建築あそびin竹屋 2008年2月10日 home 

その日の様子 偶然の出会い01 02   LRAJって何? 01 02 03 04 

 建築あそびって何?01 02 03 04   今後の課題編 01 02 03  

             建築あそびって何? 01  

  ロールモデルに 聞く 

伊庭野:次のセッションは僕らの今回のレクチャーの形式に従って1時間半で一度閉めるという事を目標に議論をして行こうと、かな・・っていう
佐藤:俺もそう思っていた(会場わらい)
伊庭野:1時間半で「建築あそびとは何か?」
佐藤:その話か〜、逆質問ね。司会者が仕切ってくれれば良いわけだからもう始まっているの!

村:やっぱり第一部で「メディアとジャーナルの関係、ジャーナリストとして作るのか?」なんていうのかな
佐藤:建築家の考えを伝える(広報)するのかっていう
藤村:建築家の考えを伝える、どうしたいか?という、その「スタンスの違いというのが、混乱している」という問題点が明らかになったと

佐藤
:そうそうそう
藤村:その問題につて考えて行きたいのですけどもここでですね、我々のこういう試みのロールモデルと成っている「建築あそび」
佐藤:ロールモデルに過剰反応しているかな(会場笑い)ロールモデルに成っていないだろう

伊庭野:先輩格
藤村:なって居ると思いますけど
佐藤:あ、そうなの
藤村;その「建築あそびについて、主催者である佐藤さんに我々逆質問をする」というカタチをとりたい             ↑2000年5月22日建築あそび (記録)
佐藤:聞かれた事無いね
伊庭野:聞かれた事無い!、それは良いね初インタビュー (会場ワイワイわらい)お互い初インタビュー

佐藤:俺は「建築あそび」の名で10年位やっているけど「誰も聞いて来ない」という俺にとっては 思い出がたりだけどな〜 凄い話になってきたな。

 建築あそびの動機     以下

藤村:
ますでは松島さん当たりからこう

伊庭野:「こりゃなんじゃ?!」という(会場わらい)「佐藤さんは何なの?」っていう
藤村:やっぱりそれ「やり始めようとした動機」ですね
松島:起動ですね

佐藤:
動機か。それは車の中でも話しましたように「建築の核心の魅力」というのは、現場ね。職人さんとか「あらゆる身分」というのかな。職人の人達が「何の人種差別無く」というかさ、「技術を持っている」というだけで集まって、平等に一つの目的に向かって作業をしていくと。その魅力も勿論あると。

その他に「人間が集まって来る場所だ」よね。そうするとその人、建築を作る目的と違う、自分を背負ってるわけよ。休みの時間になると、それが一気に開花してさ、建築を作る目的に向かっているのだけど別の花が開花する。みんな現場の目的に意図してない話がそこに提示されるわけ。

言葉っていうか 文化って大げさに言えばね。一人一人が背負い育って、ここに来ていると。文化を背負って来てて。「(現場)そこで融合される。交通する」っていうか。
  写真は以下 1984年に撮った写真 土湯温泉パフォーマンスとシンポジュウム84全記録 温泉町路上パフォーマンスなどでの様子

職人さんの話それを聞いて体験し、「持ち帰ってもう一回勉強したりと、確認したい。みたいな処が非常に魅力的だ」と現場をバイト体験したのは中学2年の時だがね、中学生の時に思ったの。(会場あーあ)「建物がどんどんどんどん出来て行く」ってさ話もあるのだけど

松島:建築の話し以外も
佐藤:
その中にはエロ話という(会場わらい)ブラック・プロパガンダが溢れ〜
松島:それプロパガンダかそれ〜
佐藤;プロパガンダされちゃう「オバサンをこうやって口説け〜」みたいなね。ブラックプロパガンダもされるんけど、休憩時間になると。だいたいブラックプロパガンダだね(かいじょう〜うん) 酒ももる建築良くしようとかさ、社会をどうしようとかさ。そんな事だれも言う人いなくって。何か愚痴ったり。

そこから、その人が背負っている社会が見えるわけ。おれ中学生だったから「こりゃオモロイな建築は」と思ったわけ。「これこそが建築のダイナミズムだ」ってその時体に染みこんじゃった訳ね。

伊庭野:「人が集まる 交通する」という事ね
佐藤:集まって交流して、弱い者はいじめるし。喧嘩ぐらいすぐ始めする。酒呑むとそれは激し〜い。文部省推薦ふうの良い交流ではないんだけど。あるいみ戦争と同じでさコミュニケーションしてるわけよね。
松島:背負う文化の殴り合い

佐藤:興味が無いんではなくって、(RAJ紙3)これ橋渡しって書いてあるのかな。
伊庭野:架橋ですね

佐藤:
れはさ、深層と。これは「あなた達の発想をそのまま現している」だと思うだけど、これは「自己の内の橋渡しなんだ」よね。現場は違うだ。他人と他人の橋渡しの殴り合いだと。 これは「あなた達の深層そのまま」自分の判らない事と自分の判らない事を橋渡ししたいと。これ象徴していると思う、このタイトルは。気付いてないと思うけど
    路上にシートを敷き客席 舞台を据る→

俺はそういう乗りでは無かったわけね。モット、ライブのさ−人間生身の人間が持っている情報がぶつかり合った時に、想像も出来ない事件も起きるし、良いことも起きるし両方起きるんだよ。「その魅力はなんだろうな?」っていうふうにずーと思っていたの
藤井:それは解決に向かって一本道が向かっているわけじゃなくって交流することで解体

 狭い場での交通 闘い

佐藤:そういわゆるポストモダン的な東さんふうに言えば目の前に均等にならび情報が一杯あるじゃない、「現場」と言う場には
松島:建築の設計では「解くっていうことではない」って言うことなんですかね
佐藤:最初から場がさ、建築が起動した時に、「建築」と言う事態によって起きてる交通の「そこの事態がさ、人間と人間の闘いだよ」技術がこうとかの興味じゃないくって最初からジャーナリステックな態度なのかもしれないけど「人間に焦点が向いていってて」この技術は素晴らしいなって思ったわけじゃなのね

松島:それは「建築が持っている特性」という事
佐藤:そうそう、道路現場にも有るけれども建築の方がより限られた所で起きるので。道路は長いーじゃん。向こうの方でやっている人と こっちの方でやっている人、交流しないじゃん。

  道より下りて 河川敷にてパフォーマンス→

建築って狭いからさ。俺、型枠の釘抜いてへばり付いてるコンクリ・カス取りして居る時に電気屋さんが来て、色々ブラックプロパガンダされる。狭いが故に場所が限定されているが故に、強烈に交流せざるを得ない。 道路だったら路盤作る人と舗装する人離れた所でするじゃん。建築の中では職種が同時に攪拌されて行かざるを得ない。

アネハ問題で明らかに成ったようにさ、え〜「建築ってこんなに色々分化してんの」なんて話になっあけどさ。「構造屋さん」というのも いたのか〜!みたいに。驚いている。 みんなは知っているけど建築社会の人は。

建築は全部、建築家って作っている人だと大衆の方は思っちゃっているわけなんだけど。建築家って実は物を作っているわけじゃないんだよね

 消えちゃう交通の場

佐藤
:その辺アネハ問題の話が発展しチャウノで戻って。「人が持っている情報は建築の限定された内で 表現し易くなる」と。それも例えば東京の職人さとかね場所も時間帯も全然関係ない所、年齢もトンデモなく異なるね。いきなり建築現場で攪拌さえれるのですよ。「建築を作る」っていう場で。「現場」っていう話で。

ところが建物出来た瞬間に「発注した人しかそこに居ない!?」という。これは面白くないと俺は思ったわけ。異常なんだよね。例外だよね

松島
:なるほど


佐藤:おれは作る過程の魅力の中に「情報が交通・交流される」その魅力の方が数段 「圧倒的に面白い」と思ったわけ。

伊庭野:住宅に限った話
佐藤;俺が中3年の冬や休みで 働いたのは「NTTの花園局の工事で、電話交換機棟」と言う。でっけーんだぜ。天上高さ7mぐらい、10mぐらいかな。隣に事務棟がくっついていて。その上に大きな目立つアンテナ立って〜みたいな。そえれは住宅じゃなかったんだね

伊庭野:「設計をした人とか建物作った人とがその場所からいきなり居なくなる」と言うことが「問題がある」と言うことなのですか?
佐藤:それは「使用目的に合わせて、空間が機能的目的合理主義にて使われて、動き出す事」っていうことなんだけど。 職人さんが集まるってる事は目的合理的なのかもしれないけど、その場にいる「人間が持っている、目的の無い寄せ集めも隠されている」っていう。「その時にその現場に発生する面白さ!」って言うのが、建築に対する最初の魅力やな。俺はその面白さを骨身についていた。

藤井:現場に特化されているんですか
佐藤:知らん。分かんないそんなの。パン作っている工場ではどうなのかなんて、アルバイトもしないから、判らない
松島:「ウエブ」って言うのもが その図式がなんでしょうね。「建築じゃない場所でも起こり得る」っていう所は そういうふにお考えになってますか「WEB」って言うものが人がぶつかり合う

 匿名性じゃ、入れない場 

佐藤:おれが「建築あそびの情報をねwebに上げ」るっていうのはそれとは 関係ない
松島:それはもちろん別ですよ、掲示板で建築の議論が有るって さっき藤村さんからありましたけども
佐藤:掲示板ちょっとやった事あるけおど やってもしょうががいと思って
松島:それは「現実の限られた狭い土地の中に人が集まる」っていう物理的な事が無いから

佐藤
:顔と名前と技術がセットに成って初めて交流は生きる、だから裏交流も活きる
松島:「匿名性」と言うのは絶対ありえないんですね そこには
佐藤:ありえない。匿名性によって、WEBのキモには匿名というのは背景にあるけれども、それは「ネットをやることによって固有名がもってるパワーっていうのが明らかに成っただけ」で。 現場土方バイトの、その時点では匿名性は考え無かったけど。それはネットの掲示坂が現れて匿名性の意義や意味が証された、晒された。

土湯温泉パフォーマンスとシンポジュウム84全記録集 

伊庭野
:まずそこの議論深めても、いんですけど、全体の

松島:そうだね
藤村:建築あそびを始めたのは何年からですか
佐藤:実はね建築あそびじゃなくって1984年に俺がやったのは「これなんだ、道路の上で」これ
松島:寺山的ですね

佐藤:建築設計を始めた。「パブリックって?!??」言うの判らなかったのよ〜。それ以前には工業高校卒業して10年建築やってみたんだけどね、「パブリク?」とか言っているんけどさ。俺が体験していた現場が持っていたパブリックと全然違うわけよ。「パブリックじゃないんだな〜」よい子のためによい子が管理する場っていうかな。

伊庭野:まずアート活動ですかね
佐藤:俺の考えている「パブリックってやつを検証する」為の、これは「道路を乗っ取って、ステージにしてしまう」って気分ね、極端に言えば
藤村:それ誰がやったの
佐藤:俺がやったの
伊庭野:それ佐藤さんがヤッタのですか?
佐藤:俺と霜田と地元の若い有志たちでね

 道路をみんなでプライベート化  

伊庭野:何歳ぐらいの時に
佐藤:記録集の後ろ頁、ここに解説書いてあるんだけど、34・33歳かな〜(記録集をみる)これじゃなくて編集後記を見ると
藤村:「34.33」と言うことはBOX1を作り始めた時ですか

佐藤:
同時進行だったかな。俺と霜田って言う奴と2人でメディアに情報流したり、地元と交渉しかけやって。巻き込んだ。地元の人が居るわけね。

主に俺が地元の交渉とか道路の交渉とか記録写真の依頼だとかね。「イベントに参加する人に呼びかけ」って地元メデイアでもやったけど。東京方面に言うのは「霜田」って言う人がやって。

「これは何か」と言うと温泉街の道路を使って3日間道路を占拠し、路上に舞台を置いて、叉は温泉町の好きな場で、そこで10分づつ時間を与えるから身体自己表現を

        
 毎日新聞福島版アナウンスされる
藤村:
ライブラウンドアバウトジャーナルと同じ

佐藤:そうそう同じ、15分じゃないけどねこれ(藤井わらい)路の上 それに。これは議論じゃなくって各自の身体表現ね、うろ覚えだが 延べ2〜300人参加した。イナックス銀座のように閉じられた場じゃなくって「道路の上」     

松島:この温泉の道路というのは場所はパブリックな道路なんですか

佐藤:そうだよ
藤村:土湯温泉というところですか

佐藤:
土湯温泉10ミニッツパフォーマンス&シンポジュームって言うことで、84年と書いてあるから 俺は33だいだな。51年生まれだからな(ふーん)
松島:84年というのは新鮮な数字ですね、パフォーミングアートって70年かなって気が
佐藤:もっと前じゃない,ダダイズムとかさ。50年も60年も遅れているけども俺の下心は「それはハプニングアートをする事が目的ではなくって公共の道路をいわゆる私物化する」って言う「10分ずっ占用 俺のために使用する」って。そこに俺は深い興味があって「それをしようと!」。33歳だが。まだ自邸も出来ていないんだけども
藤井:そうですね

 「事件」が生まれる場 

佐藤:これは中学生で体験した建築の現場と同じ事をやろうとしていたわけよ。ただここでは物は作っていないよ、これは。物を作るという技術の部分だけ除いて「その人が持っている文化的背景をも、バーット出す」っていう話だけであって。それはラディカルな話だから、逮捕された。何人も裸に成ったりするから。(藤井わらい)事件に成っちゃって「二度とやるな!」とか怒られてて。ホントはズーット続け世界的イベントにする積もりだったの。これで 最初で挫折しちゃったねまず

藤村:その時の最大の狙いと言うのは何です
佐藤:俺の思惑は「道路を不法占拠=詩・私物化する」って言うか 許可とってみんなで使う
藤村:それ手段ですね
佐藤:街の人達は違って思惑これをやることによって「観光客の目玉になって有名になって町おこしに なるだろう」という
藤村:佐藤さんの思惑は

佐藤:道路を占拠してどうなるかと「何が問題に成るか、実際やって見よう」と
伊庭野:「やってみてから考えれば良い」と言うことですかね

  にちゃんねる じょうたい

佐藤
:うん、まさか「裸に成って 事件になり メチャメチャになる」とは思ってない。人間と言うのはブラックプロパガンダじゃないけど「路上で変な事をやる奴は居ないだろ」と思っていたら、蓋をあけたら 「2チャンネル状態」に成ったわけ
藤村:その時ですか。その時は平面を用意したかったと言うことですか
藤井:議論の場を作ったと言うことでもないわけで
伊庭野:パフォーマンスの
佐藤:身体表現と 話し合いもあったが、霜田っていうやつは身体表現する場を求めていたわけね。今夜の風呂の松島さん状態で、裸に成っちゃう。裸でテーブルを一回りしてくるのに3時間とかる身体表現をやるんだよ。判る
伊庭野:わかります

佐藤:それじーっと観客は3時間みてる フルチンで奮闘をね
伊庭野:それを佐藤さんもこういう事しようぜと言う参加した側なの
松島:霜田さんと組んでやった

 (原稿依頼有 1984年9月12日毎日新聞より東北版掲載 記事→
  記事内容は下記にはりました

佐藤:
仕掛け人!、身体表現しない 建築家は。これ「面白いから写真撮って」くれって頼んだの。写真撮ってくれた人の写真集にもなるじゃない、これ。俺は場に仕掛けて、記録も作る。その「記録集がメーイン」だったんだけど。カメラマンの彼は写真集にするのが有った。後にBOX2の発注者になった今は亡くなった。友達カメラマン

「参加者それぞれ、非常に欲望がバラバラの状態で偶然、成っ立つアートイベントだね。「で記録が残ってる」という事がまず特徴だよね。野合だから。あなた達はピュアな集まりだから。野合性がないから。抜け道が無くなるかも。これ抜け道だらけ        
 
藤村:われわれも刈谷は刈谷でデザイナーの表現の場をそれはそれで結構あると思うので


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メビウス的社会  不可思議な共同体 1984年9月12日毎日新聞
  佐藤敏宏 著

真夜中によく叩く。賢い奴なのでつい時を忘れる。朝一番の飯坂線からけたたましい音が鳴り響く。奇怪な格好をし、朝を迎えるおかしな自分の姿に気付く。朝日に輝く信夫山に向かって背伸びをすると、頭の中から血の気が引いていく。スーッと
異次の世界にワープする
 ICに詰められた脳味噌が、色鮮やかに店先に並んでいる。脳味噌を交換する人々の姿が見える。たぶん僕の子孫なのだろうか。似たような顔をした人が行き交う。表情は父が入院してた病室の患者のように、目は虚ろで周囲の状況の変化にさしたる反応もしない。とても
シュールな風景だ。
 腹の虫が無情にも、今の時空に引き戻す。
「誰か仕事くれ!」「生物らしく無事生きていたいよー!」身辺の無事を考え出すと、家族のこと、友達のこと、どんどん広がって当然のように社会状況のことや生態系のことへと考えが進んでいく。しかし理論武装や連体して権力や制度へ立ち向かう気にはなれない。それらは同一平面上のことのように見えるからだ。
 
紙を細く切る。片面に「権力」もう一方に「反権力」と書き込み、一度ねじって紙の両端をつけてみる。メビウスの帯上に浮かぶ二つの単語。巷に飛び交う主張は一見、正反対のように見えるが実はこの帯上にある文字のように思える。だから一人で行動する人を信用する。原始なるコミュニュケーションを望んでいる。
 最近警備会社が月々数千円で家庭の安全を買いませんかとセールスに来る。これは最も身近な共同体の崩壊を意味している。だからと言って外へ出て趣味的サークル活動や生活を守る協会などの団体を作り、身内で盛り上げるようなことはしたくはない。
 7月27日から29日までの3日間、福島市の土湯温泉で「
パフォーマンスとシンポジューム84」を催した。聞き慣れない言葉で申し訳ないが自らの肉体と5感を用いて芸術表現や自己を主張する。一方通行的な表現活動の欠点を補うため、3日間同じ釜の飯を食い時間の許す限り討論する。単純に言えばこうなる。言葉で表現しきれないから、行動を起こすのだ、約100人の参加者が、土湯の時空や観客とコミュニケーションする。無惨にも自然にのみ込まれてしまう音や映像、表現行為や肉体の連続。「異常空間」の出現でもでもあり「素敵空間」の出現でもあった。
 参加者がステージに立つ緊張感は、人が無防備なる太古に帰る証か。奥底に眠る生への叫びか。あまりにも私的で奇妙な表現の数々と怪信号に、人々の反応は「ないやってんだべー」「トット
いかれてんでねーべがー」と一様に驚き混乱する。やがて素直に受け止めてくれる人達もいた。
 精神障害の土湯の
花摘みばあさん、町の青年達が植えた美しい花をすべて摘んでしまいみんなからそんな愛称で呼ばれてる。老婆の表情は、出演内容の良否を判断するには十分
 地元の子達は、お気に入りの参加者をお化け大会に招待したり、文通お始めると言う話も聞いた。
 柔らかな感受性は日常の多量な情報によってしらずしらじに硬化しると言うことか、目前から発せられた情報が最も快適で信用出来ると言うことなのだろうか。土湯の町には3日間不可思議な共同体が成立していた。最終日、全裸になった友人が逮捕された。僕の目から流れ落ちた涙は、パンツ一枚で管理されてることへの悔し涙だったのかもしれない。
 土湯の地の豊かな感受性と参加者への感謝を込めて、3日間の
全記録写真集を制作してる。パフォーマンスと言う言葉によって出来る垣根を取り払ってくれるはずである。
 今年の夏はバカに暑った。老婆も今日はポツンとベンチに腰掛けていました。神様仏様明日も
核爆弾がさく裂しませんようお願いします。

 

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