最近ネットを見る時間が増えて本を読まなくなってきました。ネット上にはきれいなおねえちゃんの画像とかいっぱいありますからねえ。でも、そんなことばかりしてると悪い頭がさらにボケていきそうなのでどさっと(というほどでもないか)本を買ってきました。上3冊はここ10年くらいのフランス政治の本です。高校入試で四国の白地図に「さが県」と書いたことはあるわ、高校の地理の中間テストでクラス断トツ最下位の7点(もち100点満点)を取ったことはあるわの私が、曲がりなりにもこういう本を読もうなどという気になるのは、元をたどればミッチェルのおかげかも。そう考えるとミッチェルは偉大なフランス大使だったと言えるのではないでしょうか。 (2008/12/3)

 「シラクのフランス」はいわば基本。シラク政権時代のフランスをまとめたもの。この本だけではありませんが、アメリカにしっぽを振って付いていくだけのアジア某国とは、ちがいますね。

 「日本とフランス 二つの民主主義」は少しユニークな視点で、「右」と「左」の定義を確認するとともに、日本にもこうした定義に基づいた対立軸が必要ではないかというもの。これを読むと今の日本の「二大政党制」がなぜぐだぐだかがわかってきそうです。

 「日本とフランス・・・」にも出てきますが、シラクとジョスパンが争った大統領選挙では、若者の高失業率が争点でした。このとき保守のシラクは経済活性化による雇用増大を言い、社会党のジョスパンはワークシェアリングによる雇用創出を主張しました。

 どっちがいいとかじゃなくて、こういう選択肢が日本の「二大政党」にあるでしょうか。方や給付金ばらまき、方やなんでもいいから解散しろです。高速道路無料化も言ってるって? それこそポピュリズムです。

 たとえばワークシェアリング。死ぬほど働かされている(ていうかホントに死んでる)正社員と使い捨ての非正規労働者の両極端に別れてしまった日本の現状を考えると、いいんじゃないかと思うのですが、どこも言い出しませんよね。日本人の生き方働き方、しいては社会のあり方を変えるかもしれないもので、定額給付金やら高速無料化やらネタミをベースにした公務員たたきとかとは次元の違う政策のはずなのに。

 ワークシェアリングといえば、(古い話ですが)社民党の辻元清美が秘書給与問題で追い込まれたとき「あれは秘書給与を事務所でワークシェアリングしていたんだ」と答えて失笑を買ったことがありました。社民党(旧社会党)に関しては村山内閣が長良川河口堰にGOをかけた時点で見切っていましたが、ここまでかとあきれたものです。

 自民党や民主党ならともかく、働く人のための政党でしょ・・・。

 「日本とフランス・・・」は、フランスの「右」と「左」を対比させることで、こういう選択肢の提示が必要というものでしたが、日本に(事実上)ない「左」の選択肢を説明する必要から、ややこちらに好意的に読めます。これに対して「フランスに学ぶ国家ブランド」は、明らかに「右」の立場。

 バランスを取るために両方読むのがいいとは思いますが、たとえば日本企業の撤退に抗議してハンストをした議員を「羊飼い」「素っ頓狂」と決め付けるなど、なんだか視点がいやらしい(そんなつもりで「羊飼い」という言葉を使っていないと著者は言うかもしれませんが、そもそも議員の職業を書く必要はないわけですから、これは著者の職業に対する差別意識でしょうね)。フランス人が公務員の増員に寛容な理由も「日本とフランス・・・」に比べると、なんとも特権階級的見方が鼻につきます。著者は元外交官だそうで、上流階級の人ってこういう視点なのねという感じ。自らの業績を自慢げに並べているのも、ああそうですかというところ。

 「日本とフランス・・・」で書かれる「右」と「左」の定義によると、日本はちょっと異質だそうです。本来自由を意味する「リベラル」は「右」の言葉はずなのですが、日本では「左」に対して使われます。なぜこうなってしまったのかというと、アメリカのまねっこなんですね。

 じゃあ、「リベラル」が「左」になってしまうアメリカの「右」って一体なんなのよというのが、「アメリカの宗教右派」。この世は神が創り賜うたものだから学校で進化論など教えてはならぬという主張が一定の力を持っているなど、日本人の理解を超えています。

 この「右」も「右」ですが、「リベラル」が幅をきかせた70年代には行き過ぎた自由で社会が荒廃した面がかなりあったようです。人間という動物は宗教ででも縛っておかないといけない、どうしょうもないものなのかなと考えさせられます。

 それはさておき、実はアメリカは宗教国家だったということで、そうなると「テロとの戦い」も宗教戦争では? ええんかそんなもんにかかわって。

 「検索バカ」は上の4冊とは関係ありません。朝日新聞の書評欄を見て買ったのですが、これは第1章だけ読めばOK。その後は「クウキ(KYのK)」が日本を息苦しくしているという主張が展開されるのですが、日本人は昔から「世間さま」にかなり縛られてきたわけで、あまりピンときませんでした。

 「小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか」は・・・あ、まだ半分しか読んでないわ。この本にも出てくる竹中(わしやないぞ)がこないだサンプロに出ていましたが、「カイカク」の影の部分について、経営者が悪い、労組が悪い、首長が悪い、労基署が悪いと責任転嫁しまくりでした。たいしたもんだと思いました。

 「文芸誤報」は、斎藤美奈子おば・・・お姉さまの書評集。172冊取り上げられていますが、私が読んだことがあるのは8冊しかありませんでした。あかんがや、つくづく活字離れです。それでもこの人の書評は面白い。

 実はまだこれも半分しか読んでいませんが、この中の「70年代って、いちいち恥ずかしい」というのに「うっ」ときました。「大型バイクもいまじゃ流行らなくなり、乗っているのはオヤジだけ」とも。私らの信奉するルアー&フライフィッシングも70年代に入ってきた「新しい釣り」だったわけですが、これもそろそろ「恥ずかしい」ものになってきているのでありませうか(子供の釣りばなれを考えるといずれ釣り自体「生き物をいじめる残酷で汚い恥ずかしい趣味」になるような気もするな・・・)。

 斎藤姉さんにはぜひ「男性誌探訪U」をやってほしいですね。一回この人にボロカスに書かれてみたいものです(マゾか)。

 ついでにというかこれも本つながりですが、10年くらい前京極夏彦の妖怪小説というのが流行りました。あの、登場人物が長々と妖怪に関するうんちくをたれる部分は、なんだったんでしょうね。あれも複線なんだという説もあるそうですが、読者に話の本筋を忘れさせて、ストーリーやトリックを複雑に見せかけるためのものだったのでは、なんて思っちゃうのですが・・・。

 ああいうのがいいのなら、登場人物が突然リールに関するうんちくを長々と披露する小説はどうかとか考えたことがあります。でもって、探偵役が「やつは犯人じゃない。スピニングを右巻きするようなやつに緻密な計画は不可能だ」とか言っちゃうの。なんじゃそりゃ。

 一応シリーズは全部読みましたが、「塗仏の宴」のあたりから長さに耐えられなくなってきて飛ばし読みするようになり、「邪魅の雫」のあたりはストーリーも覚えてません。長すぎます・・・なに、今日の扉も長すぎる? ほんとやね。

 2008年9月13日、峠川のイワナです。リールは同い歳かもしれない408。昨年秋に07ルビアス2506、今年春に08ツインパワーC2000Sと購入しつつ、扉写真のとおり結局ほとんど使いませんでした。ルビアスはひと振りしただけで「なんちゅう軽さや!」、ツインパワーはひと巻きしただけで「なんじゃこの滑らかさは!」と圧倒されます。でも、なんだかすぐむなしくなるんですね。開高健風に言うと、「その冷徹な徹底ぶりに、たじたじとなるのである」てなところでしょうか。で、次の釣行にはミッチェルを持ち出しちゃう・・・。 (2008/11/26)

 以前自動車雑誌で日本メーカーの開発担当者がプジョー205を評して、「裸で走っているみたい」と語っていました。ミッチェルの使用感ってそういう感じです。

 これに対して今のリールはなんだか息が詰まる感じ。ミッチェルはすかすかな感じがなんだか気楽。出来がいいとかわるいとかではなくて、なにかそういう空気があるんですね。

 ステラやイグジストを買わないのはお金がないからですが、こうなるのがわかっていてもったいないからっていうのも大きいです。

 飽きたら売っちゃえばいいじゃんって、今の人は言いそうです。ヤフーオークションも活況だしタックルベリーもあちこちにあるし、そういう人は多いのでしょう。

 でも、私はできないんですね。いったんは自分のところに来た道具がひどい扱われ方をしていたりすると、悲しいです。実際そういう経験もあるし。

 まあ、ひどい使われ方をするのと使われずにしまっておかれるのと、どっちがリールにとって幸せなのかはわかりませんけどね。

 筑紫哲也氏が亡くなりました。私は高校生のころテレビ朝日の「日曜夕刊!こちらデスク」という番組が大好きで毎週見ていました。政府の圧力で(と当時言われていた)82年の秋に打ち切りになったのですが、その最終回、筑紫氏がファンだという井上陽水が出演し、「傘がない」「ワカンナイ」「勝者としてのペガサス」を歌いました(*)。昨日のTBSの追悼番組にも陽水が出ていて、26年前を思い出しました。ご冥福をお祈りします。 (2008/11/12)

 大学生のとき学園祭で筑紫氏の講演があって、聞きに行ったこともあります。人間は誰も社会とかかわらずに生きていけないのだから、社会に対し関心を持たないといけないという内容でした。

 筑紫哲也氏というと「ニュース23」のイメージが強いようです。でも、私にとっての筑紫哲也は「こちらデスク」でした。「ニュース23」はむしろ無難でやや退屈なイメージ。それくらい「こちらデスク」はユニークで面白い番組でした。

 「こちらデスク」に、こんな回がありました。自民党の改憲派と護憲派の議員を討論させたのですが、方法がユニークでした。二人を直接会わせるのではなく、一方の主張をビデオに納めて相手に見せ、反論もビデオでさせるのです。ビデオレターの往復みたいな方法です。

 こうすると、相手の言うことを最後まで聞きますし、自分もよく考えてから話します。相手の意見をよく聞いた上で自分の意見を言うという民主主義の基本を筑紫氏が大切にしていたということでしょう。口げんかショーと化した昨今の討論番組とは対極です。

 「こちらデスク」でもうひとつ思い出すのは竹村健一特集です。「こちらデスク」は打ち切りが決まって最後5回くらいはかなり思い切った企画が続きました。そのうちのひとつがこれです。竹村健一とはいまも有名な政治評論家ですが、あのころは年に何十冊も著書を発表(ただし後にゴーストライター疑惑が出る)、CFにも登場する人気ぶりでした。

 「番組も残り少ないのにこんな人など取り上げたくもないですが」と筑紫氏が始めたその回は、竹村健一に批判的な識者のコメントで構成されていました。いわく「竹村は右と財界の代弁者」「反知性主義」「安易なたとえ話で話をすりかえる」といった具合です。

 こういう特定の人物を批判する番組はいけないのかもしれませんが、それくらい当時の竹村健一は影響力があったのです。今のようにメディアは多くなかったし、ニュースショーもほとんどありませんでした。一般の人への影響力は現在テレビに出ているコメンテータの比ではなかったことでしょう。実際、私自身竹村の言っていることが違うなあと思っても、「こんなに有名でテレビに出まくっている人が言うんだからこっちが正しいのだろう」と思ってしまっていました。ちょっとケースは違いますが、細木数子がエラソーにしゃべっているのを何かありがたいお言葉のように無批判に受け入れちゃう人っているでしょ。ああいう感じです。うちの両親なんかもそうですが。

 こういう、有名で人気のある人はみんな正しいという(田舎者特有の?)思い込みから開放してくれたのが、「こちらデスク」の竹村健一特集でした。あれから人の言うことや価値観を無批判に受け入れるのが、かっこ悪くてつまらないことだと思うようになりました。何かと体制に反対したがるへそ曲がりになった面もなきにしもあらずですが。

 私がこのサイトを作ったときのコンセプトは「高いリールがいいとか、有名プロが使っているリールがいいとか、アブは古いほどいいとかいう人の価値観じゃなくて、自分の価値観を持ったほうが面白いぞ。ほらここに、こんなヘンなモノが好きなヘンな奴がいるぞ」というものでした。

 もし「こちらデスク」がなかったら、このサイトの内容も今と違ったものになっていたのかもしれません。


*:上の「こちらデスク」最終回に陽水が歌ったとした「傘がない」「ワカンナイ」「勝者としてのペガサス」ですが、「ワカンナイ」の入った「LION & PELICAN」は82年12月発売でした。この3曲には記憶違いがあるかもしれません。

報復 !?
 そら、発売前のクルマがカーオブザイヤー取るわけだ。

 2008年5月31日、坂内川のアマゴです。今年は揖斐川水系の近場ばかりに行っていました。理由は、クルマと人間の修理代にドドーンとお金が飛んでいってしまったからです。22万キロ乗ってこの春エンジンを載せ換えたシトロエンは臓器移植の拒絶反応かその後も不調続き。気がついたら秋の車検も含めてステラ10台分くらいの費用を食っておりました。「エコ替え」(エコ買え?)なんぞというバカタレなキャッチコピーがまかり通る世相に抵抗すべく修理に踏み切ったのですが、サブプライムなぞ関係なしに経済危機じゃわ。 (2008/11/4)

 もうひとつの「人間の修理」は歯です。といっても単に虫歯の治療ではなくて、金属の補修材を非金属に換えたのです。

 私は、20代になったころから、なんとなく体が弱くなっていきました。すぐ胃腸が不調になったり、学生のころは大好きだった夏にひどい夏バテを起こすようになったり、体が疲れやすくなったりです。30代になると、化学物質過敏症にでもなったのか、ロッドの改造などに使うエポキシの臭いや、新品の靴のゴム臭、液体蚊取りなどでひどく体調を崩すようになりました。

 歯に疑いをもったきっかけは3年前でした。奥歯の銀のかぶせ物がひとつ取れてしまったのですが、歯医者に行くのがめんどくさくてそのままにしてしまいました。ところが、その数週間後くらいからなぜか食欲が倍増し、体調を崩すこともずっと少なくなりました。こんな状態は学生時代以来でした。

 半年くらいたったころちょうど夏の暑さもあいまってか体調は元に戻ってしまったのですが、噛み合わせの関係で自律神経がおかしくなっていたのがかぶせ物が取れて一時的に回復、その後また体が元に(悪いほうに)戻ったのかなあと思っていました。

 かぶせ物をまた付けたらもっと体が悪くなるかもと思ってその歯は放っておいたのですが、今年また別の銀のかぶせ物が取れてしまい、さすがにこのままではいかんだろうと歯医者に行くことにしました。

 で、この機会に歯の治療についてネット検索などで調べたら、銀(金銀パラジウム合金)やらアマルガム(なんと水銀合金!)が体に悪影響を及ぼすという説があるではないですか(詳しくは「歯科金属アレルギー」「歯科アマルガム」「ガルバニー電流」などでネット検索してちょ)。

 それで思い出しました。小学生のころ学校で歯の検査をされて夏休みに歯医者に行かされますが、あのころは「長く使うものだから」と親にお金を持たされて保険外治療の金を入れてもらったものです。記憶があいまいですが、その後自分の意思で歯医者に行ったのは大学のころでした。このときは金ではなく保険のきく銀を使いました。そしてこのとき歯医者さんが助手に「アマルガム(を用意して)」というのを聞いて、なんだろうなあと思った記憶があります。もしかすると、20代以降体が徐々に弱ってきたのは、これがスタートだったのかもしれません。

 で、今回銀とアマルガムをセラミック系のものに替えたのですが、恐ろしいことに銀とアマルガム以外の歯科補修材は保険がきかんのです。今回かかった歯医者さんは「金も合金だから取ったほうがいい」と言いますが、セラミック系かぶせ物は1本でステラ1台分以上しますから、泣く泣く金3本は残しました。それでもついでに見つかった親知らずの抜歯も含めてこれまたステラ10台弱のお金がぶっ飛びました。

 で、体調はどうかというと、銀とアマルガムを取り除いた直後にG杯アユと平谷湖の取材が立て続けにあって、どちらも早起きだったり未明から走ったり炎天下の取材だったりでしたが、けっこう大丈夫でした。今までなら、体調を崩してヘタをすると何週間も不調が続くこともあったパターンです。

 こういうなんとなく体の調子が良いとか悪いとかは精神的なものもありそうです。それに、不規則なことをしたときに体調を崩す(私の場合具体的に言うとおなかを壊す)ようなことがまったくなくなったわけではありません。でも、全体としては、だんだん体がすっきりしてきているなという感触は確かにあります。

 世の中には、原因不明のアトピー、過敏性大腸炎、化学物質過敏症、自律神経失調症などで悩んでいる人がいます。その原因のひとつに歯の保険治療があるとしたら、恐ろしいことです。命にかかわる肝炎やHIVでも責任をなかなか認めなかった国ですから、この問題が表面化することは未来永劫ないでしょうけど。

 ペン・スピンフィッシャー750SSの駆動ギアです。G誌11月21日売り号の連載記事のためにハイポイドギアの写真が必要になったのですが、搭載リールを持っていないためヤフオクでリールごと買いました。ペンはS社在職中に強度や耐久性をテストしたのでちょっと懐かしいなという気持ちもあって、使う予定もないのに買ってしまいました。当時アメリカ向け大型スピニングが壊されて返ってくることが多く、あっちを補強するとこっちが壊れみたいなことを繰り返していたものです。国内にジギングみたいな釣りもなく、なにやらすごい釣りに使われているんだなあと思っていたものです。 (2008/10/22)

 ペンも比較として強度や耐久性を見たものです。強度は力持ちのおじさんたち(と書いてしまったがたぶんいまのワシより若かったのだろう)が非常階段の上からオモリを巻き上げてテストしていましたが、私は(興味本位で)耐久マシンテストをしてみたことがあります。

 S社には耐久テストが2つあって、ひとつはなぜかD社のリールだけがとっとと焼きついて止まるという不思議時空(笑)のような方法でした。もうひとつは私が別の目的の試験機でやってみた方法で、これはなぜか(当時の)S社のリールがぽっくり逝って、D社のリールが生き残るという結果が出たものです(07ステラのカタログを見るといまやってるのはこっちみたい)。

 不思議だったのは、そのどちらのテストでもペンはころりと逝ってしまったことです。かといって、当時もいまもペンのギアが弱いという話は聞いたことがありません。過剰テストだったのかしらん。でも、いまS社のリールは耐久性に定評がありますから、方向は間違っていなかったんだろうなと思います。

 ところで、最近アメリカのピュア・フィッシングのサイトをのぞいたら、ペンリールまでが、シェイクスピア、フルーガーとともにピュア・フィッシングのいちブランドになっちゃってました。

 どうもピュア・フィッシングを買収したコールマンの下にシェイクスピアとフルーガーがあって、ペンはその前にシェイクスピアに買収されていたようです。むちゃくちゃでござりまするがな・・・。

 アメリカの釣り関係のBBSを見ていたら「シェイクスピアなんかに買われてペンはどうなるんだ!」という嘆きみたいな書き込み(私の英語力で読んだので違うかもしれん)がありましたが、アメリカ人もそう思ってるんですね。

 リールというのは最大の消費地でありながらほとんどリールを作っていないアメリカに、リールを使う釣りのない地域で生産されたものが輸出されるという、一種特異な製品です。これが多くのリールを使いにくいものにしています。80年代のシマノスピニングや現在の中国スピニングのスプールがフェザリング無視の位置なのもこのせいです。

 そう考えると、細々とでもメイド・イン・U.S.A.のペンは貴重な存在です。さて、さらにピュア・フィッシングに買われて、どうなるんでしょうか。

なんかムカつく

 2008年5月18日、坂内川のアマゴです。リールは90年代のミッチェル308PROプラナマティック。このモデルはメイド・イン・フランスとなっていました。このころすでに300シリーズは台湾製でしたが、ダイキャストのボディーなどを台湾から入れつつ他の部品をフランスで作って組んだようです。他にもクォーツ330の箱にマジックで何か消した跡があり、シンナーで拭き取ったら「Made in France」が出てきました。日本向けプラナマティックモデルだけでなく、フランス国内向けにもフランス組み立てがあったみたいです。細々とでも組立部門を維持していたのでしょう。 (2008/10/9)

 以前は「フランス製」と書いてフランス国内の国粋主義や日本などの舶来信仰にうったえようとしたのだろうと思っていたのですが、理由はそれだけではなかったのではないかと思うようになりました。

 労働集約的なリール生産は、人件費の安いところへ移っていく運命です。だったら、企画・開発・デザイン部門だけ本国でやればいいという考え方もあります。

 しかし、そうはいかんのですね。機械部分を設計しようと思ったらやっぱり製造のことがわからないといけません。ちょっとケースは違いますが、私は昔S社でパーツの強度試験冶具の図面を部品加工課に出そうとして「これではエンドミルが入らないから加工できない」と言われたことがあります。でも、そのときの私は「エンドミル」を見たことがありませんでした(次に入った会社では直径20mmくらいのを真っ二つにしたこともあるけどね)。

 一事が万事で、製造部門がなくなってしまった会社でリール1台分の図面を描いたら、こういうことが山のように出てくるはずです。公差だって付けられないでしょう。

 じゃあ、機械部分は製造メーカーにまかせてデザインだけでも本国で・・・といっても、中身のわからない人がデザインだけやると、昔のジウジアーロTDみたいになってしまいます。

 そう考えていくと、採算が合わないはずなのに、ミッチェルがフランスに製造部門を残していた(らしい)のは、賢明なことだったのではないかと思います。だからこそ、クォーツや300Xのように良くも悪くも独特なリールが生まれたのでしょう。

 しかし、不採算部門を抱えていては、会社(というより株主様)の儲けは少なくなります。こういうのを許さないのがアメリカ流の株主資本主義。ピュア・フィッシング(バークレイ)がミッチェルを傘下に入れて真っ先にやったのが300の生産中止とともにフランス開発部門の廃止でした。当然製造部門もでしょう。

 そして現在、ミッチェルブランドのリールに、「ミッチェル」はあるでしょうか。

 現在アメリカ発の株暴落でアメリカ流資本主義の終焉もいわれています。ホントこういう銭儲け第一主義はとっとと崩壊してほしいものだと思います。

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