古事記のものがたり
第六話 黄泉つ軍との戦い
ふることに伝う。


闇に灯した『ひとつ火』のわずかな明かりの中に何か醜悪な塊 が見えます。よく見ると、それは腐乱したいざなみの死体でした。体にはうじがたかり、ごろごろという気味の悪い音をたてていま す。

頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)

腹には黒雷(くろいかづち)、女陰には析雷(さくいかづち)

左手には若雷(わかいかづち)、右手には土雷(つちいかづち)

左足には鳴雷(なるいかづち)、右足には伏雷(ふしいかづち)

全部で八種類の恐ろしい雷(いかづち)神が居たのでございます。

肝をつぶしたいざなぎは、恐怖におののき、一目散にもと来た道を逃げ帰りました。

むかし、このようなことがありましたので、闇夜に『ひとつ火』を灯すことはたいへん縁起が悪いということになったのでございます。みなさん、暗闇で灯をともすときには、魔物を見ないようにくれぐれも気をつけましょう。

さて、腐りかけの恥ずかしい姿を見られたいざなみは、逃げていくいざなぎに向かって、

「見るなと云うたに、なぜ見た!」

と怒り狂い、よもつしこめ(黄泉醜女)という醜悪な女にあとを追わせました。よもつ醜女は、みるみるいざなぎに追いついていきました。

いざなぎは、追ってくるよもつ醜女に向かって、髪をくくっていた黒いつる草をほどいて、エイッと力いっぱい投げつけました。つる草は地面に落ちると何本ものつるを勢いよく伸ばし、そのつる に、

ぷるるん、ぷるるん、ぷるるん、

とたくさんの山ぶどうの実をつけました。よもつ醜女は追うのをやめて、餓鬼のようにぶどうに食らいつきました。開けた大きな口はまるで洞窟のようで、歯がまったくありません。ぶどうはそのまま丸呑みにされていきます。

そのすきにいざなぎは逃げました。

よもつ醜女はぶどうをあっという間に食べつくして、また追ってきます。こんどは右の髪に差していた竹櫛を投げつけました。竹櫛は地面に落ちると、ころころと転がり、

ぽんっ、

と竹の子に変わりました。よもつ醜女が、むしゃむしゃがつがつと竹の子を食べている間にまたいざなぎは逃げます。

まったく頼りにならないよもつ醜女を見ていざなみは、八種の雷(いかづち)神と千五百の黄泉つ軍を新たに増やして追わせました。

軍勢は見る間に追いついていきます。

いざなぎは十拳釼を抜き、それを後ろ手に振りながら必死で逃げました。こうすれば相手にまじないがかかり、敵の気力がなえるのです。そしてそのとおりに軍勢の追う勢いが衰え始めました。

いざなぎと軍勢の距離は少しづつ開いていきます。そして、いざなぎはようやくあの世とこの世の境にある『黄泉つひら坂』にたどり着いたのでございます。

そこには一本の桃の木が生えており、まだしつこく追ってきている軍勢に、その桃の実を三つ取って、ぽんぽんぽんと投げました。すると不思議なことに黄泉の軍勢たちは皆、桃を嫌ってザーッと逃げ帰りました。

命びろいをしたいざなぎはその桃に向かって、

「わたしを助けたように、この国で苦しい目にあって悩んでいる者がいたら、これからも助けてあげなさい」

と言い、この邪気を払う桃の木に『おほかむづみの命』という 名をさずけられたのでございます。

さて、一人になってもまだいざなみは、髪を振り乱しながらものすごい形相で追ってきていました。そこでいざなぎは、千人がかりでないと動かせない『千引きの石』という大石を動かし『黄泉つひら坂』を塞いでしまわれました。

いざなみといざなぎは、その大石を挟んで大声でののしりあいました。

「いとしい夫であるいざなぎよ、こんなことをするのなら、あなたの国の人たちを毎日千人しめ殺してやる!」

「愛しい妻よ、おまえがそうするなら、わたしは毎日千五百人の子どもが産まれるように産屋を立てよう!」

そんなわけで、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれるようになったのでございます。

これが日本で初めての夫婦げんかでございます。やれやれ、困ったものでございます。

そんなこんなで、黄泉の国にとどまったいざなみを黄泉津大神 (よもつおおかみ)と呼び、ふさいだ大石を道返之大神(ちがえしのおおかみ)と呼ぶようになりました。

この黄泉つひら坂は、出雲の国の『いふや坂』だろうということでございます。

ところで一説によると、このとき、白山菊理姫(しらやまくくりひめ)という女神が現れて、この二人の仲をとりもたれたということが石川県の白山比売神社に語り伝えられております。

このあとのお話はまたこの次に。
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