TopNovel>指先に雨音・6




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 どうにか気持ちを切り替えようと躍起になっていたら、あっという間に六限まで終わっていた。
 あたし、今日は一日じゅうすごい悲惨な顔をしていたらしいよ。休み時間ごとに早紀が心配していろいろ声を掛けてくれたもの。でも、その中には心外な言葉もあった。
「ねー、もしかして。アンタ、もう本居先輩に振られたの?」
 本居先輩、っていうのはシゲルのことだ。早紀はあたしとシゲルが付き合ってるのを知ってる。思わずのろけちゃうことも少なくなくて、そのたびにすごい変な顔をされるけどね。きっと呆れているんだと思うわ。それに独り身としては、そんな話楽しくもないでしょうしね。逆の立場だったら、あたしだって同じ態度を取ってると思う。
「え〜、違うよっ! 縁起の悪いこと言わないで」
 唇を尖らせて反論しつつ、あたしは自分自身にも言い聞かせる。そう、そうよ。今日は久々にシゲルとデートなの。うんうん、とーーーーっても嬉しいに決まってるじゃないの。ここんとこはあたしの方が付き合い悪い感じで、ふたりの間にちょこっと距離感が生まれてる。だから、早いうちにそれを修正しないとね。
「ふうん、それにしては浮かない顔してる。なんか、悩み事でもあるの?」
 ……ぎくっ、鋭いっ!
「もうっ、そんなのないないっ!」
 こっちはちゃんと否定してるのにさらに詮索してくる視線を振り払い、あたしはぶんぶんと首を横に回した。ええと、そりゃあね。シゲルの「謎」はまだ霧の中よ。でも、あたし気付いたんだ。まずはふたりがしっかりした信頼関係で結ばれることが先決だって。そうすれば、きっといつかシゲルもちゃんと話してくれる。
 あーっ、順番が逆になってたんだな。あたしってば、馬鹿馬鹿っ!
「んじゃ、あたし急ぐからっ!」
 早紀に慌ただしく別れを告げて、教室を飛び出す。ああん、待ち合わせの時間に遅れちゃうっ! 大変大変……!

「よっ、莉子!」
 終業時間を迎えて、ごった返している昇降口付近。
 人波をかき分けかき分け時には身体を斜めにして、強行突破を試みた。やっぱ、帰りがけに早紀の話になんて乗るんじゃなかったわ。何しろ全学年合わせて千人近い生徒が在籍している我が校。ほんの数分で状況は急変するんだから。
「……シゲルっ! お待たせ!」
 普段だったら畏れ多くてつい道を譲ってしまう先輩方も押しのけ、ひと目もくれずに突進できるのはやはり愛のなせる技。いつもの待ち合わせ場所、大きな木の幹に寄りかかって立っていた彼は私を見つけるととろけるような笑顔になった。
「そんなに慌てなくたっていいのに。俺だって、今来たばかりだしさ」
 ふふ、さり気なくフォローしてくれる優しさがくすぐったい。やっぱ、こうじゃなくちゃね。お昼過ぎに少し降って今は小休止の空模様。まだらに残る水たまり。目に映る風景の全てが色を落として息を潜めているように見えるのは昨日とすっかり同じなのに、シゲルが側にいてくれるってだけで心がホカホカしてきちゃうよ。
「じゃ、行こうか?」
 そして、当たり前のように繋がれる手と手。良かった〜、今日は雨が落ちてなくて。こうして並んで歩いているだけで、もう胸がいっぱい。今日はどうする予定なのかなって思ったけど、何だか口を開くのももったいない気分なの。
  あたしさ、こんな風に一対一で付き合うのって初めてだったりするし。ちょっと前までは公衆の面前でべたべたするカップルの気持ちが全然分からなかった。何あれ、あんな風に見せつけて嬉しいのかしら……なんて眉をひそめてりして。でも、自分自身で体感してみると全然違うのね。これって本人たちにしか分からない感覚なのよ。
「このまま、降らないといいなーっ」
 さり気なく、指先に力を込めて。
「……そうだな」
 まるで応えてくれるみたいに、シゲルの指が絡みついてくる。声がちょっと素っ気ない気もするけど、きっと彼も照れてるんだわ。だって、久しぶりだもの。
 視線も吐息も、全部独り占め出来てるみたいな贅沢な気分。そう、恋するふたりにはお互いのこと以外何も見えないの、感じないの。
 運命の悪戯で始まった高校ライフ。
 予想だにしなかった不幸の連続に、あたしは限界ギリギリまで来ていた。夢見ていた生活がひとつも実現しないどころか、運命の歯車はどんどん悪い方向に進んでいくばかり。それもこれも、全部があの憎たらしい黒ずくめ男のせいよ。アイツがあたしのことを目の敵にするから、全てが上手くいかないんだわ。
 そう、全部奴の…… 。
「―― おい」
 その声に、ハッと我に返る。目の前でパチンとシャボン玉が割れたような、そんな気分。あれ? あれれっ? あたしってば、今どうしていたの?
「えっ? うわっ、ごめん……!」
 もうっ、嫌だなあ。何してるんだろ、あたし。せっかく久しぶりにシゲルとふたりきり、水入らずで過ごせる時間に考え事なんて良くないわ。
  慌てて見上げたシゲルの横顔に、苛立ちの色は感じ取れなくてホッとした。良かった、シゲルは笑ってる。あたしとのひとときを、彼も楽しんでくれてるんだ。
「ここは……?」
 気がついたら、目の前には全く違う風景が広がっていた。
 大きな木々にぐるりと囲まれた空き地、……一応「公園」なのかな? ざっと確認したところ、ベンチと砂場くらいしか見当たらないけど。
  あ、そうか。学校を出てすぐのところに、こんもりとした森みたいな場所があったっけ。細い道をちょっと入ったところ。外からじゃよく分からなかったけど、何だ中はこんな風になってたのか。
「いい場所だろ? 邪魔が入らないって感じでさ」
 そうかー、シゲルはあたしとふたりっきりになりたかったんだね。うんうん、あたしもそれは同じ。シゲルとあたしの間に立ちはだかる壁も人間も、全部残らず取っ払ってしまいたい。
「そ、そうね」
 刹那。
 頬をかすめる生暖かい風に、何故か背中がぞくりと震えた。……どうして? シゲルが一緒なんだよ。怖い訳なんてないじゃない。
 大きく首を横に振って、あたしはしっかりと前を向く。
 一体どこまで行くんだろう、もうそろそろ突き当たりだよ? シゲルがどんどん奥へと進んでいくから、手を繋いでいるあたしはそれに従うしかない。そりゃそうなんだけど、当然なんだけど、……だけど。思わずぶるっと身体が震えて、その拍子に肩から提げていたカバンが落ちた。
「どうした?」
 拾わなくちゃと思って慌てて手を振り解いたから、驚いたのだろう。それまでは前ばかりを見ていたシゲルがこちらに振り向いた気配。
「……あ」
 しゃがんで、手に取ろうとしたカバンの表面。ぽつん、ぽつんと小さな水滴が吸い付いた。
「や、やだっ! また降り出したよ? ねえ、どこか屋根のある場所に移動した方が―― 」
 そう言っているうちにも、雨粒はどんどん増えていく。カバンの上だけじゃない、むき出しの地面にも、あちこちに生えた雑草にも水玉は広がっていった。
「えー、大丈夫だよ。これくらい、何でもないって」
 背中に聞こえた声は、シゲルじゃない。向き直った瞬間、あたしはカバンを胸に抱えたまま固まってしまった。
「へぇ、これがリコちゃんか。カワイイじゃん、シゲルお手柄だな」
「うんうん、この前の子よりもずっといいよ。そうだな、マスターがべた褒めしてたのも頷けるよ」
 また、違う声がする。
 がさ、がさがさり。ただの木陰だと思ってたその場所から、次々に姿を見せる制服たち。ええと、……そうだっ! これって、この人たちって、この前校庭の隅でシゲルを囲んでいた南校の―― 。うわっ、手にはタバコなんて持ってるしっ! いけないよ、未成年なんだから……!!
「なっ、何っ! あんたたちっ、誰なのっ! ここで何してんのっ!! ―― 分かったっ、あんたたちでしょっ!? あんたたちがシゲルのこと、いじめていたんだね!!」
 突然のラスボス!? だけど、本当にそんな感じ。ああ、こうしちゃいられないわっ。あたしはぐるりと回り込んでシゲルを守るように彼の前に立ちはだかった。
「りっ、莉子っ!?」
 あたしがこんな風に攻撃の態勢に入るとは思っていなかったんだろう。背後でシゲルの声がうわずっている。ううん、大丈夫。全然平気だから。
「ごめんっ、あのねっ、あのね、あたし知ってたの。シゲルがコイツらにひどいことされてるって。今まで、何も出来なくてごめんっ、でももう大丈夫だからっ! シゲルは何も心配しなくていいんだよ!」
 うわーんっ、膝ががくがくするっ。だけど、ここで逃げる訳にはいかないもの。もしも逃げるなら、シゲルも一緒じゃなくちゃ。こんな、親のスネをかじってるくせに偉そうにしてる奴らには思い知らせてあげなくちゃ駄目よ。
  ううー、ひいふう……全部で四人か。皆、揃いにも揃って人相最悪っ! きっとシゲルに目を付けたのも、自分たちが全然モテないからってやっかんだからでしょう? 特に左端の奴っ、その間抜けな長髪はホームベース型のでかい顔を隠すため? それってはっきり言って逆効果だからっ……!
「なっ、何よっ! 睨まれたって怖くなんてないからねっ! もうシゲルには指一本触れさせないからっ、アンタたちの相手ならあたしがするよっ……!」
 正直、すんごく怖かった。自分でも何言ってるのかよく分からないくらい震えていたと思う。
 でも、必死だったの。だって、このままシゲルがコイツらにやられ続けるのって良くない。そりゃ、具体的にどんなことされてるかは知らないよ。でもだいたい想像は付くよね? こういう奴らのすることって言ったら、お金を巻き上げるとか、自分たちの代わりに万引きさせるとか……どれをとっても卑劣な行為よ。
「へー、リコちゃんが相手してくれるのか〜!」
「いいねえ、いいねえ、積極的なオンナノコって俺、チョーそそられんだよな〜!」
 ざりざりざり。
 かかとを潰した運動靴で歩くから、不格好ながに股になる。まるでゴリラよ、ゴリラ。四匹のゴリラがにやけてるんだから、これって笑える光景だと思うの。だけど……だけど、やっぱそうもいかない。これって、相当ヤバイ? でも、大丈夫だよね。あたしはごくりと唾を飲み込んだ後に、必死で脳みそを引っかき回してみた。
 まずは真ん中の奴にカバンをぶつけて、それからその両隣の奴らに革靴をひとつずつ、最後のひとりには……そうだな、頭突きか。
 ―― よ、よーしっ……!
 
「待てよ」
 と。
 そのとき。今の今まであたしの後ろに黙って隠れていたシゲルが、初めて声を上げた。途端に、ホッとして身体中の力が抜けていきそうになる。ああ、駄目だってっ! 違うの、今日はあたしがシゲルを守るんだからっ。
 ……え?
「急いては事を仕損ずる、って言うだろ? まずはマスターへの献上品をキープした方が良くないか? 汚したり切り裂いたりしたら、商品価値がなくなるんだぞ。……ま、そういうのが好きな奴もいるだろうけどな」
 次の瞬間。
 あたしの足下に今まさに振り上げようとしていたカバンが落ちた。ぼさっと鈍い音を立てて。続いて身体がふわっと浮き上がって、革靴も左右両方脱げてカバンの上に転がる。
「……なっ……」
 信じられなかった、だってそんなことがあるわけない。でも、目の前の悪党たちはやっぱり四人。そのまんまの人数。
 ……ってことは、その、今あたしをうしろから羽交い締めにして持ち上げてるのは、……やっぱり?
「悪いな、莉子。ま、そんなところだ」
 信じられないほど冷たい、およそ人のものとは思えないような声がした。そして、四匹のゴリラたちと言えば。今までの浮ついていた態度が嘘のように神妙な顔つきになっている。
「わっ、分かったよっ! 分かったから怒らないでくれよ、アニキ」
 あたし、振り向けなかった。あまりに怖くて、振り向けなかった。今、後ろにいるのは一体誰?
「ぎっ、ぎゃあああああっ! なっ、何すんのっ……!!」
 ふたりの男があたしの足を一本ずつがっちりと押さえ込む。慌ててばたばた暴れてみたけど、もう遅い。というか、その動きは逆に彼らの行為を助けることになってしまった。
「お〜、白地に赤い水玉っ! これはまた、メルヘンの世界だ〜!」
 小さく丸まってつま先から抜けていくもの。……そう、それって、あたしのぱんつ。
「……ちょっ、ちょっと待ってよっ! やだっ、やだってば……っ!」
 そ、それね、ブラとセットなの。結構なお値段だったのっ。素敵なお姉様ランジェリーにはほど遠いかと思ったけど、でもでも、それでもっ、あたしにとってはとっておきの勝負下着だったんだからっ……!
「もっと紳士的に時間を掛けてお互い納得してからと思ったんだけどな……お前が悪いんだぞ、莉子。何でマスターの店になんて行くんだよ。話を聞いたときは冷や汗かいたんだからな。
  ……ま、いいだろう。結果的には気に入られたんだし。きっと可愛がってもらえるよ、まずはその前に俺たちが存分に楽しませてもらうけどな」
 ―― うっ、嘘っ……!?
「なっ、何言ってるのよっ、シゲルっ!? どうしたの、おかしくなっちゃったの? それとも、何? コイツらに脅されてるとかっ……ねえっ、シゲルってばっ!!」
 声を限りに叫ぶって、きっとこんな風だと思う。
 けど、ドラマや漫画のハイライトシーンほどは劇的じゃないみたい。両手両足を押さえつけられて持ち上げられてたら、お腹からの大声なんて出せないのね。コイツら、半端じゃないほど力強いよー。うわーん、駄目駄目っ! ブラウスのボタン外さないでっ!
「なあ、これ。どうする? 誰か預かってくれよ」
 ニキビ面をいやらしくあたしのふくらはぎにすり寄せてたひとりが、例の水玉を手にして言う。その目が血走っていて、マジ怖い。やっぱ、……やっぱ? もしかして、本当にあたしって、このまま……!?

「こっちだ、俺が預かろう」
 揺るぎない響きに導かれるように弧を描いて飛んでいくちっちゃな水玉ぱんつ。続いて眩しいフラッシュ。その場にいた男たち全員の視線がその方向に吸い寄せられていく。
 どさっ、と背中から地面に身体が落ちて。想像を超える衝撃に薄暗くなる意識の向こう、あたしは確かにシゲルの断末魔とも思える声を聞いた。
 「―― えっ、江川っ……!!」

 

つづく♪ (080205)

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