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       第10話*千花

 

 事件は突然起こった。
  それは二月の初めのこと。恒例になっている「告白」にまたもや玉砕し、類い希なき強靱な精神を持つ私もさすがにちょっと落ち込んでいた。
「まーっ、でもいいじゃん! 今月にはもう一度、チャンスがあるんだしね!」
  駅から学校へ向かう通学路。硬く結んだ握り拳を大きく空に掲げ、私はかなり気合いの入った雄叫びを上げる。前を行く制服たちがぎょっとして振り向いたけど、そんなの全然っ気にしない。世間の目なんていちいち気にしてたら、155回もの告白を敢行できるはずもないわ。そろそろ丸十三年だよっ、我ながらすごいよ。
  でもって、そんなグレイトな私に、与えられる幸運。
  それは二月十四日のバレンタイン・デー。女性から男性に思う存分愛を叫べるその日だ。まあ、人間なんて他の動物と違って一年中が発情期。ようするにいつだって好きなだけいちゃつける生物ではある。だから、わざわざ「この日」と決めたピンポイントだけに行動を起こすこともない、って意見もごもっともかも。
  だが、しかし。
  やっぱり「大義名分」って素敵だよね。絶対的な後押しを受けると、みるみるうち全身に力がみなぎってくる。ただひとつの誤算は、意中のご本人があまり甘いものを好まないことかな。だから毎年贈り物を受け取ってもらうにもすごく苦労している。
「ここは思い切って変化球を使うべきかなあ、それともやっぱ基本に忠実な正攻法で行くのがいいかなあ……」
  そう言えば、少し前にブームになってたのがあったよな。確か「食べるラー油」とか。一時は品薄になって入手困難とか言われていたけど、この頃では近所のスーパーでもよく目にする。
  ……ってことは、あまりサプライズ感がないか。
  何しろ、ほとんど十三年越しの片思い。と言うことで、バレンタインも今年で十三回目。そろそろ手札も寂しくなってきたなあ、だから早いとこOKが出ないと自爆してしまうかも。
  うーん、うーん。
  三年生が自宅学習期間に入って、通学路も心なしかゆったりしていた。春が来たら、私も二年生。めでたく後輩を迎えることになる。……いやいや、感慨に浸るのはもうすこしあとだ。とにかくは目先の大イベントに集中しよう。
「去年は前期入試の直前で、手抜きになっちゃったんだよなーっ。だから、今年は二年分だと思って頑張らないと……!」
  心の中だけで叫んでいるつもりなのに、気がつくとぶつぶつひとりごとが出ている。勲くんのことを考え始めると、私は周囲が見えなくなってしまう。ちょっとのめり込みすぎかなとたまには反省することもあるが、残念ながら三歩歩くともう忘れてる。
  ―― と。
  来る大イベントのために闘志をたぎらせている私の目の前を、思いっきりいちゃつきながら歩いている一組のカップル。なんなのよっ、アレ。朝から見せつけてくれなくたっていいじゃないっ!
  あんたらね、学校っていうのは勉学にいそしみ心身ともに鍛えるために通う場所でしょ? それなのに、何故「ふたりだけの世界」で盛り上がってんのかなあ……。
  思わず足下の石ころを拾い上げて投げつけてやろうかと思った。そう、まさにそうしようと身をかがめたそのときに――
「……おっ、はようございます!」
  あれ。
  今、どこからか声がしなかった?
  そりゃ、朝だし、誰だって挨拶くらいすると思う。でも、ちょっとばかし気合いが入りすぎじゃない? これって、声を掛けられた方はすごく恥ずかしいよ。
  ……でもまあいいか、聞いたこともない声だし。
  自分には関係ないことだと判断し、そのままずんずんと歩き続けた。そうしたら、また背後から声がする。
「お、おおおっ、おっはようございます! たっ、田所千花さんっ!」
「へ?」
  私は慌てて振り向いていた。だって、今度は挨拶のあとに私の名前がくっついていたんだもの。しかもフルネームで。
  そして、目の前に立っていたのは……
「えと、……あんた、誰?」
  ごめん、悪いんだけど知らない人だ。制服から察するに同じ高校の生徒であることは間違いない、昭和の優等生のようなヘアスタイルに黒縁眼鏡。身長はそれほど高くない、……あ、もちろん私よりは大きいけどっ。よーするに、ものすごく「オタク」くんっぽい男子だ。
「えっ、ええと! 自分は、田所さんのクラスメイトであります、千町といいいます!」
  ―― は? はあああっ……!?
  ちょっと待て、今は二月だ。ということは、この人って、すでに一年近く同じ教室で過ごしていた同級生ってこと? いやいやいや、でも全然記憶にないわ、申し訳ないけどっ。
  だいたい、その「千町」ってのが苗字なのか名前なのか、それもわからない。やっばーっ、これって超失礼だったりしない!?
  仕方ない、ここはどうにか取り繕おう。なんせ、登校のピーク時で周りにギャラリーもいっぱいだし。
「あ、……ああ、そうだったよね! おはようっ、千町くん!」
  駄目だ、これじゃ絶対に不自然に見える。私って、演技力ゼロなんだなあ。しかも、短い台詞をがっつり噛んでるしっ!
「おっ、おおおっ、おっ、おはようございますっ、田所千花さん!」
  そしたら、目の前の男子生徒は、急にぱああっと顔を輝かせる。いきなりそんな風にするもんだから、眼鏡のレンズがアニメーションみたいにきらりんと光った。
「うっ、嬉しいです! これって、運命ですね! まさか、こんな場所で出会えるなんて、夢にも思いませんでした!」
  ひーっ、何でコイツ、こんなにビックリマークを羅列? だからーっ、ちょっとテンションおかしいから!
「え、……えへ、そうかな?」
  もちろん、心の叫びをそのまま口にするような失態は犯さない。
  ほらほらーっ、私だってね、ちゃあんと空気の読める平均的なジョシコーセーしてるんだよ? 勲くんにはいつもコテンパに言われてるけどっ、ホントのホントはしっかりしてるんだから。
  でもなー、この人ってどうなっちゃってるの? 全校生徒のほとんどが人類大移動のごとくに学校を目指しているこの時間帯、その雑踏の中にクラスメイトを見つけるのはそう難しくないことのような気がするんだけど。
「そ、そうですよ! 自分は今までずっとこの道で田所さんと出会えることを心待ちにしてましたっ、今日はようやくその願いが叶って本当に嬉しいです! 感謝感激雨あられです……!」
  あっ、あのさ……
「今日の良き日の記念に、これからは田所さんのことを『千花さん』と呼ばせていただいてもよろしいでしょうかっ!」
  こんな風にいきなりまくし立てられても、マジ困るんだけどっ。しかも、何か勝手に宣言してるし。
「とにかく、……急がないと始業に遅れると思うよ」
「はいっ、千花さん! それではご一緒に……!」
  ついて来るなと言ったって無理。だって、目指す場所が同じなんだもの。しかもそこに至るまではほとんど一本道、遠回りのルートもない。
  とはいえ、見ず知らず(あ、クラスメイトらしいけど)の異性と共通な話題も見つかるはずがなく、私は彼の一歩先を歩き出した。もうね、まるで効果音が「ずんずんずん」と聞こえてくるみたいに、一心不乱で。そしたら、背後の男もぴったり同じスピードでくっついてくる。
  ……うっ、鬱陶しい。
  そんな風にして、ようやっと昇降口にたどり着く。そこで私は、超ラッキーなことに友達を発見した。
「おっ、千花! おはよっ!」
  体育会系のノリなこの子は真澄ちゃん。運動部バリバリ系に見えるけど、実は私と同じ帰宅部だ。ようするに、年がら年中つるんでる仲。
「あんた、どーした? 今朝は鬼気迫ってるよ」
  彼女はそう言いつつ、スクバから水玉模様のポーチを取り出す。そして、その中からミルクキャンディをつまみ上げて私に渡してくれた。
「ほいっ、とりあえずカルシウム」
  こんなモノで栄養補給が出来るのかどうかは甚だ疑問。まあ、せっかくのご厚意、ありがたく受け取ろう。
「……ところで、千花」
  自分もあめ玉を口の中に放り込んだところで、真澄ちゃんは私にこそっと耳打ちする。
「なんか、後ろからくっついてきてない……?」
  あ、やっぱり気づいた? そりゃそうだよね、これだけぴたっと背後に張り付かれていたら、嫌でも目立つよ。
「いーのっ、気にしないで! ささっ、早く行こうっ!」
  私は真澄ちゃんの手を取ると、早足で歩き出す。でも、後ろからくっついてくる足音は、ずーっと等間隔で最後まで私から離れることはなかった。

 

つづく(130211)

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