建築あそびin竹屋 2008年2月10日  home 

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                建築あそびって何?03

 建築内で行う意味 

伊庭野:なるほど その後自邸が出来て 「毛綱さんを呼んだ」と言うことが「建築あそび」をやった
佐藤:BOX1が完成してほどなくして開いた。講師毛綱もんたさん。まだ学会賞はとっていなかったね。 それが一番最初の建築あそびだね 85年頃かな。 建築に興味なくって、庭で餅突いてる人とか、色んな人が来ちゃって 30数人、入れない人は庭で餅つきだね
松島:「建築あそびはカウントしてない」と言うことですよねつまり
佐藤:覚えてない、中学生の時からやっているから
伊庭野:われわれと随分違う

藤村:
でも、温泉パフォーマンス時は 道路に自分らが出て行ったんだけど、今度は逆に自分の家の方を道状にし反転したわけですよね


佐藤:
そうそう。呼び込む、なんとなくパブリック擬きに着地。目的を持った者しか入ってこれない。俺の家だと。裸になる奴はいねー、「これは!建築って結構ラクチンと。建築には特権的な力あるんじゃん!」みたな。
松島:完成した建築で人の(交通)が消えるって言う状態の寂しさを消したんだ
佐藤:そうそこで消したの
藤村:なるほどね
           
伊庭野:
そこで呼んだ人達というのはどういう選出のされかたをしていたんですかそれは

佐藤:まず毛綱さんの知り合い。毛綱さんを呼んできた福島の呼び屋の仲間、そういうこと。それに いろいろやっていたので胡散臭い人と一杯付き合って(藤井わらい)、それから友達や 知り合い
伊庭野:そういう人達を選んで、敢えて建築関係の人を選んで呼んだのかそれとも他の一般の近所の人を呼んだのか

 東松照明の写真展 

佐藤:建築関係者は1人かな。他は建築に関係ない。東京から戻りわずかの間、福島の設計事務所に勤めて、友達 居ないから色々なイベントに参加してた 車中で言ったじゃない。やたら色んなイベント自主参加してたのよ。

一番判りやすいのは、東松照明の写真展をみんなでやろうみたいな、学生などが何かやるじゃん、東松照明呼んでレクチャー聞いたり、イベントの日に合わせてその前にいろいろな小さいイベントを行う。例えば映画上映ね、寺山修司の「田園に死す」をみんなで観て、温泉に合宿に行って夜通しワイワイするって。「若者版、建築の現場状況」よ。
                      82年眼鏡髭東松氏 左隅佐藤 右隅会田氏 ↑
「展覧会をやる」という。建築じゃない完成品に向かって、人々が交流するように、メインの展覧会に向けて、小イベントいろいろやって行くわけよ。そうると全然知らないやつ一杯集まって来るのね。(会場なるほど)その人たちにも、色々起こる。恋愛関係や憎悪関係なんでも。「なんだ俺の女とったな〜」みたいな。ブラックなものが蠢く、「女とられちゃったよ」と嘆いているやつとか、色んな事が起きるわけ、そう言う人達との人間関係が出来ていたわけ。

 俺のBOX1が出来る前に。東京から戻ってきてから2年ぐらい経っている。そういうイベントに関係して、そこで知り合った人達のサポートを受けて下準備とかあるでしょう。一人で出来ないから。そういう蓄積が有って、こういう事が実現し出来てるわけだけど

おれが興味有るのは「ライブ・ラウンド・アバウト・ジャーナル、に関わってる人間関係の詳細をしりたい」というのが。ここに繋がるつちゃうわけよね(かいじょうふんふん)一人で出来っこないじゃん。3人で出来っこないじゃん。当たり前じゃないだよね。こういう事やっているから判るよね。建築関係者だけで閉じてると問題起きないけど。

藤村:なるほどね


 裏舞台の闘争 

伊庭野:現場の役割をしりたいと
佐藤:ここ(編集作業を支えている部分)でもライブラウンドアバウト状態の何かが生まれているはずなんだよ。「ジャーナリステックな好奇心」というか、野次馬な発想としては。あなた達は自分、ここ(表面の舞台)だけしか見てないかもしれないけど、おれはここ(舞台裏で起きてる事)も見ているわけね。あなた達が全然興味を示さないここ(裏舞台)でやっている人達が「何かとんでもない事を考えてやっている」んだよキット。そこの事は気が付いてないだよ。

ところが俺はここだってライブラウンドアバウト、番外編をやっているはずなんだよ。(かいじょうふむふむ)何かをやると言うことは必ずそうう事が起こる事だから。それで良いんだし、裏切る奴も居る。あたな達が考えている事を「抜け駆けして、先にやっちゃえ」みたな、そういう目立ちたがりやとかね、色んな事考えているやつが居るとか

藤村:G86なんてまさに
佐藤:その状態でしょ
藤村;その状態で
佐藤:おれは見えちゃうわけ人間の構図が「こんなの」と言っては失礼だけど、ここの裏にある、凄い面白い事「闘い合う 人間ドラマ」と言ってもいいし、人間の美しい愛の場」と言ってもいいし(かいじょう笑い)欺瞞し愛と言ってもいいし
伊庭野:この(4人)中だけでもですか、

佐藤:もちろんそだし、ここに来る前の、もっと多数も含めて、足下でライブラウンドアバウト状態いろいろ続いてて。
藤村:これドキュメンタリー撮っていくと 結構面白いと思うんですけど(わらい)
佐藤:そこが何かを生み出すパワーの源なんだキット
松島:そうですね

 近代に毒されてんじゃないの

佐藤:
そこにみなさんが 気が付いてないから色々言うわけ。、実は足下に伝えなきゃいけないやつが一杯ある、いるのにさ。いない所に向かって空砲を撃っているみたいな話で 。実は居るんだよ。簡単な話なんだキット。ところが近代的な目的合理主義にね、何かそこの目的に、見付けてそこに向かって放たないと達成されないと。なんて言うのかね「近代に思想に毒されている」って言う気もしたりするわけよ

藤村:僕らで言えば近代というか手近な目標があって、それに対して仕組みを考えて、その仕組みだけを真似する人は当然出てきますよね。
佐藤:真似させればいいんだ

藤村:
そもそも例えば佐藤さんの「建築あそび」を参照している部分もあったし、そういう意味では、形だけ受け継がれるのは当然有ると思うのですけど

佐藤:それって続かないよね
藤村:佐藤さんの場合は何て言うんだろう、これやっている時に当座の目的ってあたんじゃないですか、何かなですか

佐藤:どういう事
藤村:我々で言ったら
佐藤:下心か?。下心はさ建築の発注者を捜したいと(どーっと わいわい)
伊庭野:そういう事ですよね
佐藤:簡単に言えば
藤村:広報活動

(注:「いま!!東松照明の世界」展は全国各地の実行委員会により81年〜83年に掛けて開かれた、1982年12月18〜26日福島は15番目の会場であった)


 BOX2内の文化イベントへ移る

佐藤:
ところが建築の発注者より、そこ(交通の場)での出会いの方が面白いので、建築どうでもいいや〜みたいな(会場わらい)また俺ってそういうのに「恵まれている」と言うか「選んでいる」と言うか。そういうふに建築を作ちゃう人なのかもしれないけど。毛綱さんイベントやっていたら。さっき(一番最初に見学した)のBOX2、10坪だよ。家燃えちゃって。お母さん死んじゃうわけよ。「だから、今すぐ作れみ」たいな。毛綱さん呼んでハピーに成っていたのに。友達の家燃え。「母ちゃん死んじゃったよ〜」って泣いているしさ。

真夏だからさ蠅が湧いてきてね、水掛けるじゃない焼け跡そのまま残っているわけよ。発注者の幅2間の敷地。11坪しかないから、両サイド50pとたっらさ3.6mしかないから。2.6mに細くなるじゃない。階段とると1.7mじゃないペットアーキテクチャーみたいに(かいじょうわらいがややが)そしたら友達頭良いんだな。

「このまま壊さないで蠅ブンブン湧いてさ哀れみを受けながら、境界線ギリギリ建てる」という戦略に出たの。そのチャンスを逃すと10坪そのまま建てられない。と彼は言うんだね。

伊庭野:なるほど
佐藤:「そうかもしんな」と俺も思ったの。工事始まったら、その通りで、隣の家の土地掘っているんだからさ〜。隣の土地1m位掘ってさ。隣の人1.8mしか自分入り口の路地無いのに掘ってしまう!!歩くところ50センチしかないのに「御苦労さん 」とか言われてね 「あんたの土地掘っているんだけど」(藤井あぁあははははーとおおわらい)言う状態でさ、「母親が死んだ」と言う事と、可愛そうだなという情に訴えて。びゃーんと建てちゃった。敷地境界そのまま建っちゃった。
伊庭野:今日見たやつですか

佐藤:
そうそう。そのBOX2の1階がね〜ギャラリーに成ったじゃん。1987年7月からオープンだ。俺35才で設計だね。 そのギャラリが土湯パフォーマンス会場がそのまま建築に移植されたように成った!!。 ばーんと路上状態がぶち込まれて来た。(会場ふんふん)展覧会はやるはさパフォーマンスはやるわさ、毎日イベント!!

伊庭野
:千万家のなんて言ったつけ

佐藤:k君発注者、彼も見てた。イベント終わると、酒呑んだりさ、喧嘩したりさ。現場状態がそのまま積み重なっちゃっている訳よ。三階建てに。3階で寝せてもらったり。めちゃくちゃなのね、近代的目的機械人間から見ればメチャに見えるだろう。
1988年 BOX2内での交流よりの一端 森山さんよりの葉書 
 
俺がガンガン言ったので・・喧嘩するかな?と書いてある

藤井
:最初の交錯って言うのがドンドン繋がって行って建築になってそれがまた繋がって行くていくみたいな


佐藤:
そんな事はやっている時は思わなかったんだけど、閑になって。だんだん やる事なくなって振り返ってみたら。後付みたなんだけど。それしかやっていなかった。直感でそれしかやってなかった。余計な事やっていないんだな 俺きっと
伊庭野:なるほど


 PC動かせなかったよ 

藤村
:最初に毛綱さん呼ばれたりした頃は「呼ばれてやるって」と言う事だったと思うのですけど、それを「記録してメディアにする」という WEBにするということ

佐藤:WEBなんて無いじゃない、その時1984年、インターネットもパソコンも無いし、 温泉イベント本、全く売れなかった
藤村:ネットにいらっしたんのは

佐藤:
2000年かな〜、パソコン買ったけど。使いこなせなかったの数年間。2000年 随分離れている。2001年6月にHPを公開することができた。 およそ20〜15年後の話だから、インターネット使い出すのは。
伊庭野:その15年間の間は例えば媒体にするとかそういう事も一切やって無かったですか

佐藤:
建築の本 作っても売れないんだものね
伊庭野:イベント開いたあと、そのイベント一回閉じる様な作業してなかったですか
佐藤:やったけど、ラジオに投稿したどうしようもないような葉書を俺が編集して 本にして出すとか 「フロッタージュ」他者の 言葉を擦り確認する本dだったね。これも売れない。売る方法も知らないので記録の作成は 以後やらなかった。

「あるタップダンサーの物語」劇団状況劇場84年5月23日の打ち上げ↑ 福島公演の下働きを何度も手伝う。真ん中、看板女優の李さん 状況劇場はのち解散 

 あんたの建築!みんなで使いましょう


伊庭野
:建築あそびを定期的に行っていたわけですよね

佐藤:それは 広報活動しようと思ってないから
伊庭野:そのときはイベント「やってよかったね〜」って言って終わり

佐藤:
以前はアートや言葉が主だった関心の中心のね。10年位前(1998年当たり)から建築関係に興味を向けたのかな。 例えばBOX12の人が「開所25周年だね〜」とか言うと「みんなでBOX12建築使ってイベントやろうと」持ち主と関係ない人間が、その建物の使い方をね、仕掛けて行く。

知り合いの和合さんが「中原中也受賞」したのでBOX12を借りて詩の朗読会と記念パーティを実行しちゃった。発注者と全く無縁の人が集まって朝までワイワ。持ち主の仕様目的を外して色んな人が集まる場に変える為に仕掛けちゃう。イベントやると。

持ち主には迷惑な話だとは思うんだけど 建築に全然興味ない人も、パーティー無しでは絶対尋ねて来ない人も入って来て交通するでしょ。「建築にもちろん触れるし交流も生まれる」と言う。積極的に仕掛け開く。建築の場合「完成すると他者に対して閉じてる」と言う事の違和感を知ったから。開くためにはイベント仕掛けないと他者は来ないじゃん

伊庭野:そうですね
佐藤:あたりまえに「他人の所有物」だからの話だけど。税金仕上げ公共建築だったら、、目的があって行く。仕方ないから行くけど。押し売りでもないかぎり普通の私物建物に「済みません」なんて言って入って行かないでしょ。(会場ふんふん)そこで「私有物であるという事のインチキさ」って言うの知って仕掛ける。 建築は物であって社会全体の知識や技術で作り上げる、みんなの(技術も含めて)「もの」なのに、所有物として制度上閉じる。 

登記しちゃった瞬間に個人の権利だけなの「もの」にね そこで、建築の可能性が奪われてしまう(かいじょうふーん)と俺は考えたのね。こういう事を考える俺はおかしいよな。普通は貴方の目的通り完成し、発注者の所有物だ。「発注者の思った通りね、使って何が悪い〜」と。

それでは、ちょっと俺は不満なわけだ。「お前異常だよ」と言われるんだけどさ。いやそうは言うけど「こうやってみんなで使うとね〜ほらこんなに、オモロイですよね〜」と言うと「あ、そうだね」って言ってみんな使わせるわけよ。(伊庭野へへへ〜)これは何故かって言うの?そこは判らんけどな〜。なんでそう言う事を許して、発注者も喜ぶのか
    (BOX5ホームコンサート様子→)

 
方々でも使い込んでいる
 

伊庭野:
そうですね〜

佐藤:今日はBOX4番目に行かなかったけど、4番目は同じような状態に成っていて、いろん事をやっていた。人集めてヨーガやったり卓球やったり、いろんな人呼んできて色々やてさ、「建築を道路であるかのように使っている」って言うさ。 BOX5は20年ほど、毎年コンサートを開いて他者を招き入れててる。使いましょうよ、みなでね。
藤井:そこで入って来る人達と言うのが、まったく無関係な人達って言うのはあんまり居ないですよね

佐藤
:知り合いに煮詰まって行くね、だから不満を感じたからWEB募集の「建築あそび」に繋がって行くんじゃない。
藤井:知り合いの知り合いが繋がったりとか

 WEBで募集は危険だからさ 

佐藤:
それは建築は所詮建築だと思ったわけよ、俺が知りたいのは「市民として規範をもった人間が何処かに居るか?または生まれるか?」って言う事だから。知り合いが来ても、そこで裸にならないじゃない。(会場笑い)これは駄目だなと。俺れが考えている事は検証できないと
藤村:そのフラストレーションがある意味では2000年以降

佐藤:そうそう。「WEB募集、これはいいね〜誰来るか分かんなしね〜危険だ」みたいなさ、不倫関係で来たり、ビックリ仰天するような団体が来てたりね 知らなかったけどあとで聞かされる(笑)

(見ず知ず人が数人
2000年8月の建築あそび→)

松島
:ようするに不特定多数を呼び込む為のWEB公開だったわけですね

佐藤:もちろんそれによって来た人に「俺味の建築リテラシーを注ぎ込んでしまう」と言う欲望もちろんあったんだよ。自分の事知っている友達に刷り込んでもしょうがないじゃない、ね(かいじょうわらい)

松島
:「記録的な意味よりは、呼び寄せる」という獲得の為に

佐藤:そうそう、本、こう言うもんを作ったら思い出せないような 中身その事を伝えるために、凄い労力いるし

松島:
すごい建築家てきノスタルジーですね

佐藤:わかんないけど、なにか思い出したいと
松島:そういう「凝縮したものを作り続けたい」と言うのはすごく建築家的

 「建築あそび」 と名称変更の切っ掛け 

佐藤
:そうかもしれない、でも作るさ。建築の記録本作るにも、「こんなの恥ずかしいから見せるの嫌だ」とか。色々問題出て来るからね。もっと俺は「可愛いはずだとかね。おれはもっと良い文章を書いていた」とか。作るって「えら〜大変やな」って言う事でお金も掛かるじゃない「本を作る」とか。売れないし。だから記録、執らなく成ったチャウわけ。記録、執って本作って、売れネーしな。(藤村わらう)勅使河原三郎さんは買ってくれたけど。特殊すぎて、この本パフォーマンスの記録集買う人いないでしょう。「イベントはやるだけにしよう」みたいな事で。

イベントの名称は「建築あそび」とは言ってなかったから。建築って名前を付けたのは。たまたま阿部仁史さんと京都造形芸大の卒業設計に講評会に呼ばれた事があった。阿部仁史さんが居たのね「東北の人を呼よんで講評会をする」と言うので。

建築文化に載った俺の記事を見たね「造形芸大の松本さん」と言う人が「佐藤って変な文章書いているし、あいつを呼ぼう」みたいな事で俺を呼んでくれてね。その場で阿部仁史さんに知り合ったわけよ。東北内 建築家だれも知らなかった、その時まで。雑誌、見ないし。

その後その年の冬に阿部仁史さんから電話掛かってきて「雑誌で東北の建築家みんなで話し合いしましょう」と言われて「福島、代表あなた」みたいな事でね「話し合いをやってください」と言うことで。千万家の申請やっていた時だから今から10年位前かな。

「建築あそび」に成ったのは10年前「東北にも建築考えている人居るンジャン」と「建築考えている人が居るから、建築に重点を置いた行為に乗り換えようと」
                       (仙台の居酒屋で2000年頃の阿部仁史さん) 
松島:
随分経ってからですね〜
笑い
藤村:千万家の申請って

佐藤:
流れに身を任せている事もあるんで、縁があればそうなるよ。今から10年前。1998年ぐらいだ。WEBやってないかった。「建築あそび」って名称を与えたのは「建築まわりの広報活動みたいな、建築の事態にテーマを絞ってやろう」と 47歳ぐらいでようやくだね。

藤村:
なるほど


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