業務日誌(2003年1月その3)

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1月29日 プチ日誌

 東京弁護士会はただいま選挙の真っ最中。今年は会長候補に3人も立候補があり、最大派閥の法友会(私も所属)が候補を擁立しないため、各候補の草刈り場になっています。
 ………と、他人事のように書く分には面白いのですが、投票依頼の電話ばかりかかってきて、仕事になりゃしない(^^;




1月27日 ヤミ金にご注意(3)

 一昨年9月19日、昨年4月11日に続いて。

 ようやく社会的な問題としてヤミ金が認知されてきたようで、いつの間にやらYahoo!NEWSにヤミ金問題のカテゴリができていました。

 やはり暴力団が組織化していたことが判明するなど、根は深いものがあります。

 堂々と求人誌でヤミ金店長を募集しているものまであるとか。

 道理で、最近の東京のヤミ金は、妙に紳士的で弱気な者が多いようです。弁護士が出てくると、けっこう下手に電話に出たりして、何かこっちが拍子抜け。きっとヤミ金社会のサラリーマンなのでしょう。

 と、思ったら、本日久々に頭の悪そうな、ヤミ金と話をしてしまい、何を言っているのだかわからんことを言ってからみつづけるので、頭に来て電話を切ったところ、それ以降事務所に嫌がらせの電話が続けざまに1時間近くも断続的に。ま、出ませんのでいいですが。




1月25日 優雅な(?)起案日

 法律家が書面を作成することを、業界用語で「起案」といいます。

 司法修習生だったころ、司法研修所での修習の時間割には「自宅起案日」「即日起案日」というものがありました。

 「自宅起案日」というのは、一日研修所の教室には出頭せず、自宅で宿題に出されている課題の起案(判決だったり起訴状だったり最終準備書面だったりする)を仕上げるというものです。

 これに対し「即日起案日」というのは、研修所の教室に一日こもり、その日の朝渡された課題を夕方までに缶詰になって提出するというもので、まあ模擬試験みたいなものです。自宅起案が、提出期限までにやればいつやるかは本人の裁量に任されているのに対し、起案する日が決まっているから「即日」なのでしょう。

 もっとも、自宅起案日を悪用して、遊びに行ってしまう修習生もいましたし、何より電子メールが発達して、自宅起案はカンニングがあまりに容易になってしまったことから現在ではほとんどが即日起案になっているとか。

 それはさておき、弁護士に成り立てのころは、一日かけてゆっくりと一つの書面を仕上げる、なんて日もよくありましたが、最近は忙しくてそんなことはまずできませんでした。じっくり起案をしないというのも、法律家として重要な能力が減退しつつあるんじゃないかと得体の知れない不安におそわれたりします。

 そんなわけで、本日午前中は打ち合わせを行った後、久々に午後は身体が空き、次に予定の入っていない身軽な状態で懸案になっていた準備書面に手をつけてみたところ、最初はやはりなかなか集中力が戻ってきませんでしたが、いつのまにか没頭してしまい、久しぶりに時間を忘れて起案に取り組むという感覚がよみがえりました。って一つの起案に5時間かけちゃっただけですが(^^;

 まあでも、事務局が休みなので、普段は事務局に整理させる部分まで全部自分で整理しているうちに、思わぬ新事実の発見があったりして、やはり手慣れたはずの事件でも、自分でやらないとだめだなあと痛感した次第です。

 毎週1日くらいは、こういう優雅な起案日が取れると精神衛生上もいいのですが。




1月24日 プチ日誌

 当HPの右側のINDEXの英語の綴りを間違えていたことに、ふと気づいてしまいました。1年以上も恥をさらしていたことに愕然。しばらく立ち直れない………




1月23日 援助交際少女の処罰?

 しばらく前から、警察庁が少女買春について、買った側の男性のみならず、売る側の少女も処罰の対象にしようという法改正を検討中という報道があります。

 警察庁の説明曰く「日本の援助交際は、貧困故少女が性的搾取に遭っているというわけではなく、少女の側が誘引していることにより、なくならない」からだ、ということらしい(私が理解した範囲内ですので不正確かも知れませんが)。

 うーむ、なるほど。元から正さないとダメ、という発想でしょうか。

 この話を最初に聞いたときは、私も、そうかも知れないと一瞬同調しかけましたが、よくよく考えてみると、やはりちょっとおかしい。

 そもそも、なぜ援助交際、買春をした男性が処罰されるのか。

 実は売春の場合、伝統的に売った女性の側が処罰され、買った側は処罰されないという法律になっていました。ですから、刑法学者は、売春の処罰の保護法益(何を守っているのか)については、「国民の健全な性道徳」とかいう抽象的なものを持ち出して説明をしていました。

 児童買春の処罰については逆に、買った側が処罰される規定です。これは、対象となる少女の健全な発達を保護するための規定であるからでしょう。たとえその少女が自分の意思で買春をさせようとしても、国家が「親」としてそれを諫める、いわゆるパターナリズムの規定だと考えられます。未成年者に喫煙が禁じられているのと同じ発想です。

 となると、いくら防ぐためとはいえ、パターナリズムによって守るべき当該未成年者に刑事罰を科してしまっては本末転倒ではないでしょうか?ちなみに喫煙だって、吸った未成年者は罰せられません。

 こう考えてくると、法改正の発想は、法によって何を守るのか、という出発点を忘れた議論ではないかと思えます。





1月22日 プチ日誌

 本日は恒例の(?)不毛な奈良出張でした。と、思ったら、初めて奈良名物(?)の鹿を見ました。それも裁判所のすぐ隣の芝生を堂々と歩いていました。奈良地裁、おそるべし。