2000年5月27日第一回植田実さんと建築あそび記録 HOME 

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鈴木隆之さんの設計  EXCES 京都市上京区

 これは鈴木隆之さん。この方は肩書きはね小説家・建築家という。常にどんなときでも、必ず小説家・建築家という。群像の新人賞を取ったんで、非常に良い小説を書く人ですけれど、建築家です。原さんの、原広司さんのとこで、ヤマトインターナショナルを担当した人ですね。鈴木さんは、そういう方です。原さんは京都駅舎を設計した人ですけど、同じ京都の西陣。古い町屋が続いてる一角ですね。だから短冊形 。間口が狭くて奥が深い、短冊形の敷地にこういう4層のコンクリートを作った。
これがねお嬢さんの個室です。ボンと丸いヤツね。

これはこういう家なんです。先に住宅の方だけ言うと、お嬢さんの楕円形、円筒形、楕円筒形の個室があって、ここにお母さんの個室がありますね

個室というか寝室なんです。実際お母さんの個室に当たるのはむしろ洗濯場に近いところ、これはいわゆるユーティリティなんですけど、一番良いところですね。

テラスに面して、一日いても気分いいところに。彼女は日頃は何してるかというと、ここで幼児の能力開発教室というのをやっているんです。つまり幼児教室の園長先生なんですね。 ここに居間と台所と、ここから上が住宅、ここから下がその彼女の経営してる学校、幼稚園です。

 下からね門を開けるといかにもお医者さんみたいな、割合開放的な窓があったりして、こういう幼児教室があります。

 違う日に行くと、あんな風にトップライトから光が燦々と照っているときもあります。

教室はいいんですけどね、問題はこの辺のなんか可笑しいことをやっているですね。さらに上がっていくと住居に行くんだけど、この幼児教室の職員室のこのドアを開けると、ここにへんてこりんな階段があったり、外に突き出している。勿論使えません。ここまで行けば、窓拭くぐらいなことは出来るんだけど、あくまで演劇空間的な、一種の演劇美術、そういう作り方をしてます。
 ドンドン上がって行くと住居。これ住宅の玄関を入ると、壁が左右色違い、アッという感じで、しかも通路がスイングしてる、グワーッとS字型にわざわざ作ってるわけです。

奥に行きますとこういう飛行船が止まってる様な感じで、彼女の個室が、ボント上にぶら下がっているわけです。

中はおとなしい個室ではあります。これねS建築の住宅特集に鈴木さん、話をしたらしいんだけど、没になっちゃったらしいですね。 多分、僕はこの住宅観てこんな面白い、と言うよりスゴク感動しちゃったんだけど。何でこの住宅の本当の意味が分かんなかったかなと、僕は推測するんだけど。 多分こういった造形遊びみたいなものが、編集者としては一寸 評価出来ない気持ちがきっとあったんじゃないかなーという気がするんです。
 

 これも個室です。お母さんの寝室、これはいま彼女の中学生の娘さんの寝室。なんかね向かいあっている。

アンデルセンの冬の女王の、なんか男子と女の子が道路を隔て話をする。ああいう不思議な視線。

 これはどういう家かと言うと、実はここのご主人は建築家なんです。で高松伸という京都在住の、またこれ、あの佐藤さんよりもいく倍も悪いみたいな、メチャクチャ造形力の有るぎんぎんの造形力の有る建築家が、キリンプラザをやった人ですね。大阪の道頓堀に。

その建築家に私淑してた建築家なんです。だからコンクリートのがっちりした 造形的な建築を作っていた人なんです。ただ彼はオートバイが大好きな人で、10年一寸前に、彼女が生まれた直後に、トラックに巻き込まれて、亡くなったんです。事故死した。

で10年ぐらいかけてやっと保証と言うか、賠償として自分たちの家を建てることが出来たんです。ですからお母さんとしては、下で、体張って仕事してるわけですね。彼女はもう中学生だからあんまり もうお母さんに甘えない。 出来るだけ家事をやるという、そういう親一人子一人家庭なんです。ですから丸ごとここで仕事をして、生活をして、しかも母親はそのうち老いていくし、娘さんは段々お年頃に成っていく。そういう経過もズーと読めるようなお宅なんですよねー。

で、亡くなった若い建築家の友達が何人かで相談して、結局何人かの一人の鈴木隆之さんが設計するようになった 。なんかこれ見方によってとても切ない、言うのかな。そんなにお母さんも多分30代あるいは40代はじめかな。でそれでもズーと娘さんと二人で生きて行く、という感じはね、やっぱり窓、見合った窓を見たりするとねなんか、惻々と感じられるんですね。

ところで一方でね、なんか演劇をやってんじゃないかみたいな、だからすごい深刻に成っちゃヤッパ嫌だなみたいな気持ちも二人には有るような、だから深刻な現実とそれを一つの虚構化しちゃう、あるいは演劇的にもう、振る舞っちゃおうみたいな、

そういうモノを建築家は実に見事に、僕は形として受け止めたんじゃないか、という気がするんです。そういう住宅です。

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