私立緑皇(りょくおう)学園には三つの体育館とその他に武道館がある。
武道館についてはまあ想像が付くと思う。一階に柔道場、二階に剣道場があって、その表には弓道場も。武芸には全く縁のない素人目にもかなり立派な建物だって分かるわ、さすがに百年以上の伝統があるだけのことはある。
第二体育館、別名「中体育館」はバドミントンのコートがぎりぎり三面取れる広さ。ここでは日替わりで卓球部も練習をする。第三体育館はもう少し手狭な感じで、こちらは新体操部やダンス部とか日本舞踊部とか。それでも頑張ればバレーボールのコートをギリギリ取れるみたい(かなり厳しいけど)。
―― そして。
メインに使われている第一体育館は、全校集会とかにも利用される一番広い場所。あたしもここに一番最初に足を踏み入れたときにはびびったなー。だって、中学校の体育館のゆうに二倍は広い。一度にバレーボール四試合とか出来ちゃうの。天井だって「どうしてこんなに空間を無駄遣いするの」ってレベルだ。近隣の住宅はコレのせいで日当たりが悪くなってかなり迷惑していると思うよ。
床面積が広い分、ステージの横幅もかなりある。一番奥まったその場所まで辿り着くまでにも、もう息が切れるほど。え? それって、大袈裟すぎるって? だったら、一度試してみてよ。
「あ、あそこですっ! では、文化祭実行委員長代理っ、後はお願いします!」
え〜、やっぱりあたしに丸投げする気? そう思って振り向いたら、もういないし。きゅっきゅっとシューズのきしむ音やボールが弾む音。賑やかな放課後の部活風景が目の前に広がっている。
そして、もう一度向き直ると。
「おいっ、聞き捨てならないぞ! もう一度言ってみろ!」
―― ばしぃんっ!!!
その叫び声と辺りを引き裂くような音はほぼ同時に聞こえてきた。うう、チビのあたしじゃこんなにステージに近寄ってたら上で何が起こっているか分からないわよ。仕方ないから、袖の階段からこそっと上がってみる。そこにいたのは―― 。
「ああ、何度でも言ってやらあ。そんな暑苦しい格好して出てくるんじゃねえよ! 早くお前らの生息地に戻れって言うの!」
えと、……これって何がどうなっているんでしょうか?
全く前情報も知らされず、ただ「大変だ、大変だ」とばかりに連れてこられた身。広いステージを二分するふたつの集団のやりとりを見ても、その状況が全く掴めない。
ええと、……片っぽは完全装備した剣道部集団十人余りね、手には竹刀まで持ってる。さっき、床を叩いた音もコレ。そして、もう一方は……何だっけ、確か「文化研究同好会」とかそう言うのだった気がする。こちらも同じくらいの人数、ちなみに今はいわゆる「ちんどんやさん」の装い。色とりどりの着物姿で、頭にはカツラ。しかも歌舞伎役者みたいなお化粧までして、鳴り物系楽器を手にしている。
うん、いわゆる「古き良き時代」を思い起こさせる美しき日本の風情だわ。……でも、どうしてお互い睨み合ってるの? しかも球技部が部活しているすぐ側のステージで。
「……あっ、のーっ……」
出来ることなら関わりを持ちたくない感じよ。でも、仕方ないの。「お願いします」と言われたからには、立場上あとには引けないのね。しかもいつの間にか「文化祭実行委員長代理」とか肩書きがついてるしっ。
「「「「「「「「「「何だっ!!!!!」」」」」」」」」」
多分、ステージ上にいる全ての(仮装した)人間が聞き返したと思う。大きな垂れ幕で包まれた空間に、その声たちはぐわんぐわんとこだました。もともと発声のいい人たちだから、すごい迫力。
「そのっ、……ええと、ですね? 一体、どうしてこんなことになっているんでしょうか? 出来れば、順序立てて説明してくださると嬉しいです。その上で、打開策を考えましょう」
思いっきり、敬語だよ。だって、少なくともここにいる「現役部員」のうち半分は先輩である二年生なんだもの。やっぱ、私にはこの役は無理よ。絶対に大王の出番だと思うんだけどなあ。
「それはっ、こいつら剣道部が全部悪い! 決まってるじゃないか!」
「いや、それは違うっ! 悪いのはあとから勝手に割り込んできた、こいつらの方だ! 文化だか文明だか知らないが、正式な部活認定も受けてないくせに、生意気なことばかり言いやがってっ!」
うっわー、白塗り化粧と小手を装備した「熊の手」でいきりまかないでよっ。ものすごく、怖いじゃないの……!
情けないほどの及び腰になりつつも、どうにか話を聞き出すことに成功した。どうも、事の発端は今日ステージ使用の許可をもらっていたふたつの団体のニアミス? みたいなものだったみたい。えー、おかしいな。許可証はちゃんと出したはずだったんだけど。どこでどう間違っちゃったのかな。
だいたい、何で剣道部が体育館のステージに? ……って思ったら、何と文化祭の出し物で「寸劇」することになってるのね。剣道着姿で劇? コレじゃ、全員の格好が同じで誰が誰だか分からないじゃないの。いちいち、おなかの辺りに付いてる名前を見なくちゃいけないのって面倒だよ。
「だから、言ってやったんだよ。お前らには、専用の道場があるだろうって。なのに、全然言うこと聞かないし」
「何言ってるんだ、やっぱり練習も本番と同じ場所で臨場感たっぷりに行わなければ雰囲気が出ない。だったら、こいつらの方がどうにでもなるだろう。ちんどんやの練習なら、校舎内をねり歩けばいいじゃないか」
こんな風に言い争いを続けている方が時間の無駄だと思うんだけどなー。どうも、あたしがここに来るまでの間にも散々やりあってたらしくて、竹刀とか太鼓とか、勢い余って小手までがステージ下に投げ出されて、大変なことになってたみたい。各種運動部は秋の大会を控えているし、出来れば静かで安全な環境で練習したいと思うわよね。
「で、でしたら、こうしませんか? これから完全下校時間までをきっちり二等分して時間配分をして、じゃんけんで前半後半を決めるというのは……」
もー、どうでもいいから、早く話を終わらせよう。剣道寸劇にちんどんダンス、そのどちらもかなり見たくないものがあるけど、喧嘩して時間を潰すよりはずっといいよ。
「「「「「「「「「「それが出来れば、警察はいらない!!!」」」」」」」」」」
いや、お巡りさんに出てきていただくような状況じゃないから。こんなことでいちいち110番してたら、大変でしょっ。うー、でも困ったな。どっちかの肩を持つわけにもいかないし、どうしよう。
―― そのとき。
「あはは、本当だ。騒ぎを聞きつけてやって来たら、案の定。いやあ、これもなかなかの光景だな」
ステージ下の背後から、突然空気を読めてない声が聞こえてきた。いわゆるケーハクそうな感じ、もしや? って振り返ったら……案の定。
「君たち、この辺で止めとこうぜ? 代理のかわいこちゃんが困ってるじゃないか。ほら、ボクたちが練習を早く切り上げたから、どちらかは小体育館にどうぞ。あっちの方が風通しも良いし、ここよりもずっと快適だと思うけどな」
斜に構えてポーズを決めたりするところが素人っぽくない感じ。すらりと長身は、180cmかたいんじゃないかな? 毛先だけくるくるとカールした長めの髪に、切れ長の目。妖艶な微笑みを浮かべるその人はダンス部の部長、砂原さん。確か、下の名前はコースケとか言ったっけ。
いつも部員兼取り巻きの女の子たちを背後にいっぱい従えてるんだけど、今もそれは例外じゃない。あたしのことを「かわいこちゃん」なんて呼んだでしょ? それだけで、彼女たちの眉がぴくぴくっと大きく震えてるの。
一同、ステージ衣装っぽいのを着ていて、それが傾きかけた日差しでテラテラ光ってる。部長だけがモノクロ系で、女の子たちはピンクとイエローだ。身体にぴったり吸い付くトップスに、マイクロミニのパンツ。あ、部長だけはロングパンツね。裾に向かって広がってるの。
「「「「「「「「「「うおっ、そうか!!!!!」」」」」」」」」」
どどどどどーーーーーーっ。
ここは体育館だから、砂煙こそは立たなかったけど。もう、それくらいの勢いで対立していたふたつの集団は新たなる目的地へとひた走っていった。あっという間にステージは空っぽ、何だったの今までの騒ぎは。だいたい、本番と同じ場所でとかそう言う理由はどこにいったのよ。
何事もなかったかのように平穏が戻った場所に、残っていたのはキラキラなダンス部部長(と、その取り巻きたち)。相変わらず関節が歪みそうなポーズを決めて、どう考えても「自分の魅力を最大限に引き出すため」としか思えない微笑みを浮かべてる。うーん、何て表現したらしっくりくるかな。ようするに「作り物」っぽいの。生身の人間のはずなのに、ハートがないっていうか。
「ふふふ、良かったね。お仕事完了ってところかな? ええと、君は莉子ちゃんだっけ。良かったら、ボクたちのダンスを見ていかない? せっかくステージが空いたんだし、一曲揃えてみたいんだよね。何か気になるところがあったら、じゃんじゃんコメント欲しいな」
そう言うと、彼は手にしていたラジカセをあたしに手渡してくる。
「今日は音響係の奴が都合が悪くてね、だから君がボクの合図に合わせて再生ボタンを押してくれる? 頭出しは出来るようになってるから」
……もしかして、この人たちって最初からステージ練習がしたかっただけ?
あまりの要領の良さに唖然。満足に返事も出来ないでいるうちに、彼らはさっさとステージ上でおのおのの立ち位置を決める。
「さ、頼むよ。ワン、ツー、スタート!」
突然、あたしの手元のラジカセから大音響のポップミュージックが流れ出す。軽快なリズムの洋楽、どこかで聞き覚えがある曲ね。それに合わせて颯爽と踊り出す彼ら。それが……なんて言ったらいいのかな、そのまんま王子様と彼を引き立てるお付きの女の子たちって雰囲気。確かに見栄えはするけど、あまりにしっくりしすぎていてかえって異様な光景だ。
ブーツカットのパンツが、長い足を強調している部長。これでもかってくらい「魅力的な自分」を前面に押し出してる。周囲の女の子たちもすごく可愛いの、だけど彼女たちはあくまでも「おまけ」としてのポジションなのね。それにしても、足の付け根ギリギリのホットパンツってすごいな。見てるこっちがドキドキしちゃう。
「ヘイ! ここでみんな気持ちをひとつに! そう、いいよ! 君たちは最高だ!」
自分だって休みなくステップを続けているのに、彼は女の子たちの動きにも細かくチェックを入れてる。もしかしてこの人は後ろにも目があるんじゃないかしら、そう思っちゃうくらい。
「ターン、ターン、ターン、……そのまま一列に揃えて。等間隔にね、最後まで気を抜かずにいこう!」
あたしはこの手の情報にも疎いわけなんだけど、ジャンルとしては某人気アイドル事務所の王子系タレントが踊るみたいな感じかな? 高度なテクニックも難なくこなすし、とにかく格好良さが第一。飛び散る汗も芸術だ、ってことね。
全員がステージの中央でポーズを決めたとき、音楽も止まった。途端に体育館じゅうからわき上がる拍手。えええっ、どうしたんですか皆様。バレー部バスケ部一同自分たちの練習は何処へやら、気がついたら全員がギャラリーになっちゃってる。それも女子に限ったことじゃないわ、男子部員たちも口を半開きにして釘付け状態だ。
「やあ、ありがとう。ハニー、当日は君たちのために踊るよ。是非、今日よりもずっと完成した最高のステージを見に来て欲しいな!」
額から流れる汗を差し出されたタオルで軽く拭いながら、特上のスマイルとリップサービスも忘れない彼。前々から変わっている人だと思ってたけど、これは相当なものね。うーん、本物のアイドルとかなら納得できるけど、一般人でここまでやられると驚き。
「じゃ、この辺で退散しよう。では、シー・ユー・ネクストゥ・タ〜イム♪」
あたし、あり得ないくらいの近さでこの「現場」を見ちゃったわけ。そりゃ、普段から時代錯誤な長髪男や完璧女装な演技派と間近に接しているから、それなりに免疫はついてるの。でも、ここまで毛色が違うとさすがにね〜。
うん、少なくともあたしはそのときにも他のギャラリーとは別次元にいたのよ。呆然とはしていたけどね。なのに、もしかして素敵に勘違いされていたりする!? キラキラ部長はいちいちポーズを決めながらステージ階段を下りてくると、そのまま真っ直ぐにあたしの目の前までやって来る。ああそうかって、ラジカセを差し出したら、持ち手ごと右手をぎゅーっと握りしめられちゃった。
「やあ、莉子ちゃん。君の可愛い眼差しが、ボクのハートに火を付けたよ! 全く困ったクレージー・ガールだ」
―― は、はああああっ!?
言葉の意味もよく分からない上に、挙動不審な行動。しかも、四方八方からばしばし感じる、嫉妬に満ちた視線たち。もしかして、……もしかしなくても。あたし、すごい目立っちゃってるんじゃないだろうか。
「え、ええとっ! あたっ、あたし、早く持ち場に戻らなくちゃ!」
何、思い切り噛んでるのかしら? ……ととと、そうよっ! まずいわ、こんなところで暇人している場合じゃなかった。急いで続きをやらなくちゃ、今日のノルマが終わらないっ。きちんと片付かないと帰らしてもらえないんだから……!
まだ続きの台詞をほざきそうだった彼の手を振り解き、くるりと背中を向ける。必死にスタートダッシュをしてみたものの、体育館の入り口に辿り着く頃にはやっぱり息が切れていた。
「遅いぞ、今まで何をしていたんだ」
ぜいぜいと息をしながら「指導室」に戻ったあたしを待ちかまえていたのは、いつもよりもずーっと不機嫌そうな大王だった。楓さまはもうどこかに姿を消していて、今は影も形もない。でも、あの人はいつ何時現れるか分からないから油断は出来ないわ。ある意味、大王以上に変態だもの。要領よく一般人に紛れているその根性も気に入らない。
「何もかにも、ありませんって。ふたつの団体の小競り合いを仲介してました!」
だからー、あんたが出て行った方が絶対に話が早いって言ってるのに。何せ「泣く子も黙る」風紀委員長でしょう? その威力は絶大だよ。だけど、楓さまはそれだけは駄目って言うの。
「だって……せっかくの年に一度のお祭りなのよ? みんな楽しく盛り上がりたいじゃないの、それなのに衛が出て行って怖がらせたら可哀想でしょう」
いやいやいや、だったらあたしは可哀想じゃないんですか! 今日だって、不毛な言い争いに巻き込まれて大変だったんだから。しかもそのあとさらにキラキラ男の突撃まであったし。
「ただ仲介していただけにしては、時間が掛かりすぎるぞ。全く、もっと要領よく出来ないものか。お陰で俺の仕事がまた増えたじゃないか」
むーっ、こういうときは口先だけでも「お疲れ様、大変だったね」とか言えないものなのかしら? まあ、無理でしょうね。だって、コイツは閻魔大王。誰かに頭を下げるなんて、絶対にあり得ない。
「そんじゃ、続きをいっただきまーすっ!」
そうそう、極上スイーツを食べかけだったんだっけ。さっきまであたしが座っていたその場所には、楓さまのメモが残されてる。「溶けちゃうと大変だから、冷蔵庫に入れておきますねv」……だから、語尾にハートマークを付けるのは止めようよっ。しかも目がくらむような達筆だし。本当に訳が分からないのよね、この人も。えーと、冷蔵庫ね。冷蔵庫っと。
狭苦しい部屋の片隅に置かれた、これまた「文明の利器」。やっぱり、学園長室からのお下がりだって話だけど、こういうのを当たり前みたいに使ってるのが腹立つわよね。まあ、いいか。今回はあたしもその恩恵に授かったんだから。
「じゃあ、先に帰るぞ。最後に出るときは、きちんと鍵を閉めていけ」
扉を開けてごそごそと中を物色していたら、背後からそんな声がしてくる。え? って振り向いたら、本当に帰り支度してるのよ、大王が。
「なっ、ななな、何っ!? ずるいよっ、どうして自分だけずらかるの!」
いや、別に。あたし個人としては大王がここにいない方がずーっと楽ちんな訳だけど。でもねー、今は文化祭も直前。いきなりさっきみたいな飛び込みの生徒が来たりするし、結構面倒なのよ。そういうの、全部押しつけられるとすんごく困るんですけど!
「高宮の爺からの緊急呼び出しだ、仕方ないだろう。お前もあまり遅くならないように戻れ、途中寄り道などするんじゃないぞ」
ようやく発掘したスイーツを手に、あたしは長髪男を呆然と見送る。そのあと、ひとりでゆ〜っくり心ゆくまで堪能したわけだけど、何故かあんまり美味しく感じなかったんだ。
「……よいしょっと」
年代物の南京錠を回して、鍵を抜き取る。スペアのキーは大王と楓さまがそれぞれ持っているから、こんな風に最後にひとり取り残されてもどうにかなる。
「んじゃ、帰りますか」
独り言をいちいち口にするようになったら、ちょっとやばいかな。だって、大王も楓さまも一緒じゃない帰宅って何か久しぶり。そうなの、今回はお祖父さんの呼び出しだから、楓さまも一緒に行っちゃったのね。
あたしが信用ないのか、あのふたりはやたらと世話を焼いてくれる。ちょっと鬱陶しいほど過保護だなと思うこともあったり。お陰で「あの」事件以来、らぶらぶ彼氏ともご無沙汰よ。このまま枯れちゃうのも悲しいから、早いとこどうにかしたいんだけどね。
人気のない長い廊下、外はまだ明るい。だって、まだ五時をちょっと回ったところ。おやつの時間を終えて仕事を再開しようと思ったら、今日のあたしのノルマは全て大王の手によって片付けられていた。そうならそうと言ってくれれば、お礼ぐらいは言ってやったのに。素直じゃないんだから、全く。
……でも、つまんないなあ。早紀は茶道のお稽古で帰っちゃったし、ひとりぼっちで帰るなんて友達がいないみたいじゃない。まあ、この学園では「異端児」扱いのあたしに、親しくしてくれる人なんて本当に少ないんだけど。
「やあ、ハニー。良かった、今帰り?」
急にどこからか、声が聞こえてきた。え、ええと、これって……つい最近、聞いたばかりのような。でもっ、どこから?
そう思ってきょろきょろしたら、すぐ先の中央通路との交差地点に長い影が伸びていた。
つづく♪ (090901)
<< Back Next >>