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   第2話*勲

       

 久々の早起きは辛い。だが、今日は一コマ目から必修科目だから、とりあえず時間までに席に着いていなければ。
  長年慣れ親しんだ住宅街の風景。眠い目をこすりつつ、駅に向かっていた。
  ―― と。
  そこで、俺の耳はぴくっと動く。普通の奴なら大通りの車の往来に紛れて聞き逃してしまうであろう物音も、取りこぼすはずもない。そう思っているうちに、どかどかどかと地鳴りのような足音が近づいてきた。
  ……やれやれ、そんなに慌てることもないのに。
  俺は知らずに笑みのこぼれそうになる口元を必死で引き締める。お世辞にも「軽やかに」とはいえないこの足音の主は、わざわざ振り向かずとも丸わかり。立ち止まって振り向いてやってもいいのだが、そうするまでもなくすぐに追いつくだろう。そう思って、脇道にそれた。
  夏草の揺れる川沿いの道。この遊歩道が、駅までの近道になる。背後の足音も、少し遅れて角を曲がってやってきた。
「おはようっ、勲(いさお)くん!」
  まったく、何て嬉しそうな声なんだ。おめでたいにもほどがあるぞ。
  今はじめて気がついたようにさりげなく振り向くと、そこには全速力で駆け寄ってくる女子高生の姿があった。
  梅雨明けを迎えた七月中旬、朝から雲ひとつない青空で少し身体を動かすだけで身体中から汗が噴き出してきそうである。そんな中で無駄な動きをしているのだから、もう見られたもんじゃない。
  ブルーを基調とした涼しげな制服はすっかり着崩れて、ついでに髪もあちこち飛んでいる。しかも額からは汗がだらだら流れていた。
  コイツの名前は田所千花(たどころ・ちか)。名前こそは可愛らしいがその行動力といったら、まさにイノシシ並みだ。俺が小学校に入学した春に隣に引っ越してきてからの付き合いで、かれこれ十二年。見た目は多少成長したものの、残念ながら中身の方はあまり変化していない様子だ。
「……朝から、騒々しい奴だな」
  同じテンションで対応してやる義理はない。というか、そんなことをしていたらこちらの身が保たない。そう思って冷ややかな眼差しで見つめてみても、当の本人はまったく気にする様子もなかった。
「うん、元気元気! 今日もいい天気だねえ〜!」
  あれ?
  こっちが立ち止まってやったというのに、彼女は俺の脇をするりとすり抜けさらに前へ前へと走っていく。
「おっ、おい! 何やってんだ、まだ急ぐ時間じゃないだろうが」
  この馬鹿、また時計を見間違えたか。コイツのドジぶりは半端じゃなくて、時計の文字盤を平気で一時間二時間読み違えることもザラにある。過去にそんなことが何度もあったから、こっちも慣れたものだ。
  そうは思いつつも、気づけば俺も小走り状態になっている。つられる必要はないとわかっているが、何となく面白くない気分になっていた。 俺を目指して走ってきたのかと思っていたのに、これはいったいどうしたことか?
「わかってるよー、それくらい。違うのっ、これは筋トレだから〜!」
  どう考えても筋肉を鍛えているとは思えない。だいたい、こっちの小走りとコイツの全速力が同じレベルだというのはどういうことか。
「何言ってるんだ、朝っぱらで身体が十分に目覚めていない状態で走り込んだら身体に負担が掛かりすぎだぞ。最悪、そのまま身長の伸びがストップすることも十分あり得る」
  バイトで得た知識をひけらかしたわけだが、最後の方は俺の勝手なでっち上げだ。でもその効果は抜群、彼女は今まで必死に動かしていた足をぴたっと止めた。
「……えっ、そうなの!?」
「しかもお前のことだ、準備体操も何もせずにいきなり走り出しただろう。そういう心臓に負担を掛けるやり方が一番ヤバイんだぞ」
  ふふ、本気で青ざめているぞ。まったく、単純な奴だ。
「しっ、心臓に負担って……そんなに大変なことなの?」
  まだ肩で息をしている。無理もない、きっと家を出てからの数百メートルをずっと走り続けていたのだろうから。俺がここで止めなければ、さらに倍以上はある駅までの道のりを完走していたに違いない。
「そんなの、当然だろ。ちょっとはココを使え、ココを」
  俺が自分の頭を人差し指で突いてそう言うと、彼女は口をもごもごと動かしながら俯いてしまった。
「だってー、汗をかくとちょっとは体重落ちるし! だから、毎朝走り込んだら、どんどん痩せていくかと思ってたのにーっ!」
  それは、ただ身体の水分が外に出ただけだろ? 水を飲めばプラマイゼロだし、ジュースを飲めばかえってプラスになってしまう。それくらい、ダイエットの基本じゃないか。そういう情報は取り逃さない女子だったら、当然わかっていてもいいはずの知識なのに。
「……もしかして、この前のことをまだ気にしているのか」
  肥満率なんたら、という話をコイツがしていたのは数日前のことだ。一晩寝ればすべてがリセットされるほど単純な奴だから、その後すっかり立ち直っているだろうと思っていたが甘かったか。
「うーっ、そりゃ気にするよー。この頃、制服もきつくなってきたし!」
  コイツのやることなすこと企んでいることは、俺にすべて筒抜けだ。こうして面と向かっていればほとんどの情報は読み取れるし、さらにコイツの兄貴が俺の親友だったりするから最強である。
「それはお前が無理して、春の採寸のときにワンサイズ小さめのを選んだのが間違いだったんだ。店の人にずいぶん渋られたって聞いたぞ」
  これも兄貴情報のひとつ、下手をしたらコイツが家でくしゃみをした回数まで知らされてしまうような勢いだ。
  千花の兄貴。そいつの名は諒介というのだが、ガキの頃からの付き合いだけあってツーカーの仲だ。大学進学で進路は別々になったものの、今でも頻繁にメールのやりとりをしている。その内容のほとんどが、今目の前にいる「うっかり娘」関連のことだというのがなんとも、だが。
「で、でもーっ……」
  さっきまで全速力で突進していたと思ったら、今度は苛つくほどのカメの歩みに変わっている。いつまでこんな風にノロノロ歩いていたら、マジで電車に乗り遅れるぞ。付き合ってやる義理もないと思いながらもついつい足並みを揃えてしまう自分が情けない。
「勲くんだって、やっぱ、ほっそーい子が好きでしょ? 私、知ってるもん」
  ―― は? 何だ、それは。
  いきなり思いもよらないことを断言されて、さすがに慌てる。まあここで、相手に悟られるようなボカはやらないが、かなりのダメージだったことには変わりない。
「どういうことだよ」
  俺は知らないぞ、そんなこと。そう思っていたから、少し険しい目つきになっていたかも知れない。だが、彼女は全然負けてないよと言わんばかりに睨み返してくる。
「一昨日、合コン行ったでしょ? そのときのこと、お兄ちゃんに教えてもらった」
  さらにバッグの中から携帯を取りだして、すぱぱぱっと操作している。
「写メだってもらったんだから」
  もともとがビー玉みたいに大きな目、それが今は涙で潤んでいる。ついさっきまでニコニコしていて、そのあと怖い顔になったと思ったら、次はコレだ。あまりにも変化がありすぎて、ついて行けない。
  そして、ずいっとこちらに突きつけられたケータイ画面。そこにはアイメークがっつりのケバイ女と俺のツーショットが写っていた。もちろん俺の方は嫌々な顔である。
「すごく盛り上がってたんだって? もしかして、もう付き合っちゃったりしてる?」
  身長差が三十センチ近くある俺たちは、視線の先に見える風景もまったく違っていると思う。彼女が俺を見つめるときは、決まって少し背伸びになる。俺の方は逆にかなり猫背になる必要があった。
「……だったら、どうするんだよ」
  あれは諒介に無理矢理連れて行かれた店でのことだった。仲間内の飲み会だと聞かされていたのに、案内されたテーブルには見慣れない女たちが並んでいる。正直、すぐにでも回れ右をして帰りたい気分だったが、そんなことをして場を盛り下げるのも大人げないと思い、どうやら一次会が終わるまでは付き合った。そのとき、隣に座っていたのが今回の疑惑の女である。
  だいたい、あんな女、全然好みじゃない。やたらとしつこく言い寄ってきたが、最後は上手く巻いたつもりだ。でもそのことを今は正直に話してやる気にはなれなかった。
「うー、ライバル登場って奴だね。今回の人はかなり手強そうだなー!」
  いつも思うんだが。どうしてコイツは自分の兄貴が伝える情報をすべて鵜呑みにするんだろう。お陰で俺は、とんでもない女ったらしだと誤解されてしまっている気がする。
  小学校に上がった年にコイツにロックオンされてしまった俺は、女に追いかけ回されることに関してはかなり年季が入っていると言えよう。追い払っても追い払っても、子犬のような目をしてあとをついてくる。正直、女なんてコイツひとりで十分だ。他に手を出そうとは到底思えない。
  諒介が面白がってあることないことコイツに吹き込むから、あらぬ誤解を招いてしまう。まったく、困った奴だ。千花の兄貴じゃなかったら、とうの昔に縁を切っているのに。
  ―― だけど、当の本人はそのことにまったく気づいてはいないわけで……。
「だからねっ、私決めたんだ! 次の八月一日までに十キロ痩せてこの人よりもずっと綺麗になるの! 今度こそ絶対の絶対だから、ちゃんと見ててね。私の見違えた姿を見て、勲くんを必ずよろめかせてあげるから……!」
  おいおい、何だよそれは。しかも「よろめかせる」って、かなりレトロな言い方だぞ。その響きに、限りなく昭和の香りがすると思うのは俺だけか。
「―― 三キロ以上痩せたら、何もしてやらないぞ」
  ぽつんと、呟いた声。別に彼女に聞かせるつもりもなかった。俺としては、今のままでも十分だと思っている。確かに春先と比べたら少しばかり丸さが増した気もするが、それも許容範囲内。ガリガリに痩せて骸骨みたいになったコイツなんて、想像するだけでおぞましい。
「……え?」
  不思議そうな顔をして俺を見上げたその瞳には、真っ青な青空が映っていた。その眼差しにやられそうになるとは、そろそろヤバイかも知れない。
「ほら、早く行かないと間に合わなくなるぞ」
  俺はわざと視線をそらすと、そのまま先に歩き出した。あとから小走りに付いてくる、その足取りを耳元に感じながら。
  タイムリミットまで、あと二年半と少し。そこまで俺の理性が保つことを、今は神に祈りたい。

おわり(100818)

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