TopNovel>高宮楓の受難・8




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「へええ〜っ、いきなり男姿で乗り込んだの!? すっごい、楓って勇気あるんだね!」
  その後の報告を聞いていないと、あまりにもしつこく聞かれたので仕方なく顔出しをしたらこの始末。
  昼下がりの喫茶店、山盛りのパフェを前にいつもの脳天気娘がスプーンを手にしたまま呆気にとられている。そしてその隣には、晴れて受験地獄から脱出した長髪男がいた。
  そうなのだ、「風紀委員」の肩書きがあろうとなかろうと、この男は変わらない。さすがにこのたびの高校卒業で学ランは卒業するらしいが、全身真っ黒な服装でまとめているのは相変わらずなので、あまり変わりばえがないように思われる。
「それっ、かなりびっくりしてたでしょう。ええと、……琴音ちゃんだっけ? 彼女、すっごく可哀想〜!」
  せわしなく口を動かしながら、シングルサイズのアイスに換算してすでに何個分がその胃の中に収まっていったのだろう。いつもながらに驚異的な食欲である。
「ま、まあ……確かに驚かれたとは思うよ」
  楓の手のひらの感触を確かめたその瞬間に、琴音は目の前にいる男が姿を変えた「高宮さん」だと悟ったらしい。しばらくは無言、そのあと握りしめた手はそのままにそろーっと視線を上げた。
  そして愛らしい口元を震わせながら、やっとのことで彼女は訊ねてきた。「どうしてそのような姿をしているのですか?」……と。
  そして、その後の展開はご想像どおり。彼女にはあり得ないような叫び声が狭い通りに響き渡ったかと思うと、力いっぱい手を振り解かれた。その間、ゼロコンマ何秒の世界。あっという間に、ふたりの周りには黒山の人だかりができていた。
「だよねえ、あたしだって楓が男だって知ったときには仰天したもの。普通の神経している人だったら、泡吹いて気絶しても仕方ないと思うよ。まあ、楓の場合は自分の意思とは関係なく女装させられてたわけだし? それを悪く言ったら、ちょっと可哀想かもだけどね」
  そうなのだ、これは必ず通らなければならなかった試練。多少恥ずかしい想いをしたとしても、気が動転した彼女を慰めようとして本気のひっかき傷を頬に付けられたとしても、それは皆「名誉の勲章」と言えるものだ。
  思えば、長い長いトンネルの中を進んでいた三年間だったと思う。途中からは女の振りをすることが楽しくなってきて、結構はまっていた気もする。だから本当に辛かったのは最後の数ヶ月だけ。ようやくそこからも解放されて、今は清々しさでいっぱいだ。
「―― おい、そろそろ時間だぞ」
  そこまで無言でパフェを食べ続けていた長髪男がおもむろに口を開く。
  本当に不思議な奴だと思う。こんな風に面白くなさそうにしているなら一緒にくっついてくることもないのに、何故か未だに莉子が他の男とツーショットになるのが許せないらしい。この分では、大学生になってからも、何かと理由を付けて緑皇学園に出没し続けそうな気配である。
「あ、そうだった」
  大人が四人がかりでも厳しいと言われているビックパフェをほとんどひとりで片付け、莉子は満面の笑みで「ごちそうさま」をした。
「ごめ〜んっ、楓。これから、大王とあたし、高宮爺に呼び出しなんだ。もうっ、嫌になっちゃう。あのお爺ちゃん、近頃はあたしの携帯に直接連絡してくるんだよ。面倒だから電話を取るのをやめたら、今度はメールなの。何なんだろうね、わけわかんない」
「ああ、うん。こっちも予定あるし。まあ、そのうちにね」
  連れだって店を出て行くふたりが、当たり前のように腕を組んでいるのがおかしかった。誰もがその組み合わせにぎょっとするようなカップルなのに、本人たちはそれを全然気にしていない様子。まったくもって、おめでたい限りだ。
「……ま、おめでたい奴はここにもうひとりいるか」
  楓はテーブルの上に忘れられていた伝票を手にすると席を立つ。何気なく髪に手をやると、その違和感にしばし戸惑ってしまった。

「あ、楓さん! ここです、こっちです……!」
  人波をかき分けつつ待ち合わせ場所にたどり着くと、すでに琴音が待っていた。今日はレースのたくさん付いたワンピースを着ている。いつも通りにたらしたままの髪にはカチューシャが飾られていた。
「ごめん、待たせたかな?」
  すまなそうにそう告げる楓を、彼女は眩しそうに見上げた。その瞳が、笑っている。
「……どうしたの?」
  不思議に思って訊ねると、琴音は少し視線を逸らして答えた。
「いいえ、……何だかまだ、ちょっと信じられないから」
  まあ、それは仕方ないことだと思う。周囲の誰もが楓を本当に女だと信じていたのだ。学園の関係者はすべて、そして琴音の兄までも。その割にはあっさりと納得してくれた方だと思う。もっと関係がこじれることも覚悟していたのに、琴音は突然の楓の告白を疑いもなくすべて受け入れてくれた。
「そう、それは困ったな」
  実はそれほどのこともないのだが、とりあえずコメントしてみる。まあ、琴音が今でもたまにいぶかしげな目で自分を見ていることは知っていた。多分、実際に服を脱いで証明するまで疑惑は晴れないのではないかと思う。
「あ、でもっ……楓さんが男の人だってわかって、私、とても安心しました。だって、自分でもどうしちゃったのかって思ってましたから……」
  琴音は琴音なりに、女性相手に本気で恋心を抱いてしまう自分に焦っていたらしい。そんなはずはない、絶対に間違っていると何度も何度も思い直そうとしたのにそれができず、どうすることもできなかったとか。
  その話を聞いたときには、心の底から申し訳ないと思った。だが、その気持ちと同じくらいの強さで感激していた。
「でも、兄はちょっと可哀想だったかなと思ってます。それに今でもまだ疑っているみたいですよ」
  そう言いつつも笑いを噛み殺している横顔が愛らしくてならない。くるくる変わる表情に瞬間ごとに胸をときめかせてしまう楓がいる。ポーカーフェイスはお手の物だが、よもやどこからかはみ出していないだろうか。それが不安でならない。
  今はまだ春休み中だから、頻繁に会うことも可能だが、新年度が始まればそうも行かないだろう。お互いが進学となるのだから、慣れるまではかなり忙しくなると思われる。そのときに自分は耐えられるだろうか、先ほどは衛のことを笑っていたがこれでは奴と「同じ穴の狢」になってしまう。
  ―― ここは、莉子ちゃんにしっかりとガードしていてもらうしかないだろうな。
「まあ、君のお兄さんには長いことだまし続けて申し訳なかったと思っているよ」
  事実を知った菅野兄はこの世の終わりかと思うほどに荒れ狂っていた。あまりにもその騒ぎがすごいために、仕方なく琴音の見えないところで男であることを証明してみたのだが、それでもまだ納得がいっていないらしい。まったく、仕方のない男だ。
「じゃあ、そろそろ行こうか。今日は買い物があると言っていたでしょう」
  ああ、嬉しい。これは正真正銘のデートというものではないか。傍らのショーウインドに映るのはこの上なく可愛らしい少女とその傍らに寄り添うかなりのイケメン。これぞ絵に描いたようなカップルだ。
  そうだ、その身を削りただひたすらに堪え忍んでいるのは何も受験生ばかりではない。告げられない想いに胸をかきむしられた日々、あの辛さを思えば今は天国だ。
「ええ、家でもお花の練習をしてみたくて。一通りのものを揃えたいと思うんです。水盤と鋏と……それから何が必要でしょうか」
  どうしてそのようにいちいち指を折ったりして、その仕草までに魅せられる。ぼんやりと見とれていると、次の言葉を発することもうっかり忘れてしまいそうだ。
「この先に馴染みの店があるから、そこへ行っていろいろ見て選ぶといいよ。でも本当は何も特別なものはいらないんだ、花は心で活けるものだからね」
  自分の言葉に素直に頷いてくれる。何ていい子なんだろう。しかし、彼女が次に発した言葉は楓を少なからず動揺させていた。
「ふふ、楓さんって本当に『お師匠様』って雰囲気ですよね。両親も楓さんなら安心だと太鼓判を押してくれてます」
「え?」
「本当は男の人とお付き合いなんて、高校を卒業するまでは絶対に駄目って言われていたんです。でも楓さんなら、悪いことはしないから大丈夫って。そうですよね、楓さんに限ってそんなことあるわけないもの」 そして琴音はその清らかな微笑みを真っ直ぐに楓に向けた。
「兄も言ってました、手を繋ぐまでだったらオーケーだって。それ以上は絶対に許さないって言うのですよ……驚いちゃいますね、あれでいてシスコンの気があったみたいです」
  ―― なっ、何を言ってるんだ。そんなで済まされる話があっていいものか……!?
「どこからでも見張っているから気をつけろなんて、おかしな話ですよね。そんなことしなくたって、絶対に平気なのに」
  急に刺すような視線を感じて振り向いたが、そこに見知った影はなかった。でもわからない、あの男はのほほんとして見えるが実際はそれだけじゃない。でも、だからといって……
「そ、そうだね。……本当に何を心配しているんだろう」
  適当に言葉を返しながらも、一抹の不安が心を過ぎっていく。もしや、かわいさ余って憎さ百倍ってことか? 何が何でもこの恋路を邪魔するつもりなのだろうか。
  だいたい、そんな時代錯誤な話を素直に受け入れてしまえる彼女もどうかしている。もう少し抵抗しても良さそうなものなのに、なんでこんなにあっさり納得しているんだ。
「ええ、早く行きましょう。そして時間が余ったら、是非うちに来てください。お店に飾るお花を私が活けることになってるんです。でも自信がないから楓さんの力を借りたくて……個人レッスンなんて、おこがましいですか?」
  いきなり自宅にご招待、しかも家族の出払った部屋でふたりっきりって……。
  楓は彼女に気づかれないようにその背中にちらりと視線を送った。そこから溢れ出す純白のオーラ、粉粒ほども疑われていないことは明白で、それが嬉しいやら悲しいやら。
  ―― もしや、本当の試練はこれから始まるのか……!?
「楓さん? ……どうしました?」
  急に振り向かれて、ハッと我に返る。そして当然のように差し出された手に自分の手を重ねようとして、手のひらに気色悪い汗をかいていることに気づき、楓はその場所を慌ててシャツで拭った。

 

おしまい♪ (101119)
ちょこっと、あとがき(別窓) >>

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