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… 「片側の未来」☆樹編 …
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「えっ……、えええっ? えええええっ!?」

 思わず声が裏返った上に、夜の教室の壁一面にびんびんに響き渡っていた。でもさ、これって当然よね。こんな状況で冷静でいろというのが無理な話。

 なんですってえっ!? 一体何を言い出すんだ、この男はっ!? 冗談だってやめてよ、いい加減にしてよっ! 私はもう大慌てで、両手両足をばたばたしてそこから逃れていた。あーっ、もう。何だかムーディーになって、ぼんやりしてたから、身体になかなか力が入らない。でもでもっ、やだっ! 馬鹿っ!!

「な、何血迷ってるのよっ! いきなりさかりつかないでよっ、……ぎゃうっ!」

 最後の情けない雄叫びは、慌てて後ずさった私が足下にある毛布に滑ってしりもちをついたことを示している。とっさに手をついたから後ろにひっくり返って頭を打つことはなかったけど、……うわあ、スカートがまくれ上がって、全開っ!?

「ふふ、そんなに喜ばないでくれよ。やりたい盛りの高校生の前でそんなポーズ取られちゃったら後には引けないなあ……、薫子って結構、大胆」

 うっ……、うわわわわっ! 何なのっ、その嬉しそうな顔っ!! やだっ、ちょっとっ、これ以上近づいてこないでよ!! じ、冗談だよね、そうなんだよね。ここがどこか分かってるでしょ? 学校だよ、学校っ! 勉学にいそしむ健全な精神を育む場所で、そんなっ、あり得ないっ……!

「ばっ、馬鹿言わないでっ……! こっちに寄ってこないでよっ、早く離れなさいってば!」

 腰が抜けた状態なんだろうか、とにかく下半身に力が入らなくて仕方ないからお尻でずりずりと移動していく。……ぎょえっ、指先が何かに突き当たる。もしかして、背後が壁っ!? 嫌だっ、どうしてこんなすぐに行き止まりになるのっ……!

「ふふふ、残念。もう逃げられないからね」

 すぐに追いついた彼は私の前に立てた膝なんて難なく乗り越えて、鼻先にキスする。ちゅるっと生ぬるい音がして……何というか……すごくぞくぞくするぅ……! もう、全身鳥肌モノよ。申し訳ないけど、ロマンチックの欠片もないの。っていうか冗談ならこの辺でおしまいにして欲しい。

 

 ほんのちょっと前まで、何となくいいムードで。ほんわかしちゃって、幸せな気分だった。

 それがそれが、どーなってるのよっ! そりゃあさ、もう気を抜くとコイツのペースに持って行かれちゃうよ。それは今までの経験で分かってる。けど、こればっかりは「はい、そうですか」って訳にはいかない、断じて駄目っ!

 

「まあね、少しくらいは抵抗してくれた方がさらに盛り上がるってものかな? あんまり積極的に迫られるのも嬉しくないし……」

 くすくすくす。そんな風に笑いながら、いったんは身体を離した彼。私は一気に身体の緊張が解けて、がくっと脱力してしまった。……もう、やっぱりこれって趣味の悪いギャグなんでしょ? ふうっと息を吐きかけて、また呼吸が止まる。

「うわっ! な、何してるのよっ!」

 壁に背中を押しつけて、思い切り叫んでいた。だ、だってっ! 今度は何よ、これっ!! 彼は当たり前みたいにシャツのボタンをひとつふたつと外していく。何しろ最初から第二ボタンまで外してあったもん、あっという間に前がはだけちゃって、そのままずるっと……。

「えー? だって、こういうのって脱がないと出来ないだろ? それとも着たままの方が好みだったりするかな、……どっちがいい?」

 いやん、前にも見たことはあるんだけどっ! でも、何度見てもどきどきするわよっ……!

 

 去年の夏。

 水泳の授業が2クラス合同で、周囲の女子はみんな殺気だった目をしていた。もう、色めき立つというレベルではない、血走っていたわよ全員。着痩せするのかな、脱いだ方が肩幅が強調される。二の腕にしつこくなく付いている筋肉、決してムキムキではないのに、すごく綺麗な身体のラインしてるのよね。ほどよく日焼けして、優等生にありがちなひ弱なイメージもない。
 ううん、正直。近頃は男性も芸能人とかモデルとか、やたらと脱いでポーズ取ったりするけど。コレを見ちゃったら、その他ほとんどは価値もナシって感じよね。

 ――とかっ、冷静に分析している場合じゃないわ、自分っ。

 

 上半身裸になっちゃった槇原樹は、何故か教室の床に座ってシャツを丁寧にたたんでいたりする。変なところでしつけの良さが見えたりするのは気のせい?

「考えてみろよ、俺たちって高校生だろ? もちろんお互いに自宅通だし、そうなるとなかなかこんな機会はないと思うんだけど。ほら、他の奴らならどうか知らないけど、何しろ俺は顔が知れてるからな。その辺のラブホで手軽に……って訳にもいかないの。それこそすぐ、父親に通報されちまうぞ」

 ああ、それもそうねえとか。思わずその話術に丸め込まれそうになるけど、すぐに気付いた。なめらかに動いているのは口元だけじゃない。ちゃりっと金属音がしてハッとしたら、……ぎゃああああっ、今度はベルトの金具に手を掛けてるっ!

「俺がどれくらい薫子が欲しいなーって思ってるか、確かめてみる?」

 ――みません、遠慮しますっ!!

 もう、ぶんぶんって、思い切り首を横に振っちゃったわ。いい加減にしてよ、何よっ! だいたいさ、こういう時っていきなり脱ぐものなのっ!? もっと自然に……なんて言うのかなあ、気が付いたらそんな感じに、ってなるんじゃないの? もう頭は冴え冴えで、ビジュアルに訴えられたらたまらないわ。いや、自然にされても嫌なものは嫌だけどっ。

 けどっ、……これってやっぱり本気? 冗談にしては悪ノリしすぎ。

「ど、どうしてっ! いきなりコレはないでしょっ……! ……やめてってばっ……」

 これが悪い夢なら早く覚めて……とか。あまりにも使い古された台詞が頭の中で踊る。そりゃ、私にとって目の前の男はやたらと気になる存在ではあるわ。でも、まだそこまでよ。こんな風に急展開するのはおかしい、「じゃあ、どうぞ」ってわけにはいかないよ。それに、まだ100%信じた訳じゃないし。どこかで足下をすくわれるかも知れないって不安もある。申し訳ないけど、それが正直なところ。

 

 ――お願いだからさ、もっとゆっくりペースで行こうよ。こんなのってないよ。

 

 ふたりの視線がばっちり重なり合う。本当に澄み切っていて綺麗で、いつも惑わされて引き込まれそうになる瞳。全部信じたくなっちゃうけど、やっぱ怖い。そして、先にふっと表情を崩したのは彼の方。

「でもさ、お前だってそのつもりじゃなかったのか?」

 相変わらず、余裕の微笑み。探りを入れるみたいにのぞき込まれたら、呼吸をするのも忘れちゃう。腹筋に力を入れながら、私はごくりと息を飲んだ。

「ここに入ってきたときの顔、すごかったぞ。もう『樹くんのためなら何でもしちゃうっ!』って、感じでうるうるしていて。あの時点から、実は結構期待していたりしたんだけど。だって、これこそ運命の導きじゃない? さすがに探し当ててくれるとは思わなかったもんな〜、もう愛の深さに滅茶苦茶感激してるってことで……」

 うわ、うわわわっ! だからこれ以上、脱ぐのはよそうよってば。いくら暦の上では夏だと言っても、こんな梅雨時の夜だよ。かなり肌寒い感じだと思う。今の私にはそんな悠長なこと感じていられないけど。

「うだうだ悩んでないでさ、さっさと俺のものになっちゃいなよ。そうすれば、もう疑う余地ないって」

 どうやらこれ以上の「脱ぎ」はやめてくれたらしい。奴は自信たっぷりな口調でそう言うと、今度は壁に手をついて両脇から私を包み込む。直接触れてなくても、かなり束縛されている気分。いや、この状況で直にくっつかれるのは勘弁して欲しいけど。

「……は、はぁ……?」

 何を言い出すんだ、まったくもう。どこからそんな訳の分からない持論が出てくるの? この上なく緊迫した状況にも関わらず、呆れかえってしまうわ。

「素直になりなよ、難しく考えないで。悪いけど俺、止まるつもりないから。あんまり抵抗されると、無理矢理襲っちゃうぞ。それでいいのか?」

 そんな、もう。息が掛かるくらい顔を接近させてそんなこと言わないでよっ! ただでさえ日本人離れした彫りの深い顔立ちなのに、さらに陰影が付いて迫力は満点。も、もう泣いちゃうよ、こうなったら女の武器で対抗してやるっ! ああ、でも何だろっ。驚きすぎて、涙の出し方も忘れちゃった。

 ……うわっ……!

「馬鹿、そんな歯を食いしばるなよ。……全身がっちがちになっちゃって、可愛いの。これは開発しがいがあるってことかな……?」

 やだあ、何よぉっ……そんなこと言ってるうちに、もう襲ってるでしょっ! これって、強引すぎだよ、やめてよ、もうっ! こっちは必死で拒んでるつもりなのに、ずんずん踏み込んでくるんだもん、たまらないわ。
 どうやったら、止まるのっ、コイツは……! うわん、気が付いたらブラウスがすっかりはだけてるっ。ちょ、ちょっと待ってよっ! これ以上は駄目だってばっ……!

「かっ、からかうのはいい加減にしてっ! 人のこと、馬鹿にしてるんでしょっ。そりゃ、ケーケン豊富なあんたとは違うわよっ、悪かったわねっ……!」

 

 もう、破れたっていいわって勢いで、必死で前をたぐり寄せる。

 自慢じゃないけど、ブラをするのも申し訳ないくらいの胸しかないのっ、まだ発育途中なんだから見せられるもんじゃないわよ。予定ではハタチくらいになったら、スペシャルなボディーに変身するんだからっ! 駄目っ、必死で寄せて上げてるの、ばれちゃうでしょっ!

 

「……え?」

 頑張ったけど涙が出てこないから諦めて血走った目で睨み付けたのに。目の前の男は緊張感の欠片もなく、きょとんとしてる。

「何だよそれ、どこから出た情報? ……へえ、俺ってそんなにすごいんだ。こりゃ、びっくりだな」

 うんうん、って何度も頷いて。それから、どうしちゃったのか、いきなり笑い出す。多分、本人もここは笑っちゃいけない状況だって分かっているんだろう。だけど、堪えきれないという感じで。もう、おなかまで抱えてる。そして、一頻り笑い転げた後、急に真顔になってキスするの。もう、こっちは何が何だかって感じだったから……されるがまま。そのあと、きゅーっと抱きしめられて。

 うわああん、体臭が生々しいよ〜っ! とは言ってもオヤジ臭いとかそんなじゃなくて、すっきり爽やか柑橘系の香りではあるけれど。だけど、だからと言って許されることじゃないわっ! どうにかしてこの束縛から逃れようと必死になってる私に対して、彼はどこまでも甘い瞳でばしばし対抗してくる。

「いやあ、実は。こんな風に自発的にキスした記憶もないくらいなんだけど。……まあ、キスしなくても出来ると言えば出来るけど、ちょっときつくない? 別に信じろとは言わないけど、薫子にそんな風に思われるのは悲しいな。この出会いは運命だと思ったのに」

 ……は? はああああっ!?

 またまた、おかしなことを言い出すんだもん、こっちは大混乱よ。

「な、何よっ! そんな風に言い出して煙に巻こうと思ったって、無駄よっ! あり得ないでしょ、それはいくらなんでもっ……!」

 ほらほら〜、どの口が言うのかな、そんな台詞。

 とっても自然な感じで、またブラウスの中に手が入っていくんだけど、コレって何よっ! キスだって、そのっ、すごく……うん、すごく上手だよ。比較する対象がないからよく分からないけど、最初の時からうっとりだったもん。何かもう、世界が違いますって感じで。それに、あんな素敵な歴代の彼女さんたち。絶対に我慢できるはずないよっ!

 何なのっ!? 私のもののはずなのに、ご主人様をガードしようとする任務も忘れ、バラバラと床に散らばっていく制服たち。ちょっとぉっ、大切なときに何してるのよ。もうちょっと、踏ん張りなさいってばっ!
 あんまり激しく抵抗したら、彼は突然ふっと力を抜いた。もちろん、私の身体は膝から床に倒れ込む。慌てて、頼りない布たちをたぐり寄せていた。

「うーん、そんなに信用ないのか。……まあいいや、どっかにハサミはないかな? 昼間誰かが作業で使ってただろ、出来るだけ切れ味のいいのが欲しいんだけど」

 ぽりぽりって頭をかいて、それからまた全然違うことを言い出すの。え? ハサミ……? そんなモノ、どーすんのよっ。まさか振りかざして脅迫するとかっ、それともそのまま切り刻まれて身ぐるみ剥がれちゃうとかっ……! 想像したくもないのに、頭の中には次々に危ない映像が浮かんでくる。そして、奴はそんな私の脳内をのぞき込んだみたいに笑うの。

「ああ、まーたおかしなこと考えてるだろ? ほら、コレを開封したいの。俺に刃物を渡したくないなら、薫子が自分でやって」

 そう言いながら、先ほどのパスケース、例の写真の裏から何かを取り出す。ぽーんとこちらに投げてよこすから、反射的にキャッチして……。

 

 ――うわぁっ!

 

 まるで「キャンディー食べる?」って感じにさりげなく渡された小さな包み。四角くて平べったくて、厚みはほとんどなくて……それが何か察したときに思わず投げ捨てていた。

「あーあ、何やってるんだよ? 一個しか持ってないのに、なくしたらアウトだぞ。……まったくもう」

 腕を伸ばして。長い指が拾い上げてるのは北海道のお土産で有名な「白い恋人」……ではないな。大きさはちょっと似てるけど。でも、何か普通じゃない。触ったときに分かったけど、ただの包みじゃないんだもん。シルバーの不透明な上に何だかビニールみたいな素材が貼り付けられている。……って言うか、もしかしてセロテープ? もうがんじがらめにこれでもかって言うくらい巻き付けられてない……っ!?

「えっと……、そのぉ……?」

 またもや私の手元に戻ってきたのは、ババ抜きのババよりも手元に持ちたくない代物。何でまた、うら若き乙女が……そのっ、コレって、ばりばりに避妊具でしょ? ぶっちゃげて言えば、コン……。駄目、これ以上は言えない、恥ずかしすぎて無理。うわあ、ホンモノって初めて触っちゃった。

 そんな私に、彼はコホンと咳払いしてから説明してくれる。

「それさ、俺の父親の作品。変わった人なんだよね、子供にそんなものを持たせるの。確か中学に入学した年の秋だったような気がするけど、いきなり夜中に人の部屋に入ってきてさ。こっちは中間テストの最中だって言うのに、『とにかくここに座れ』って床に正座させられて。もう、徹夜状態で悟りを開かされたよ」

 相変わらず上半身ヌードで、ベルトとウエストのボタンまではずれていて。そんな格好であぐらをかいてこっちを見てる。

「こっちは反抗期まっさかりじゃないか、それなのにお構いなしで。挙げ句に『何があっても女の子を泣かせることは許さない、そんなの男のクズだ』って、言い出すし。でもって、駄目押しがそれ」

 改めて確かめると。おぞましいブツは、普通幅のセロテープが巻き付けられたことで、元の倍くらいのサイズになってるみたい。そして、真ん中には丸い金色のシールが貼り付けられていて、その上に手書きで「封印」ってマジックの文字が。右上がりですごい筆圧、怨念がこもってる感じだよ?

「それを見せて、相手が合意してくれたらいいって。……馬鹿にしてるだろ、正直退くよな? だったら、直にコンビニとかで買えばいいんだけど、アイツってとにかく顔が広くて。どこでどう、情報網に引っかかるか分からないから、下手なこと出来ないんだ。その辺の奴らに『ひとつ分けてくれよ?』って言うのも情けないだろ? まあ、異常すぎて信じられないとは思うけどさ」

 うーん、無理だよ。こんなのギャグ漫画だってあり得ない、お笑いのネタにも没だわね。そう思いつつも、あのカリスマのやることだから、何でもありかなとも思えてきて。

「……で、今まで清らかだったとでも言いたいの?」

 そんなの、絶対に信じない。相手の子が「私持ってるから」とか言い出したら、それでオッケーじゃない。いや、女子の方で用意するなんて思いたくないけど、でも相手がこの男ならアリかも。

「うーん、別にそれほどやりたいって感じもなかったからな。普通に欲求はあったけどさ。面倒じゃん、色々。それに、相手の方がムンムンにオーラを発してると萎えるよ? 一時はアブノーマルな方向に走った方が楽かなとかすら思ったし。変だなあ、どっから偽の情報が流れたんだろ」

 そこは笑うポイントじゃないでしょっ。何、和んでるのよっ……! こっちが呆れかえっているというのに、全然動じてない。それどころか、すごく嬉しそうなの。さっきから、お気に入りのおもちゃを買って貰えた子供みたいな満ち足りた顔をしてるよ?

「偽でも真実でも、初めてでもそうじゃなくてもこの際関係ないわよっ! そんなのは問題にならないでしょ? それとこれとは話が別だわっ……」

 

 何かさ、もう。自分でも訳が分からなくなってるよ。

 えっちって、こんな簡単なことじゃないはずだし、もしも行為に及ぶなら、もっともっとお互いを知り尽くしてからの方がいい気がする。だけど、もしかして。この男の真実を知るなんて無理かも知れないし。ここで「嫌だ」って言ったら、またすごく悲しそうな顔をしそうなんだもん。「グレる」とか言う話が蒸し返されるのも、困る。

 そして、何より。こんな風にまた、色々と理由を付けて自分自身を納得させようとしている自分が嫌。あんまり考えすぎると、本当の気持ちが分からなくなるの。本当はどうしたいのか、一番分からなくなっているのは多分私。

 

「開けてくれないかなあ、それ」

 ごちゃごちゃの心のままで見つめたら、甘える声で言われる。う、これってかなりずるい。私に決定権を委ねてるってこと? そんなの、やだっ、恥ずかしすぎるっ! ……でも、何でだろ。こんな風にお願いされると、叶えてあげたいなって思っちゃうのは。かなりコイツに参ってるってこと? それとも上手に騙されてる……?

 寂しい顔して俯かれたら、ついつい手を貸したくなる。どうして心に簡単にスイッチが入っちゃうの? まあ、いいんでしょ、開ければ。彼が望んでるのはそれだけよね。うんうん、そうよ。

 ハサミ。確か段ボールも切れるって言うすごい奴があったよな。最後に私が備品の確認をしたんだもん。教室の隅の段ボールの箱の山。難なく取り出せてしまって、それでブツの隅っこを一辺だけ細く切り取る。何でこんなことをしちゃってるんだろうなって情けなくなりつつ、腕を伸ばして渡そうとしたら。そのまま引っ張られて彼の胸に倒れ込んでた。

 

「ふふ、捕まえた」

 恥ずかしくて何も答えられないでいたら、息が止まるくらいきつく抱きしめられて。その後、窒息するくらいたくさんのキスをされた。

 


「やっ、……やっぱ、嘘でしょ。絶対に、初めてなんて、あり得な……いっ……!」

 床の上、広げられた毛布。その上に仰向けに寝そべったら、背中がかなり痛い。だけど、それが気になったのは最初だけ。だって……なんかすごいんだもん。具体的に説明するのが恥ずかしすぎるくらい……身体はすっかり槇原樹の私有物化してた。

「えー、何でそんなこと言うの? まだ無駄なことを考える余裕が残ってるんだ、往生際が悪い奴だな……」

 そ、そんなことないわよっ、もういっぱいいっぱいなんだからっ!

 くすくすくすって、肌に湿った吐息が落ちるだけでも気が狂っちゃうくらいくすぐったい。けど……それだけじゃなくて。泣きたくなるくらい、心細くなってくるよ。大丈夫かな、どうしようかなって。まるで身体がひとりでにふわふわと空中に浮き上がって行くみたい。

「だって、……もしもそうだったら、もっとすごいんじゃないの? 息つく暇もなく突っ走っちゃったり、挙げ句に入れる前に終わっちゃったりするって……」

 せわしなく動いていた手を止めて。興味深そうにこちらをうかがっていた男が、突然吹き出す。

「……何それ、真面目な顔で恥ずかしいこと言うなよ? それに忘れてないかな、俺は天才なの。他の奴と一緒にされたら困るんだけど。こういうのは感覚でどうにかなるもんだよ、無意識に身体が動くんだから。薫子の方こそ、本当に初めて……? だと信じたいんだけど、かなり感じまくってるだろ」 

 ……う、図星かも。それこそ、他の子はどうなのか分からないから何とも言えないけど。最初は違和感あったり痛かったりするだけで、全然良くないって言うじゃない。なのにさ、何か勝手が違うよ。槇原樹の手のひらはまるで怪しいハンドパワーを備えてるみたいだ。その動きに合わせて、ぴくりぴくりと身体が反応していく。自分でも信じられないほどに。
 もしかして私って淫乱……っ!? とか思い始めていたりする。嫌だ、そんなのっ。絶対に困る。違うよね、私のせいじゃなくて悪いのは奴の方。誰か、そうだと言って……!

「きちんと中を広げておかないとかなり辛いから」とか言われて、とんでもないポーズで足を広げられて中を指で丹念にかき混ぜられてる。もちろん最初はもぞもぞしていて気色悪かったよ。もうやめてって、何度も腰が引けた。だけど……途中からそうでもなくなってきてる。もしかしなくても、奴の方もそれに気付いてるのかな。

「はうっ……、んっ……!」

 おなかの奥がきらっとして、その瞬間、思わず覆い被さってる男にしがみついていた。なっ、何なのっ! これって、何がどうなってるのっ……! 恥ずかしくて情けなくて、気が狂っちゃいそうっ。

「可愛いな、薫子。そんなに欲しい? ……もういいかな、待ちきれないよ」

 大きく肩で息をしたら、甘い声でささやかれる。耳元、吐息の掛かった部分から溶けていきそう。ほら、もう体中がふにゃふにゃして。でもまだ、頭の芯がすごくはっきりしてて、私を冷静に見つめているもうひとりの自分がいる。身体と心がバラバラになっちゃって、お互いが組み合わない。

「え……、いやぁっ! 怖いのっ……」

 言うことを聞かない身体がもどかしい。もうこれ以上はやめてって、言いたいのに唇が上手く動いてくれなくて。ここまでだって十分ヤバイと思うけど、この先はもっとまずい。

「……怖くないよ」

 入り口に何かが当たった。緊張しきって痙攣してる私の頬をぺろんと舐めて、赤い舌が微笑んだかたちの口元に収まっていく。柔らかい前髪、少し汗ばんで。

「絶対に、大切にする。誓ってもいいからな。……好きだよ」

 ぎゅっと目を閉じたら、まぶたの裏が赤く燃えていた。おなかの中がどんどん詰まっていく感じ、でも想像していたほど痛くはない。確かに指の何倍もの存在感があるけど……初めからここにぴったりと埋め込まれるのが当然だったんだって思えてくる。やだ、私。何考えてるのっ!

 

「馬鹿っ……、そんなに見つめるなよ? 恥ずかしいだろっ……!」

 ……あ、いつの間にか目を開けて観察してたのね、私。指摘されて慌てて顔をそらしたけど、また盗み見ちゃったりして。だって、何か不思議なんだもん。すごく真剣な顔になるんだね、えっちの時って。眉間にしわまで寄っちゃって、今までに見た中で一番りりしいの。

 

 最初はゆっくり動いてたのに、だんだん早くなって。どうしたらこんなに加速できるのって感じで出たり入ったりするんだもん。改めてみると、お互い汗だくで裸で、その上すごい格好しているし。とってもうっとり出来る感じじゃない。だけど、何でかな「愛されてるな〜」って気がするの。こんな風に一生懸命になってくれるのって、やっぱり嬉しい。

 はあはあって、荒い呼吸がまるで激しいスポーツの現場みたい。レスリングとかほとんど裸に近い感じだし、絡み合ったらこんな感じかな?
 ああ、馬鹿馬鹿っ! そんな風にヨコシマに考えたら、この先格闘技番組が見られなくなっちゃう。だんだん体温が上昇して、朦朧としてきた。熱気がふたりを包み込んで、その他のことは何も考えられなくなる。

 

「……はうっ……!」

 かすれた声が波打って、次の瞬間に彼の身体が落ちてくる。それを受け止める自分が、女神様みたいだなって思った。

 


「――大丈夫?」

 何度めかにそう聞かれたときに、ようやく小さく頷くことが出来た。終わってから、いきなりひりひりと痛みが襲ってきたのよね。信じられない、やってるときは平気だったのに。汗が冷えてきて、ぞくぞくする。一枚しかない毛布にふたりでくるまっているんだけど……こうしていても寒さはしのげない感じ。

 

 ああ、やっぱり恥ずかしいかも。

 夜が明けたらお祭りの本番なのに、私の心はもう祭りの後。何かなあ、本当にこれで良かったのかしら。隣にいる男が急に冷たくなったりしないのがせめてもの救いだけど。……やっぱ、ムードに流されすぎたかな。
 何となく心細くなって寄り添ったら、まだ速い心音。そうだね、これって男の人の方が十倍くらい体力使いそうだ。いっぱいやっても、女性側はダイエットにならないかも。

 

「やっぱ、このままじゃぬるぬるしてるし嫌だな。どうする? ……シャワーでも浴びてこようか」

 もぞもぞっと、彼が動いて身体の位置が入れ替わる。首筋にやわらかいキス。

「こんな風にしてると、またやりたくなっちゃうし。止まらなくなったら、ヤバイもんなあ」

 

 名残惜しそうに一度抱きしめられて、それから腕が解かれる。

 ぱぱぱっと簡単に服を着て、さっさと立ち上がった。……え、ちょっと待ってよっ。慌てて私も身支度を調えかけて……ハッと気付いた。

 

「え? シャワーって……? だって、その。朝が来るまで教室からは――きゃあああっ!」

 叫んだわよ、思いっきり。だってだって、槇原樹はいきなり教室の引き戸をがらりとやるのよ。待ちなさいよ、それって赤外線センサーがっ……! 最初に自分で説明しておいて、何やってるのよっ!!!

 それなのに。何でもない足取りで廊下に出た男は、くるんとこちらを振り向いて微笑む。彼が壁に腕を伸ばした時、ぱっと廊下の電気が点いた。――え? ……えええええっ!?

 

 思わず目をむいたわよ、何がどうなってるのよっ!

 こんなことしたら、警備員がすぐに……あれ? どうして来ないのっ!? だいたい、警報ベルくらい鳴らない? こんな場面では。

 

「ふふふ、やっぱ。薫子って、単純。あんな嘘、真に受ける馬鹿がいるんだなあ……考えてみろよ、こんなただの教室にいちいちセンサーなんて取り付けていたら金掛かるだろ? いくら私立だからってそんなことしてたら破産しちまうぞ。そんなのがあるのは職員室とパソコン室だけだって。
 ――だいたいなあ、今夜は柔道と剣道が合宿中なんだけど? まー、ここからだと体育館裏の格技館や合宿所は死角で見えないから。……残念でした」

 なっ、何ですってっ!? そんなのって、アリ? ああん、驚きすぎて声が出ない。顎ばっかりがカクカクとなってるのって、すごくみっともなくない?

「だけど泊まるって言っちゃったもんな〜、もう帰れないだろ?」――なんて悪びれもせずに言うの。

 もうっ、信じられないっ! 一発ひっぱたいてやろうかと勢い込んで立ち上がったら……、その瞬間におなかの奥にずきんと痛みが走った。




2004年12月3日更新

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