業務日誌(2002年9月その2)

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9月20日 雑感(総合学習、北朝鮮、事務所LAN大混乱)

(その1)

 去る18日に、青年会議所を通じての依頼で、地元の公立中学校の5限目に1時間の講師をしてきました。

 当日は外資系証券会社会長の方や女子アナの方など、そうそうたる面子が来ており、有名人のオーラに慣れていない私はどぎまぎ。すっかり調子が狂ってしまいました(^^;

 いわゆる新指導要領で始まった「総合学習」の一環ということで、とにかく弁護士という職業の説明で1時間が終わってしまったような感じでしたね。

 ただ、社会人を呼ぶという企画自体は非常にいいと思いますが、中学生に将来の職業像を描かせるということは、少々無理があるようにも思います。世の中スペシャリスト礼賛時代で、できるだけ早く職業観を身につけさせるのがよしとされる風潮ですが、私に言わせると、中学生時代は何も考えずに遊んで部活動やってるほうが健全じゃないかなあ、と言う気がしますね。おっとオヤジくさくなってしまった。

(その2)
 北朝鮮の拉致被害者の死亡が判明して日本中大変なことになっていますが、なぜか右から左までマスコミが(日経でさえ)、もはやこの問題以外は眼中にないような異口同音の騒ぎ方をするのか少々疑問です。

 右はもともと北朝鮮との国交回復に批判的でしたからここぞとばかりに批判する。これは一番わかりやすい。

 左は左で(政党の左は違いますが)、ヒューマニズムの観点からでしょうか、遺族の憤りを最大限に取り上げる。

 日経は………何ででしょうか?今回ばかりは余りよくわからない。さすがにこの問題は日本国民の逆鱗に触れてしまったという解釈なのかな。

 1社くらいは、純粋に国益の観点から冷徹な議論をしてもよさそうなものですが。実際には私自身も、個人的には真相が完全に究明されないならば国交など回復しなくてもいいのではないかという気持ちもありますが、あんまりマスコミが横一線だとかえって異を唱えたくもなります。

 ちなみに日弁連も言わずもがなな声明を出しているらしいです。

(その3)
 昨日から事務所のネットワークが大混乱です。

 最初は事務局の一台のパソコンが、ほかのどこかのパソコンとIPアドレスがバッティングしてしまったらしく、エラーが多発するので、再起動をかけてみましたが、症状は変わらず。

 メルコのクライアントマネージャというソフトのバージョンが古かったので、母艦ともどもバージョンアップしてみたら、今度はなぜかインターネットにつながらなくなりました。

 ひえー、何でじゃ、と思いつつ、私は千葉に出張せねばならなかったため、事務局に設定ソフトの再インストールを指示して事務所を後に。

 ところが今朝来て聞いてみたら、さらにひどい事態に………なんとメルコのアクセスポイント(導入の経緯はこちら)が、壊れてしまっていました。電源を入れてもエラーを示すLED点滅が繰り返されるのみ。なぜ???

 そんなわけで、事務所内無線LANは壊滅!ですが、修理に出している間、LANなしで過ごすのは何ともつらい。

 そこで、現在のISDN用アクセスポイントを導入する前に使っていた一般電話回線用アクセスポイントがまだ残ってないかと探したところ、ありましたありました。これでとりあえず、インターネットにはつながりませんが(一般電話回線自体が残っていないため)ファイルとプリンタの共有はできます。

 ところがさらに不思議な現象は続くものです。この間買ったばかりのT30のみなぜかファイルの共有に参加できないのです。うーむ、XPの自動接続の落とし穴にはまった感じ。しかも、不思議なことに、この1台だけインターネットにつながってしまう。なぜ、ルータもないのに???

 はっ!!実は隣の部屋の会社の無線LANにつながっているという落ちかも!?




9月17日 弁護士任官、人材の取り合い

 またまた日誌更新が3日も空いてしまいました。実は週末途中から体調が悪くなり、頭痛との戦いです(2年前に追突されて以来、頭痛持ちになってしまいました)。

 本日外回りから事務所に帰ってくると、派閥の幹事長からお電話が。こういう電話はたいてい、何かお役目を仰せつかる(=押しつけられる)ことになるので、なるべくこちらからは接触しないようにしていたのですが(幹事長ごめんなさい(^^;)、つかまってしまっては仕方がない。

 電話に出てみますと、案の定悪魔のささやきです。が、今回はちょっと毛色が変わっていて「弁護士任官」しないか?というお誘いでした。

 アメリカでは弁護士経験のある法律家が裁判官になる「法曹一元」が普通ですが、日本は「法曹一元」は司法試験、合格後の司法修習までで、その後は弁護士は法律事務所に就職、裁判官は任官後キャリア裁判官への道をひた走る、というふうに全く別れていきます。世間を知らないキャリア裁判官によって世間知らずな裁判が行われる弊害が生じるのは、まあ必然です。

 日弁連は長らく、キャリア裁判官制度への批判を続け、これまでに勝ち取った数少ない戦果が「弁護士任官」制度です。要は弁護士の希望者が裁判官に途中転職できる仕組みです。

 でも、本当の法曹一元と異なり、弁護士として脂がのってくるころに、裁判官の出世競争の中に突然中途採用として裁判官になるわけですから、残念ながらあまり魅力的な制度とは言えません。

 しかし、弁護士会としてはせっかく勝ち取った戦果が「宝の持ち腐れ」(「宝」かどうかも評価の別れるところではありますが)になるのは立場上まずいようで、せっせと若手の弁護士にお勧めが来るのです。

 でもさあ、いわせていただくと、この前も日弁連から「市民のための法教育対策ワーキンググループ委員」というご大層な委嘱状をいただいたばかりなのですが。なんか声をかけやすい若手と見ると、相互の連携なし、後先も考えずにあっちこっちで人材の奪い合いをするのが弁護士会の伝統なようですが、もう少し体系的に人材育成を考えるわけには行かないのでしょうかねえ(ちなみに「カウンターエリート」を目指す私としては、遺憾ながらお断り申し上げました)。




9月13日 違憲判決

 一昨日、最高裁で現行の郵便法の規定が憲法17条に反するとした違憲判決が出されました。

 「書留郵便、国の賠償免除は違憲」

 この訴訟は、債務者の銀行預金を差し押さえようとした兵庫県の不動産会社が、裁判所から特別送達方式で郵送された差押命令の配達が遅れた(本来直接債務者に交付しなければならないのに債務者の私書箱に投げ込んでしまったらしい!)ため、債務者に預金を引き出されたとして、国に約780万円の損害賠償を求めていたものです。

【憲法17条】
 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。


 郵便局員はもちろん公務員ですから、この規定により賠償を求められるはずです。ところが、

【郵便法68条】
 郵政事業庁長官は、この法律又はこの法律に基づく総務省令の規定に従つて差し出された郵便物が次の各号のいずれかに該当する場合に限り、その損害を賠償する。
   書留とした郵便物の全部又は一部を亡失し、又はき損したとき。
   引換金を取り立てないで代金引換とした郵便物を交付したとき。
   小包郵便物(書留としたもの及び総務省令で定めるものを除く。次項において同じ。)の全部又は一部を亡失し、又はき損したとき。
   前項の場合における賠償金額は、次のとおりとする。
   書留(第五十八条第四項の規定によるものを除く。次号において同じ。)とした郵便物の全部を亡失したとき
     申出のあつた額(第五十八条第三項の場合は、同項の総務省令で定める額を限度とする実損額)
   書留とした郵便物の全部若しくは一部をき損し、又はその一部を亡失したとき
     申出のあつた額を限度とする実損額
   第五十八条第四項の規定による書留とした郵便物の全部又は一部を亡失し、又はき損したとき
     第五十八条第四項の総務省令で定める額を限度とする実損額
   引換金を取り立てないで代金引換とした郵便物を交付したとき
     引換金額
   小包郵便物の全部又は一部を亡失し、又はき損したとき
    総務省令で定める額を限度とする実損額


 この規定によると、書留郵便物を亡くしたときなど極めて限られた場合しか損害賠償が受けられないことになっています。さらに、

【郵便法73条】
 損害賠償の請求をすることができる者は、当該郵便物の差出人又はその承諾を得た受取人とする。


とされており、差押命令の差出人は裁判所ですから、申立人(債権者)はそもそも損害賠償を受けられる対象に入っていないことになります。

 最高裁判所は「これはおかしい。これでは憲法17条に反する」としたものです。簡単に言うと「大量の郵便物を早く、安く輸送する郵便制度の趣旨を考えると、損害賠償責任を一定の程度に制限すること自体は仕方ない。しかし、書留郵便は特別に高い料金を支払っているのだから、郵便局員の故意または重過失の場合についてまで損害賠償責任を制限するのは憲法17条に反する。さらに判決や差押命令等の特別送達の場合、書留に加えさらに高い料金が要求されており、損害賠償責任を制限することが特別送達郵便の制度の信用を高める関係にもないから、軽過失の場合でも責任を制限することは憲法17条に反している」としたのです。

 最高裁としては珍しいくらい(失礼!)至極常識的でまっとうな判断といえましょう。

 問題は、こうした常識的な判断(ちなみに最高裁の15人の判事全員が「違憲」で一致したのもすごいことです)がなぜ地裁、高裁レベルで全くされることもなく、簡単に郵便法の規定が合憲とされたかです。違憲立法審査権はすべての裁判所が有しているはずなのですが、下級審の裁判官がいかに憲法判断をするのを怖がってサラリーマン化しているか、この事件は見事に映し出しているような気がします。




9月11日 9.11


 あっという間に1年とは経ってしまうもので、テロから1年が経過し、テレビの特集を見ながらこの日誌を書いています。

 消防士のドキュメンタリー作成のため同行取材していたカメラマン兄弟の映像。映画ではないかと言うくらい出来過ぎです。出来過ぎで逆に現実感が薄れてしまうような危惧さえ覚えます。

 パニック事態に立ち向かう際の克己精神、統率力の強さがアメリカ国民の特質かと思っていましたが、カメラが捉えたタワー崩壊直前の現場の消防士の混乱ぶりは、予想を超えた事態の前では彼らも日本人と大差ないのだ、という感じがしました。

 予想を超えたパニックを受けた社会は、反動で大きく極端な行動に出がちです。
 日本の地下鉄サリン事件以後の破防法適用騒動、そしてオウム信者に対する住民登録拒否等の動き。50年後には間違いなく行き過ぎた対応と言われるのではないでしょうか。

 アメリカの外交についても同じです。昨年の日誌の時点から、国連等の国際舞台の場を通さず、単独で「世界の警察力」を行使しようとするアメリカに対しては危惧を感じていましたが、アフガンの次はイラクを叩くことが目的になってしまい、どうにもおかしな方向にばかり目が向いているようです。

 力には力を持って押さえ込む、それだけではテロが根絶やしにされるわけはありません。テロを生む社会背景から故意に目を背けているとしか思えないアメリカの対応に対しては、正直言って違和感を感じざるを得ません。

 批判的な報道が許されているだけマシ、とは思いますが、人権と民主主義の国として素直に尊敬できる国に復帰して欲しいものです。