建築あそびin竹屋 2008年2月10日  home 

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 建築あそびって何?01 02 03 04   今後の課題編 01 02 03 

              建築あそびって何?04 

 渡辺さん家に長逗留 

佐藤:そこで阿部仁史さんとか八重樫直人さんと出会ったので
松島:それはそう言う人が集まったから建築に特化して行こうと
佐藤:それまで20年ぐらいの間 建築関係者 身の廻りで誰にも会わないの
松島:凄い不思議ですよね有る意味

佐藤:地方だと渡り職人的建築家じゃなくって。ご用達関係、設計図納入業者に成ってしまうじゃないかな?。分からないよ。そうこうしてても、たまたま渡辺豊和さんが91年に福島に講演に来たのね「渡辺さんおもろいですね」みたいな感じで、「今度遊びに行きますから」って言って。渡辺さんの家に泊まり行ったの2週間泊まっていたただで。(会場ほーっ)それで「渡辺さんはどんな建築作っているか見せて欲しい」と言って「ここにあるあそこにある」と場所を教えてもらって。渡辺さんの家に泊まり拠点にして。「この奇っ怪なオヤジはなんじ?」ゃみたいには思わなかったんだけど。

なんで渡辺さんなのかと言うと「芸能としての建築」と言う本を晶文社から出していたんだよね。「建築家は渡り職人である」と書いているわけね。渡り歩く者だと。定住するためには百姓やっていて、仕事が生まれた途端に建築家に変わると。定住者は職業を渡り歩く者だとね。渡り歩くしかない。

有名建築家達ってそうじゃないの、世界中渡り歩いてジェト機の中を居間にして暮らすしかない。「そういう宿命を背負ってるんだよ」と言う意味のことを書いてあったの。 
                        渡辺豊和団長のもとラサ市内の建築見学 ↑
そんな話、建築関係者に聞いた事ないんだけど「俺が体験した事はそうだったのね」職人さん渡り歩いていて交流交通する。左官屋さん大工さんどっから来たのか分かんないけど、現場で出会う「そうだ」と思ったし。「社会学者山口昌男さんから評価された」って言ってたね。で関西の建築家などとの交流は沢山あり、つづいてたんだけど 地元なし関東圏はいなかったね。

20代にもどるけど 1970年代の10年間、東京での建築修業時に、あまりインスパイアーされるもの無いわけ。現場の人との交流も無いし、大きな施工会社だから、監督が居てね。監督に伝えれば出来る。社内交通の他人対立はあるけ ど交流がおおよそ無いのね。それは合理的に人員配列されて居るから、交流しないわけよね。

ところが田舎に行くと、交流しちゃう、グジャグジャだからさ。今でも世界の辺境な地域で現場監理やると判ると思うけど。建築上の田舎に行って差別発言になるかもしれけど、人があまり居ない所に行って建築やろうとしたら、職能は別れてないしグシャグシャじゃないかな、中国のオリンピック建築現場そうじゃないかな。

               (1965年 現場バイト当時の俺→) 
そういう事で東京では合理的に職能職種が分かれていて、俺が考えたような、出会う場が無いわけね。「あんまりオモロクないな〜」と言うか建築の魅力ないな、金儲けか〜みたな感じで。そこは10年で辞めようと決めていた。

80年に突入したので福島に戻って、あの激しい現場の交流は有るはずだろうみたいな。帰って来てみたら「無い」から。「萎んでいて無いんだったら町へ出よう」みたいな、各種イベントに参加して行くわけよ。さっきの話に戻ったね


 東京出稼ぎ10年 仕事だけ 

伊庭野:東京でイベントを起こそうとかと言うことは
佐藤:それはないよ。建築この事全然分かんないし、結婚して子供育てなくちゃ、いけないしさ、そう言うこと考えている余裕もない。建築家って何?かさえも判ってない。
伊庭野:これは東京の前からですか
松島:これは社会との関わりは1980年福島に帰ってきてからですよね
佐藤:70年代の10年間は建築全体が判らない、19歳ぐらいで上京してるからさ。図面の書き方だって分かんないんだもん。結婚して子供を育てなきゃなんないしね、頭も働かないのよ、20代もアホだったから、何も 全然できない

松島
:「中学の時に体験してた現場での建築の魅力」と言うものを社会人になって

佐藤:おれが誤解、曲解またはファンタジーとして熟成している事を判って来るんだけどね

 
70年恵比寿駅前ビル4階 設計部の俺 →

松島:
その10年間で建築の一般的な魅力っていう事では、「無かった」と

佐藤。そうそう、自身の能力も育ってない、機械ふうなんだよね。東京で10年経ってもまだ判っていないの。30代になって、福島でイベントやったりして行く内で 記憶が醸成実現されて行く「建築が、現場で持っていたはずのパブリック」とか 使って言ったってね、嘘だってね。 

パブリックの実現は建築で成りっこ無いんだぜ、建築なんかで無理。と言う事がそこで、イベント通して暴かれて。路上表現へイベントへね。 「じゃーそういう可能性、本当に無いの?かどうか」と。失敗しだのでそ の後で 自分の家をオープンにしてみたり、設計して出来上がった建築に仕掛けて、他者の建築を私物化して使って、実験し続けた」その行為の連続が「建築あそび」なんだよね 
松島:「嘘だと言う結論はまだ自分の中では消化してない」と言う事ですよね

 内部から崩壊 

佐藤:そうだよ、噛み砕いてて。消化中まで行ってないんだね。
松島:だから今度も「公共の場所でインタビューをやりたい」と意識が、やっぱり信じているんですよ、どこかで
佐藤:それは何故かと言うと、パブリック実験したら「家の内部が崩壊する」と言う話になって行くわけよ。路上で事件が起きたように。偶然の事態ではあったが、公開していたら自分の内部が、非常に親密な人達との関係が崩壊して行くわけよ。ご都合主義に解釈してる面もあるんだけどね

松島
:なるほど

佐藤:建築内部のパブリック化って、これはそんなにハッピーなものではねーぞ〜、みたいな
松島:うん〜なるほどね
佐藤:まだ解決されてないね
松島:なるほどなるほど
佐藤:そこで「俺自身の設問と言うのは間違っているんだ」と思わない処がな、間違いだから。そう言う考え、行動し続けようと思うんだけど
松島:そうですね〜
          70年現場監理中の俺
佐藤:
いや間違いだけど、やり続けている、「この異常さ」は私にもなんだか良く判りません、だって面白いんだもの

松島;
中学時代の人格形成の時の魅力が一生続くってことでかね

佐藤;おもしろいんだな〜本当は「あの時、面白かったかどうか?すらも忘れているんだ」よね。面白かったような気がしている、みたいなさ。ちょと話を展開しようよね、だいたい判ったですか。 建築あそびの起動部分が要約、終わったと。 大分長かったな、やれやれ。

 60年末には ポストモダンに突入してた 

松島:建築の時に感じていた魅力と言うのはポストモダンの魅力と
佐藤:ような気がすると
松島:で東京に出てきて(近代の合理性が)詰まらないと、しかしポストモダン的なものを取り込んだら、家の内部も崩壊してしまうと。限界も感じると
佐藤:自分の「家の内部が近代の価値によって運営されているんだ」と言うね
松島:なるほど

佐藤:おれは「近代好き」じゃないのに!
松島:家庭をポストモダンにするって可能だと、思いますか、ちょっと話ずれますけど
佐藤:判りません。、まだら状に変わるだろうが全ては、そのように成らない。
松島:そういう漫画、出たんですよ
                           
佐藤:
そういう意味では今の若者ふうに暮らしてるでしょう俺って
松島:家族を解散すると言う
佐藤:俺は家族なんて昔から、みんなに言ってた 「解散している」星座型居住っていう話に繋がっていくんだけど。顰蹙、買って建築計画は却下されているけどね。
松島:その結論 凄く現代的だと思う
佐藤:大方の今、風味の家族なんて、人類の最初からは無いんだよ。はっきり言えば。それは近代の家族制度によって守られた幻想なんだよ。今の家族っていうのは
松島:らしいですね。
佐藤:それは散々読んだよ、上野さんとスカートの下の劇場とかね。あれらの本、それから、近世史の「村と町と国と家族」のお話の本。やっぱり「そう言うことか」。おれの直感は正しいなみたいな、近世の交流ってのはもっと自由で、結婚は最高40何回もするし、離婚何回もするし。

松島:
フリーセックスじゃないの

佐藤:フリーセックスじゃないの、一度の結婚そこで完成させなくって別にいいだ〜、上手くいかなければ組み合わせジャンジャン変える。おおらかなの。愛を占有しないの。リベラールなの良い加減なの。貴方の性器はみんなで有効に共有してたんよ。可愛い子には旅をさせるって、地方の者の伊勢参りの目的の一つは、宿場の飯守女と交流するってことだからね。女の人にも声をかけている、近世期の女性の旅日記が沢山残っている。

古代ローマ以降生まれた、キリスト教カトリック的縛りは敗戦後の異様な状況下で特に一般に敷衍されたんだと思う。50年前の明るい未来を約束したはずの公団住居普及と セット。今現在は社会や家族から捨てられた男の 孤独死の場に変容し加速し進んでいる。

伊庭野:さっき会計士のお宅の処で「妻も共有すべきだ」と言っていた
佐藤:そうそう
伊庭野:半分冗談だと思っただけど半分本気
佐藤:そうだよ
松島;それって近世に対する近世を今取り戻すと言う魅力を感じていらっしゃるですか

 20世紀って特異点 

佐藤:
「そういう関係があった」と言うのは後でmy長男の持っている多量の近世史本を読んで分かったの。直感的にそう思っていた。男も女も、相手の所有物には成らない。人間は商品ではない、自然人に合わない。イケナイんだよね今の人間観は。人間は性能の良い商品でも機械でも無い人間なのだ、ね。 現場はその人間が交通する場だし。網野善彦さんが、中世はこうだとか
松島:近世とポストモダンの関係というのはどう考えですか、共通しているイメージがあるんですけど

佐藤:
共通していると思う 有る点は
松島:モダンと言うのは本当に特異点だったと
佐藤:そうそう。モダンは人間を機械のように扱うってことだ。でこの人はこういう事しかやっちゃいけねと。私サラリーマン機械のようにね。・ところがよく考えて見ると近世の人人はこちらで百姓って居るたかと思うと裏で金貸しやったり、こっちで女売りつけたり、一人で色々な職業を持っている、さっきの渡り職人みたいに野菜や、建築を作っているだけじゃないのよ。これから大方そういう生き方になるよ。

松島
:シチュアシオニストが突然大工になったりして

佐藤:それが当たり前の世界の昔からのスタンダードだと思うけど
松島:あーあおーお
佐藤:ところが今のグローバルスタンダーと言うのは「国民国家と連動しているから、工業製品を売って領土広げてね市場を広げて行く」と言う話と人間を機械の一部に規律訓練してこき使い、家の構成員である親密な他者同士までが、機械と見なし暮らしてしまった。自然人に貯まるストレス歪みが、孤独死・イジメ・幼児虐待、高齢者虐待と言うアウトプット。特異な人間の行為として顕在化し、ニュースに加工し消費しあう。近代の国民国家内の 家族制度は統制されて一緒なのよ、「人間みな機械主義」だね。働かない、働けない機械=人間ゴミであると。処分、処分ね


 近代主義者 批判 

松島:
「建築あそび」のと言うのはアンチモダンと言う

佐藤:人間浴
松島:近代主義に対する投げかけるカタチって言う解釈
佐藤:そこまで資本主義に対するカウンターを喰らわせよう事は考えてないけど、そうなているよね。目的外で残念ながら

藤村:近代主義に対するアンチなんだ
佐藤:そうそう近代主義と言うのは詰まらない。動かす近代主義者もね。極真面目な人の人間性が奪われて、つまんないんじゃないかと。連赤もオウムもその線上
藤井:家に知り合いを呼ぶと言うのは、近代のその時に成り立ったものに乗って

佐藤
:近世と言うのは座敷で会合したり俳句唱うたり、書画や謡いでも交流、生産したり。人ともに、文芸的交通は身分を取り払う仕掛けでね。交通可の公共圏に近い
伊庭野:近代の家族って言うのは家族のものだから家族だけで住むと、それをもっと解体すべきだと言う話だよね

佐藤:
ゆっくりね。都市住宅、持ち家制度とかね関係してる。戦争後の話だなそれは。敗戦し引き揚げ者が溢れ急務の策で人間機械化が加速した面もあるんだね。
村:その時に気になって来るのは、中世と近代の最大の違い「技術の問題工学問題」と言うのはね、そこについては佐藤さんどういう
佐藤:東さんの考えでいいと思う。基盤を整えるために情報を使い多様な他者を共存させる。 そこで人間に色んな単一の役割が押し付けられ、自分が敗北者と言うね。ここで駄目だったらそっちがあるぜ〜みたいなさ。それに成らないんだよ、戦後の俺の廻りの近代機械人間は
松島:それどっかで聞いたな。

佐藤:
自分が一番適している事に参加し交通しながら探してみると言う
松島:モダンは排除されたら戻れない社会ですからね
佐藤:そんな事は許せない。「出来る範囲で職能を活用する」と言う事にしないと、優勝劣敗みたな、たった一人のスーパーマンが居れば全部OKみたいな、。それは違うだろう!と。

 近代の中の 動物内の問題 

藤村:ポスト近代の難しさと言うのは東浩紀なんかが指摘するように、多様性が演出されているように見えながらも、そのしたにこう
佐藤:それはネットって言うアーキテクチャーがあって、ようするに環境監視強化型社会になるって言う話でしょう。
松島:多様性を支えているのが工学って言うんでしょう
藤村:それはネットの社会の話だけでは無くって「現実の物理的な世界においても同じ事が言えるのではないか?」と言う問題提起もあるよね
松島:それが表層と深層の架け橋、まさに我々のテーマですね

佐藤:東さんも個人の主体と言うのをまだ信じていると信じたいと言うことだよね
藤村:そうですね
佐藤:ですよね、そのとき主体もなにもない、動物になっり切ってないからさ、そこへ行ったら深層もヘチマもないわけだからさ
藤村:東さんの言い方は、とちらかと言うと動物になりきってしまえば良いと言う
松島:柄沢さんとかが言っていたけど動物になりきる人って言のは意外とマイノリティーなんじゃないかと。全員成らないでしょう。
佐藤:成らない。社会がそういう駆動してないから、成りっこ無いジャン。社会が目的合理的に仕組まれているから、そこでズレて生きるのは大変生きづらい状態になるじゃない。敗北を覚悟して生きるって出来ますか?
松島:いやいや動物化する人達が、人間全部動物化というのは無くってその比率が意外に低いのではないかと出ていたんですけど

佐藤:それは分かんないね。
藤村:図式で言うと中世がこうい個人
佐藤:動物が、一人で何役も出来ちゃうだね
藤村:そういうネットワークの社会だとして、それをツリー構造に置き換えたのが近代だとして、今それが一回解体されたかのように見えて実は裏で
佐藤:ネット監視強化型社会

藤村:現実の社会に言えるのではないかと思うんですけどね
佐藤:それはわからんな(過防備都市とか見回り隊とか)近代の教育が加速させているとも言えるしな。見えないフォームって言うの柄沢さんが言っていたフォームって言うものはそう言うものじゃないかな
藤村:その「表層の問題と深層の問題」って言うのが有ると、柄沢が提起している問題と言うのは「ここの関係を利用する時にフォームが力を持」っと言う議論だと思うんですけど

  監視強化型社会と建築型監視権力の相似性

佐藤
:あれは監視強化型社会と建築型権力の 問題点と言うことで繋がっているだろうと俺は思ってみたけど、その辺の処をもうちょっと明らかにして、どうやって整理して行くかった言うのは、なかなか分かり易くはならない(見えないから)
松島:それはラウンドアバウトの次のテーマですけどもね

佐藤:
それは難しいと思うんだよ俺みたいに「試行錯誤して七転八倒してさ、家庭まで本当に壊れてしまってさ。それでもまだ判らない」と言う闘いというかね「気が違」状態を続けないと判らないジャなかなかと。価値が混じってしまった動物の行為は
松島:佐藤さんがやっていらっしゃるのは方法論の模索だと思うんですよ、そこにインフォーマル、フォームが無いと言うのが不思議なんですよ我々は

佐藤:フォームというのはどういう事
松島:形式ですよね。時間制限があったりとか、このイベントと言いのはかなりフォルマリスティックニやっているわけですよテーマを決めて
藤村:でも佐藤さんのやってらっしゃる事は幾つか型があるような気がして、例えばWEB公開のやり方にしても口語に近いやり方
伊庭野:全部公開するとか
藤村:そのフォームの幾つかあるフォームの意味を問う

佐藤:
編集やって。同じだからな、色つけたり、音声というのは繋がっているから判りにくいんだよね、絵にしなければ見て分かんない
藤井:文字にする意味っていうもは
松島:それこそユーチューブってもの
藤村:結構暴力的な編集だと思うんですよ
佐藤:ちょっと休憩していい
伊庭野:俺も

佐藤:
今日の「建築あそび」なかなか本題に行かないな〜

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