その後。
勝巳と私はお互いに連絡を取り合い、ときどき会うようになった。
彼はいつもおなかをすかせている。だから、私は彼のボロアパートまでせっせと食事を作りに行ったりした。当時、私が住んでいたのは親が買ってくれたマンション。専任の家政婦さんを雇っていて、家事はすべてお任せ。掃除も洗濯もしたことがなかった。
対して勝巳のアパートは木造で今にも倒れそうな感じ。最初に訪れたときは、とても人が住める場所じゃないなあと思った。
天井も低くて日当たりだけがいい。勝巳は百七十六センチとそこそこの身長だったけど、それでも頭が天井をかするし、お風呂ももちろんない。キッチンは部屋の隅に付いている流しと一口コンロのみだ。
今時珍しい四畳半に収納だけが充実していて、一間半の押入が付いていた。でもその中はビデオと機材だらけ、ついでに手書きのシナリオがぎゅうぎゅうに詰まっている。
あるとき間違えてそのふすまを開いてしまい、中のものが飛び出してきて雪崩にあったようになってしまったこともある。あまりのことに呆気にとられながら、それでも私は笑っていたっけ。馬鹿馬鹿しいほど映画で頭のいっぱいな勝巳が本当にまぶしく見えた。
自分のマンションに彼を呼ぶわけにはいかなかった。家政婦さんは私の一挙一動をじっくり見守っていて、逐一実家に報告するのだ。男を連れ込んだなんてわかったら、即刻、田舎に連れ戻されてしまう。それに、きっちり片づいた最上階のあの部屋より、勝巳のひなびたボロ部屋にいる方がよっぽど楽しかった。
映画とバイトに明け暮れる勝巳とおひさまの下でデートすることは本当に少なかった。お嬢様大学の有閑学生だった私の方が講義の空きが多い。
だから勝巳の大学のキャンパスまで出掛けていって、九十分の一コマ分の空き時間に中庭で缶コーヒーをすすったり、あるいは学食で安くておいしいランチを食べたりしてた。もちろん、男子学生用のメニューはてんこ盛りで私にはとても食べきれない。彼は自分の分を綺麗に平らげた後、私のお皿を一枚ずつ片づけてくれた。
勝巳は本当においしそうにご飯を食べる。私は料理などからきし駄目で、むしろ彼の方が上手なくらいだった。それなのに、私が失敗した料理でもおいしいおいしいと食べてくれる。それが嬉しくて、ついつい作りすぎてしまっても。
「送るよ」
といっても、それはキャンパスの目と鼻の先にある地下鉄の駅の入り口まで。ささやかな道のりを並んで歩く。
とてもいいお天気。真っ青な空に白くひとすじの飛行機雲。私の女子大は都心にあったけど、勝巳の学校は郊外にある。空の色も違うみたいだ。高い建物が少ないから、空が広い。見上げていたら、ちょっと歩みが遅れた。
少し前を歩く勝巳の左手がふわふわっと脇の辺りで揺れている。何かを掴みたくて、掴めないように。
「待って?」
私は、そう声を掛けてから足早に駆け寄る。彼が足を止めて、微笑みながら振り向く。私も笑い返しながら、そっと手を伸ばした。勝巳の表情が一瞬、固まる。ごつごつした大きくてグローブみたいな手に初めて触れた。
心臓がきゅっと収縮する。そのあとは、何気ない振りをして歩いた。でも、心臓がばくばく言ってる。信じられないほど、純愛していると思った。
ぽつりぽつりといつもより途切れがちに話を続けながら。勝巳の手が私の手を包み込む。指と指がたどたどしく絡み合っていく。そこから沸き上がってくる幸福。
こうやって、ずっとずっと歩いていきたい。口に出したら笑っちゃうけど、本当にそう思った。勝巳の隣りにいるときが一番幸せだった。
就職の決まらない勝巳は、大学を卒業してそのままバイトを続けていた。映画の撮影現場の下働き。大道具運びから、買い出しまで何でもする。勝巳はある著名な映画監督の下にいて、その人が携わる映画の現場を渡り歩く。今までは大学があったので、地方のロケなどには行けなかった。でもこれからは違う、シベリアまでだって付いていける。そう言って笑った。
そんな彼の笑顔がまぶしくて、そして悲しかった。
「……お見合い?」
夕暮れの勝巳の部屋。
食器を洗って片づけて。今日はこれから勝巳が夜のバイトに出るので、早めの夕ご飯を食べていた。
「うん」
布巾で濡れた手を拭く。瞬間湯沸かし器、なんて大それたものはここにはないから水がまだ冷たい。指先がじんじんした。
「今までのらりくらりとかわしていたんだけど、もう限界みたい。今月でマンションも引き払えって」
これだけの情報を伝えるだけで、すごい脱力感。そう言い終わると、私はその場にぺたんと座り込んでしまった。
つづく (110523)
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