大阪 ことば悦覧 ことば紀行 2008年5月12〜18日   home 

 井戸健治さんことば悦覧 2008年 5月13日午後 高津 ビルの5階井戸さんの事務所にて   
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 その05 30分 34秒〜 

佐藤:建築設計してることもインタビューしてる行為も建築あそびの活動も 同じ質の行動だね 
井戸:う〜ん 意味的な脱構築 地でいってはる 

佐藤:そうかもしれない そをやりながら 尚かつお金を稼いでないわけだから 野生の猿状態で 食いもの無くなると倒れて死ぬ 爆笑 

これは過激かもしれない 今金を稼げるというのは近代に回収されてしまうとも言えるので そこいらも意図的に脱してしまう でも生きていて 近代的価値から見ると完全に失敗した人生なんだけど 
井戸:失敗というのは近代の価値観ででしょう 
佐藤:俺の考え方から 言うとそうでもない まあまあ生きだ それを説明しても 解ってもらえないから 放置する 

井戸:フラヌールってやつですね  
佐藤:それはどういうことなのか解らないけどね 
井戸:むずかしい言葉は慣れてないから使わん方がいいかも ばれない 
佐藤:快楽てきに 動物的に 直感力を蓄えて いろんな人に会って 57才だし 外れても大したことない まともにいまさら外れない

井戸;そうですか  
佐藤:メールの返信でわかるので 外れない 

井戸:例えば佐藤さんにとって会ってもしょうがない人と 会うことに意味がある人の 線引きはどこにある ですか 
佐藤:線引きは無いですね 会いたく無い人に会った方がいいわけだけど 
井戸:自分に刺激を与えるのは 会いたくない人 
佐藤:でも相手が会いたく無い と言いば 会えないわけだから それをすると失礼にあたるので 会いたく無い人にも興味があるんだけど 

井戸;でしょうね 
佐藤:でもそれは そこまでは行動的じゃない 止めようと今回は思っている  相手の時間を奪うことでもあるし 押し付けがましい話でもある しね 会いたくない事情があるだろうし  

井戸;会った事も無い人でしょう で会いたくないと言うことですか 
佐藤:メールの 文面でわかるじゃないですか 中身がない単なる応答の文面でもわかる 聞き出すと全員の方が話だすだろうけど  話したくない人も居てもいいんで そのような状況の時も人間はあるじゃないですか  
井戸:もちろん 
佐藤:やたらめったら喋ればいいと言う話でもないので その方には無理強いしてもしょうがないので  縁があれば必ず何処かで会うから 急ぐ事はない その辺は楽天的ですね 狭い世界ではあるし 2人だとると 皆繋がる 大島さんは大方の人が知っているのでね 俺のHPも見て知っている人がいるし 知らない人もいるけど話は意外に簡単に進展しますね  建築を作ると同時に最初から人 を集めて交流交通する そのような概念的な場所をつくりながらも   実験的に現実の建築や日々の生き方にも投影して動く   動かないと差異が解りにくいのでね 

やればやるほど近代システムに回収されていく人が多いので 
井戸:僕は近代の中で生きてますね〜 
佐藤:それは当然なんですよね 成熟した後期近代と後期資本主義のなかで生きてるんですから  でもその結末に対して違和感をもって居る人も存在してるんですよね  それは周縁の人々 例えば若い人  女性とか 学生とか 人間的存在の価値とて認められてな人々 近代の度真ん中で成功してる者にインタビューしても答えは 限られているので 

井戸:政治的に正しい事しか いわないでしょうね あるところまでいっちゃえば
佐藤:そういう姿勢は 僕にはある種の意味しかない 参考にならない 僕が社会的地位がない 収入が無い 名声もない いろんな価値が無いということが 井戸さんに聞き出せるための決定的な条件なので  近代の末期にそこに置かれた人々の声を聞き出すためには 近代の成功者ではバイアスが掛かるのでだめでしょう 価値が無くなる  と言うのが俺の言い訳です

「君 能力ない だから 自己研鑽したまえ」で終わってしまう 問題の所在が明らかにならないで終わる 自己責任で済ませてしまえば 問題の所在と質それから その社会の セーフティーネットの構築の仕方も解らないでしょう 建築家に隠されてある 問題は 何か そこに光を当ててみて これが問題なんじゃないですか 問題ですよと 提示すればいいわけですから  解決しなくってもいいわけです 問題は解決するわけにあるのではない 問題の本質がどこにあり何かが解っていればいい 数がなんこ在るか解っていればいい 

井戸:それ表すのは断片で提示する 同列に提示するから こそ見えてくる っていうやり方ですよね 

佐藤;
そうですね それはタダ石を並べて積んでおくだけ だからサイトと言う作品に似ているかもしれないですね 移行期なので明確にはならないし 時間が200年経てば 明確になるようなものでもない それは現在を見ればわかる 近世の価値で動いているものも在る なんとか道なんて言うのはそうだ  特殊な芸能として組織を作って活動している人が大勢いるので ポスト近代は 真っ新にて始まって動いていくとも思ってないです 

井戸:
なくならないでしょうね ポストそういう考え方と言うのは 自己批判の方法をじゃないですか 
佐藤:自分の可能性を拡張するって言うことかもしれないしね
井戸:それはそんでも拡張した近代です
佐藤:回収されないためには目的に回収されないと そこは矛盾しているよね  
井戸:その外で言おうとすると 
佐藤:唯一言えることは目的が達成されるまえに寿命が来ると言うことだね 

井戸終わりなきものがたりの ピリオドですね 
佐藤:死ぬと言うことは重要で 成功しないで終わるために ちょうと良いときスターとを切ったと  
井戸:ほんでも これは皮肉ではないですけども 僕からみれば佐藤さんッテ成功している人ですよ だって 今は無き建築文化に 載っている建築家って 言うだけで 僕らから見ると あこがれの人です 

佐藤:ああそうか 94年以降は 大方 載っているからな  なぜか載った 全部載るのは嫌だって言ったんだけど 
井戸:いつも載っていたじゃないですか 学生の頃よく見てましたね、それで大島さんのとこへ行くと 佐藤さん知っているっていうから う〜って 思って ふふふふふ
佐藤:建築文化の中でも俺のポジションはおかしかったけどね 所属するところガ 無いから 
井戸:う〜んその1個 前の 編集者の人のやつやたら ちょっと違ったと思うですけどね もうちょっと なんて言うか 左系の 編集 そこから大島さん も結構書評書いていた 時は 結構佐藤さんとか載っている 時代はちょっと

佐藤;体力ないので建築文化しか 連絡してなかった メディアに載るっていうことはこういう事かと 
井戸:こういう事かというのはどういう事ですか 
佐藤:処理と意味分けのされ方がね 
井戸:ああ〜あん 料理されてしまうと言うことですか 向こうなりに 
佐藤:本当にやりたいことじゃなくって 相手が興味ある事しか載せない 
井戸:ああ〜 
佐藤:しょうがないよね 相手の意図で編集しているんだからね それに異論はないので 好きにやっていただく 相手の思惑によって編集されることによって 違和感とか他者との違いが明らかになるから 俺にとっては意味がありましたですね

そこから 違う方法で考えることが出来る それで建築あそびとか ことば悦覧を始める事になっているわけだから 休刊になったことも良かったですけど  印刷媒体が持っている力とか限界とか 休刊した途端に WEB 始めたので 媒体に対するストレルは無かったです 既存のツールを使い込めばいいんですからね  


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