。」 まさにこの通りの生活だったのだ。 それよりも当時のあの人は僕よりも2才年上だったから、今ではすでに67才のおばーちゃんか。どこかで幸せに過ごしているのだろうか。 40年前にタイムスリップしてもう一度当時の生活が出来たらなーと、しばし面影橋から神田川を見つめて珍しく感慨に耽ってしまった。 |
2007.01.21 ![]() 豊中市民ハイキングに参加してきた 今月の豊中ハイキングクラブ主催の月例会は中山寺→天満宮→最明寺滝→満願寺→石切山→釣鐘山→ナイチンゲール像→川西能勢口駅までのコースで約13キロのウォーキングだ。 天候も良く、朝8:20分の集合場所の阪急電車の豊中駅には135名の男女が集合。いつもながらほとんどがシニア年齢なのだがその内約7割が女性だから恐れ入る。 今回のコースにはそれほど高くはないが2つの山越えもあるのだが、特別苦にしないほど女性陣は元気な人ばかりでいつも驚かされている。 ウォーキング中にも良く食べ、良くしゃべり、良く歩くのが女性の元気の原動力になっているのかも知れない。 まずは中山寺に参拝。 ここは「安産の神様」としての関西地方でも多くの信仰を集めている。寺伝では建立は聖徳太子だそうで、本来は真言宗の中山寺派の総本山で西国三十三ケ所観音霊場第二十四番札所と知られたお寺なのだが、本堂にたどり着くまでには弁財天をはじめ厄明神などかなりの数の神様も祀られていて、すべての人間の願いを叶えてくれる様になっている便利なところだ。 ![]() 服部天満宮もそうだが、現在のお寺や神社は単科大学でなく何でもそろう総合大学でなければ経営が成り立たないのかも知れないと思うほどだ。 中山寺の参拝を終え、裏山の梅林の中を通って「巡礼街道」に出て天満宮を目指すが特に名札も目立つところになかったので知らない間に通りすぎてしまったらしい。 一行は最明寺滝に向かう。 最明寺といってもお寺があったわけでなく、鎌倉幕府の第5代の執権・方丈時頼が出家し、最明寺殿と名乗って諸国を遍歴したとき、この滝の美しさに見とれたところからこの名前が付いたらしいが、こちらはてっきりお寺の境内にある滝だと思っていた。 岩肌に沿って流れ落ちている様はなかなか優雅だが落差15m程の滝だ。滝道には多くのお地蔵さんが並んでいて地元の信仰を多く集めている滝みたいだ。 ![]() 再び巡礼街道に戻り、神秀山満願寺に向かう。 満願寺とはいかにも何でも願い事を叶えてくれそうなお寺だが、奈良時代に勝道上人が「千手観音菩薩像」を本尊として創建したとのことだ。 このお寺に入山するには100円拝観料として払わなければならないのだが、ここで昼食時間の予定なので仕方なしに支払ったがお賽銭としてくれた方が気持ちよく支払えるのだが... ここの広場で昼食を済ませて、裏山の方に歩を進めると、なぜか「坂田金時之墓」と書かれた立て看板が見えた。 あの足柄山の金太郎で有名だが、鎌倉時代の源頼光の四天王寺の一人だった彼の墓がなぜここにあるのかわからなかった。特に説明をした掲示板もないようだった。 ![]() さらに歩を進めると四国八十八カ所巡礼場の入り口があり、一番札所から八十八番ケ所迄のお寺の名前を書き、さらに祀られている仏様の名前を刻んだ石像が順序よく等間隔に山の中に配置されていた。 後で気づいたのだが、わざわざ四国まで行かなくてもここの石像様をすべて拝みながら廻れば同じく満願になるという意味から満願寺と付けられたのかも知れない。もちろん真偽のほどは定かでない。 ここからいよいよ二つの山越えに入るのだが、共に300m弱の山で対した厳しさもないと思っていたが、石切山は登りはかなり長い距離の上り坂があってかなりしんどかった。しかし山頂から眼下の市内は素晴らしい光景で疲れも吹っ飛んだようだった。 いつも服部緑地で歩いているお二人(写真=共に80歳に近い)も良く頑張って登ってこられた。 ![]() 逆に釣鐘山は登りはそんなに険しくはなかったが、下りはかなり厳しいところもあって、最後には膝が笑ってしまうほどの下り坂の連続だった。 今回のハイキングの最後のコースで阪急電車雲雀ヶ丘花屋敷駅の近くの大きな住宅地の一角に、世界で2つしかないといわれているナイチンゲールの銅像が建っているところを見学した。 ロンドンにあるナイチンゲール像を元に造った物だそうだが、なぜこんなところに彼女の銅像があるのか説明書きも特になかったので事情がよくわからなかった。 帰宅後調べたら、この土地の所有者だったひとが、日本赤十字病院で療養中に、白衣の天使の手厚い看護に感激してどうしても後世に残したいとのことで、ロンドンのナイチンゲール看護学校入り口にある像を模して造ったらしい。175センチの等身大のブロンズ像だ。 ここを終着点に解散したが、それにしても強は良く歩いた。万歩計は22,000歩を指していたら約2日分の歩く距離だった。 帰りは川西能勢口駅近辺でビールでの乾杯ですべて終了した。 |
2007.01.20![]() 「あゝ上野駅」の井沢八郎さんに合掌! 戦後日本の高度 経済成長期の労働力不足を補うため、農家の次男以降の子供が中学、高校を卒業直後に東京を中心とした都市部の工場に就職するため続々と東北地方の各県から特別仕立ての臨時列車に乗り込み上野駅に降り立った。 上野駅には出迎えの中小企業の経営者や工場長などがわざわざ出迎えに来ていて、彼らを歓迎する光景がテレビ、新聞にも大々的に報道されたものだ。 このような集団就職列車は1954年に開始され1975年までの21年間も運行されていたといわれる。 ![]() 当時彼らは「金の卵」として重宝された貴重な労働力だったのだ。、 その時彼らのバイブルともいわれた愛唱歌「あゝ上野駅」を唄った井沢八郎さんが亡くなった。 上京した彼らには過酷な労働など大変な苦労も待ち受けていたときも、この歌を口ずさみながら苦しみに耐え、故郷を想い、明日を夢見た人も多くいたことだろう。彼らもすでに還暦を迎えた年代だ。 ![]() 歌詞もそうだが、曲も望郷と明日への希望が入り交じった感じが何ともいえない響きがあり、全然関係のない僕たちも学生時代にはよく歌声喫茶などでも唄ったものだった。 すでに就職列車など跡形もないが、2003年に上野駅前にこの歌碑が建てられ連日感慨深そうに多くの人々がのぞき込んでいるそうだ。 ![]() ところで16日に一輪の花が咲いていた服部緑地も、暖かい日が続いたり、雨が降ったりしたこともあって残された花も咲き遅れてはならないとガンバって続々ときれいな花を咲かせ始めた。 月末には梅林も梅の花の見頃がやってくるのではないかと楽しみにしているが、こんなに早く咲くところを見るとやはり地球の温度がどんどん上昇してきている証拠なのではないかと心配にもなってくる。 一方ではニューヨークなのでは何人もの凍死者が出るほどの寒波が襲っているということだから、実際はどうなっているのか心配だ。 もしかしたら地球温暖化というよりも、地球の地軸の傾きが少しズレてきているのではないかと想像したりするのだが.... |
007.01.19![]() 定申告をして税金を取り戻そう! 先日 税務署から18年度の確定申告書の用紙が届いた。 でも最近はパソコンから国税庁の確定申告用専用ソフトをダウンロードし、それに必要項目に数字を打ち込むだけで難しい計算まで自動的に計算をしてくれて、最後の納付金又は還付金までちゃんと金額が書き込まれていて一目瞭然なので、最近はもっぱらこちらを利用している。 特に毎年改訂されてきている税制に沿って計算されるようになっているので間違って計算したり、書き込んだりする事は皆無だから確定申告する人はこれを利用しない手はないと思うよ。 しかもそれをパソコンから印刷をして税務署に持っていくだけで手続き完了だからものすごく簡単だ。 すでに今年も国税庁から18年度のソフトが公開されているので、早速このソフトを利用して18年度の確定申告書を作成した。 約10分ほどで完成だ。 昨年の厚生年金の受給月の所得税の源泉徴収額が、その前年に比べてかなり多いのではないかと感じていたが、案の定源泉徴収のしすぎで、今年は僕の場合はなんと3万円強の税金が還付されることが判明した。 うれしくなったが、よく考えると本来は支払わなくてもよい金額を強制的に徴収されていたのだから腹を立てなくてはならないのだ。利息を付けて返してもらいたいほどだ。 還付の場合は確定申告の受付が始まる2月16日以前でも受け付けてもらえるし、しかも早いほど還付金が振り込まれるのも早いらしいらしいので早速税務署に持っていくつもりだ。。 特に年金生活者は僕の計算ではよほど特殊な事情がないかぎり、今年は還付してもらえるのではないかと想像するので年金受給者は是非一度自分でパソコンを使って挑戦してみたらいいと思うよ。 特に今回で定率減税がなくなるのだから見逃す手はないとおもうよ。 厚生年金受給者はサラリーマン出身が多くて、確定申告の経験があまりなく、源泉徴収されておればあとはなにもしなくて良いという人もいるのを見かけるが、還付してもらえる人にとってはもったいないことだ。 |
2007.01.16 ![]() 今年も暖冬? 梅一輪、一輪ほどの美しさ! 昔どこかで聞いた文句だが、服部緑地の梅林では早くも梅が一輪咲き始めた。 例年より半月ばかり早いみたいな気がするが... ピンク色のきれいな色だが、周りの梅の花も先を越された悔しさなのか、一気につぼみも大きくなって来たみたいだ。 この調子だと月末には、梅林内はピンクや白梅で覆い尽くされるのではないかと思われるほどだ。 早速、今日はこの梅の木の下にブルーシートを敷いて、ウォーキングが終わった仲間(=酒飲み仲間)と今年初めての梅見会をやった。 昨年もこの梅林でウォーキングの後数え切れないほど飲み会をやったものだ。今年も懲りずに... 次回の飲み会には、昨年この梅林から少しいただいた梅で梅酒を造ったのだが、まだ少し残っているのでこれを飲みながら飲み会をやるのもなかなか乙なものではないかなと思っている。 ![]() ところで昨年パソコン回線を光ケーブルに変えたのでスピードも格段に速くなったので満足していたのだが、最近NTTから無料で提供されているセキュリティーソフトをパソコンに組み込んだ途端に急激にソフトの処理速度が遅くなってしまった。 原因はパソコンのメインメモリーが256MBしかないので、セキュリティーソフトを常駐させたことによってメモリーの負荷が大きくなったのが原因とわかったので思い切って倍の512MBにアップすることにした。 メモリーボードは12,000円程かかるので迷ったが思い切って増設することにした。 店に取り付けを依頼するとさらに手数料が何千円と取られるので説明書を見ながら自分で取り付けたが案外簡単に出来た。 取り付け後の処理スピードはかなり早くなってほっとしているところだ。 これからはソフトばかりではなく、ハードの勉強も少しは必要になりそうな感じだ。 |
2007.01.09 ![]() 「長岡天満宮」お詣りとサントリービール工場見学へ 緑陰クラブの今年初めての郊外ウォーキングで、阪急京都線の長岡天神駅近くにある長岡天満宮を訪ねた。 長岡天神には昭和52年(今から30年前)に会社の転勤で仙台から伊丹本社に異動になったときに3年ほど住んでいたことがある懐かしい街だ。 僕らが住んでいた当時はまだこの地域一帯は上下水道も整備されておらず、水道水も地下水の汲み上げだった。 しかし、この地方は豊臣秀吉&明智光秀の天下分け目の大合戦・天王山の戦いで有名な大山崎が近くにあって、そこに雨水等がしみ込んだ地下水を汲み上げていたので飲み水も少し甘みもあり、そのためこの地下水で作られた地元の豆腐がすごい美味かったのを記憶している。 当然トイレも水洗式でなく「ぼっとん便所」という物で、子供達はスリッパなどを落とし大騒ぎしていたものだ。 ![]() 当時は急行も止まらず、そんなに発展していた駅ではなかったが、現在は駅前も整理されきれいな町になっていた。 駅前から整備された道路を15分ほど歩く 長 岡天満宮に到着だ。 この天満宮には菅原道真公の自作の木造が祀られている。 彼が生前よく在原業平らと詩歌や管弦を楽しんだところだそうで、左遷されて太宰府に行く途中にここに立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」として名残を惜しんだといわれている。 この天満宮を後にするとき何度も振り返って別れを惜しんだので、「見返り天満宮」とも呼ばれている。 勿論学問の神様として入試前には受験生も多く訪れるところでも有名だ。 ![]() 道路から「八条ケ池」を渡って天満宮に入るのだが、秋の紅葉時期にはその通路の両側には真っ赤なキリシマツツジが咲き誇り多くの見物人で賑わうところだ。僕も何度かこのツツジを見に来たが本当に素晴らしいの一言に尽きる。 また近くには京都でも有名なタケノコの産地が近く、この境内にある料亭(錦水亭)では竹の子料理の会席料理が食べられる。但し料金がべらぼうに高くてランチでも万を超えるので残念ながら一度も食したことはなかった。 天満宮の参拝の後は、近くの早稲米の守護神として信仰されている走田神社に寄ったあと、昼食は西山体育館の裏手の小高い山の上にある公園で取った。 昼食後は、優良なタケノコの産地として全国的にも有名な孟宗竹が拡がる竹林一帯ではこれから芽を出すタケノコの刈り取り準備に忙しい人々が竹林の手当をしていた。 ![]() 竹林を通り抜けていったん長岡天神駅に戻り、駅前から出ている無料のシャトルバスで最後の目的地のサントリービール京都工場の試飲会に参加した。 ここは特に予約なしでも工場見学とビールの試飲が出来るので便利だ。 新年早々のためか、見学客は台湾からの20名ほどの団体客1組と我々の16人だけだった。 おかげで初々しい女性ガイドの案内で混雑もなくゆっくりと工場見学と試飲(最上級のプレミアモルツだ)が楽しめた。 この工場のビールは大山崎の地下深く浸み込んだ地下水を汲み上げて利用しているので味がまろやかなのが特徴なそうだ。 普段は第3のビールしか飲まないのだが、たしかに樽入りの生ビールの味は格別に美味かった。 それにしても今日のウォーキングは予想に反して良く歩いた。万歩計は15,000歩を示していた。 これまでもアサヒ、キリンとビール会社の工場見学にも行ったが、どこも顧客の固定化に大変な努力を払っているみたいだ。 |
2007.01.07 ![]() 今日の朝食は七草粥? 昔から正月最初の子(ね)の日(1月7日)に若菜を食べると災いや万病を防げると信じられていた。 そのため今年1年の邪気を払い、無病息災を祈って朝食に七草粥を作って食べる風習が現代にも伝わっており、今朝の朝食は七草粥の家庭も多かったにちがいない。 我が家でも普段の朝食はパンと牛乳とトマトジュースなのだが、今日の朝食は風習に従ってお粥の朝食だ。 お粥に入れる七草は 「 なづな、すづな、すずしろ、仏の座、はこべら、母子草、せり」なのだが、現在はなかなか自然のものは自分で摘み採れないのが現状だ。 先日服部緑地にウォーキングに出かけた後、初詣に服部天神宮へ途中にある (名前は立派なのだがドブ川にちかい) 堤防沿いで、なづなとはこべらを 見 つけたので今日のための材料として採っておいた。 その他の具材は我が家の庭で自生していたセリとすずしろは大根のハッパでごまかし、その他の青物の葉っぱなどを入れて一応お粥を作ったのだが、もちろん七草までとはいかなかった。 現在ではスーパーなどでは298円で七草を揃えて売っているのだが、それではあまり夢がないので、あくまで自家製の七草の一部を入れたお粥を作って食べることにした。 確かにこの時期に七草粥を作って食べるのは、栄養学的に見ても理にはかなっているみたいだ。 正月には普段以上にお酒やお餅、おせち料理などを食べて酸性になった血液をアルカリ性に変える役目を果たすのにこの七草は最適な食材なのだ。 たとえばセリの香り、スズシロに含まれている消化酵素のジャスターゼは飲み過ぎや胃のもたれによく利くといわれている。 その他のものもそれぞれ薬効があって、七草粥にして食べるのは良いことづくめなのだが、もっとロマンチックな事を考えながら食べた方がさらに消化に良さそうな感じがすると思うのだが。 ![]() 我が愛読書の「マンガ百人一首」というマンガ本の解説によると、百人一首の15番目に「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」という時康親王(後の光孝天皇 )が詠んだ歌がある。 これこそ春の七草に関係した歌だと思う。 この親王さんはかなりハンサムな青年だったらしく、彼を取り巻く女性にも大変もてたらしい。しかも贅沢が嫌いで天皇になってからも自分でも炊事をしていたといわれている。 ある日親王は野辺で春の若菜を摘んでいたが、これが春の七草だったということだ。 この若菜は当時の人々の大切な食べ物だったので、これを摘んで恋人に送ったときに添えて詠んだ歌がこの歌といことだ。 当時は、人に物を送るときには歌を添えるのが習わしだったらしい。 このようないにしえのロマンチックな風習などを想像しながら、お粥を食べるとべつにきっちりと七草が入っていなくても一層消化が良くなるというものだ。 蛇足だが、この親王は54歳で天皇の位に就いたが4年後に突然病気で亡くなってしまったらしい。 無病息災のお粥の効き目は? さらに紫式部は、この天皇をモデルにして「源氏物語」を書いたといわれている。 ロマンチックな話はどこまでも続いていくのだが.....。 |
2007.01.03 ![]() 今年初ウォーキングで服部緑地公園へ 昨日の予定だったが、あいにく雨が降っていたので、今年初めて女房殿と二人で服部緑地にウォーキングに出かけた。 服部緑地は自宅から歩いて15分ぐらいのところにあるのだが、実に甲子園球場の約33倍の広さがあり、「日本の都市公園100選」にも選ばれていて、地元の大阪府が管轄する実に大規模な都市公園だ。 年間の利用者数も約600万人以上にのぼるといわれており、特に地元の人達の憩いの場所として絶対的な人気がある公園でもある。 ここは市街地のまっただ中にある公園なのだが、園内には竹林、松林、梅林などの広大な自然地帯と大小10数カ所の池もあり、また野鳥の楽園として有名で多くの種類の野鳥が飛び回っているところだ。 さらに園内にはユースホステル、乗馬センター、日本の古い民家を集めた「日本民家集落博物館」、広大な釣り堀、20面ほどの屋外テニス場、昔競輪場だったところを整備した総合陸上競技場、野外公会堂、都市緑化植物園、さらに屋外バーベキューが出来る広大な芝生など何でもありの緑地公園だ。 勿論園内は一部の施設を除いて無料だから、毎日大勢の人々がそれぞれの目的を持って訪れているのだが、あまり混み合っていないように見えるのは、この広大な敷地のおかげかも知れない。 僕などは去年時間があればほとんど毎日出かけていってウォーキングを楽しんでいたのだが、四季折々の自然を感じることが出来て大いに満足できたものだ。 この緑地内には竹林も多くあって、シーズンになると通路の至る所からタケノコが芽を出して季節の移り変わりを楽しませてくれる。 勿論タケノコを採らないようにとの看板等もあるが、そのほかのものについてはそんなに管理も厳しくはないみたいだ。 竹林の他にも梅や柿などの樹々も多く、季節になるとたわわな実がなって小鳥たちが競って食べにやってくる。 中には鳥に混ざって人様もご相伴に預かっている人も多いみたいだ。 昨年は緑地内の梅林では特に多くの実を付けたので、少しいただいてかえって梅酒を作ったがなかなか美味くできあがってウォーキング仲間と飲み合ったものだ。(ここは大阪府の管轄なので府民税を少し返してもらう感じで梅を少々いただいたのだが?) ![]() 1時間ほどウォーキングを楽しんだ後、服部駅近くの「服部天神宮」にお詣りに行った。 ここは御祭神として 薬の祖神=少彦名命(スクナヒコナノミコト)と学問の神様=菅原道真公 を祀っている。 特に菅原道真が延喜元年に京都から太宰府に左遷されることになり、その途中この天神宮近くで持病の脚気が悪化して歩くことが出来なくなったらしい。 それを見かねた村人の薦めで、医薬の祖神=少彦名命を祀るこの神社で祈願したところ、完治したところから「管公、脚気平癒の霊験」としての噂が拡がり、その後大勢の人が 「足の神様」として訪れるようになったと伝えられている。 最近はサッカーの大阪ガンバの選手もこの「足の神様」のところにお詣りに来ているみたいだ。 僕らの今後の生活で一番大切なのは、いかに「足」を丈夫に保つかということに尽きると思う。 幸い「足の神様」が近くにいるということで、先ず年の初めは「神頼み」からということで毎年お詣りしているのだが...。 ここは一つ疑問は感じずに素直に信じることにして、お賽銭をあげて一応真面目に拝んできた。 おそらく今年一年は御利益があり大丈夫だろう? ただ神様だけに頼るのでは心許ないので、今年も出来るだけウォーキングに励んで足が衰えないように鍛えようと考えている。 |
2007.01.02 ![]() 目的もなしに梅田散策? 今日は朝から今年最初のウォーキングに出かけようと張り切っていたのだが、あいにく雨模様だったので梅田散策に出かけた。 特に目 的はなかったのだが家でテレビを見ていても仕方ないのと、外の正月模様を実感したくなったからだ。 僕などは一年中、サンデー毎日の日々を送っているので休日といっても特にピンとこないが、それでも正月ともなるとまた違った雰囲気に巻き込まれてしまうことも確かだ。 梅田界隈は阪急、阪神、大丸と3つの百貨店や大型電気店などが林立しているので大勢の人達が行き交っていたが、僕は特に買う予定のものもなかったので近くの「お初天神」に詣りしてきた。 この「お初天神」は、近松門左衛門の「 この世のなごり、夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の。七つの時が六つ鳴りて残るひとつが今生の。鐘のひびきの聞きをさめ。寂滅為楽とひびくなり」の名口上で曾根崎心中の現場として有名なところだ。 本来の神社名は「露天神社」( つゆのてんじんじゃ)といって、創建1300年の歴史がある古社で、現在も曾根崎、梅田地域の総鎮守さんとして崇敬を集めている。 元禄16年4月7日、堂島新地の天満屋抱えの「お初」と、内本町平野屋手代「徳兵衛」がこの境内で情死し、近松門左衛門が「曽根崎心中」として劇化し、大成功を収めてからは、「お初天神」としての呼び名の方が有名になり、境内に続く商店街もお初天神商店街と名付けられているほどだ。 境内には立派な二人の像と立てられていて大勢の人が訪れていた。心中場所が大人気となっているのも変な事だが...。どこかにかなわぬ恋に共感する人が大勢いるのかもしれないが。 |
2007.01.01 新年明けましておめでとうございます! 大阪の今年の新年はすがすがしい快晴の天気で迎えました。 新年を迎えたといっても昔ほどのときめきを感じることもなくなりましたが、それでもなんとなく新鮮な気持ちになって心も新たに今年一年をどう過ごそうかと考える時間を持つことは出来るものですね。 昼過ぎになって近くの原田神社に初詣に出かけてきた。 現役時代は転勤もあったので、我が家では昔から住居近くの神社にまずお詣りすることにしていたので、仙台や長岡京市に住んでいたときも近くの神社にお詣りに行ったものだ。 ![]() 現在の住まい近くにある原田神社は現在住宅地に囲まれているので敷地も大きくはないが、なかなか歴史的には由緒あるところだ。 社記によると白鳳12年(西暦684年)に天武天皇が神宝、神鏡や獅子頭を納められたことや、また同時代に悪病が流行したときに「妖邪退除」の詔勅を下して当神社に祈願されたことが記されている。 また東は吹田市榎阪町から西は尼崎市富松までの72ケ村に及ぶ氏神として影響力を持っていたとのことだ。 現在も地元地域の人々には絶対的に人気も高い神社だ。 自宅から歩いて5分位なのだが、すでに長蛇の列で境内に近づくまで昨年の約2倍の1時間たっぷりと並ばなければ近づけなかったほどだ。 お詣りは1分もかからないのだが、それでもほとんどの人がじっと順番が来るのを待っているのはやはり正月独特の気持ちが表れているようだ。 お詣り後に、境内で今年の運試しにおみくじを買ったが、なんと今年は「大吉」 だった。 と言うことは皮肉に考えると今が運のピークで後は下がる一方だということかもしれないと想像してしまった。 ただ裏には英語で Ears of rice are shining like gorden waves. Thanks to God, we'll have a good harvest this year. と記されていたので、ここは素直に喜んで今年一年この運を持続できるよう努力して頑張ってみようかなという気持ちになった。 自宅に戻ると、今年も高校時代、大学時代、会社勤めの時代、そしてリタイヤー後に知り合ったウォーキング仲間などから今年も年賀状が届いていた。 最近はパソコンなどの普及により、年賀状の発行も激減しているとのことだが、年一回の消息が知り合える唯一の機会でもあるので、この素晴らしい風習は今後とも大切にしたいものだ。 |



