古事記のものがたり
第五話 黄泉の国(死者の国)
ふることに伝う。


「布都!(フツッ!)」

にぶい刀音が不気味に響きわたりました。

刀には『布都の御魂』という神霊が宿っています。だから、ものを斬るときには「フツッ」とか「ブツッ」とか「プツ」と聞こえるのでございます。

いざなぎが切り落とした火の神かぐ土の首は、炎をあげながらくるくると宙に舞いました。あたり一面、吹き出した血で真っ赤に染まり、十拳釼にはぽたぽたと鮮血がしたたっています。

まわりの 岩にも血が飛び散っています。それらの血は、八柱の神へと変化しました。

まず、刀の切っ先についた血が岩にほとばしると、いはさく(石析)、ねさく(根析)、いはつつのを(石筒の男)の三柱の刀剣の神が産まれました。

つぎに、刀のつばについた血が岩にほとばしると、みかはやひ (甕速日)、ひはやひ(樋速日)、たけみかづち(建御雷)の三柱の雷の神が産まれました。

つぎに、刀の柄にあふれた血が、握っていた手指のあいだからしたたり落ちると、くらおかみ(闇淤加美)くらみつは(闇御津羽)の二柱の雲や雨を呼ぶ龍の神が産まれました。

この『布都の御魂』は大和の国(奈良県)にある石上神宮に  祀られているのでございます。

殺された火の神の体からも神が姿を現しました。

頭には正鹿山津見(まさかやまつみ)
胸には淤滕山津見(おどやまつみ)
腹には奥山津見(おくやまつみ)
男根には闇山津見(くらやまつみ)
左手には志芸山津見(しぎやまつみ)
右手には羽山津見(はやまつみ)
左足には原山津見(はらやまつみ)
右足には戸山津見(とやまつみ)

全部で八柱の山の神々が産まれてきたのです。

余談ですが、八つ裂きというのはこの体の八つの部分をばらばらに切り離すことでございます。

さて、ひと騒動終わりますと、いざなぎは遠くの方を見つめ何か考えられている風でございました。そしてふと、

「いざなみに会いたい」

と小さな声でつぶやかれたのです。

そこでいざなぎは、いざなみを追って黄泉の国へ入っていきました。暗く、深く、冷たく、とても長い道のりでございます。

やがて、地の底、黄泉の国に着かれたいざなぎは、閉ざされた扉の前に立ちました。辺りはしんと静まりかえっています。いざなぎはその扉に向かって、静かに話されました。

「いざなみ、むかえに来たよ。一緒に帰ろう」

声はとても小さかったのですが、神殿の中にいるいざなみの耳には、はっきりと聞こえておりました。しばらくして扉が開き、薄暗い中にも一層美しく見えるいざなみが姿を見せました。

「わたしはさみしくて仕方がない。それに、一緒に造ろうとした国は、まだ出来ていないだろ」

「愛しき夫よ。こんな処までよく訪ねて来てくださいました。けれどとても残念です。もう少し早くおいでくださったら良かったのですが……。わたしは、すでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。だから、二度と地上に戻れないのです。でもあなたのその懐かしいお顔、やさしい声を聞くと、とても帰りたく思います。そのことを黄泉の国の神に相談してきます。もしかすれば帰れるかもしれません。その間、決してわたしの姿を見ないと約束してくださいね」

そう言い残して奥へと入っていかれたのでございます。

いざなぎは長い間外で待っておりました。しかし、待てども待てどもいざなみは戻ってきません。それでとうとう約束を破って中へと入っていったのです。

神殿の中は真っ暗でした。凍りつくような冷気が漂っています。いざなぎは左の髪に差していた魔よけのくしを取り、その端の太い歯を一本だけ折って『ひとつ火』をともされました。

炎はあたりをゆらゆらと照らし出します。

「ぎょっ」

いざなぎは立ちすくみました。あらぬ物をそこで見たのです。

いったい何を見たのでしょうか。このお話はまたこの次に。
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