TopNovel>高宮楓の受難・3




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「えーっ、それであっさり引き受けちゃったの!?」
  週明け、いつもの指導室。のんびりした空気が流れるその中で、ひとり頭を抱える黒髪の美少女。そして向かい合った席に座るもう一方は、明るい茶色の巻き毛の少女だ。こちらも違った意味で「美」少女の部類にはいるのかも知れない。
  ちなみに今部屋にはふたりきりだ。
「まあ……何というか不可抗力って感じでね」
  ばっちり完璧女装で男言葉を使われると、かなり違和感がある。最初の頃はひどく戸惑っていた莉子であったが、これも目の前にいる「彼」が自分に気を許してくれている証拠だろうと前向きに捉えるように努力していた。
  何しろこうしていれば見た目は女性としか思えないのだから、いくら上半身裸やウイッグを外した短髪姿を何度も見ていてもついつい騙されそうになる。
  この学園で楓の正体を知っているのは高宮爺の竹馬の友だという学園長の他は三名のみ。そのうちのふたりは「彼」と同じ高宮一族の衛と葵であり、そして残るもうひとりがここにいる莉子である。
  その他にもこの「指導室」に自由に出入りできる権利を与えられている一年生が二人いるが、彼らにはまだ事実を話していない。いまさら話したところで混乱を招くだけであるし、そのときの騒動を考えただけで胃が痛くなる。よって、とりあえず卒業式までは保留にしようと楓は心に決めていた。
「ふーん、だっからなのかなあ。今朝、渡り廊下ですれ違った菅野先輩、どこかがぷちっと行っちゃったみたいに弾けてたよ。先週末には模試の結果が振るわなかったって落ち込んでたのに、どうしたのかなと思ってた」
  必死にそのときの様子を思い出そうと小首を傾げるたびにくるくるの髪先が踊り、瞬きをするごとに長いまつげが揺れる。バタ臭い顔立ちもきゅっと引き締まった口元も、いつもどおりに愛らしい。なのに今日はどうしてこの姿を目にしても心が癒されないのだろう。
  楓はまたぼんやりと窓の外を見た。憎たらしいほど晴れ渡った空がどこまでもどこまでも続いている。
  まあ、莉子が見たという菅野の姿は容易に想像することができた。何しろ楓は朝から三時間以上、陽気な彼を教室で視界に入れていたのだから。あれは端から見てもかなり恥ずかしかった。
「でも、大丈夫なの? 正体がばれないようにってことで、今まで学園の生徒ともあまり深く関わらないようにしてたんでしょ」
「そりゃ、そうなんだけどさ」
  昨日の日曜日は父親が自宅で主催した園遊会の手伝いで忙しく過ごしていたため、余計なことを考えている暇はなかった。しかしその煩雑さから解放された途端に、また不安が押し寄せてくる。
  教室にいるうちは必死で平静をとりつくろっていたが、どうしても胸の中のモヤモヤを吐きだしてしまいたくなった。となると、向かうのはこの場所しかない。
「ま、楓の女装は完璧だもん。ちょっとやそっとじゃ見破られないと思うけどー」
  聞き役となってくれている相手には気の利いたアドバイスなど望んでいないが、それでもちょっとずれたコメントを挟みながら話を聞いてくれるから嬉しかった。
  ちなみに、彼らの目の前にはかなり色が濃く出た緑茶がある。苦いだけの緑色の液体ではあったが、楓はそれを美味しそうに飲み干した。
「あ、空になったらお代わりをどうぞ。嬉しいなあ、あたしのいれたお茶を美味しいって飲んでくれるのって楓だけだもん」
  そしてまた、舌がしびれるだけの液体で湯飲みが満たされる。
  彼女のいれるお茶をご馳走になったその夜は決まってひどい胃痛に苦しむ羽目になるのだが、今日はとても自分でやる気力がなかったのだから仕方ない。同じ量を飲んでいるはずの当人は毎晩ぐっすりと熟睡できるそうだから、胃袋がかなり頑丈にできているのだろう。
「でも、びっくりだよ。菅野先輩に妹さんがいたなんて全然知らなかった。それで、可愛いの? なーんか全然想像ができないんだけど!」
  ―― と。
  そこに、バタバタとけたたましい上履きの音が響いてきた。微妙にリズムが違う音が重なり合っているから、その足音の主は複数だと推測できる。どうやらくつろぎの時間は終了らしい、楓は一呼吸前とは別人のようにぴしっと姿勢を正した。
「こんにちはーっ!」
「しっつれいしまーす!」
  予想通り、引き戸を開けたのは元気が取り柄の一年生ズだった。
「うわっ、やっぱり楓先輩がいる!」
「今日は超ラッキーじゃん!」
  どうでもいいのだが、このふたりはいちいち声を揃えて叫ぶのでうるさくて仕方ない。一部の女子からはアヤシイ目で見られるほど仲が良くて、校内のどこへ行くのも一緒。クラスは別々だが、休み時間は必ずどちらかの教室でつるんでいるらしい。
「そうそう! 聞きましたよ、楓先輩。静音さまの妹さんのカテキョーすることになったんですって!? いいな〜っ、もうご本人にお目に掛かりましたか?」
  そして、まずはここから話を始めなくてはと言わんばかりに、ウキウキとインタビューを開始するのが一年曙組の春日部修也。アイドルタレント並みの恵まれた容姿を持ちながら、残念なことに男にしか興味のない困った奴である。
「えーっ、春日部くんって菅野先輩の妹さんのことを知ってるの?」
  莉子の質問に、彼はとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ええっ、もちろんです! 何たって、僕は静音さまと同じ中学を卒業してますから! 一学年年下の妹さんのことはとてもよく存じ上げております!」
  どうでもいいのだが、いちいちびっくりマークを語尾につけるのはやめてほしい。この指導室という場所は元何かの倉庫のように使われていたらしく、広さも普通教室の半分ほどしかないのだ。あまり大声で叫ばれると、壁から壁へと反響してすごくうるさい。
「お名前は菅野琴音さま、人目を避けた秘境にひっそりと咲く一輪の白百合のように小柄で可憐な美少女です。まだ純白で何ものにも穢されてないような……ああ、なんと言ったら良いのでしょう……」
「駄目ですよ、楓先輩の前でその発言は失礼すぎます!」
  うっとりと遠い目になる春日部に異を唱えたのは、もうひとりの一年生、福組の大行司東である。
  こちらは銀縁眼鏡をキラキラさせてよく言えばインテリ、悪く言えばオタクっぽい外見。顔を真っ赤にして叫んでいる彼は、自他ともに認めるコテコテの「楓さまファン」なのだ。
  しかし、そのようなクレームに臆するような春日部ではない。毎度のことながら漫才コンビのように繰り広げられるふたりのやりとりを聞いていた莉子は、絶対に春日部の方がオタク度が高いと改めて確信していた。
「性格もとても穏やかで、教員生徒ともに評判は上々。人目を惹く『華』という部分ではお兄様の静音さまと比べると多少欠ける部分があるかも知れませんが、そこがまた奥ゆかしくていいです!」
  正直、楓も春日部の意見にはあらかた同意できた。実際に目の前にしてみればすぐに確信できる、彼女はとても素晴らしい。あの兄の妹とはおよそ思えないほど人間ができている。
  賑やかに続いていく後輩たちの語らいを片耳に感じつつ、彼は二日前の菅野琴音とのやりとりのことをぼんやりと思い出していた。

 どうでもいいけど、男に手を握られてもまったく嬉しくないのだが。
  そうコメントしようとしたときにはすでに、菅野(兄)は「時間が!」と叫んで改札口に走っていってしまっていた。そして、その場に取り残されたのは……
「あっ、あの! すみません、兄が突然勝手なことを申し上げて……」
  耳まで真っ赤になって俯いていたのが、哀れひとり取り残されてしまった菅野静音の妹。確か「琴音」と呼ばれていたような気がする。その名前にぴったり似合う外見だ。
  ―― そうか、色が白いからこんなに綺麗に真っ赤になるんだ。
  楓自身も色白な方だが、透けるように白い肌というのが本当に存在するのだということに改めて気づかされる。その肌色が、美しい黒髪を可憐に輝かせていた。
「いいえ、いいのよ。あなたが謝ることではないわ」
  その姿にぼんやり見とれていたことは絶対に悟られてはならない。あくまでも才色兼備な私立緑皇学園・元生徒会副会長の自分を取り繕いつつ、楓は答えた。この手のお芝居は朝飯前であるから、一度かたちづくればあとは楽にこなすことができる。
「は、はあ……ありがとうございます」
  こんな風にうっとりと感慨深く見つめられることにも慣れっこになっていた。しかし、今日は何故か多少のむず痒さを感じてしまう。
「菅野くんはとても明るくていい方ね、私もクラスメイトとして彼のことを好ましく思っているわ」
「は、はあ……」
  この先、どうやって話を持っていこうか。楓自身もかなり迷っていた。
  はっきり言って、クラスメイトの身内の家庭教師などもってのほか。このあり得ない生活もようやくあと半年足らずになったのに、ここで躓くわけにはいかない。
  まあ、目の前の彼女もあまり乗り気でない様子。ここは穏便に話をすませることにしよう。交渉術については生徒会で培ったノウハウがある。
「あ、あのっ……」
  楓が頭の中でカチカチと計算を続けていると、相変わらず顔じゅうが真っ赤になった少女がおずおずと口を開く。
「何かしら?」
  余裕の微笑みで即切り返すと、予想通り彼女はしばらくボーッとしたまま動けなくなってしまった。しかし、しばらくしてハッと我に返ったらしく、慌てて姿勢を立て直す。
「た、高宮さんは本当にお綺麗な方なんですね! 兄からいつも話を聞いていましたが、ご本人を目の前にして想像していた十倍は素敵なので驚きました。ここまで素晴らしい方ですもの、兄が惚れ込むのも無理ないと思います」
  何に驚いたって、そのまっすぐに向けられた澄み渡った瞳。まるで往年の少女漫画のごとく、そこには無数の星がキラキラと輝いていた。
「ええと……高宮さん?」
  しばらく経ってからそう声を掛けられるまで、空白の時間が続いていた。その間に自分がどうしていたのかがわからない。とにかく目の前の少女の可憐さに心をがっつり鷲づかみにされていた。
  ―― このまま、終わるわけにはいかない……!
  そこから先は何を話したのかも覚えていない。気がついたときには自宅の自分の部屋に戻っていたのだ。

「へええっ、そうなんだー。そんないい子なら早く会いたいな。そうだ、本人さえ良ければココの仲間になってもらおうよ! あたし、可愛い妹分がずっと欲しかったんだー」
  ―― いやいや、莉子ちゃん。少なくとも彼女の方が、君よりも五センチは身長が高いよ。それに性格もとても穏やかで落ち着いている。
  どうやら普段どおりの「高宮楓」は保たれている様子、一年生ズの変わらない尊敬の眼差しに見守られながら、楓は莉子の言葉に心の中だけで静かに突っ込んでいた。


 

つづく♪ (101027)

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