第5話*勲
突き抜けるような青空、今日も夏が続いている。
ようやく前期試験から解放され、小中高校生よりも少し遅れて夏期休業に入っていた。
だが、だからといって、普段となにが変わるわけでもない。大学の講義はないが、その分バイトのシフトをぎっしり入れた。家にいてもやることはないし、ゴロゴロしていて無駄な時間を過ごすくらいなら少しでも多く稼ぎたいと思う。
そう、今まではあまり物欲もない俺だったが、この夏ばかりは話が別だ。
「……あれ?」
駅前に続く商店街のアーケードに足を踏み入れて、ふと立ち止まる。
何軒か奥のスポーツ用品店、そこは俺にとっても馴染みの場所であったが、今その店頭で見覚えのある頭が見え隠れしている。あれはたぶんそうだ、間違いない。
数日前、あの頭を初めて見たときには腰を抜かしそうになった。丸い頭の上に、馬鹿でかい鳥の巣のようなモノが乗っている。一度束ねた髪を大きく膨らませて留めているらしい。
本人はお洒落でやっているつもりのようだが、あれはどこからどう見ても鳥の巣だ。朝起きたら、どこかの鳥があの中で卵を温めていたらどうするつもりだろう。
――もしや、あれで身長を少しでも高く見せようと思っているのか。
そんな考えが頭を過ぎったが、可哀想なので本人に確認するのは止めた。
どうも、水着を選んでいるらしい。
今は夏のバーゲン真っ盛り。どの店でも、早いところ売り切ってしまおうと言わんばかりに夏物を店頭にたくさん並べている。彼女が選んでいる水着もそんな商品のひとつだった。
街一番の品揃えを誇る店だけに、その種類も多種多様。目移りしてしまうのも仕方ないことだ。だが、あれはひどい、両手にいったい何着引っかけているのだろう。しかも懲りもせず、さらにハンガーをかき分けている。
まったく仕方のない奴だ。あれもこれもと目移りしてひとつに決められないのはガキの頃から少しも変わっていない。よし、ここは年長者らしく釘を刺してやるとするか。
「おい」
近くに寄ってから声をかけたのに、こちらの気配にまったく気づいてなかったようだ。慌ててこちらを見上げた顔は、半端なく驚いている。
「さっきから、馬鹿面をさらしてなにやってんだ」
さらに畳みかけるようにそう言うと、たちどころにぷううっと頬を膨らませる。これほどに喜怒哀楽がわかりやすい人間も珍しい。
彼女の話によると、やはり見たとおりに水着を選んでいたらしい。あまりに種類が多すぎてひとつに絞りきれず、とにかくはいくつか試着してみて決めようと思ったようだ。
それにしてもなんだ? その人を邪険にした目は。仮にも俺は、お前の片思いの相手だろうが。しかも付け加えれば、初恋の相手でもある。熱愛する想い人が有り難くも目の前に現れたのだ。もう少し嬉しそうな顔をしたらどうなんだ、まったくもって訳がわからない。
こっちもそれなりに稼ぎのある身だ、こうして偶然出会ったのだから飯ぐらい奢ってやってもいいと思う。だが、こちらから誘うのも癪だ。うまい具合にそういう流れにならないものか。
まったく、いつまで買い物を続けているつもりだ。俺が来たんだから、さっさと切り上げろ。
ちょっと腹が立ったから、からかってやった。そうしたら、予想以上に食いついてくる。
「……ええっ、今日はこれから、私のファッションショーに付き合ってもらうからね!」
どうして、こんな展開になるんだ。
「馬鹿言うな、俺は帰るぞ」
くるりと背中を向けたら、がしっとシャツの裾を引っ張られる。
「ちょっとー! 乗りかかった船でしょっ、途中で降りないで欲しいんだけど!」
……って言うか、こっちはまだ話に乗ったつもりもないのだが。
「ふーん、勲くんの薄情者っ! そんな風にしていると、モテないよーっ」
ここは、目を三角にして怒るところか? だいたい、今シャツを破れんばかりに引っ張っている約一名は俺にぞっこんなんだから、それで十分な気がする。あちこちにモテまくったら、その方がコイツにとってはヤバイんじゃないか?
「客観的な意見が知りたいだけだって。ちょっとだけ付き合って、五分で終わるから」
……おいおい、お前の「五分」は「一時間」なんだぞ? こっちは長いつきあいなんだから、よく分かっている。
「……本当に、すぐ終わるんだろうな」
まあ、いいか。どうせ暇なんだし。あまりに邪険にして、必要以上にヘソを曲げられるのも面倒だ。コイツはあっさりしているように見えて、なかなか執念深い。下手にいじって根に持たれると大変なのだ。
「うんっ、ありがと!」
そして、あっという間に満面の笑みを浮かべている。本当にわかりやすい奴だ。
「えっとー、じゃあ最初はどれにしようかな。やっぱ、いきなり超大胆なのはきついかな」
どうでもいいから、早く終わりにして欲しい。そう思うのだが、あえて口には出さなかった。ああ、なんて大人な俺。
「じゃ、ちょっと待っててね。すぐに着替えるから!」
そう言って、いそいそと試着室へ。まあ、なんとなく俺も彼女のあとに続いた。
「それにしても、ずいぶんと熱が入ってるな。海にでも行く予定があるのか」
まあ十中八九、女同士だろうけどな。
「うん、これから予定作る! だから、まずは格好を決めて気合い入れるんだ!」
やはり、順番が間違っている。かたちから入るのは大切かも知れないが、それで誰も話に乗ってくれなかったらどうするつもりだ。
「じゃーんっ、どう? でもなんか、フツーって感じだよねえ」
そして着替えも瞬間芸。下着とかが無惨にも足下に転がっているが、そこには目をつぶろう。
最初のお披露目は、セパレートタイプだが露出度はかなり控えめな一枚。Tシャツを途中で切ったようなトップに下はホットパンツ形。このまま街を歩いても、ギリギリオッケーではないかという感じだ。
「ふーん、それでいいんじゃね?」
気のない感じでコメントすると、あからさまに嫌な顔をする。
「勲くん、その台詞はレディに対して失礼だよ」
そして、上目遣いに俺を睨んで言う。
「わかった、これじゃ全然駄目ってことだね? じゃあ、次っ! ちょっと待ってて」
そして、元の通りにカーテンを閉めて一分半が経過。
「ねえねえっ、今度はどう? ちょっとはムラムラするっ!?」
そんな風に言いつつ、頭の後ろに片手を添えてポーズを取ってみる。わざとらしく身体をねじっているのは、くびれを見せようという涙ぐましい努力だろうか。
「う、うーん……そうだなあ」
心なしか、さっきよりも胸がでかくなった気がする。かなり上げ底をしているように思うが、そこはコメントしては駄目だろう。
「ま、まあまあじゃないか?」
正直、こっちは日常的に女の水着姿を見ている。バイト先がそういう場所なんだから、当然だ。まあ、中には残念な感じのご婦人もいるが、それをいちいち気にしていても仕方ない。
ピンクのビキニは、全体的にフリルがあしらわれている。まあ、可愛いと言えば可愛いという感じだ。
「そう? 勲くんはこっちのが好み?」
こうして見れば、それほどスタイルが悪いようにも見えないな。本人は太めを気にしているようだが、とりあえず出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
まあ、なんというか……正直なところ、ここまで成長していたとは思わなかった。
「これにしちゃおうかなあ〜っ、だけどもう一枚試してみたい気もする。ねっ、どうかな。なかなか悩殺でしょう? 思い切ってこういうのもいいかと思うんだけど〜」
「……はぁっ?」
目の前に突き出されたブツを見て、俺は一瞬固まってしまった。
見た感じは普通のビキニ、色はブラック。だがしかし、だいぶ布地が少なくなっている気がする。しかも……それはいわゆるTバックって奴じゃないか? まるで相撲取りのまわしのようだぞ!
「おっ、おい! それはさすがにまずい、止めろ!」
「え〜っ、いいじゃん。試着するのはタダなんだし〜もしかしたら、結構似合うかも知れないよっ!」
「似合うとか似合わないとか、そういう問題じゃないぞ! 悪いことは言わないから、止めとけ!」
このまま行くと、本気で試着してしまいそうだ。だから、強引にその手から問題のブツを奪い取った。
「ほらっ、今着ているので決めていいから! とっとと、元の服に着替えろ!」
「ぎゃーっ、ひどい! 勲くんの人でなし! サイテ〜っ!」
客もまばらな店内に、ふたりの声が響き渡った。これには顔なじみの店長もびっくりしたようだ、慌てて飛んでくる。
「おいおい、止めなさいふたりとも! 他のお客さんがびっくりするだろう。……おやおや、千花ちゃん。とてもよくお似合いだよ。それ、今年特に人気だったシリーズだから、絶対にお勧め」
「えっ、そうなんですか。や〜ん、私って見る目ある〜!」
嘘っぽい褒め言葉を真に受けて、彼女はすぐに上機嫌になる。
「わかった、これに決める! ふっふ〜ん、これでビーチサイドの視線は私に集中だね!」
いやいや、いくらなんでもそこまでは行かないだろう。しかしまあ、よくよく見ればこれだって結構な露出じゃないか? 少し身をかがめただけで、胸の谷間がはっきりと見えるぞ。こんな姿を誰彼構わず見せるのか? それはちょっと遠慮して欲しい。
……ととと、これはマズイ、かなり危険だ。
「おい、千花」
「な〜に〜?」
カーテン越しだけど、なんとなく背を向けていた。これが紳士のたしなみというものだろうか。
「お前、まだ予定が決まってないと言ったな?」
「うんっ、でもせっかく水着も決まったし! だから、すぐにメールして〜……」
俺は大きく息を吸って、それから吐いた。
「行きたいのは向日町のウォーターガーデンだろ? あそこ、電車の乗り継ぎが結構面倒だぞ」
「それくらいは平気〜根性で乗り切れるもん!」
女子の友達と行くとは言うが、安心はできない。はっきり言って、あの場所はナンパの宝庫だ。
「なんなら、俺が連れて行ってやってもいいぞ」
「へ!?」
いきなりカーテンが全開するから驚いたが、着替えも終了していたらしい。まったく、いちいち心臓に悪いばかりだ。
「ほら」
馬鹿っ面な鼻先に手にしていたモノを差し出すと、彼女は目を丸くする。
「……勲くん、写真写りが最悪っ!」
――なんで、最初にそこかい!
「っていうか、いつの間に教習所通ってたの? ウチのお兄ちゃんなんて、まだ全然だよ〜」
「ふん、これくらいのこと、常識だ」
これでいて、俺はなかなかに努力家だったりする。大学の講義とバイトで忙しい日々の合間にせっせと通い、最短コースで免許を手に入れた。
「溺れたときには助けてやれるぞ、お前は浮き輪なしだとすぐに沈むからな」
ついでに軟派な奴からも守ってやる、とはさすがに言えなかった。
「今回のところは親父の車だ。まあ、それくらいは我慢しろ」
「……あっ、ちょっと待って! これ、お金払ってくるから!」
すたすたと先に歩き出したら、慌ててそう言う。まあ、店の外に出て待っててやるつもりはある。その先のことは、あとから考えればいいだろう。
おわり(110805)
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