ことば悦覧 in 東京 2010(4/3〜4) 春版 記録集 home ベラ・ジュンさん 伊庭野大輔さん 平塚桂さん 藤井亮介さん 佐藤敏宏ベラ・ジュン(33才)さんに聞く(2010/04/03 pm13〜16 晴れ) その 01 02 03 04 05 06 07 08 その01 生い立ち 佐藤:久しぶりでございます ふふふ ちょうど満6年ぶりということですが、よろしくお付き合い願いします!6年前の2004年3月末の我が家(box1)での建築あそび(2004年の記録へ)の会場に来るまでの話と、ベラさんの生い立ちからの話と2つお願いしたいんですけど。建築あそび後の話とを分けて聞きたいですけど。どっちから先に話していきますかね? ベラ:じゃーおって順に昔から 佐藤:じゃー生い立ちからね順に話していただけますか。ベラさんはどこで うまれたんですか ベラ:ベネズエラの首都 カラカスで生まれました 佐藤:何年ですか ベラ:1976年です 佐藤:ということは何歳だ ベラ:33才ですね 今年 34になります 佐藤:で日本に来たのはいつですか? ベラ:1985年か6年ですかね、10才とかですね、小学校4年の3学期 佐藤:ベネズエラの人々は何語を喋っているんですか ベラ:スペイン語です 佐藤:両方話せるんだ、忘れちゃったかな ベラ:だいぶ忘れました、一時復活したんですけど 使ってないから忘れる 佐藤:日本に10は才で来たと、20数年暮らしているということだね。小学校はどこへ入ったんですか ベラ:小学校は横浜市の小学校へ入りましたね。公立の小学校へ 佐藤:日本語喋れないじゃない ベラ:そうですね、全くしゃべれなかったです 佐藤:10才ということは4年生ぐらいだから ベラ:そうですね 佐藤:いじめられたんじゃないの ベラ:まあ今思えばいじめだったかもな〜っていうのはありましたけど。基本的には、割と直ぐ馴染めましたね。 佐藤:そうなの!日本語もすぐ覚えて。漢字・文字とか読めないでしょうから勉強は大変だったんじゃない ベラ:そうですね。小学校の時は喋れるのはまあ直ぐ出来たですけど。勉強は全然出来なくって。 佐藤:勉強は出来るんだろうけど、日本語が読めないから理解したり応えたり出来ないだけでしょう ベラ:そうそう、かろうじて算数がちょっとベネズエラの方が進んでて。出来たですはい。国語とこか全く読めなくって。しかも教科書が学年末なんでもう売ってなかったですね。3学期なんで。小学校の間じゅうは基本的に、あまり勉強が出来ないっていう感じで。ベネズエラのときは割と出来たんですけど。 佐藤:日本語がこなせないから日本語圏では出来が悪かったと ベラ:ちょっとショックが大きかったです。急に馬鹿になったような気がして。 佐藤:はははは、それは基本の言語が分からないんだから馬鹿になったわけじゃないんだけど 評価されないんだろうから 不安になってね ベラ:あとは 一番あせったのは小学校終わる、2年ぐらい経っているとドンドンドンドンスペイン語忘れてくるんですよ!そして日本語も完璧じゃないので、なんか何も出来ない、言語が何も出来ないみたいな状況がずーっと続いて。 佐藤:空気になてしまったかんじでね 何も捉えられないみたいな ベラ:得意な言語が無い状況があって。で慌てて親に 佐藤:その焦りは何語で考えていたの、両方?で悩んでいるときどちらかの言語で悩むんだろうから、得意な言葉をつかって悩む ベラ:そうですね。割と母親とはスペイン語で喋っていたですけど、ある時日本語が全然のびないんで。もう母親にスペイン語禁止って 佐藤:ふふふふふけなげなのに 禁止された ベラ:いや!自分で決めたです、母親はスペイン語残したかったみたい だったんですけど、ぼくがそれは困るということで。 佐藤:お母さんは日本人だって言っていたよね ベラ:そうですね。 佐藤:ベラさんは日本語だけで暮らして行くぞと決めた。ベネズエラに帰る予定を捨てたわけね、覚悟決めた (内政不安に遭う) ベラ:そうですね、うん。向こうの状況がかなり色々ハードで。 佐藤:内政が不安定だったということですか ベラ:そうです。基本的にはそれにおもいっきり巻き込まれた感じだったんで。なんとなく日本で生きていかないといけないな〜と。何か覚悟みたいなのが起きて。 佐藤:(2010年春)現在は安定しているんでしょう ベラ:不安定は不安定なんですけど(注頁下部参照)当時が一番政変がおっきく変わる時期で 佐藤:チャペス大統領だっけ なんだっけ ベラ:今がチャペスなんですけど。その当時、丁度なんて言うんですかね。二つの派閥というか、政府なんていうんですかね。二つで (絵 国旗) 佐藤:どんな政治ですか ベラ:一応資本主義なんですけど、あんまり詳しくないんですけど。政治が変わると全部変わるんですね。例えば国に絡んで仕事に就いている人たちはもう、一気に仕事を失うと 佐藤:トップが変わると行政の人まで一気に入れ替わると、引き継ぎなしだと滅茶苦茶になるだろうね 実力行使の政変かな ベラ:一気にひっくり返るので、割と色々裏があって。色々作業しないといけないんですね。なんですけど、そういのも色々遭って。父親の仕事とは別に父親は結構反政府的な 佐藤:80年代当時 お父さんは倒された側に所属してたんだ ベラ:そうですね、倒された側だったんでふふふ 佐藤:こりゃえらいこっちゃー ベラ:エライコッチャーで、いきなり仕事が無くなってしまって。いきなり郊外の 佐藤:お父さんは何をしていた人ですか ベラ:彫刻、現代彫刻家だったんですけど。ベネズエラ行く前はフランスだったり、日本でも活動してて。それで母親と結婚してベネズエラに戻ったんですけど。大学で教えていたんで。 大学のポストが有ってで作家活動していた。大学が首になって。基本的には活動できない状況に追い込まれて。ようやく見付けたのがほんとう、凄い地方の道路も舗装されてないような、美術学校みたいな処に。 佐藤:追放っていうか、左遷されたというか、追い落とされたようになって 喰うに食えないぎりぎりの生活になっちゃったと ベラ:いきなり 僕も、 佐藤:ど田舎の少年に ベラ:そうですね、それまで割と坊ちゃん的な生活してたんですけどふふふ、急にもう裸足の少年たちに囲まれる生活になって。それ、5才だったから(1980年当たり) 佐藤:その状況を覚えているんだ!急に裸足の子供がいるとこに投げ込まれたふふふ、風の又三郎の気分だね ベラ:でまあそのときは家族3人で移動したんですけど。じょじょに母親がちょっと精神的に疲れて来ちゃってて、ノイローゼ気味になって。ちょっと日本で一旦入院するっていうことと。ぼくがだんだんそういう環境に慣れちゃってドンドンドンドン適応していくのを見て不安に思ったふふふ 佐藤:ふふふふ、息子が裸足の少年化していくのを、土人化してしまうのではなかと ベラ:このままだと全然勉強もしないし 佐藤:生活は滅茶滅茶に落ちたし ベラ:めちゃめちゃだし、ちょっと日本に連れて行く!みたいな話になって。父親もそんな状況なので、ちょっと日本でまた活動再開しようと 佐藤:じゃ家族3人で戻ってきたんだ ベラ:戻ろうとしたんですね。ちょうどそのとき父親の仕事がまだ続いていて。ちょっと遅れて行くっていうことだったんですけど。ちょうど僕らが日本に移ってきたときに、半年後ぐらかですね。その政変、もっと状況が悪くなって。連絡が途絶えて。連絡がとれない状況になってしまって。 佐藤:悲惨やね、お父さんどこに居る分からなくなったと。今でも分からないの? ベラ:今は もう 分かります 佐藤:内戦していれば分からなくなるよね 中学時代 建築という職業を知る ベラ:結局そんなことがあったので日本でやらなきゃなーって。それで中学になってから勉強を真面目にやるようになった 佐藤:日本語が分かってきたっていうことだよね。早いね、3年間ぐらいじゃね ベラ:たぶん 佐藤:必死だった ベラ:必死ですね、中学のときに一番勉強した気がしますね。 佐藤:中学校は横浜の中学校ですか ベラ:そうですね、公立の小学校・中学校ですね。インターナショナルスクールとかもあったんですけど。母親も働かなきゃいけないかったし。そんな余裕も無いしっていうことで、公立。ちょうど近かった、目の前が小学校。 佐藤:独りっ子ですか ベラ:そうですね はい。なのでそれで中学に入ったときは割と運動もちょっと途中でやめて 佐藤:勉強一筋に ベラ:そうですね、受験しないと次が無いみたいなふふふ、状況にいきなり追い込まれて。こりゃまずいなーと思って。勉強し始めましたね。でまあ基本的には小さい頃から絵を描くのだったり、両親とも基本的にいわゆる作家活動をしていた 佐藤:お母さんは絵描きさんですか ベラ:テキスタイルとか、そういのです。ベネズエラでも教えてたりとかしていたんですけど。そういう背景があったんで。自分もそういう道なんだなと。漠然と、能力的にも自覚できる能力を一応持ってるというか、感じていたので。それはそれでやっていくんだろうな〜と思っていたんですけど。純粋な作家活動っての、それで生きていくのにはだいぶシビアなんだな〜というのを 佐藤:なんでそこまで分かったの?、政変に絡むし、作品は売れないし ってことかな ベラ:売れないんだな〜と。 佐藤:家の中の生活を見ていると分かると ベラ:そもそも必要ないしな〜と漠然と 佐藤:日本ではアートが必要とされてないということ、両方の国でも ベラ:人の生活、単純には言えないですけど、どうしても一番最初に必要なものではない。 佐藤:そうだね、アート作品が無いと生命の危機が訪れるってことはないね ベラ:そうなんで、ある意味ちょっと余裕があって初めてうまれるものだから。ちょっと余裕が無い状況だとまったく必要とされないので。その能力をどうやって活かそうかな〜と。だいたい中学ぐらいの時なんですけど。建築っていう職業を知って。でたまたま母親とか父親の知り合いの人が居て。ちょっと話を聞きに行ったんですね。 佐藤:日本人の建築関係者に聞きにいったと。普通の人ですか有名な人ですか ベラ:普通の 有名ではないと思います、でも淡々と楽しくやっていたんですねその人。その人と見て 佐藤:建築関係がいいかもしれないと思い始めたと ベラ:あとはおっきい物が作れるので、建築出来たら 他なんでも出来そうだな〜というのがあって。 佐藤:他というのは彫刻とか絵とかテキスタイルとか ベラ:それは何でも出来るし、建築をとりあえず押さえたいなというのがあったんですね。個人的には平面より立体の方が、想像してて楽しいしっていうのがあったんで。ほとんど迷い無く。そんなことを思いながら高校に入って。 遊びほうける 高校時代 佐藤:建築系に有利な受験校に入ったの ベラ:公立の高校 佐藤:漢字とか同音異義語も一杯あるし 5年でなんとかこなしてしまったと ベラ:中学の時の塾がすごい、ちょうどよかったですね。たまたま近所の塾を選んだんですけど。もう最短コースみたいな、公立高校受験のための最短コースの勉強をひたすら2年ぐらい。 佐藤:詰め込みでばっちりと、答えがあるものばかりだから徹底的に詰め込み、条件反射型詰め込み人間へと ベラ:応用力のない勉強の仕方で 佐藤:それしかないよな、理解して答案といっても日本語がちゃんとできてない状態ではね ベラ:そうですね、丸暗記で 佐藤:丸暗記を2年間頑張って ベラ:割と地域でも上の高校に入って。それはそれで高校時代は楽しく、逆に勉強しすぎたんで、高校の時は遊んでいましたね 佐藤:酒・タバコに挑みふふふ ベラ:まあそうですねふふふ 佐藤:停学処分くらっていたとか そこまでは悪ぶってはいなかったと ベラ:中学の方が地域的に凄く悪くって。もう喧嘩さえ勝っていればもうポジジョンは確保される、中学の方が分かりやすかったんですね 佐藤:ふふふふ、体大きかったっていうこと、中学では ベラ:そうですね割と、一番大きくはないんですけど、それなりには 佐藤:喧嘩が強かったと ベラ:そうですね負けなかったですね喧嘩は 佐藤:凄いね 喧嘩が強かったと 15:00 その02へ 注 参照 ウィキペディアよりコピー ベネズエラ・ボリバル共和国 (―きょうわこく)、通称ベネズエラ は、南アメリカ北部に位置する連邦共和制社会主義国家である。東にガイアナ、西にコロンビア、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はカラカス。南米大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。 コロンビアと共に北アンデスの国家であるが、自らをカリブ海世界の一員であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、アルバ、オランダ領アンティル(クラサオなど)、トリニダード・トバゴといったカリブ海諸国が存在する。ガイアナとは、現在ガイアナ領のグアヤナ・エセキバを巡って、19世紀から領土問題を抱えている。 ・・・・・・・・しかし、1980年代を通して豊富な原油や天然資源により莫大な貿易利益がありながら貧富の格差、累積債務が増大し、1989年には低所得者層によりカラカス暴動(カラカソ)が発生した。 この暴動で非武装の群集に対して軍が発砲し、多くの犠牲者を出すなど世情不安が続いた。1992年には空挺部隊のウゴ・チャベス中佐が政治改革を求めてクーデター未遂事件を起こした。翌1993年には不正蓄財によりペレス大統領が辞任し、再びコペイからカルデラが大統領に就任した。しかし、ポプリスモ政策を取ろうとしたカルデラの貧困層、中間層への対策は失敗に終わった。 1999年に「第五共和国運動」から、1992年のクーデターの首謀者、ウゴ・チャベスが大統領に就任した。1950年代に成立したベネデモクラシア体制から排除された貧困層から支持を受け、反米とポプリスモとボリーバル主義を掲げたチャベスにより、同年12月には国名が「ベネズエラ・ボリバル共和国」に改称された。世界では異例の民主主義国から社会主義国への革命が起こった。 2002年、CIAの援助・支援の下に軍部親米派のクーデターでチャベスは失脚した。しかし全国的な国民のデモの激化、ラテンアメリカ諸国の抗議によってチャベスは再び政権に復帰した。クーデターはチャベスをわずか3日間失脚させただけとなり失敗に終わった。 チャベス大統領はジョージ・W・ブッシュ政権以降は反米路線を掲げた。隣国である親米国コロンビアとはかねてから関係が悪く、2009年7月には外交関係を凍結し、ベネズエラ軍の軍備増強を発表、両国間の緊張が高まっている(アンデス危機)。 |