――がちゃんっ!!
細くて甲高い音が狭い部屋じゅうに響き渡る。
その音の方向を見ると、白い大皿が壁に当たって大きく五つ六つの欠片になって散らばっていた。もちろん、その回りにも飛び散る大小の欠片。そして、その皿に載っていたはずの食材たちも残らずぶちまけられ、フローリングの床の上は瞬時に色の洪水になっていた。
「美鈴(みすず)っ、いきなりなにをするんだ!?」
帰宅して、玄関を開けたと同時にこの惨事。ドアノブを掴んだままの男は、当然のことながらそう言って応戦する。
でも、私はひるむことなくさらに叫んだ。
「出てってよっ!!」
この上なく怖い顔で睨み付けてるつもり。
それなのに私の両方の目のフチがふるふると震えて、そこから涙がボロボロ落ちてくる。間違ってもこれは悲しいからじゃないからね、悔しくて腹立たしくて、その感情が爆発した結果だ。
「もう嫌っ! 勝巳(まさる)なんて信じられない! その女のとこにでも、どこにでも行っちゃえばいいわ!」
「はぁ、女って? お前、なに言ってるんだ」
彼は靴を脱ぐと、床に散らばったものたちを踏まないようにしながらこちらに向かってくる。狭い部屋だから、私の目の前まではほんの数歩。
「おい、いい加減にしろよ。マジでキレるぞ!」
そして、勝巳はおもむろに私の両肩を掴んだ。そうすれば、もう逃げられないと言わんばかりに。
「さ、触らないでよっ! ……汚らわしい!」
押さえつけられた痛みが、怒りに変わる。 まったく、どの口が言うって感じ。本当に最低な男っ!
「おい――」
「離してっ!」
自分としては、精いっぱい暴れたつもりだった。
だけど、日頃大道具や機材を運んで鍛えているこの男の腕力にそもそも敵うわけはない。それでも必死で無理な体勢を続けていたら、そのままバランスを崩して後ろへ倒れ込んでしまった。背中が後ろの棚に激しくぶつかる。
同時に、棚の上に並んでいたものが、バラバラと床に落ちてきた。写真立て、お土産の人形、ドライフラワーにぬいぐるみ。いつの間にか数が増えて、中にはその存在すら忘れていたものもあった。
「痛っ……、この乱暴者! 何すんのよ!」
必死に起き上がると乱れた髪を手で直して、ついでにさっき掴まれた肩をぱんぱんと叩く。それから、もう一度、目の前の男を睨み付ける。勝巳は膝を折って、私と目線を合わせていた。
「……戻ってくるなり、盛大な歓迎じゃないか? 何がどうなってるんだよ、ちゃんと説明してもらおうか」
思ったより、落ち着いてるな。もしかして、そんな態度で大人の男を気取ってるつもり?
何なの、余裕こいちゃって。どうして、自分に原因があると悟れないのかしら。もうもう、許せない。……最低男!!
「じゃあ、聞きますけど?」
「何?」
仕事着のまんま、勝巳はその場にどっかりと腰を下ろす。セーターの上に、未だ上着を羽織ったまま。
彼は映画撮影現場の下働き、だから仕事帰りはいつもこんな格好だ。スーツ姿なんて、特別の日じゃないと見られない。
「今日は撮影が長引いたって話だったよね?」
へええ、私ってこんな低い声が出せるんだ。こんなときなのに、自分で自分に感心したりして。
もちろん、勝巳は当然のごとく答える。
「そうだけど?」
「じゃあ、俳優がインフルエンザで寝込んだから、いつもより一時間早く上がったという話は何なのかしら?」
どこまでもしらばっくれるつもりみたいだったから、こっちも容赦しない。いきなり引導を渡してやったわ。
「……え?」
ほら、ご覧なさい。
今までの勢いはどこへやら、勝巳は明らかに動揺の色を顔に浮かべた。だから、このときとばかり思い切り睨んでやる。
「何で、そんなこと……」
「今井君が、ウチに電話してきたのよ、勝巳の携帯が繋がらないって。彼言ったわよ、もう家に戻ってきてる頃でしょうからって」
「……あ」
さらに追い打ち、するとわかりやすく青ざめてくれる。ふふ、いい気味。
「えっと、それは……ちょっと買い物に行っていて」
急に しどろもどろ、今にも舌を噛みそうな感じ。それで、言い訳をしているつもり?
「それなら、どうして嘘の電話なんか掛けてきたの? 買い物なら、買い物とはっきり言えば良かったじゃないの。わざわざ隠すなんて、性格悪すぎ!」
毎日のお決まり。「これから帰るよ」のひとことに付け足された言葉。なんで私、素直に信じちゃったんだろう。それがすごく悔しい。
「出ていって! もう、金輪際、あんたの顔なんて見たくないっ!」
「そんな……ここを出て、どこ行けって言うんだ! だいたい、ここはふたりの部屋だろうが」
こっちが冗談を言ってるわけじゃないということがわかったんだろう。勝巳も本気で言い返してくる。
「なに言ってるのっ、ここの家賃は私のバイト代でまかなってるんだからね。そうなれば、出て行くのは勝巳の方でしょうっ!」
その代わり、食費と光熱費は勝巳持ちだったりするんだけど。この際、そんなことは脇に置いておこう。
「美鈴――」
往生際の悪すぎる男、まだ何か言い訳するつもり?
いいわよ、それなら受けて立ちましょう。こっちだってそれなりの証拠を掴んでるんだからね。
こちらに伸びてくる腕を乱暴に振り払って、私が口を開きかけたそのとき――
……ぼんっ!!
いきなり。
向かい合うふたりの間に、「何か」が出現した。
つづく (110522)
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