TopNovel>嘘つきSeptember・5




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「もう、困ったわね。衛、一体どうしちゃったのかしら? 私が聞いても、何も教えてくれないのよ」
 主不在の「指導室」、その真ん中で腕組みをしているのが楓さま。
  相変わらず天使のオーラを少なく見積もっても半径一メートルの範囲まで発しているけど、そんなことはこの際関係ない。何か、この人って今回出番が多すぎないかな? というか、本当に大王はどこにとんずらしちゃったのよ。
「楓先輩に分からないことがあたしに分かるはずありませんって。おふたりは従兄弟なんでしょう? 第六感で何かを受信したり出来ないんですか?」
 まー、常人にそれを求めるのは無理だけど。この人たちだったら、もしやって気もする。今でこそインターネットに携帯電話で四六時中相手のプライバシーに介入できるご時世になった訳だけど、そんなこと全然想像付かなかった頃からご先祖は特殊能力でやりとり出来てたとかあり得るよ。
「ふふふ、莉子ちゃんたら。面白いことを言ってくれるわね」
 今日は木曜日、だから文化祭は明後日とその次の二日間。土日開催で、一日目が内部生のみで二日目が一般公開。これはだいたいどこの学校でも似たり寄ったりよね。当日に向けて実行委員の仕事もますます忙しくなるのかと思いきや、どっこいここに来て急に手透きになっているのが不思議。毎朝机の上に準備されている「ノルマ」も日に日に量が少なくなってる。
「まあいいわ、仕事が片付いたなら今日のところはここを撤収で。あとのことは生徒会が窓口になって引き受けるから。そうね、莉子ちゃんは『見回り』にでも出掛けたらどう? この頃、何処へ行っても大変な人気だって聞いてるわ」
 またまた、どこからそんな情報を仕入れているのよ。そりゃ、構内外問わず声を掛けられる率はここ数日で格段に増えたけど、別に嬉しくも何ともないわよ。髪の毛くりんくりんのチビっ子一年生が「文化祭実行委員長」なんてやってるから、みんな物珍しくて仕方ないんじゃないかな。
「え〜、いいんですかっ!?」
 何か、気前が良すぎて気持ち悪いんですけど。でもせっかくだし、お言葉に甘えてしまおうかな。目の前にいる知的美人の気が変わらないうちに。
「ええ、もちろんよ。でもね、手が空くのは今のうち。文化祭が終了したあとは、後処理で想像も出来ないくらい大変になるから覚悟しておいてね」
 いいえ、今日は耳が日曜日だから、何も聞こえません! へー、学校行事って一度順調に回り出せばあとは見守るだけなんだな。それに今日は午後から明日は丸一日準備期間に当てられているから、授業もないの。お祭り気分はいよいよ盛り上がってるって感じね。
「じゃ、お先に失礼しま〜す!」
 わ〜嬉しいな、最高だな。まだ作業している教室がほとんどだけど、うちのクラスは準備も少ないし明日の午前中にやれば十分だって。他のクラスと比べてその盛り下がりっぷりがすごいけど、まあ結果オーライってことで。
 こうなれば、向かう先はただひとつ。小体育館に決まってる。コースケ先輩、今日もあたしのことを待っててくれるかな? うん、そうに決まってる。だって、昨日の夜だって今日の朝だって「ゼッタイおいでよ!」ってメールくれたもん。
 文化祭当日のステージに向けたリハーサル風景を何度も見せてもらえるのも目の保養だし、そのあとの個人レッスンに駅までのツーショット。これが嬉しくなくてなんなのよ。普通だとここで大王や楓さまの横槍が入ってくるんだけど、今回に限ってはそれもないし。だからもう、大手を振っての出動よ。

「やあ、莉子ちゃん! ようこそ!」

その瞬間、額からきらめく青春の汗がほろり。
 コースケ先輩は、引き戸についてるガラス窓から中を覗いたあたしにすぐに気づいてくれた。音楽は流し続けたままで、わざわざ入り口まで迎えに来てくれる。こういう仕草が紳士なのよね〜、大王なんてあたしが戸口で大荷物を抱えて立ち往生していたって無視しまくるもの。
「さあ、入って入って。今、ちょうど通し稽古をしていたんだ。是非ギャラリーになって欲しいな」
 うわわわっ。特別扱いはすっごく嬉しいんだけど、「取り巻き」ガールズの視線は相変わらず痛い。まー、それも仕方ないかな。いきなりやって来た新入りにトップの座を奪われたら、誰だって面白くないって。
「はい♪ 喜んで」
 えへへ、ここまで分かりやすい反応されるとこっちも楽なのね。全然気づいてませんよって感じの態度で笑顔で会釈して見せたりして。もしかして、あたしってすごく大物?
「はい、ここに座って。……じゃ、みんないいかな? もう一度最初から合わせるよ!」
 ちゃんと特別シート(パイプ椅子)のところまでエスコート。そうそう、恋人ってこうじゃなくちゃね。そりゃ、こんな感じになって今日で三日目だけど、燃え上がる愛に時間なんて関係ないの。
 ―― はーっ、コースケ先輩カッコいいなあ……。
 バックダンサーたちは可愛かったりお姉さんぽく綺麗だったり、よくもまあこれだけ揃えたよなあと感心するくらいよりどりみどりで目の保養だし。その束になった魅力に全然負けてない先輩がまたすごい。軽やかなステップを踏みつつも、あちらにこちらにアイコンタクト。そういうやりとりも楽しいなあと思っちゃう。
  こうして間近で眺めているのもそりゃ素敵よ。でもきっと、メンバーに加わって一緒のステージに立てたらさらに最高な気分が味わえると思う。すごく楽しそうで、わくわくしてきて、夢の世界に入って行けるような。うーん、それって大袈裟かな? でもでも、本当にそう思うの。
 前情報もないまま最初に観たときにはさすがに面食らったわよ。だって、普通じゃないもの。現実の社会にはあり得ない、キラキラなステージ。恥ずかしすぎてとても直視できないくらいだった。それが今はどう? ほんの数回観ただけで、すっかり虜になってる。幸せを分けてくれて有り難うって、心から感謝したいくらいよ。人間の順応性ってすごいな。
 
「どうしたの、心ここにあらずって感じだね」
 あれ、いつの間にか練習が終了してた? その声にハッとして振り向くと、誰もいなくなった体育館の真ん中に着替えを終えた先輩が立っていた。こんなときにも足の位置まで決まってるところが玄人よね、すごいなあと感心する。
「えーっ、……あ。すみませんっ、何だか頭の中がボーッとしちゃって」
 耳元で大音響をがんがん聴かされたからかなあ、頭がクラクラして思考回路が上手く繋がらない。だけど優しいコースケ先輩は、そんなボケボケなあたしのことも笑って許してくれる。ふわりと花の香りがしたかと思ったら、彼の手には湯気を立てたカップがふたつ。その一方をこちらに差し出してくる。
「ほら、ハーブティ。これは心を落ち着かせる効果のあるブレンドでね、ボクも大好きなんだ」
 冷たい飲み物って、身体にあまり良くないんだって。運動して火照ったあとでも、一番良いのは常温の飲料だとか。あ、もちろんお砂糖とかたくさん入っているのは駄目。スポーツ飲料だったら、倍くらいに薄めたのがベター。
「素敵な薫りですね、癒し系ですか?」
 甘くて透き通っていて、中国のお茶みたい。でも色はほとんどなくて、お湯と区別が付かないって感じ。コースケ先輩はハーブに詳しくて、自分でフレッシュな葉っぱを摘んで配合しちゃうんだって。すごいよね。
「うん、遠慮しなくていいよ。おかわりもあるからどんどんどうぞ」
 そう言った先輩は自らのカップをごくごくと空けていく。そうか、飲みやすいように少しぬるめにしてあるんだな。それなら助かった、あたし猫舌なんだもの。
「……おいしいです!」
 ストレートなんだけど、後味がすごくまろやか。それでいて心が洗われるような清涼感もある。ああ、語彙が少なくて上手く言い表せないけど、とにかくとても美味しいお茶よ。
「良かった、いつもよりもカモミールを多めにしたから、莉子ちゃんの口に合わなかったらどうしようって心配だったんだ」
 わあ、そんな風に気遣ってもらえて光栄だわ。ふたりっきりの空間で、彼のいれてくれたお茶を楽しむ。これが至福の時じゃなくて何なのよ。
「……そういえば。莉子ちゃん昨日の話、調べてくれた?」
 二杯目のお茶をいただいたあと、先輩はふと気づいたみたいにそう切り出した。部屋の隅に置いてある小さなテーブルにもたれかかって、ちょっとアンニュイな感じ? その横顔に夕陽が掛かって一枚の絵のようだ。
「あ、はい! もちろんです」
 あたしの返事に、コースケ先輩はにっこりと微笑む。ふふふ、この笑顔はあたしだけの特別なんだな。ステージの上から万人に向けられるものも素敵だけど、自分だけのものだと思うと最高。
「今日はAって書いてあったから、クラス棟ですね。明日はCだから校庭と中庭です。ちなみに昨日はEでぐるっと外周だったかな?」
 一応、暗記はしてきたんだけど、念のために作ったメモを確認しながら説明する。
「へえ、規則性とかないんだね。ランダムになってるんだ」
 彼は感心したように頷くと言った。うんうん、あたしもそう思うよ。
 今、話しているのは大王の巡回ルート。あ、これって口外しちゃ駄目なシークレットだと思うから絶対ナイショだよ。自称「風紀委員長」な大王は、迷子になるくらい広い学園敷地内を毎日欠かさずに見回っている。それは学園の誰もに周知の事実だから、みんな隠れて悪いことが出来ないとか分かってるみたい。
  だけど、大王も実は生身の人間で空を飛べたり空間をワープしたりは無理だから、物理的に限界があるのね。それで毎日ルートを決めて、今日はあっち明日はこっちって順番に回ってるみたい。
「ボクはまた、思いつきでやってるんだとばかり考えてたよ」
 あたしに事実を聞かされたとき、コースケ先輩はすごく驚いてた。うん、多分他にもそうやって思っている人いると思うよ。もしかしたら、そっちがほとんどかも。
 でも違うんだな。大王は前もって一週間分のスケジュールを決めて、ダブりとか目残しとかがないように気をつけてる。あれでいて、結構うっかりさんなところもあるからね。あたしが知ってるだけで、定期入れを「指導室」に置き忘れて帰宅したことが三回もあるし。自動改札の前で、本人はあくまでも平静を装っていたけど、あれって実はだいぶ慌ててたと思う。
「じゃあ、今日明日はここの辺りはセーフってことか。それを聞いたら安心して過ごせそうだな、アイツがどっからか現れるんじゃないかと思うと、気になってレッスンにも集中できなくてさ」
 うん、この辺はすっぽりDエリアだから、今度の巡回は来週の水曜日。ちなみにBは特別棟。一日に回る巡回の区域が狭い分、くまなく隅々までチェックされるのよ。捨て忘れて溢れたままになってるゴミ箱なんて見つけた日には、その教室の担当者は始末書を書かされるんだから。
「お役に立てて光栄です、他にもあたしに出来ることがあったら何でも言ってくださいね」
 えへへ、これでまた好感度アップってところかな。でも大王も迂闊よね、秘密のスケジュールを「指導室」の誰にでも目に付くところに書いているんだから。情報を流しているあたしが悪いんじゃないわよ、大王が抜けてるだけ。
「あ、じゃあそろそろ帰ろうか。ゴメン、今日はこれから行くところがあるから個人レッスンはお休みさせてもらうよ? でもその埋め合わせは明日みっちりやるから」
 え〜、そうなんだ。ちょっと残念。でも用事があるなら仕方ないかな、先輩だって忙しいはずだもの。
「分かりました。じゃあ、明日は絶対、ですよ」
 あたしの手からカップを回収すると、先輩はお茶セットを片付ける。そのあと、パイプ椅子も元の場所に戻して。そういう雑用も全部引き受けてくれるってすごいよね。最初に出逢ったときには「家来をたくさん従えた王子様」って雰囲気で、縦のものも横にしない感じなのかなって思ったけど、実際はその逆だった。すごくこまめに世話を焼いてくれて、そのたびに「大切にされてるな〜っ」って実感する。
「うん、君が絶対に忘れられなくなるとびきり幸せな時間にしてあげる」
 こんなこと、しらふで言えちゃうのってやっぱすごい。

 朝から、ルンルン気分だった。
 何だか古すぎる言い回しだって? いいじゃない、あたしは元々「お祖母ちゃん」子なんだから古風な言葉遣いになっちゃうのは当然なの。
 とにかく放課後のことが楽しみで楽しみで、足が地に着いていないみたいな感じ。クラスで文化祭の準備をしていても、ぼんやりしてるもんだからあっちこっちにぶつかって大変なことになってる。
「いい加減にしなよ〜、莉子」
 いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか、早紀が横からどついてくる。日頃から日本舞踊で鍛えた立ち振る舞いで、動きに無駄がないぶんすごく痛いの。
「あんたさ、ダンス部の先輩たちから半端なく目を付けられているよ。ああいうお姉様方は綺麗な顔してやることは汚いから、何かあっても知らないよ。とばっちりを食うのはゴメンだし、そのときはさっさと縁切るからね」
 突き放した言い方しても、すごく心配してくれてるのはよく分かる。ホント、いつも申し訳ないな。早紀って実はいい友達だと思うんだ。でも、あたし走り出したら止まれないから、そこんとこは許してね。
「そんな〜、大丈夫だよ。表だって何かを仕掛けてくるような方々じゃないし、あたしにはコースケ先輩が付いてるもん。全然怖くないの」
 のんびり受け答えしたら呆れられちゃったけど、正直その通りなんだもの。女同士の争いって陰湿だから怖いなあとか思っていたのにね、下駄箱に蛇とか蛙とか入ってないし、歩いていても上から黒板消しやバケツの水が降ってくることもない。きっと彼女たちもコースケ先輩の前では可愛い女でいたいのよ、内心はどうれあれ。
「……ふうん、ならいいんだけどね」
 四つくっつけた机にテーブルクロスを掛けて、椅子を並べる。壁は担任の趣味で選んだ花柄の布で目隠し。やっぱ先生、未だに怪しい趣味を引きずっているんじゃないかなあ、ちょっと心配。最後に一輪挿しをテーブルの真ん中に飾って完成だ。
「ほほう、綺麗に仕上がったね。ご苦労ご苦労」
 作業が全部終わった頃を見計らって現れる担任、本当にこの人っていつもこうなんだから。
「当日のローテーションは行き渡っているね、係になっている人はよろしく頼みますよ」
 一体何を言ってるのやら、って顔をしながらも、クラスメイトたちは帰り支度を始める。みんな部活動やその他所属団体の出し物があるから、これからそっちに回ることになるのね。
「じゃあ、私も部活にいくわ。当日は必ず見に来てね、頑張るから」
 イマドキな女の子の早紀が大和撫子に変わる瞬間。彼女が日本舞踊で結構な腕前を持っているって、未だに信じられないわ。あんな重い衣裳を身につけて、良く踊れるもんだと感心しちゃう。部活ではそのほかにも出店茶屋をするんだって。白塗りの美女に迎えられるのって、ちょっといいかも。
「うん、じゃあ今度会うのは二日後かな? キャンプファイヤーで盛り上がろうね!」
 その頃には、全部上手く言ってるはず。心の中で念仏のように唱えてみる。ドキドキわくわくが止まらないのも、きっとお祭り当日が明日に迫ってるからよね。そう自分に納得させながら、手を振って早紀を見送った。

 しーんと静まりかえった特別棟。ほとんどの出し物はクラス棟と三つの体育館に格技館、そして中庭で行われるからこっちのエリアはいつもに増して人気がなくなる。中央廊下を進んで、突き当たりを右に折れて。ポケットから鍵を取り出したところで、ハッと気づいた。
「……あれ、いたんですか?」
 引き戸を開けて、中を覗く。もしかして楓さまかな? って思ったんだけど、後ろ向きの長髪は別人だった。
「何だ、クラスの方はもういいのか」
 全然人の質問に答えてませんけど。でも初めから、コイツと普通に会話出来るなんて期待してないから平気なの。
「はい、おかげさまで滞りなく。大王の方はどうなの?」
 そうなのね、いつも忘れそうになるけど、この人も普通に学園の一生徒。所属するクラスだってちゃんとある。確か喫茶店をやるって言ってなかったっけ? その名も「ハロウィン・パーラー」とか。時期早すぎだよ〜とか思ったけど、大王のクラスだったらあり得るかな。でも隣がお化け屋敷だって言うのも怖い。そっちは楓さまのクラスだよ。
「知らん、とりあえず言われた仕事は全て終えてきた」
 大王は相変わらず後ろ向きのまんまで背中で答える。何をしてるのかなと思ったら、中庭の様子を覗いているみたい。うわわ、下の人たち! そんな悠長に笑っている場合じゃないって。見られてるってば、見られてるよ! もうちょっと危機感持たなくちゃ。
「今日も行くのか?」
 机の上には何もなかった。今日の仕事はゼロってこと?
「あ、……はい」
 何を訊ねられているのかよく分からなかったけど、まあいいかと適当に返事した。いいよ、大王だって忙しいんでしょ? いちいちあたしのやることを気にすることもないって。
「そうか」
 学ランの広い背中、後ろで組まれた手は微動だにしない。直立不動の男を残して、あたしは「指導室」をあとにした。

 

つづく♪ (090923)

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