確かに。
「場所を変えよう」って言葉には頷いた。うん、そこまではあくまでも「合意の上」のことだったと思う。だけど―― 。
「あの……先輩」
これって。うーん、これってかなり展開が早すぎるんじゃないだろうか。もしかして、私の思考がオコサマだってこと? いや、絶対にそうじゃないって信じたい。
「何?」
それなのに、先輩はいつも通りの涼しげな微笑み。先ほどはちょっと取り乱したようにも見えたけど、あれはただの幻だったのかしら。当たり前みたいにエスコートされて、当たり前みたいに招き入れられたのは―― 会社とは目と鼻の先にあるシティーホテルの最上階。もちろん、鍵を下ろした部屋にはふたりきり。
入り口を入った通路にミニキッチンとクローゼットが背中合わせに並んでる。その先に水回りへの入り口。そして、奥のゆったりとした空間には呆然とするくらい大きなベッドと、その向こうの窓際にガラスのミニテーブルを挟んで向かい合ったソファー。先輩はその片方に脱いだばかりのスーツを置いた。
「……え、ええと……その」
一方、私の方と言えば。クローゼットの前で立ち止まったまま、それ以上はどうしても進むことが出来ないでいる。だって、どーんと自己主張するあれは何? 例えるなら、格闘技のリング。重量級のお相撲さんが三人で寝っ転がってもまだスペースが余りそうだわ。で、あの上でプロレスみたいなことをする……のかな? それ以外に利用方法はない気がするけど、とても想像できない。
「そんなに緊張しなくていいよ、何も取って食おうってわけではないんだし」
先輩は軽く笑い声を上げたあと、ネクタイの結び目をゆっくりとほどいていく。企業戦士の象徴とも言えるそれが、いとも簡単にするりと一本の帯状のものに戻っていった。それから袖口のカフスを外して、ワイシャツの前を開けていく。すごい、こんな風に男の人が服を脱ぐのって今までに自分の父親のくらいしか見たことないけど……先輩がやるとやけにセクシーに映るような。
「未来」
ウエストから引き出されたワイシャツの裾、胸元で見え隠れするアンダーシャツ。ありきたりな言葉で表現するとただのだらしないスタイルなのに……先輩だと全然違うよ。
「……はっ、はいっ!」
弾かれたように返事をした私は、そのときにやっと自分がまだショルダーバッグすら肩から提げたままのスタイルでいることに気づいた。
「いつまでそこに立ってるの? 僕が脱ぐの、そんなに面白いかな」
じゃあご期待に応えて、って眼差しを投げてから、ベルトに手を掛けたりするからもう大変。ひゃあっ、そんなっ! いいですっ、正直言って興味がない訳じゃないけど、いくらなんでもそこまではっ!
「ちっ、……違いますっ! ええと、……その……」
自分の意志で行動するのとが許される、成人した一組の男女。ふたりっきりでホテルの一室にいて、片方が服を脱ぎだして。これって……つまり、そういうことになるんだろうな。
そりゃあ、私だって妄想、いえ想像したことがないわけじゃないよ。先輩のことは大好きだし、もしも幸運にもそういう機会が訪れたら素敵だろうなとか。でもいいんだろうか、こんなにとんとん拍子に話が進んでしまって。
それにそれに、情けないことに私には過去にこんな経験がないから、この先どうしたらいいのかがさっぱり分からないのも事実。相手が脱ぎだしたら、私も服を脱げばいいの? えー、でも視線を感じながらってすごく恥ずかしくないかな。
「そっ、そうだ! シャワー、シャワーとか浴びるんですよね!? 先輩、お先に使います? それとも―― 」
ああ、そうか。目の前にあるじゃない、バスルームへの扉が。あそこで隠れて服を脱いで、ついでにバスローブとかに着替えればいいんだ。良かった、気がつけて。
「何、寝ぼけたことを言ってるの。そんなことされたら困るよ」
せっかくひらめいてラッキーって思ったのに、次の瞬間にはばっさり切り捨てられてしまう。えー、もしかして私、そんなにおかしなこと言った?
「せっかくの初めてなのに、もったいないでしょう? ほら、早くこちらにお出で」
手招きされたら、ついつい素直に従っちゃう。これって、すっかり身についてしまった「習慣」みたいなものなんだな。先輩が進めることにはまず間違いはないから、私はいつも言われるがままについて行けば良かった。けど、……いいの? 今回も、ちゃんと上手くいくのかな。
「未来」
いくらゆったりとしたしつらえとは言っても、しょせんはホテルの一室。出来るだけ狭い歩幅で歩いたとしても、程なく目的地には到着する。そのときまではじっとこちらを見つめて待っていた人が、私の手からバッグを奪い取った。
「もう待ちきれないよ、これ以上焦らさないで」
顎に手を掛けられて上向きにされ、唇を強く押し当てられる。その行為が何というか、むさぼり食うって表現がぴったりな感じでびっくり。いつもの大人なイメージの先輩とは似ても似つかない、全然別人の人がそばにいるみたい。
「そりゃあね、未来が一枚一枚脱いでいく姿を見るのも魅力的だけど、それはまたのお楽しみと言うことにしよう。今はすぐに未来が欲しい」
熱いキスが唇だけに留まらず、顔中に、そして首筋にと絶え間なく降りしきっていく。
「……あ……」
えー、こんなのってアリ? いつの間にか上着もスカートもどこかになくなって、ついでにブラウスも腕から引き抜かれて……そんな、何て早業なの。
「……やっ、先輩。そんなに見ないで……」
うわー、今の今まで忘れていた。だって、まさかこんなシチュエーション想像するわけないから、実用第一の全然可愛くないブラを付けてる。一応上下お揃いのクリーム色だけど、光の加減によってはベージュっぽく見えなくもないなあ。
「駄目だよ、いくら未来のお願いだって聞けないな。これからたっぷり、隅々まで堪能させてもらうんだから」
毎日悪戦苦闘してる背中の留め具も、先輩に掛かったら一瞬技。現れた私の胸はグラビアモデルさんたちに比べたらあまりにささやかな大きさだ。
「ふふ、可愛い」
褒め言葉としてはかなり微妙な感じではあったけど、愛おしそうに頬を寄せられたら悪い気はしない。とはいえ、ここまで進むと急に心細くなってきて、大好きな先輩が相手だって言うのに身体がひとりでに震えてくる。
「大丈夫?」
もちろん、そんな私の変化も先輩には丸わかり。うわー、嫌がってるとか誤解されたらどうしよう。それってすごく悲しい。
「そんなに怯えないで、優しくするから。でも、やっぱり辛い想いはさせてしまうだろうね。そこは我慢してもらわないと」
一度ぎゅっと抱きしめられて、そのあとお姫様抱っこで運ばれる。私、普通に体重あるんだけど、先輩は軽々って感じなのね。
「初めてなんだね……嬉しいよ。でも未来にとっては大いに残念でもあるんじゃない? こんなに綺麗な姿をもう他の誰にも見せる機会がなくなったんだからね」
ふかふかのベッドの上に仰向けに寝かされて、先輩が上に覆い被さってくる。獲物を捕らえる大鷲のように揺るぎないその姿に、やっぱりちょっと恐怖を覚えた。
「……え……?」
だけど、それでも先輩の言葉の中の不明確な部分には気づくことが出来た。それって、……その。
「未来はこれからずっと僕だけのものだ。決して他の奴には渡さない」
先輩がかろうじて私の知っている優しい姿を留めていてくれたのは、そのときまでだった。
もちろん「可愛いよ」とか「綺麗だよ」とか恥ずかしくなるくらい嬉しい言葉はたくさん囁いてくれたけど、直に身体に触れられたり、しかもすごく敏感な部分を執拗に刺激されたりするのはずっと隠しておきたかった部分を暴かれてしまうみたいで切ない。
そうしているうちにも、私自身にもかつて起こりえなかった変化が訪れていく。堅く凝り固まって、さらなる刺激を求める胸の頂。摘まれたり吸い付かれたりするたびに耐えられなくて声を上げるのに、それでももっともっとって思ってしまう。さらに足の付け根の奥はもっととんでもないことに。
「すごいよ、未来は本当に感じやすいんだね。あとからあとから溢れてきて、シーツまでしっとり濡れているよ? ほら……こんな風にすると……」
何をされているのか、最初は分からなかった。そこにあてがわれていたのは、先輩の指。狭い入り口にねじ込ませて、奥の方まで進んでいく。そうされると身体の芯がさらに疼いて、信じられないような喘ぎが口からほとばしる。
「……あぁっ、駄目っ! そんな、先輩……っ!」
喉の奥で引っかかって、裏返ってしまう声。こんなの、先輩に聞かれたくない。だけど、……止まらない。
「未来、すごいよ。隙間なく吸い付かれて、指が引きちぎられそうだ」
違う、そんなこと私はしてない。そう言い訳したいけど、どうしても声にならないよ。
「あんっ、……ああっ、あんっ、ふぁっ……っ! ……いやぁ……っ……!」
私が嫌がってるの、分かっているんでしょう? なのに、どうして先輩はそんなに意地悪なの。腰が自分の意志に関係なくうねって、シーツをぎゅっと握りしめてなかったら耐えられないほどの「何か」が次から次へと私を追い立てる。
―― 助けて、このままだと身体が、身体がばらばらになっちゃう……!
そう思ったときには、もう自分がどこかに吹き飛んでいた。頭のてっぺんからどこかに突き抜けて、目の前が真っ白になって、身体が半分浮き上がったと思ったら、しばらくしてようやく背中にシーツの感触が戻ってきた。
「未来」
大きな手のひらが、私の頬に触れる。いつの間にか私、泣いていたの? それにすら気づかなかった。
「困ったな、……本当、何て可愛いんだろう。最高だ、前よりももっともっと未来のことを好きになったよ。まるで底なし沼みたいだな、こんな部分を隠していたなんて嬉しい誤算だよ」
先輩は、すごく喜んでいる。でも私にはその理由が分からない。こんな風におかしくなっちゃう自分が許せないのに、どうしてそんなみっともない姿を嬉しく思うの? 私、……これ以上はもう無理。
「駄目だよ」
何に気づいたのか、先輩は低い声で私を制する。
「怖じ気づいても解放してあげないから。これからが本番だ、今度はふたりでどこまでも一緒だよ?」
鈍い刺激が続く部分に、堅く熱いものが押し当てられた。咄嗟に腰を引く間もなく、それは火の玉みたいに私の中に押し進んでくる。
「あっ、……あああっ……!」
もうこれ以上は先がないってところまで来て、一度止まる。そんなはずはないんだけど、まるで喉の奥までぎっしりと何かに圧迫されているみたい。さっきまでの刺激とは全く比べものにならない、無理矢理こじ開けられてえぐられた部分がひりひり痛い。それなのに、私はその先にある「何か」を待っていた。
「……未来っ……」
先輩が私の中でゆっくりと動き出す。一度腰を引いて、また深く入り込んで、そのあと入り口のところでじれったい刺激を繰り返して。波が引くと、もっと欲しくなる。でもあまりに激しくなると、今度は休息が恋しくなる。
「未来っ、未来、未来、未来……!」
滅茶苦茶に腰を使っていたかと思うと、次には体中を唇と指で刺激していく。たまらずに私が声を上げると、先輩は辞めてくれるどころかもっともっと酷く何度も繰り返す。そうされているうちに、いつか頭の中があわあわになって、何も考えられなくなる。先輩の、先輩がくれる刺激だけが私の唯一の悦びだって、そんな風にすら思えてきて。
永遠にこの時間が続くのかと思った。でも、やっぱり「おわり」は来る。
一段と早くなった先輩の動きが、私を駆け足に「あの場所」まで突き上げようとする。必死に抵抗するのにやっぱり駄目で、もう諦めた方がいいと思った頃に耳元に囁かれた。
「もう、一生離さないよ」
その返事だけは、どうしても声にならなかった。