TopNovel>高宮楓の受難・2




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 頭痛が痛い。
  そんな間違った日本語は使っては駄目だとわかっているが、それも仕方ない。
  何故自分が、あんなお気楽な男子に告白されなくてはならないのだ。
  ズキズキ痛む頭を抱えつつ、翌日土曜日に楓がやってきたのは大学受験のために通っている予備校。進学先がほぼ内定した今、もうここに来ることもないのだが、月額の授業料を払ってしまったため、とりあえず月末までは講義を受けることにした。
  ちなみにこの予備校には同じ学園の生徒も多く在籍しているという理由から、今日も普通に制服姿である。プライベートでまで女装をしようとは思わないため、実は私服の持ち合わせがない。それに、そこまで手を出してしまったらいよいよ最後だという危機感もあった。
  中学までは、当たり前に男子生徒として過ごしていた。名前をそのままに性別だけ変わったら絶対にどこからかバレそうなものだが、そんな心配もなく二年半が過ぎている。楓自身もそのことをとても不思議に思っていたが、どうも私立高校ならではの閉鎖的な空間が特殊な身の上を守ってくれたらしい。
  私立緑皇学園に入学してくるのは、そのほとんどが同窓生の子女。家柄に守られ、また支配され、自分の人生の先の先までが決められた面子ばかりだった。彼等は例外なくプライドが高く、他人のことよりも自分のことに興味がある。しかも将来の準備に忙しい。
  楓自身も週の半分は自宅の華道教室を手伝っていた。稽古に用いる花の手配から、お弟子さんたちの世話まで任されている仕事は山のようにある。
  またこの学園は、入学金や授業料に加え各種寄付金を合計するとかなりの額になるため、一般庶民にはどうあがいても手の届かない聖地でもあった。その理由から、以前からの知り合いが従兄弟の衛を除いてはひとりも存在しないというあり得ない幸運も重なっていく。
  言うなれば「胡散臭い」人間は他にもたくさんいたのだ。皆が腹に一物を抱えていて、それでも涼しい顔で生きている。タヌキとキツネの化かし合い、どうせならそれを楽しんでしまった方がいい。
  そんな風に考えたときから、一気に肩の力が抜け楽になっていた。今では女装生活も板に付き、この日常があと半年でなくなってしまうと思うと、少し寂しく考えてしまう瞬間すらある。
(ちなみに莉子は特別枠での入学なので、入学金授業料その他のかなりの額を免除されていることを補足しておく。さらに衛の「学ランコスプレ」は小学生の頃からのことなので、本人は至って普通のつもりらしい)
  それに、この生活を続けてきてわかった。女でいることで得をすることも結構あるのだ。……いやいや、そうは言ってもこれ以上やっていくと後戻りできなくなりそうだから自粛しなければならない。

「―― やあ、高宮さん……!」
  講義室を出たところで、後ろから聞き慣れた声がした。振り向くとそこにいたのは案の定――
「あ、あらっ、菅野くんじゃない。偶然ね、もしかしてあなたもここの予備校だったの?」
「うん、今月からね。口コミでここの担当教官の講義がわかりやすいって聞いたから、藁にもすがる思いで乗り換えたんだ」
  さすがに今まで気づかなかったのはおかしいと思ったが、そんなからくりがあったのなら仕方ない。この男は地味に見えて、実はかなり人目を引くタイプなのだ。
「まあ、それは大変ね」
  ―― 俺、実は入学してからずっと、高宮さんにぞっこんだったんだ。
  確かにこの男は昨日、こう言ったはず。それなのに、まったく態度も変えずに平然と声をかけてくるあたり、かなりの強者である。さすがに大勢の目がある今は、ダンスステップを自重しているが、その足下がうずうずしているのは明らかであった。
  対する楓の方はといえば、すべての元凶が目の前に現れたことで断続的に続いていた頭痛が一段と激しくなっている。
「でも嬉しいな〜高宮さんもここに通ってたなんて」
「あら、私は今月末で辞めることが決まっているのだけど」
  間髪入れずに切り返していた。ここであまり気安く相手をして期待させても悪いと思う。申し訳ないが、こっちとしては完全無欠に対象外なのだ。
「え〜っ、そうなんだ。それは残念」
  口ではそう答えつつも、ニヤニヤ笑いはそのまま。ようするに、今この場所で楓に会えたことが嬉しくてたまらないのだろう。感情がストレートに表に出る。こういうところは、忘れきれないかの人に少し似ている気もした。
「帰りは電車でしょう? 駅まで一緒に行こうよ」
  当然そう提案されたが、今日は躊躇なく頷くことができた。何故なら、この予備校は駅の真ん前。入り口を出てすぐのスクランブル交差点を渡れば、すぐに駅のロータリーに着いてしまう。その後は路線が違うから、同じ電車に揺られる心配もない。
「それにしてもラッキーだな〜、学校が休みの日に高宮さんに会えるなんて。時間があればお茶でもしたいとこだけど、今日はこれから道場で稽古があってさ。う〜ん、これぞ残念無念って奴だな」
  わかりやすく肩を落とす男の隣で、楓はホッと胸をなで下ろしていた。
  そう言えば、この男はダンスだけで生きているわけではない。ダンス同好会を追われた去年の春先から、彼は剣道部に所属していた。実は中学までは剣の道ひとすじに生きてきたらしく、そのときすでに二段まで持っていたのである。
  楓にしてみれば、その辺りも謎だ。まあ強引につじつまを合わせれば、どちらも「足さばきに特徴がある」とも言えるが……やはり、どう考えても双方の接点が見つからない。
「偉いのね、こんな時期になってもきちんと稽古をつけているなんて」
  歩行者用の信号が青になる。もうしばらくで解放されると思えば、こんなやさしい言葉も出てきた。
「うーん、ただの現実逃避かも知れないけどね」
  そう答えつつも、単純な男は嬉しさを顔全体で表している。
  ―― ま、別に悪い人間ってわけじゃないんだよな……。
  無邪気な笑顔についついほだされてしまいそうになるが、問題は決してそこではないのだ。
  確かに「友達として」なら悪い相手じゃない。しかし、それ以上のことを求められてもこっちとしては困るわけで――
「……お兄ちゃん!」
  と、そのとき。
  人々でごった返す休日の駅前ロータリー、そのどこからかそんな呼び声が聞こえてきた。とはいえ、兄弟のいない楓には関係のないことなので、そのまま通り過ぎてしまっていい。そう思って先を急ごうとすると、隣を歩く菅野の方がぴたっと足を止めた。
「琴音〜、いったいこんなところで何をしているんだ?」
  雑踏の中からひょいと背伸びをして、彼は声のした方向を見る。駅の構内に続く柱の前、あまりの人の多さに立ち往生している制服姿の少女が見え隠れしていた。
  たぶん、ふたりの会話から察するに菅野の妹なのだろう。さすがに家族構成のデータまでは頭に入っておらず、彼に妹がいたと言うことも初めて知った。
  菅野がそのままそちらへと歩いて行ってしまったため、楓もついついつられてそのあとを追う。
「ひとりでこんなところをうろうろしていたら危ないだろう、いったい何をしているんだ」
  普段のチャラ男な姿からは想像できない「兄貴」の顔に驚かされる。しかし、楓をさらに震撼させたのは、間近に迫った少女の姿だった。
「え、ええと……今日は模試を受けるために友達とここに来たの。でも終わったあと、みんなそれぞれに用事があるって言われて」
  そう、菅野も昔風のいい方をすれば「醤油顔」。どちらかというと和装が似合うタイプだと思う。そしてその妹であるその子もやはり、市松人形をほんの少し成長させたような可憐な姿をしていた。
  ―― かっ、……可愛いかも、知れない……!
  その瞬間、楓は自分の全身の血液が一気に頭に上昇するような緊張感を覚えた。その感覚がいったい何であるかもわからずに、その場に呆然と立ちつくす。その間にも中の良さそうな兄妹の会話が続いていた。
「あ、そうか。そう言えばそんな予定だったな。……で、どうだった? 少しは見込みありそうか?」
「ええと……それがやっぱり……その……」
  彼女は悲しげに俯くと、持っていた鞄の中から問題用紙らしい紙の束を取り出した。
「うわーっ、半分以上白紙かよ。なあ琴音、いつも言ってるだろう。何でもいいから回答欄を埋めろ、そうやってやる気を見せることで合格圏に近づいていくんだから」
  ……いやいや、そんなことは断じてないとおもうぞ。
  心の中でそう突っ込みつつも、楓は自分がこの先どうしたらいいのかを思いあぐねていた。別にふたりの会話が終わるのを待っている必要もない。今日はこのあと用事もなかったが、とはいえ暇を持てあましているというわけでもないのだ。
「あ、あの、菅野くん。それでは私はここで……」
  無言のまま消えるのもどうかと思い、一応立ち去る前に声をかけた。すると、つぶらな瞳がさっとこちらに向けられる。
「あのっ、お兄ちゃん。こちらの方は……?」
  ふっくらした頬にえくぼが輝いていることを発見し、楓の胸はさらに高鳴っていた。
「ああ、こちらはクラスメイトの高宮楓さん。いつも話しているだろう、偶然同じ予備校だったんだ」
  菅野の説明に、少女の目がぱあっと輝いた。
「まあっ、それではこちらがお兄ちゃん憧れの方! うわぁっ、もしかして想いが通じたの!? お兄ちゃん、本当に良かったね……!」
  頬を綺麗なピンク色に染め上げて目をキラキラ輝かせるその姿は半端なく可愛い。しかし、今はそれに見とれている場合じゃなかった。
「あ、いえ。……そう言うわけでは」
  せっかく喜んでくれているのに水を差すようで申し訳ないが、ここは仕方ない。慌てて彼女の言葉を否定すると、想像していた以上の落胆の表情が戻ってきた。
「ほっ、ほら! そんなに落ち込むなっ、琴音。まだすべてが終わったというわけじゃないんだから! お兄ちゃんは負けないぞ、だからお前も負けるな!」
  このよくわからない励まし方は、やはり菅野特有のもの。これは勝ち負けの問題ではないのだが、どうやって突っ込んでいいのかわからない。
  そうしているうちに、菅野の顔がパッと明るく輝いた。
「そ、そうだ! 琴音、お前は高宮さんに家庭教師になってもらえばどうだ? 彼女はウチの学園でも指折りの才媛だし、すでに進学先も内定している。これ以上の相手はいないと思うぞ、そうだそうだ!」
  そして彼は勢いよくこちらを振り返って言う。
「高宮さんっ、頼むっ、この通りだ! 琴音は今中三で緑皇学園を目指しているんだけど、ここに来て成績が伸び悩んでいて……どうかっ、よろしく頼むよ!」

 

つづく♪ (101022)

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