第4話*千花
やってきました、夏休み。
今年は例年以上に、ここまでの道のりが長かった気がする。
なにしろ、七月になった途端に梅雨明け。そして、その後は毎日がうだるような暑さ。私の通う公立高校でも連日複数の教室で体調不良な生徒が出て、保健室は満員御礼。ひどいときにはクーラーが入っているという理由で図書室までが臨時の救護室に使われていたらしい。
幸か不幸か、私は一度もそこに担ぎ込まれることはなかったが、それでもアイスの食べ過ぎでおなかを壊した。おかげで二キロも体重が落ちたのだから、結果オーライってところかな。
「やったーっ、なっつやすみだ〜!」
駅前商店街の真ん中で、ついつい大声で叫んでしまった。
そんな私の隣を、プールバッグを手にした小学生が不思議そうな顔をして通り過ぎていく。
……なんなの、その冷めたリアクションは。
睨み付けた背中はあっという間に遠ざかり、変わって目の前からは塾の道具をいっぱいに詰め込んだ鞄を抱えた小学生がやってくる。そして、その周りには平日の昼間らしく日傘を差したお婆ちゃまやステッキ片手のお爺ちゃまがうろうろ。
そんな中で異様なほどに浮いているのが、ピチピチギャル(死語)な女子コーセーの私だ。
ま、仕方ないんだよね。今の時間、中学生はそのほとんどが部活に励んでるし。高校生だって半分くらいは部活だろうな、さもなくばバイト?
そーなんだよね、ぼんやりしていたらいつの間にか周りの仲間もみーんなバイトを始めてて、すっかり出遅れてしまった。もちろん、すぐに私もあとに続こうと思ったよ。このままだと遊び相手もいなくて暇をもてあましそうだったし。
でも、親に釘を刺されちゃったんだ。
「どうして、この成績でバイトなんかできるんですか!」
怖かったよなあ、通知表を前にした母親。目が三角になって、今にも頭から角がにょきにょき生えてきそうだった。そりゃ、クラス順位が後ろから五番目じゃさすがにまずいか。
どうにか予備校の夏期講習を受講することは回避できたが、そのぶん自宅学習に毎日六時間以上というノルマを課せられてしまった。だけどなあ、そんなのどー考えたって無理だって。とりあえず、朝ご飯の後に机に向かってみたが、あっという間に眠くなる。それで仕方なく、気分転換とばかりに駅前まで繰り出したというわけだ。
今日も滅茶苦茶暑いんだけど、それでもここはアーケードの中だから、屋根がある分、まだマシ。しかも時折涼しい風がさーっと通り抜けるのが最高だよね。ここまでくれば、中学の頃の友達と偶然再会できたりするかもと期待したけど、残念ながらそれも空振りだったみたい。
「仕方ないなあ、昼ご飯買って帰るか……」
今日は平日。両親はいつも通りに仕事に出てて、大学生のお兄ちゃんもバイト。家に戻ってもひとり、携帯メールを打ちまくっても誰からも返信来ないし……
「あれ?」
とと、そんなことを考えていたら、タイミングよく着信音。どれどれ、心がけのいいのはどこの誰かな?
『やほーっ、千花! 元気ってる? こっちは、もうサイコー!』
……こいつか。
がくっと脱力、思わず終了ボタンを押そうかと思っちゃったよ。でもそうはさせまいと、相手はさらにまくし立ててくる。
『ねえねえ、このウォーターガーデン、超いいよ! 中でも浮き輪で滑るスライダーが最高、病みつきになっちゃいそう! 桜の彼氏の友達っていうのも、結構いいの。やっぱ、来てよかった〜!』
……ちょっと、耳元で叫ばないでくれる? 頭蓋骨にまで響き渡るんだけど。
「そう。そりゃ、ようござんしたね」
うわっ、テンション低っ! 自分で自分の声にびっくりだ。しかし、敵は全然それに気づいていない様子。
『うんうん、マジよかった! ありがとうね、千花。あんたが断ってくれたから、私に回ってきた話だし! 持つべきモノはやっぱ、あんたのような友達だね〜! ……あ、みんなが呼んでる。じゃ、詳細はまた後日報告するね!』
叫び声の背後から聞こえる、キャーキャーという奇声。のんびりした商店街の風景とはあまりに違う世界に呆気にとられている間に、迷惑な電話は一方的に切れた。
「……プール」
思わず、口からこぼれ落ちた単語。
そうだよ。本当は今日、クラスメイトの桜とふたりで出かけるはずだったんだ。私が場所とかそこまでの交通手段とか、そういうの全部調べたんだから。そして、万事オッケーになったところで、とんでもない伏兵が現れた。
それは、桜の彼。
『いいねえ、俺も一緒に行きたいんだけど♪』
茶髪の髪をわざとらしくかき上げて、えへへと笑ってみせる。それで好感度アップを狙っているんだとしたら、まるっと逆効果だと思う。
しかし、桜は残念なことにこのケーハク男にマジで惚れてる。だから、そのお願いもふたつ返事で快諾してしまった。
『でも三人だと、千花ちゃんが仲間はずれみたいになっちゃうね。じゃ、こういうのどう? 俺のダチでフリーなの連れてくるから、そいつと遊んでやってよ』
えええーっ、それは断る。コイツの友達だったら、絶対にチャラ男だもの。さらに綺麗に焼きすぎた肌をしていたりしたら、最悪だ。
『あ、駄目駄目。千花にはダンナいるから』
私が黙っているうちに、桜が勝手に返事をしてくれる。
『すごいんだよー、なにしろ十数年来の背の君だからね。この子の執念も半端じゃないんだ!』
ちょっとー、勝手に情報をばらまかないでよね。はっきり言って、すごい迷惑。
そりゃあ、話の内容は正しいよ。私は表向きはフリーでも、心の中には思い続けている大好きな相手がいる。いや、ひっそりとただ恋心を募らせているだけじゃない。ちゃあんと意思表示だってしてる。
でも、全然成果が上がらなくて、今日まで来ているんだな。
毎月毎月、「今月こそは!」って闘志を燃やすのに、玉砕しまくりなんだもん、嫌になる。
『……ふうん、じゃあ残念だけど仕方ないね』
かくして。
いつの間にか私は、メンバーから当然のように外れていたのだ。
「プール……」
今日も今日で、うだるような暑さ。こんな日に、遊び心いっぱいのアトラクションを満喫したら最高だ。あの茶髪男、いったい何を考えているんだ。普通はそこで、自分が諦めろっていうの。桜も桜だ、どうして友情より男を選ぶかな? きいいいーっ、代わりにいくことになった美香子も含めて、みんながみんな、私に喧嘩を売ってるとしか思えない!
ふと見ると、目の前はスポーツショップ。今が売り時のウォータースポーツグッズが、店頭にずらりと並べられている。その気もなしに足を止めて、ついつい見入ってしまった。
すごーい、この水着。ちょっと身体を横にしたら、見えちゃいけないところがポロリとしそう。しかもこの、肉まんもびっくりなパットは何? へえええーっ、今ってこんな風になってるんだな。
最初は冷やかし半分のつもりだった。でも気づけば必死になっている自分がいた。
そうだ、去年は灰色受験生で夏休みのほとんどはがっつりと塾に通ってた。もちろん、周りの友達もみんなそうだったから、遊びに行くとかそういう予定が全然組めなかったんだな。
今まで持っていたのは、体型を隠すワンピース型ばかり。でも、ちょっとはダイエットに成功した今年なら、もしかしてこういうのにも挑戦できるんじゃないだろうか。
「うーん、これはさすがに詐欺かなあ……」
思い切りパットが仕込まれたビキニを手に、ちょっと躊躇いが生まれる。だけど、半額どころか70%オフとかついてるし、これは絶対に買い時だよね? 出るところが出ていれば、くびれ不足の欠点だって隠せると思うし。
「ああ、こっちも可愛いなあ。ピンクっていうのが、乙女だよね」
思いっきり独りごとをいいつつ、さらに物色。片腕には次々と派手派手な水着が掛けられていく。
それにしてもすごい。
これって、ほとんど下着と変わらないよ。それなのに「水着だから」を理由に、こんなに堂々と売り出しちゃって。
いやいや、ここで迷ってどうする。
義務教育が終わった私は、もう立派な大人。だから、セクシーな水着にだって、デビューしちゃうんだ。そうだよね、これ、水着だもん。何気ないふりをして、思い切り挑発することだってできる。
「黒とピンクだったら、断然ピンクだよなあ。でも、こっちの白も捨てがたい。むーっ、どれもこれも素敵で選べないよ〜」
……って、まだ試着する品物を選んでいるだけなのに。私はもう、プールに飛び込む寸前みたいな気分になってる。
そうだよ、自分の好みで選んじゃ駄目。ここは、相手のことをしっかりと見極めて切り込まないと。
丸十二年以上の片思いキャリアは伊達じゃない、勲くんの情報なら余すことなく脳内メモに書き込まれている。
「こうなったら、一番ぼいんぼいんに見えるのにしなくちゃだな〜」
多少の偽装工作なら許されるはずだ。だって、こんなに堂々と肉まん水着が売ってるんだもの。世のほとんどの女性がこれを選んでるってことだよね。だったら、私だけが悪いわけじゃない。
そのとき――
「おい」
不意に手元が薄暗くなる。聞き覚えのある声にもしやと思って顔を上げると、そこにはやはり「彼」がいた。
黒須勲、十九歳。今年の春から、大学生。現役合格だから、私の三つ年上だったりする。
「さっきから、馬鹿面をさらしてなにやってんだ」
ひょろりと電信柱みたいな長身の上に、結構なイケメン面が乗っている。相変わらず、直球ど真ん中ストライクに好みの顔だ。
でもなあ、どうしてこんな場面で現れるんだよ。しかもそのシャツ、全然似合ってないし。
「見りゃ、わかるでしょ? 買い物だよ、買い物。勲くんこそ、今日はバイトじゃないの?」
お隣に住む幼なじみでもある彼は、駅前のスポーツジムでバイトをしている。夏休みはキャンペーンを展開することもあり、さらにシフトがぎっちりになっているという噂。
「家にいてもやることないしな、少し早めに出てきた」
相変わらず、すっごく可愛くない言い方。もうちょっと、愛想というモノがあった方がいいと思うんだけど、それでも格好いいんだから仕方ない。
「買い物って、それが? やめとけ、お前がそんなの着て歩き回ったら、はっきり言って公害だ」
きーっ、またそんなこと言ってるし! どーして勲くんはいつもこんなに意地悪なの?
「こっ、公害なわけ、ないでしょ! 見たこともないくせに、勝手に決めつけないで!」
そこで止めておけばよかったんだ。だけど、走り出したら止まらないのが私の性格。ついつい余計なひとことが追加される。
「じゃ、本当に公害かどうか、自分の目で確かめてみれば? ええっ、今日はこれから、私のファッションショーに付き合ってもらうからね!」
おわり(110723)
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