TopNovel>高宮楓の受難・1




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※念のために申し上げますが今回はラストまで年齢制限描写は出てきません

   

 どこまでも高く遠く見える青空、そこに浮かぶのはおあつらえ向きに鱗雲。
  色づき始めた木々の枝は涼やかな風にさやさやと揺れて、たとえようのないもの悲しさを運んでくる。
  そんな風景を愁いを帯びた眼差しが見つめていた。
「……辺りはもうすっかり秋なのね」
  別に声にまで出すつもりはなかったのだが、知らないうちに唇が動いていたらしい。彼女はそんな自分を恥じるように、口元にそっと手を当てた。黒目がちの瞳が、悲しげに揺れる。
  すれ違う誰もが、はっと目を留めるほどの美少女。背中を覆う黒髪は一寸の乱れもなく手入れが行き届いていて、すらりと細身の身体はやや時代遅れの制服に包まれている。教室の窓辺に手を置いて、外の様子をうかがう。その姿はまるで一枚の絵のように美しかった。
  とは言っても、実はこの人物が「彼女」ではないことは、すでに皆様ご存じの通り。ついでに「彼」の名誉のために言えば、このどうにもあり得ない女装は決して本人の意思で行われているわけではない。
  今では「第二の自分」とも思えるほど板に付いてしまっているが、そうであってもこの状況が不本意であることには変わりないのだ。
  ―― まあ、新しい季節が巡ってきたと言っても、別に楽しいことなんて何もないよな。
  今度は心の中でそううそぶきながら、静かに髪をかき上げる。
  この学舎で過ごすのも、残すところあと半年。三年生は二月からは家庭学習に入るから、実質的には三四ヶ月というところか。
  高宮楓、十七歳、高校三年生。才色兼備という言葉がこの上なく似合う、大和撫子。今となってはほとんど特別天然記念物並みに希少価値のある存在だ。父親は華道の某流派のお家元、それを補佐する立場である母親もまた茶道の師範である。そう遠くない将来、「彼女」には両親の跡を継ぐという使命が待っていた。
  放課後の教室は、いつの間にか人影もまばら。受験勉強も終盤、のんびりとくつろいでいる暇などないということなのだろう。
  ここ私立緑皇学園は百数十年の歴史を持つ伝統校、各界の著名人を数多く輩出したことでその名を知られている。そして今もなお地域随一の進学校であり、今年の受験生も皆先輩に追いつけ追い越せと必死なのだ。
  しかし、そんな同級生たちの慌てた姿を見ても、少しも心が動かない。
  失恋の痛手は三ヶ月以上が経過した今も、彼の心を重く苦しめていた。だが、この想いを誰に相談する訳にもいかない。永遠に封印すると決めた以上、自分との約束は守らねばならないのだ。しかし……何と甘美な痛みだろうか。
  漆黒の髪を揺らしながら、彼女はまた窓の外を見る。もう二度と恋などしない、そんな昔どこかで聞いたような歌のフレーズを心の中でリフレインしながら――

「やあ、高宮さん。ぼんやり窓の外なんて眺めちゃって、ずいぶん余裕だね」
  不意に、ひとりのクラスメイトが声を掛けてくる。あまりにも思いに沈んでいたためか、気がついたときにはその人影は驚くほど近くまで来ていた。
「ああそうか、高宮さんは推薦組だもんね。学内選考でもぶっちぎりだったみたいじゃない、ホント羨ましいなあ〜!」
  ずいぶんとお気楽に軽いノリだな、と思って振り返れば案の定、そこにはダンス同好会元部長が立っていた。
「そういうあなただって余裕そのものじゃないの、菅野くん」
  何故かこの男はいつも明るい。まるで自家発電を繰り返しているみたいに、輝きまくっている。上級生下級生問わず、誰にでもフレンドリー。腰は低いが芯はしっかりしていて、それだけに周囲の信頼も厚い。ただし、無駄に熱すぎるのが玉にきず。
「いや〜っ、そんなことないよ。俺は高宮さんと違って、一般受験組だし。先月の模試の結果も青ざめるのを通り越して真っ白に燃え尽きてしまうくらい芳しくなくて、いよいよケツに火が点いたって感じかなっ?」
  ―― 相変わらず、騒々しい奴。
  こうして会話を続けるのも煩わしかったが、この二年半必死に保ち続けてきた「高宮楓」のキャラを考えれば、ここは花のような微笑みで耐える他ない。
「そうなの? でも菅野くんほどのバイタリティーがあれば、きっと良い結果を手に入れられると思うわ。だから頑張ってね」
  今のはかなりの上から目線発言になってしまったとは思うが、元々が「お姉様キャラ」だからこれもアリだと思う。
「うっわ〜、嬉しいな! 高宮さんに応援してもらえると、俄然やる気になるよ!」
  そう言いつつ、いきなりステップを踏み出したりして訳がわからない。相手の言葉を額面通りに受け取ってしまえる素直さは羨ましい限りだが、この吹けば飛びそうな軽さだけはどうにかして欲しいと思う。
  思えば今を遡ること一年と少し前、すべてを奪われどん底の場所にいた彼を救ったのは自分たち「指導室」のメンバーであった。三者三様、華麗なる連係プレイ。彗星のごとく現れてダンス同好会を乗っ取ったチンピラは、正義の味方の手によって呆気なく「御用」となってしまった。
  あの砂原とか言うケーハク男、今頃どこで何をしているのだろう。表向きは「ダンス留学」とか何とか理由をつけて渡米したことになっているが、実際はどこまで飛んでいったのやら。
  ―― あの頃は、本当に楽しかったよな。
  そしてまた、楓はひとり思い出に浸ってしまうのであった。
  だいたい、こんな中途半端な時期に急に暇になってしまったのが良くない。別に指定校の推薦なんて狙ってなかったのに、担任から「どうしても」と泣き付かれて泣く泣く了承するしかなかった。どこも「大人の事情」は大変なのだ。
  まあ推薦ならば願書の書き換えなども秘密裏に行えるので幸いといえば幸い。新年度が来たら、晴れて「男」として再生するつもりなのだから、いろいろと準備が大変である。ここは元々の原因を作った張本人が動いてくれると信じたいが、何ごとも念には念を入れ、の姿勢が大切だ。
  もちろん、いくら学内選考が通ったからと言って百パーセントOKと言うわけではない。まだまだ気が抜けないのは他のクラスメイトと同様である。
「ねえ、高宮さん。今日はこれからまっすぐ帰るんだよね。良かったら途中まで一緒に行かない?」
  ―― 何だ、まだいたのか。
  今度こそ「心の声」が飛び出してきそうになって、少し慌ててしまった。
  何が悲しくて野郎とふたりでツーショットなんてしなくちゃならないんだろう。これが憧れのあの子だったらふたつ返事でOKするのに。
  しかしながら、断る理由も見あたらない。普段なら「用事がある」とか適当なことを言って作法室に逃げ込むことも出来たが今日は無理。これから真っ直ぐ自宅に戻り、夜の部の稽古の準備を手伝うことになっていた。
「ええ、もちろん喜んで。お互い、たまには息抜きも必要よね」
  憧れの才媛を演じ続けるのはなかなか大変である。しかしこれも人生の修行のひとつだと、楓は必死に自分に言い聞かせていた。

 昇降口を出て外階段を下りる頃には、もう西の空が赤く染まり始めていた。
「そーいえば、不思議に思ってたんだけど。この頃、高宮さんって閻魔と一緒にいないよね? 登下校も別みたいだし、いったいどうしちゃったの?」
  ―― こらこらこら、また普通の神経をしてたら遠慮して訊ねてこないようなことをあっさりと言ってのける無礼者が。
「ふたりが別れたって、ホントにホント? 結構、噂になってるよ」
  芸能レポーターよろしく、次から次へと質問が飛んでくる。もしやこの男、最初からこの情報を聞き出すのが目的だったんじゃないだろうか。それは十分にあり得ると、楓は思った。
「まあ……そうなの、知らなかったわ」
  あくまでも落ち着いて、世間離れした感じに。何年も掛けて創り上げた「高宮楓」の偶像を、脳裏に思い浮かべてみる。それは、思いがけない事態に陥ったときに、楓がいつも用いる方法だった。
「でも困ったわ、私たちは最初からそんな関係じゃなかったのに。どうして、そのような話が広まってしまうのかしら」
  ここはあくまでも被害者を装って悲しげに。少しうつむき加減になったりすると、さらに効果的だ。
「えー、またまたそんなこと言って! 君たちのアツアツぶりは誰の目から見ても明らかだったのに」
  ―― それはどこの節穴が見た証言だ、しかもとんでもない死語が含まれているぞ。
  私立緑皇学園で「閻魔大王」と恐れられている男。時代錯誤な学ランに身を包み、男のくせに何故かさらさらキューティクルな長髪。どこから見ても絶対に普通じゃない彼と楓は、従兄弟同士。学園を再生するために送り込まれたふたりは、クラスが違っても一緒に行動することが多かった。
  いつの間にか恋人同士だの何だのと噂になってしまったが、楓にとっては格好の隠れ蓑になるとむしろその勘違いを歓迎していたのである。まあ、あれきしのことであっさり騙される学園の奴らはたいしたことがないなとも思っていたが。
「そ、そんな……。でもいいわ、それは菅野くんのご想像にお任せしましょう」
  駅へ向かう学生通りを歩いていても、常にすれ違うたくさんの視線を浴び続けている。それがわかっているから、微笑を崩すことはできなかった。
「ふうん、そうかー。じゃあ、やっぱり苑田さんに寝取られたとか?」
  ―― はぁっ……!?
「なっ、……ななな、何を言い出すのかしら、いきなり」
  思わず大袈裟なリアクションを取ってしまい、立て直しに難儀した。
「だって、あのふたり、この頃とみに仲がいいじゃん。閻魔にロリの傾向があったとは意外だけど、まあ苑田さんが相手じゃ仕方ないか」
  かっかっかっ……とか、どこかの副将軍様のように笑う横顔を楓は呆然と眺めていた。
「だけど、あの閻魔がねえ。俺だったら、どう考えても高宮さんを選ぶんだけどな」
  その言葉を聞いて、楓はハッと我に返った。
「え、菅野くんも莉子ちゃん狙いなのではなかったの?」
  実はそうとばかり思っていた。だから、長いことバリバリにライバル視してきたのだ。
  苑田莉子、つまり楓の失恋した相手。目の中に入れても痛くないほど可愛い彼女に手を出そうとする輩は老若男女問わず楓の大敵だった。
「まさか〜、そんなはずないじゃん」
  しかし、菅野はカラカラと笑うばかり。
「そりゃ、苑田さんは可愛いけどさ。どう考えたって、恋愛対象にはならないよ」
  ―― はぁ、そうだったのか。少し、ホッとした。
  フレンドリーなクラスメイトである彼を勝手に敵視していた自分が情けない。お陰で、数ヶ月前の事件のときには生徒会長との癒着も疑い、ものすごく怪しい存在として認識してしまった。
  結局は彼は全くのシロであることがわかったのだが、本当に申し訳ないことをしてしまったと思っている。
  だがしかし。お調子者はどこまでもお調子者だったようだ。
  軽やかな会話で場を和ませていたはずの男は、いきなりとんでもないことを言い出したのだ。
「でも嬉しいな、俺が誰を好きかを気に掛けてくれてたなんて。それって、ちょっとは脈があると思っていい? 俺、実は入学してからずっと、高宮さんにぞっこんだったんだ」
  高宮楓、十七歳。その瞬間、生まれて初めて男から愛の告白を受けてしまった。

 

つづく♪ (101020)

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