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雨乞いをしているかのように、気象庁のホームページを何度も見る日が続いた。仕事がら、いつだって気象庁の防災気象情報のページは見ているのだが、雨の予報はことごとく外れ、雨のない日々に心が疲弊しかけていた時、0ミリの予想雨量が1時間に10ミリ以上の雨に変わった時は、文字通り降ってわいた雨に喜んだ。つい3日前のことだ。
結局、3日間で60ミリの雨が降った。その中で、1時間に10ミリ以上の雨が2回あった。相当に強く降ったのだが、浸透圧も相当に働いたのだろう。畑に行って、土の下のほうまで水がしみ込んでいることを確かめた。6月から7月までの長い梅雨では、大雨の連続で、降れば50ミリの雨、ということが少なくなかった。そのことと同じことが、今起きている。そして、今日すっきりと晴れた。気温が上がった。朝、ほうれんそうが育っていることに喜んだ恭さんは、早速秋のほうれんそうを初収穫して、ファーマーズマーケットに出すことを僕に伝えてきた。それが、昼過ぎには、恭さんの声のトーンが違うものになった。
大雨の具合が色濃く表れた畑の排水不良部分では、加湿が深刻で、そこへ気温が上がって葉ものがだめになることがある。その兆候が、ほうれんそうばかりでなく、葉大根などにも表れ始めたのである。朝、どんなにおいしそうな風情を浮かべてほうれんそうが佇んでいようとも、昼にはシナーっとして、後は枯れるのを待つばかり、という具合なのだ。ようやく待ちに待った葉もの類の出荷にこぎつけたと思ったら、また奈落の底に落とされそうになるのである。僕はもう慣れっこになっているから、前を向いていくほかはないと思っているのだが、そういうときにもニコニコしているのがいいのかどうなのか、ちょっと疑問ではある。どんなに楽観を標榜していても、大変なときにはやはり大変なのだ。
2か月雨ばかりで、2か月雨のない日々、そしてまた大雨の日々、となると、これはもう雨季と乾季の時代に突入したと言っていいのかもしれない。数年前に砂漠化を予言したことがあるが、まさかこんなに早く雨季と乾季に分かれるような天候がやってくるとは、ちょいとばかり早すぎると感じる。こうなったら、もうこれからも雨季と乾季が交互に来るものとして、野菜の作付準備を進めなければいけない。
実は、今回、予想雨量0ミリの予報を見ながら、降り始めたら止まらないかもしれない、と覚悟はしていた。雨の前、たまねぎの種播きを準備していたのだが、急きょ予定変更をした。玉葱の種播きを遅らせ、畑で畝立てをして、分解性のマルチフィルムを張って白菜やキャベツの植え付け準備をし、大根の種播きも終えていた。雨が降りだしたら、当分畑にトラクターを入れることはできないからである。してやったり、だったが、葉ものがやられてしまうことにまでは頭が回らなかった。
あの乾いた天候からすると、予想以上に葉ものが育ってくれた。たくさん売る準備を始めた。一転して3日で、葉ものは萎えはじめてしまった。葉ものが足りない事態にならなければいいが、覚悟しなければいけない。雨季と乾季には、中庸がないのだ。
2009年10月1日 寺田潤史
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