TopNovel>嘘つきSeptember・1




1/2/3/4/5/6/7/8

  

 暦の上では云々、という言葉は礼儀正しい手紙の書き出しでよく使われる決まり文句。だけど、そう語られる時にはたいてい「そうなんだけどね〜」みたいな、否定のニュアンスが含まれてる。
 そう、まさに今あたしが置かれているこの現状のように。
「う〜〜〜〜っ、あ〜つ〜い〜〜〜っ!!」
 思わずブラウスの襟元をぐいーっと引っ張って、ぱたぱたしてみた。もちろん、それくらいではどうにもならないことは分かってる。そりゃあね、カレンダーを一枚めくったからと言って、あっという間に気温がぐぐっと下がってしのぎやすくなるとか、そんな奇跡は起こらないと思うよ? でもねえ……。
「ちょっとぉ、人の話を聞きなさいって言うのっ! 暑いったら、暑い。とにかく暑いんだってば。こんなじゃ、正常に物事を考えたり出来ないと思うの。今に脳みそが煮立っちゃうよ〜!」
 両手両足ばたばたして、我ながらお行儀が悪いとは思うよ? だけどね、何だって新学期早々こんなむさ苦しいところに閉じこめられないといけないの。と言うか、夏期休業と呼ばれている長〜い休みのほとんどもここにすし詰めになっていたような気がするんだけど。
「ここ」って言うのは、もう説明するまでもないと思うんだ。あたしの天敵、その名を口にするのもおぞましい化け物が生息する、その名も「指導室」。ばっかじゃないのと思うよね、一生徒の分際で偉そうに。一応「風紀委員長」って肩書きみたいだけど、それって「自称」って奴じゃない? だって「委員長」がいるからにはその他の「委員」もいて当然なのに、そんなの影も形もないじゃない。
  言っとくけどね、あたしも風紀委員ではないんだよ。断じて違う、絶対に違う。まあ、いくらこの部屋に頻繁に出入りしていたところであたしをそんな風に認識する輩はひとりもいないけどね。世間の評価はむしろその逆。伝統と規律を重んじるこの学園では、あたしはどこから見ても立派な異端児だ。
 けど、実際のあたしはもっとずっとおしとやかなのよ。言葉遣いが破壊し始めているのは、この信じられない残暑のせい。そうに決まってる。
 ぶーーーーーん。
 再び静まりかえった部屋に、響き渡る唸り声。その音がだんだん大きくなったかと思うと、かくっと向きを変えて遠のいていく。そう、これはあたしにとって「待望の」電化製品だった。イマドキなかなかお目にかかれない超特大サイズの羽根に何故かきんきらのテープがくっついていて、それが自らの作り出す「風」で床と平行にたなびいてる。
 ぶーーーーーん。
 もしかして、あんたって夏の間どこぞの量販店で「展示品」してなかった? 朝から晩まで、誰が見てても見てなくても首をくるくる回し続けていたんじゃないかしら。同じことをずっと繰り返していて、とうとう少し性格が歪んでしまったのね。うんうん、それは分かるよ。だけどさ、もうちょっとこっちを向いてくれてもいいと思うんだ。
「あ〜っ! もう我慢できないっ!!!」
 相変わらず、目の前にはうずたかく積まれた書類たち。その上、ピンクの付箋で「緊急」と書かれたものも数え切れないくらいあって、身動きが取れない状態。とりあえずはその山を崩さないように細心の注意を払いつつ立ち上がり、へそ曲がり機械の元へとひた走る。まあ、普通教室を半分に仕切ったスペースでそんなに広いわけじゃないんだけど、気分としてはそんな感じで。
「―― こら、勝手に触るんじゃない」
 そのとき。今までずっと微動だにしなかった真っ黒い背中が、突然怒鳴った。そうしている間にも人工的に作り出された「風」がその男の周囲を吹き抜けて、憎たらしいくらい真っ直ぐで真っ黒なストレートヘアをさらさら〜っとなびかせていく。
「えーっ、そんなのずるいっ! そんなこと言わないで、少しはこっちにも風をよこしてよ。あたしは『あくまでも』善意で手伝ってあげてるんだよ? そこんとこ、分かって欲しいんだけど」
 仮にも一学年年上の「先輩」相手に、この言葉遣いはまずいと思う。でもね、コイツの格好や態度を見てたら、そんな道徳観も倫理観もどこかにぶっ飛んじゃうの。だってだって、絶対におかしいよ。何で、夏服期間なのに学ラン着込んでるの? そもそも、それって今の制服と違うから。いつまでも昭和の遺物のような姿をしてないでよ。しかも、その髪。硬派だか何だか知らないけど、ものすごい変だから!
「冗談も、休み休み言え」
 相も変わらず背中を向けたまんま、しかも右手はそろばんをぱちぱちと弾きながらの物言いだ。全くもって失礼な奴でしょ? 自分の方こそ最低の礼儀もわきまえてないくせに、よく言うわ。
「ふーんだ! 大王なんて、ぜ〜んぜん怖くないもんね!」
 よーし、と。まあるい頭を両手で掴もうとした次の瞬間。たった今まで目の前にあったはずの「それ」が忽然と消えた。勢い余った私の身体は、そのまま前のめりに倒れ込んでしまう。
「……うぎゃっ!」
 がたがた、がったんっ! 机とか、椅子とか、そう言うものが不安定に積まれていた場所に顔から突っ込んでしまった。ううう、不覚。しかも変な風に挟まっちゃって、身体が抜けなくなっちゃうし。
「馬鹿か、お前は」
 机の脚の間から振り向くと。奴は片手で軽々と「それ」を持ち上げつつ、真冬の月明かりよりも冷たい視線であたしを見下ろしていた。ぐう、何たる変わり身の早さ。どんだけのスピードで椅子から立ち上がって移動したの。止めようよ、スパイダーマンじゃないんだからさ。
「ばっ、……馬鹿馬鹿言うことないでしょっ! 何さ、大王のいけず! おたんこなす!!」
 正直、今のあたしって滅茶苦茶格好悪い。頭隠して尻隠さずの状態で、息巻いたって絵にならないよね。三流のコントでもあり得ないような感じ。でもでも、やられっぱなしでいるのって許せないもの。
「ほほう、そんな口をきくとは。お前は自分の立場をよく理解できてない様子だ、ここはひとつ仕置きをしてやらなくてはならないな」
 ―― え……?
 ごとん、と何かが床に置かれる音がした。そうしているうちに風が回ってきて、あたしのスカートをふわっと舞い上がらせる。ようやく少しだけ首を動かして確認すれば、天の恵みの涼風を運んでくる電化製品がそこに置かれていた。
 え、えええっ! ちょ、ちょっと待って! このっ、この格好って……かなりヤバくない!?
「ぎゃっ、……駄目っ! 来ないで、絶対に来ないで! 冗談じゃないわ、駄目だったら、駄目!」
 うわぁ、机と椅子の隙間から首が腕が抜けないよーっ! どうにかしようと無理に身体をよじったら、もっと動かなくなったんだけど。何で何で、いきなりこんなことになってるの……!?
「ふふふ、なかなかいい角度だな。わざわざケツを突き上げて誘いを掛けるとは、全くどうしようもない雌猫だ」
 かちゃかちゃかちゃ、ベルトを外している音がするんですけど! ホント、待ってよ〜っ。こういうのって、あり得ないから! 何でいきなり本番行っちゃってるんですか……っ!
 後ろ向きだって、誰かが自分のすぐ近くまで来てるのは分かる。ぺらりとめくりあげられたスカート、そして唯一その場所を護ってくれているぱんつにゆっくりと指が掛かって―― 。
 
「は〜い、お待たせ。そろそろ休憩にしましょう、今日もとびきりのおすすめスィーツを持ってきたわv」
 あれ、引き戸が開く音もしなかったんだけど。とんでもいいタイミングじゃないの、これって。
「……誰に断って入ってきた。とっとと失せろ」
 ものすごーく嫌そうな声がして。
 それでもどうにか、あたしは絶体絶命のピンチを免れたみたい。くすくすくすと鈴が転がるような笑い声が次第に近づいてくる。もちろん、この人は今自分が目の当たりにしている状況を100%理解しているはずよ。
「あらあら、莉子ちゃん。とても素敵な格好ね。衛じゃなくて、私がごちそうになりたいくらいだわ」
 すぐに、ぼかっと鈍い音がしてきたけど。そういうやりとりも、おなじみのもの。ともあれ、あたしは乙女の危機を救ってくれた「天使」に助けられて、机と椅子の山の中から無事救出された。

「本当に、ごめんなさい。莉子ちゃんにはたくさん迷惑を掛けてしまったわね」
 いや、絶対その目は楽しんでるって感じですけど。まあ、今は「命の恩人」だもんね(ちょっと、大袈裟)、ここは言葉通り素直に受け取っておこう。
  それにしても、美味しーっ! これって、見た目は普通のカップスイーツなんだけど、シャーベット状に凍ってるのね。細長いカップにしましま模様で色んな味が重なり合ってて、それがまた絶妙なバランスなの。
「良かった、莉子ちゃんがこんなに素敵な笑顔で食べてくれると私まで嬉しくなっちゃう。ほらほら、そんなに慌てて食べなくてもいいの。どうぞ心ゆくまで味わって頂戴」
 あたしの目の前で極上の微笑みを浮かべるこの人こそが、実は今回の「災難」の元凶とも言える人物。そのことは絶対にわすれちゃいけないと思うの。
  相変わらず、大和撫子を絵に描いたような御方。色白の透き通った肌に完璧二重まぶたの黒目がちな瞳、さらさらのストレートヘアは艶やかな黒髪だけど、大王のそれとは全くタイプが違う。
  真実を知るまではかなり尊敬してたのよ。これだけのレベルを保つのはかなり大変だろうなとか。自分自身がくりんくりんの癖毛だからこそ憧れていた髪が実は精巧に出来たウイッグだって知ったときには、百年の恋も一気に冷めたわ(いや、最初から「恋」なんてしてなかったけど)。
 まあこの人の場合、突っ込みどころは他にもたくさんあるんだ。髪の話なんて序の口よ、序の口。
「莉子ちゃんがいてくれて助かったわ。一時はどうなることかと思ったもの、もうちょっとで今年は文化祭中止も考えなくちゃならなかったわ。とても感謝しているのよ、さすがに今回ばかりは衛ばかりに任せるわけにもいかなそうだったし……」
 綺麗な眉毛が心持ち「ハの字」になって、儚げな悲壮感が辺りに漂う。普通の感覚をした人間なら「ふあああああっ」と思わず頬を赤らめて見惚れる場面ね。でも残念ながら、あたしはその手には乗らないの。
  だって、だって。同性から見ても憧れちゃうくらい素敵な人が実は「男」って知ったら誰だってぶっ飛ぶでしょ? もちろんそのことはトップシークレットで絶対に口外できないんだけど。仮に「別に隠す必要もないからどんどんしゃべっちゃっていいよ」と言われても、なんとなく遠慮しちゃうと思う。
「そんなことないでしょ? 今だって大半のことは大王が片付けてるし、あたしなんかいてもいなくても大差ないと思うよ」
 もぐもぐもぐ。それにしても美味しすぎるわ、これ。いくら特上のスイーツでもどんどん食べ進めればちょっとは飽きがきたりするんだけど、次々に顔を出す新しい味と食感がそんな隙を与えないのね。
「大半じゃない、ほとんど全てだ」
 あら、これでも頑張って謙遜してみたつもりだったんだけど。その時まではもくもくと絵にならない感じで乙女仕様のスイーツを食べていた物の怪が、地を這うような低い声でぼそっと呟く。
「あらあら」
 例えるなら、黒と白。またはカラスと白鳥。どんよりと他の者を寄せ付けないオーラを放つ男の隣で、心洗われるような天使の微笑みを浮かべる人。ほんの少し小首をかしげるだけで素直な髪の毛がさらさらーっと揺れて、さらに好感度UP。うーん、計算し尽くされた仕草だと分かっているはずなのに、ついつい騙されそうになるわ。
  このふたり、学園では「相思相愛の仲」と噂されている。まあ、完璧の隣には完璧が似合うから、そう言う意味でもベストカップルってことになるんだろうね。とすると、いつも彼らにくっついてるあたしは「おじゃま虫」な存在。いい加減、周囲の視線も気になるし、そろそろこのポジションから離脱したいんだけどな。それがどうにも上手く行かないの。
 だいたいさ、どうしてあたしが未だに「ここ」に通わなくちゃいけないかって。そのことをちょっと説明しなくちゃいけないわね。
 
「大変、緊急事態なの。すぐ来てちょうだい、莉子ちゃん」
 泣き出しそうな声で楓さまが連絡してきたのは、夏休みに入って十日あまりが過ぎた頃。
 期末テストの巻き返しでどうにか赤点を免れたあたしは、思う存分羽を伸ばして長期休業を満喫するつもりだった。ちょっと気が抜けすぎかなとも思ったけど、まあいいかって。そんなわけでその日も携帯が鳴る朝の十時まで惰眠をむさぼっていたのね。
「えーっ、すぐなんて無理ーっ。それに制服はクリーニングから戻ってきてないし、私服じゃ学校行けないもん」
 彼女、もとい彼が「男」だって分かったときから、あたしの言葉遣いはこんなになっちゃった。それまではね、学園じゅうの憧れの的だった彼女だから、かなり気負って接してたのよ。それなのに、……何だかなーって感じ。
「ううん、大丈夫。私の制服を届けさせるから、それを着ればいいでしょ。多分、もう到着している頃よ」
 ええーっ、って慌てて下に降りてみれば。あたしのひいお祖母ちゃんとお祖母ちゃんであるキヨさん・ミヨさんに接待されている「奴」の姿がっ。うわあ、最悪の展開。
  きっとお祖母ちゃんズに「どうぞ、どうぞ」と勧められたんだと思うわよ、でも緑茶に栗蒸し羊羹でまったりくつろいでなくたっていいじゃない。
「着替えはそこにある、五分で支度しろ」
 しかも渡されたのは、見たこともないほど古めかしいデザインのセーラー服。どうしてあたしまでがコスプレ軍団の仲間入りをしなくちゃならないの! その上、大王ときたら我が家までの移動手段に自転車を使ったとか言うじゃない。イマドキ、ノーギアで荷台付き。これって、そのまんま「ママチャリ」だよっ。高校生の乗り物じゃないから。
  詰め襟の一番上のホックまでぴっちりと留めた学ラン男と、何が悲しくて古風なセーラー服を着せられたあたし。これまた真っ黒な自転車にふたり乗りしたら、道行く人全てが驚いて振り向くわ。
 そんなこんなで、学園に到着したならば。そこには感激の涙に暮れる楓さまが待ちかまえていた。
「良かった! 莉子ちゃんと衛が来てくれたら、もう安心だわ……!」
 聞けば、休み明けの文化祭の準備が大詰めに入るという時に、委員長以下主要メンバー全員が食中毒で緊急入院しちゃったと言うの。何、そのマンガみたいな展開は。絶対に嘘でしょ、あり得ない。
「それにね、せめてお金のことだけでもって生徒会の会計が肩代わりをしようとしたんだけど……彼女も急性胃炎で病院送りになっちゃって」
 全く、皆さんどこまでひ弱に出来てるんですかっ! その上、どうして彼らの尻ぬぐいにあたしまでが借り出されなくてはならないの。
  いいじゃん、大王だけにやらせようよ。きっとひとりで全部出来るよ、だって化け物だもん。そう言って丁重にお断りしたのに、どうしても聞き入れてもらえない。最後には泣き落としよ、泣き落とし。信じられない、劇団の新人オーディションも軽々クリア出来ちゃうでしょ、楓さま。
「だけど、あたしのクラスでの立場はどうなるんですか。今でさえ、十分ヤバい感じになってるんですけどっ」
 一応、反論はしたんだよ。だって高校生活初めての文化祭、クラス参加だってあるんだから。あたしさ、結構有名人になっちゃってるんだよ、この学園で。もちろん悪い意味でね。何しろ、誰もが恐れる「風紀委員長」に睨まれている新入生。とばっちりを受けるのが嫌で、若干名を除いてはクラスメイトも近寄ってこない。かなりロンリーな状況でいるの。
「何を言ってる、お前のクラスは『休憩所』のはずだ」
 そしたら、すぐに大王が横槍をいれる。う、しっかりばれてるし。
 実はそうなんだよね、何しろ上級学年から優先的に決めていくから人気のある出し物は全部なくなってる。あたしたち一年生に残ってたのは「創作劇」とか下準備ばっかり大変で入場者数が見込めないものばっかなのね。その中でも担任からしてやる気ナッシングな我がクラスは、歩き疲れたお客様に机と椅子を並べた空間を提供するだけなんだ。
「まあ嬉しいわ、莉子ちゃん。快く引き受けてもらえて」
 大粒の涙を拭いながら、にっこりと微笑む楓さま。えー、誰がいつ「引き受けた」のよっ!? そう突っ込んだところで、誰も聞いてないし。
 ―― と、そんなこんなで。
 また同じような顔ぶれで、残暑厳しい上に窮屈な部屋に押し込められているというわけ。でもっ、ようやく今週末が本番だから、それまでの辛抱ね。と思ってたら、終わったあとも色々と残務処理があるとか言うじゃない。いい加減にしてよ。
 
「すみませーん、すぐ出動願いますっ! 第一体育館が大変なんです!」
 しばしのくつろぎタイムをぶった切る、ばたばたばたと廊下を走る複数の足音。程なくして「指導室」の引き戸が乱暴に開く。そこに立っていたのは、バスケ部とバレー部の生徒だった。
「まあ、莉子ちゃん。お呼びが掛かったみたいね、頑張って」
 えーっ、またですか!
 もったいぶって食べていたために半分以上残っている極上スイーツに未練を残しつつも、せっぱ詰まった部員たちに両腕を掴まれて連行される。そんなあたしを楓さまは扉の外まで見送ってくれた。 

   

つづく♪ (090814)

Next >>

TopNovel>嘘つきSeptember・1