あたしの欠点は、後先考えず誰がどう見ても怪しげな場所に気がつくと首を突っ込んだり足を踏み入れたりしちゃうことらしい。
歴代の友人たちにもそのことをしつこくしつこく指摘されてきたし、自分自身でもあとあとになって「やっばー」と初めて気づいて唖然としたことが何度となくある。だからね、少しは慎重になってもいいと思うんだ。……分かってはいるんだけど、毎回のごとく気づいたときには遅いっていうか。
でもさ、こうも言えるんじゃないかな? すっごく興味があってたまらなくそそられるものが目の前にあって、ちょっと身を乗り出せばすぐにその中を覗けるって状況で、素通りしちゃうのってもったいない。あとになって「やっぱ、あのときに思い切って」って後悔するの、嫌だもの。
―― あ、だから「歯止めのきかない性格」とか言われるのか。
あたしとほぼ同じタイミングで「指導室」に戻ってきた大王は、最高に低気圧な状態。
まあ、コイツがご機嫌でうはうはしてるなんて気味悪すぎて想像もつかないけど、かといって頭上十センチのところでどす黒い雨雲がぐるぐる渦巻いているのも問題よ。いつ、どっかーんと雷が落ちるか気になって仕方ないもの。
やがて、壁際に存在感ありまくりに置かれたあたしよりも背高のっぽな振り子時計が五時を知らせた頃、大王はおもむろに椅子から立ち上がった。
「今日はこれくらいでいいだろう。俺は寄るところがあるから、先に失礼する。戸締まりはきちんとしろ」
あー、嫌になるくらいの上から口調。まあ、これもいつものことだけどね。まるであたしがいつも失敗しているみたいじゃない。ひどいよね、昨日だってちゃんと完璧に施錠してあったでしょ。
「は〜い、分かりましたっ!」
それでもきちんと返事をするあたしって、何ていい子。可愛らしくぺっこり頭まで下げてやったのに、こっちを振り向きもしないのにはむかつくけど。だから、そのあと後ろ頭に向かって思い切り「あっかんべー」をしてやったわ。
……ふう。
楓さまはいつの間にか消えていた。あの人って、本当に神出鬼没。ふら〜っと現れたかと思ったら、ハッと気づくといなくなってて。あんなに存在感のあるのに不思議だなあと思う。
だけど、だけど、この状況って素敵すぎ。あたしに対する「監視」の目がなくなって、びっくりするくらい自由な身の上。うん、これって少しは信頼されたってことなのかな。それともどうでもいいって見捨てられたのか。ま、この際そんなのはどっちでもいい。
頭の中がぱんぱんになってはみ出てくるくらい、たくさんの言い訳を考えてたのに。ちょっと拍子抜けかなあ。化け物と才女相手じゃどんな風に切り返されるかも分からないでしょ、だから本当に色んなパターンでシミュレーションしてたの。あー、ホッと気が抜けた瞬間に全部忘れちゃった。残念だなあ、メモっとけば次の機会に使えたのに。
「んじゃ、さっさととんずらしますか」
ペンケースとか下敷きとかを鞄に突っ込んで、あたしもそそくさと帰り支度。うっわー、何てラッキー。これなら、大手を振ってコースケ先輩のところへ行ける! え? 何いきなりファーストネームで呼んでるんだって? いいじゃない、そんなの。いちいち細かいところを突っ込まないでよ。
「練習が終わった頃にもう一度来て」って言われた、「そうしたらふたりっきりで」って。何か、こういうのって素敵じゃない? あたしを見つめるその目も真剣そのもので、じーんと来た。どう考えてもアブナイ感じの人だっていうのは分かってるけど、でも……なんて言うかな、もしかしたらそれだけじゃないのでは? って予感がするのね。
同じ移動距離でも、慣れてくると要領も掴めてきてかなり時間短縮できる。それは毎度の呼び出しで教室から「指導室」に行くまでのタイムで実証済み。大王としては「まだまだ精進が足りない」ってことらしいけど、何事も化け物レベルで考えちゃ駄目よね。
午後五時半を回った構内は、さっきまでの賑わいはどこへやら。廊下も教室もやりかけの仕事を残したまま、しーんと静まりかえっている。やはりここは天下の名門校、学校行事にも全力投球だけどその後には予備校やら習い事やら次のスケジュールがぎっちり控えてるんだって。本当、明日の日本を背負う若者は大変ね。あたしにはそんな重圧がなくてほんっと良かった。
「あ、の〜っ……」
ボールの音に竹刀の音、それから柔道部の練習なのか重いものが床に打ち付けられる音。あちこちから体育会系の雰囲気がびんびんと響いてくる渡り廊下を進めば、その突き当たりが小体育館。今はポップな音楽も流れてなくて、もう練習は終わったのかな。
片目でようやく覗けるくらいの隙間が開いた引き戸。薄暗い室内には窓からの光しか入ってないけど、どうも人の気配はするみたい。ええと、入っていいのかな? ……ととと。
「……酷いっ! そんなこと言うなんて、信じられないわ!」
ぎょぎょっ! 思わず戸口から飛び退いていた。え〜、コースケ先輩がひとりで待っていてくれるとばかり思ってたのに、他に先客いるし。もしかして、これってお決まりなダブル・ブッキング? あたしって、フタマタかけられてたとか??
「コースケ! いきなりどうしちゃったのっ、おかしいわ。私、……私、そんなつもりじゃなかったのに―― 」
あ、やっぱり先輩も中にいるんだ。だけど、もうひとりの女子は一体誰? 何だかすごく先輩に対して馴れ馴れしい感じなんだけど……。
「ふう〜ん。じゃ、どういうつもりだったわけ?」
次に聞こえてきたのは、耳に覚えのある声。でも、あたしが知っているのとはかなり雰囲気が違う。だって、その響きは氷みたいに冷え冷えしているんだもの。
「それとも君が、もっとさ―― 」
がたん、がたたんっ!
次の台詞に耳を澄ませたそのとき、あたしのごくごく近くで何かの倒れる音がした。ハッとしてその方向を確かめるとすぐ側の掃除用具入れに立てかけてあったモップが投げ出されている。もちろん、大きな物音だったし、小体育館の中にもしっかり聞こえていたはず。
「―― 誰?」
そう呼びかけられたら仕方ないよね、今更逃げるわけにも行かずにがらがらと引き戸を開ける。それと同時にどこかで見覚えのある女子生徒があたしの脇を勢いよくすり抜けていった。
「や、やあ! 莉子ちゃん」
ダンス部部長の砂原先輩はあたしの姿にちょっとだけ驚いた感じだったけど、すぐに満面の笑みで迎えてくれた。
「さ、入って。君のこと、ずっと待ってたんだよ。本当に来てくれたんだね♪ 嬉しいよ」
くるりとその場でターンして、指をパチンと鳴らす。何というか……こういう歓迎の仕方ってアリ? まあ、この人のキャラだから今更どうにもならないか。
「は、はいっ! ……でも」
そう言いつつ、後ろを振り向いてしまうあたし。だって、さっきの人、……ちょっと泣いてたみたいなんだもの。気になるじゃない、やっぱり。
「ノンノン、そんな湿っぽい顔はユーに似合わないよ! ほら、スマイルスマイル、いつもの莉子ちゃんになって欲しいな」
そう言いつつ、さらにステップを踏み続ける。このままだと本当に一曲でも二曲でもワンマンショーが続きそうだわ。
「……は、はあ」
どうも調子が狂うなあ。この人と一緒にいると、あたしのテンションがどんどん落ちて来るみたい。かといって、一緒に踊り出すのもどうかと思うし。うーん、困ったな。
「ほらほら、君のための席を用意したよ。遠慮なんてしなくていいから、さあどうぞ」
ちょっとさびの出たどこにでもありそうなパイプ椅子だったけど、レースの縁取りの付いたピンク色のクッションを座面に置いてくれた。うーん、薔薇の模様がゴージャス。ちょっとベルサイユな雰囲気ね。
とはいえ、ここはあくまでも「体育館」であるから、余計なものが置かれている訳でもなくすっきりとしたイメージ。脇の扉から入れる倉庫がいくつかの運動部で共用する道具置き場になっているらしいけど、どんな感じなんだろう。この小体育館にもほとんど入ったことないから、何だか不思議な気分よ。
「あ、……はい」
勧められるままに腰掛けてしまうあたし。だけどまだ、さっきの女子のことが気になってそわそわしちゃう。何度も戸口の方を確認するから分かってるんだろうな〜、先輩はふううっと大袈裟にため息をつくとくるくるウェーブな髪をかき上げた。
「困ったな、みっともないところを見られてしまって」
しゅんと肩を落とすと、線の細さが際だつ感じ。ダンスの上手な人って、筋肉の付き方がしなやかだよね。ムキムキってのとは違って、張りのある針金みたいなものが内側に入ってるみたい。もっとも、筋肉隆々な人がダンス衣裳を着たら全然似合わないよね。人間には、向き不向きってものがあるから。
「ごめんね莉子ちゃん、驚いたでしょう。彼女はウチの部員のひとりなんだけど、何て言ったらいいのか、ちょっと思いこみが激しくてね。時々あんな風になるから、手を焼いているんだ。……まあボクの方にも全く原因がないとは言えないから、その点は申し訳なく思ってるけどね」
突然始まった打ち明け話だったけど、あたしは黙ったままでじっと耳を傾けていた。何だか不思議、仮にも年上の男の人が、ほとんど初対面に近い下級生に対して素直な気持ちを表すなんて。うーん、だけどこういうのも可愛いな。母性本能をくすぐられちゃう。
「思いこみ……ですか」
話が全然見えてこないから返事のしようもないよね。でも、くっきり二重の魅惑的な眼差しを向けられたら、何か答えないと場が持たない感じ。う、このパイプ椅子って座面が高め。深く腰掛けると足が床に付かないって、どんだけ?
「うん、そうなんだ。同級生で入部からずっと一緒にやっている仲だから、そりゃ特別な存在であることは間違いない。でも、それはあくまでもダンス部部員同士としてのポジションで……ボクとしてはそれ以上のことは考えてなかったんだけど。どうも彼女の方は違ったみたいなんだ」
部長という立場にあるコースケ先輩は、部員たちに対して常にニュートラルな関係で接しなければならない。特定の相手にだけ目をかけるとか、そう言うのは御法度。どうしてもチームワークを乱すことになっちゃうし。……うーん、難しいんだなあ。
「文化祭も間近で練習もかなりハードになっているでしょう。そうなるとどうしてもみんなピリピリしてくるんだよね。経験の少ない一年生部員はまだ上手くいかないところも多いし、個別に呼んでレッスンをしなくちゃならないこともあるんだ。そういうのが気に入らなかったみたいだね」
さっき飛び出していった女子生徒、コースケ先輩の同級生なら二年生。大王や楓さまとも同じで「先輩」になるんだな。その彼女が言うには、この頃コースケ先輩はある一年生部員ひとりにやたらと世話を焼いている、それじゃあ私の立場はどうなるの? ―― ってことらしい。
「えーっ、でも……もともとカノジョだったとか、そういう話ではないんですよね?」
まあねえ、ざっと数えて十二、三人。あれだけの女子がいたら、いざこざが起きない方が不思議かも。しかも先輩の話だと音響係? の男子部員もいるらしいけど今日も姿を見てないし、ほとんどハーレム状態でしょ?
「もちろんだよ! だって、ボクには君というナイス・ガ〜ルがいるんだから! ああ、この切ない胸の内をどう表現したらいいんだろう……」
いやいやいや、違うでしょう。あたしたちって、昨日までは面識すらない関係だったし。何か唐突なんだよなあ、どうしてこんなことになったんだろう。
「あ、あの〜。その話なんですけど……」
下手に黙っていると、ワンマンショーが再開しそうな勢いだ。どうにかして話を進めなくちゃって思うけど、あたしってそんなに頭が回る方じゃないし。後に続く言葉も見つからない。
「あ、ああ! そうだね、僕たちはハッピーにならなければ! さ、立って。一緒に踊ろう!」
……はぁ? はあああっ?
「莉子ちゃん、君にはダンスの経験はないよね? でも大丈夫、ボクが手取り足取り教えてあげるよ。文化祭のステージには無理でも、その後のクリスマスパーティーまでには最高のダンサーになれるはずだ。会場のみんなの視線は残らず、ボクたちに釘付けになるよ!」
何なんだ、この人。本当に付いていけないよっ! だけど、不思議なことに身体はすぐに反応しちゃう。もちろん、リズム感のかけらもないあたしだから、全然上手くできないけど……それでも「踊って、ハッピー」っていうのは、ちょっと分かる気もする。
「うん、いいね! とても初めてとは思えないよ、莉子ちゃん。やっぱり君はボクの運命の相手だ、間違いない。さあ、ワン・ツー、次もワン・ツー・スリーでターン!」
そんなこんなで、三十分以上は踊り続けただろうか。最後の方は息が切れて、手足もバラバラ。しかも、あたしって制服のまんまだし、大汗かいちゃったわよ。
「やあ、最高! 本当に楽しかったよ、莉子ちゃん! ボクたちの相性がぴったりなのはステップを踏めば分かる、色々あってグレーだった心がすっきりと晴れ渡った気分だ!」
先輩の額からは青春の汗が流れている。でも不思議、それが全然暑苦しくなくて、かえって爽やかな印象を受けるのね。
「そっ、……そうですか。それは良かったです……」
近頃、机に縛り付けられる生活を送ってきたから、こういう健康的な雰囲気には馴染めないわ。まあ、いいか。コースケ先輩も元通りに明るく陽気になったし。
「さ、そろそろ帰らないといけないね。駅まで送るよ?」
え〜、いいのかな。いきなりツー・ショット? どこに取り巻き軍団が潜んでいるかも知れないのに、自殺行為だよなあ……。
「はい! 喜んで」
とか思いつつも、やっぱ誘惑には勝てないあたし。久しぶりの大プッシュにときめくわ。このところ、本当に悲しいくらい男っ気なくなってたからな。
いつもは大王や楓さまにガードされつつ歩く駅前通りも、コースケ先輩と一緒だと全然違う風景に見える。日が沈んで薄暗くなった街角、だけど先輩の存在が辺りをパッと明るくしてくれるの。
「え〜、じゃあ先輩はどこかでレッスンを受けたとかじゃないんですね?」
ダンスをいつから始めたんですか? なんてありきたりの質問から入る。そしたら意外な答えが戻ってきたのね。
「うん、TVの音楽番組とかで何となく見ていただけ。もしかしたらボクにも出来るんじゃないかって、やってみたらハマってたんだ」
ふうん、やっぱ才能のある人は違うんだな。でもって、本格的にステージに上がったのは高校に入ってからだっていうのにも驚き。じゃあ、ここに至るまで一年ちょっとってこと?
「ふふ、そんなにびっくりした顔しないでよ。だったら、莉子ちゃんだって不思議な女の子だと思うよ? 他の生徒みたいにお高くとまったところがなくて、すごく親しみやすいじゃない。そう言うのって、ウチの高校では希少価値だと思うんだよね? 莉子ちゃんのお父さんは、どういう関係の方なのかな」
……まあ、そりゃそうだろう。あたしって、思い切り庶民派だし。
「えっと、ウチの父は普通の会社員で―― 」
何だかこの手の話題は苦手なのよね。今までにも何度か同じことを同級生から聞かれたけど、そのたびにすっごく困っちゃうの。
「へえ、会社を。すごいんだね〜!」
ほら、当然のように取り違えてるし。お父さんが社長とか専務とかが、当然のような学園だもんね。でもいいか、否定するのも面倒だし。
「ボクはまた、もっとお堅い職種なのかなって思ってたよ。だって、君はあの閻魔と仲がいいじゃない。アイツって警察のお偉方の家系なんだろ? いかにもって感じだよなあ……」
うわわ、仲間認定されてましたか! それって、全然違うから。むしろ逆だよ、逆!
「そ、そんなじゃないです! あたしはただ、華道部でお世話になってる楓先輩に頼まれただけで……」
もう、力一杯に否定しちゃった。だって、あたしと大王が「仲がいい」なんて、そんなの絶対違う。そりゃ、ちょっとは……そんな気もするけど。いやいや、あれは突発的事故が慢性化してるだけだよ。
「ふうん、……そうなんだ」
―― 一応は納得してくれたかな?
あたしを見つめる先輩の瞳の奥がきらりと怪しく光った気がしたけど、それには気づかない振りをした。
つづく♪ (090915)
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