業務日誌(2004年6月その1)

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6月14日 空振り/そろそろ言っておかなきゃ

 本日は、朝一番で大森方面の金融機関支店に出かけました。とある相続の件で、金融機関に直接相談に行く必要があったのです。

 ところが、依頼者と待ち合わせて支店に着いたまではよかったですが、事前に本日この時間と約束をしていたはずなのに、担当行員が出張でいないとか。お間抜けなのか、客を客とも思っていないのか、何ともあきれ果てました。

 その後も今日は、打ち合わせの予定を二つもキャンセルされて(うち一つは無断)、すっかり調子が狂ってしまい、空振りに終始した一日でした。


 ところで、前々から気になっていた都教委の君が代強制ですが、行きつくところまで行ったという感じですね。

「君が代」強制批判のPTA会長、辞任に追い込まれる

 「日の丸」も「君が代」も単なるシンボルです。「シンボル」に何を投影するかは、投影する人それぞれです。アジアの国々が「日の丸」、「君が代」を嫌うとしたら、彼らはそこに、日本の悪しき軍国主義の記憶を投影しているからでしょう(だからといって、単なる無色のシンボル自体を代えるべき、とまでは言いませんが)。

 普段、「日の丸」「君が代」に関心のない人も、オリンピックやワールドカップで日の丸が掲揚され、君が代が流れると、厳粛な気持ちになるようです。こういうとき、その人は、「日の丸」「君が代」に応援する自国チームを投影しているから、よけいな理屈抜きで君が代をたたえられるのではないでしょうか。

 それでいいじゃん、と思います。たかがシンボルにそれ以上の役割を求めるからおかしなことになるのです。単なるシンボルに、起立したり頭を下げたりするのはおかしな話です。スポーツの大会では、シンボルの中に自国チームの勇姿を投影できるから起立もしたくなるし、斉唱もしたくなるのです。シンボル自体が偉いわけではありません。

 こう考えてくると、現在教育現場で行われようとしていることは、たかがシンボルに、何か違う権威を化体させようとする動きとしか思えませんね。




6月12日 サボテンの花



 といってもチューリップの曲ではなく(笑)、自宅のサボテンの花が咲いただけですが。

 このサボテン、4年前に無印良品で買ってきた小鉢ですが、買ってきた直後に咲いたっきり3年間沈黙していました(大きさは2倍くらいになったのですが)。

 が、昨年から肥料をあげたりいろいろ面倒を見た甲斐があったのか、ようやくつぼみが4つほどついて、昨日めでたく開花しました。






6月11日 債権者説明会/CRIEハング

 本日は、1月末に申立をした民事再生事件の債権者説明会(再生計画案説明会)でした。

 申立以来、別除権者との交渉や再生計画案策定を巡っての債務者、スポンサー、監督委員との協議と、めまぐるしく変わる情勢に振り回されながら作業に追われてきましたが、ようやくここまでこぎ着けたか、との感慨があります。

 再生計画案の枠組みも固まり、申立直後に行った債権者説明会に比べれば、相当余裕を持って臨めた説明会でしたが、質疑の段になると、なかなか耳の痛い質問が続出して、またしてもしんどい思いを味わいました。


 それはそうと、債権者集会から帰ってきて、事務所で一息つきながら、愛用のCRIE(いつの間にか2年も使っている!)をパソコンとシンクロさせようとクレードルのシンクロボタンを押したところ。あれ?固まってしまいました。

 このCRIE、固まることは結構よくあるのですが、シンクロ中に固まるのは初めてです。仕方ねえなーと、後ろのリセットボタンを押したのですが………何度やっても再起動途中でまた固まってしまいます。げげ、ハードリセットしかないか?

 ハードリセットすると、データが全て消えてしまうため、最後にパソコンとシンクロした時点までのデータしか復元できません。最後にシンクロしたのは1週間前。毎週週末にシンクロしているので、1週間分の新規予定が消えてしまうことになってしまいました。。。まあ、アナログな手帳を1冊なくすよりダメージは小さいですが。




6月8日 法律家養成のコスト(2)


紫陽花1
 昨年6月28日の日誌で書いた話ですが、司法修習生に対する給費制がいよいよ貸与制に取って代わられそうです(要するに、給料が出なくなって、お金を貸すだけになる)。

 司法制度改革推進本部の検討会の最新の議論がこれですが、これを見る限りでは、何とも貧困な議論に終始していると言わざるを得ません。

 要は、三権の一つである司法の担い手に国がどれだけ金を出す気があるか、と言う根本的な問題について、誰もが避けて通っている議論です。司法改革は大事だ、三割司法では困るから、法律家はたくさん養成します。しかし、費用は出せません、という非常にご都合主義な出発点を隠して上っ面の議論を行っている感じです。

 そして、貸与制にした後、公益的業務につく法律家には返還を免除する、との措置を考えているらしいですが、ここの議論にも落とし穴があります。議事録を見る限り、誰もが、どんな要件で返還を免除するのか具体化するのを巧妙に回避しています。果ては「最高裁に一任できるようにすべき」などという意見もあります。実はこれ、裁判官任官者や検察官任官者については、免除される可能性があるのです。だとすると、事実上、裁判官や検察官には国費を投入するが、弁護士には投入しないということになり、戦前の官尊民卑の司法制度への逆戻りになりかねません。

 それにしても日弁連も、「修習専念義務と給費制は不可分一体」などという妙な理屈を持ち出すから、かえってやりこめられてしまった感があります。もっと骨太な議論で戦えなかったものか。




6月3日 タコツボ裁判所(4)

 昨日の続きです(いい加減に終わらせたい(^^;)

 裁判官との協議の席を蹴って立つなどというのは、弁護士にとっては狂気の沙汰という方もいるかも知れません。そんなことで裁判官を怒らせたって仕方ないじゃないか、という批判も聞こえてきそうです。確かに我ながら短気だなあ、と自省する部分がなくはないのですが、一応私にも、ただ感情にまかせて席を蹴ったのではなく、計算ずくでやったという弁解はあります。

 多くの弁護士は、裁判官に結構理不尽なことを言われても、決定的な喧嘩はできません。なぜかというと、弁護士の後ろには依頼者がいるからです。喧嘩の結果、自分が困るだけならば、損得勘定抜きに裁判官と対立すべきは対立する、という弁護士の数はもっとずっと多いでしょう(もともと弁護士は「喧嘩代行業」ですから)。

 しかし、弁護士が裁判官と喧嘩したあげく、裁判官の心証を害して、とばっちりを食うのは依頼者です。依頼者に迷惑をかけていては、弁護士も商売になりません。従って、泣く泣く裁判官の理不尽な指示に従うという場合が多くなります。

 ところが、今回に関しては、破産管財事件ですので、一般的な意味での依頼者はいません。強いて挙げればなく子も黙る(?)東京地裁破産部が依頼者です。従って、最悪破産部に嫌な顔をされることを覚悟すれば、喧嘩したっていいわけですし。

 そもそも、今回の件で、私が上申書を書くのを拒んだくらいで「却下」決定は絶対に出せないだろうと私は思っていました(だって地裁破産部が「無資力」を証明しているのに、「証明が足りない」という決定を出すことになるのですよ。裁判所が裁判所の面子をつぶせるわけがない)。そこで、確信犯的に席を立ったわけで、その後破産部にことの顛末を報告し「善処をお願いしたい」というファクスを送っておきました。

 そうしたところ、破産部ではなんと部総括まで説得活動に当たってくれたそうで、本日めでたく上申書なしで訴訟救助の決定が出ました。やれやれ。

 それにしても、私が言いたいのは、やはり裁判官の「タコツボ」ぶりです。たぶん今回の裁判官は、当初自分の経験にてらして私の訴訟救助の上申が「信じられないこと」に写ったのでしょう(東京以外では、予納金なしの管財事件など考えられませんから)。しかし、知らないだけなら別に知っていただければよいわけで、問題ではありません。問題は、自分が知らなかったことを認めようとしないという、典型的なお役所体質です。自分が知らないことを棚に上げて、弁護士の方を呼びつけようとする、この感覚が一番頭に来た私でした(なぜか歴代最長編の日誌になってしまいました)。




6月2日 タコツボ裁判所(3)

 昨日の日誌の続きです。

 裁判官にようやくお目にかかることができて、書記官にも説明した点をもう一度説明しましたが、裁判官は「東京地裁でそのような運用があることは理解している。だから運用の問題について証明をしろとは言わない。しかし、管財事件である以上通常は予納金があるのが常識なのだから、本件については『夫婦で申し立てられており他方には予納金が入っているが、本件には予納金がない』旨上申書を出してくれ。そうしたら訴訟救助の決定を出す」ということでした。

 うーむ。私は二つの点でカチンと来ました。

 一つは理屈の問題。そもそも同じ東京裁判所の運用について、アウトサイダーである私に証明しろ、というのは明らかに筋違いで、これは裁判官も無理筋であることは認識したらしく求めないと明言しました。しかし、「予納金があるのが常識」と言っても、破産法上予納金が法制化されているわけではなく、この「常識」自体が裁判所のある種の「運用」を前提にしているのです。そのような「運用」を前提にして、上申書を書けと言っているのですから、結局は運用の問題を個別事情の問題であるかのようにすり替えていることになります。そして、破産部自体が「無資力証明」を出しているのにどうして重ねて証明が必要か、という根本的な点は忘れられたままです。

 二つ目はもっと原始的な感情の問題(笑)。上申書一本で出すつもりなら、電話で指示してくれればすむ話です。わざわざ私を出頭させた意味がわかりません。最初からの経過をふまえて憶測すると、最初は裁判官は、東京地裁の運用をまるっきり理解しておらず、私がだらしない管財人で予納金を通帳に入れずにどこかに隠しているのではないかとか勘ぐって呼びつけたのではないでしょうか?ところがその後になって東京地裁の運用を知り、引っ込みがつかなくなってこのような指示をしているような気がします。

 最初から上申書、と言われれば素直に出しましたが、私も既に相当頭に来ていたため、裁判官とやり合っているうち、裁判官も相当変なことまで口走っていました。いわく、「東京地裁の通常民事部の裁判官は、予納金なしで管財人をつけるような破産部の運用を決していいとは思っていない」というものです。

 別に破産部の肩を持つつもりもありませんが、ここまで言われてしまうと私も引っ込みがつきません。ついにぶち切れて、「じゃあ、却下で結構です。抗告(高等裁判所への不服申し立て)しますから)」と捨てぜりふを吐いて、席を立ってきてしまいました。

(さらに続く)




6月1日 タコツボ裁判所(2)

 5月28日の日誌の続きです。

 さて、書記官に「無資力の証明」が足らないと言われてしまいましたが、それならそれで何か根拠資料を追完させればすむ話で、「裁判所に来い」というのは相変わらず納得がいきません。そもそも前回申し上げたよう、破産部の無資力証明書があるのにいったい何が足りないというのかさっぱりわかりません。で、書記官に「証明が足りないとおっしゃいますが、いったいどの点が足りないのですか?」と聞いたところ、書記官は奥に一度引っ込んでから(どうやら裁判官に聞きに行ったらしい)「予納金はどうなっているのですか?」とのご質問。

 ああ、なるほどね。予納金がないというのが腑に落ちないわけだ、と得心がいったような気もしましたが、「この件は予納金はありません。夫婦で同時申立をしている件の片方ですので、こちらには予納金はないんです」と説明しました。

 しかし、書記官は「そうですか………」と言って、また電話から奥に引っ込んだかと思うと、再び戻ってきて、「あのー、官報公告用の予納金はどうなってるんですか」とのこと。

 「はぁぁ?官報公告予納金は裁判所が預かっていると無資力証明に書いてあるじゃないですか。それにそんなお金があったからどうだっていうんですか?(官報公告費用は1万6000円くらいでこの事件の印紙代には到底足りないし、だいたい管財人が提訴するから官報公告費用を流用してよいわけがない)」

 だんだん雲行きが怪しくなってきて、私も少し声が大きくなりました。この書記官、ご自分も破産事件の運用についてわかってらっしゃらないようですし、実際この書記官にこんなくだらない質問をさせている裁判官はもっとわかってなさそうです。

 「裁判官に直接説明するから、電話を替わってくれ」と頼みましたが、なぜか裁判官は電話に出てくれず、直接来いの一点張りです。

 しかたなく、釈然としない気分でこの民事部に出向きました。事前に時間を予告しておいたのに、行ったら裁判官は別事件の弁論準備手続をやっていて、20分近く待たされ(実は裁判官は、弁護士を待たせても何とも思わない人が結構多い)、ようやく裁判官に会えました。

(全然終わらないですね。また次回へ続く)