古事記のものがたり
第九話 天の安河(天の川)でのうけひ
ふることに伝う。


「高天原を乗っ取るつもりか!」

ものすごい怒声に振り返った須佐之男は、弓矢をつがえた姉の姿を見つけて大変驚き、

「わたしは、高天原を奪いにきたのではありません。根の国に住む母のところへ行く前に、お姉さんにあいさつをしに来たのです」

「お前が嘘をついていないと証明できますか!」

須佐之男はすこし考えて、

「ひとつあります。互いに『うけひ』をして子どもを産み、神様にどちらが正しいか判定してもらいましょう」

このように提案しました。『うけひ』というのは、あらかじめある物事を神に約束しておい て、その約束どおりの結果が現れるかどうかで、神意を占うことでございます。須佐之男は「それぞれ別々に子を産む」ということをして、その結果で勝ちか負けかを判断しようとしたのです。

そこで二人は、美しい星々が集まっている『天の安の河(天の 川)』の両岸に分かれて立ちました。

回りでは高天原の神々が、どうなることかと心配顔で見守っています。

まずさきに天照大御神が、須佐之男の剣をもらい受け、三つに へし折り『天の真名井』の聖なる水ですすぎました。そして、その剣を歯でがりがりと噛み砕き、ぷーっと吐き出すと息吹が霧のように広がり、その中から、三柱の海を守る姫神が産まれたのです。

長女は、たぎり姫(多紀理姫)。

次女は、いちきしま姫(市寸嶋姫)。

三女は、たぎつ姫(多岐津姫)。

この三姉妹は『宗像三女神』と呼ばれて、肥の国(福岡県)の宗像郡にある、沖の島・大島・宗像にそれぞれ祀られております。

とくに玄界灘に浮かぶ沖の島には古代の祭祀場である石座があ り、たくさんの宝物が出土し、海の正倉院と呼ばれています。

この島は今でも、神々と神主以外は誰も足を踏み入れることができない禁足地なので、いまだに神神しいご神気が島中に漂っております。

また、次女のいちきしま姫は『弁天さま』とも呼ばれて、宮島、江ノ島、琵琶湖の竹生島、吉野の奥の天河などに祀られているのでございます。

さて、つぎに須佐之男が、天照大御神の身体につけていた五種 類の珠飾りをもらい受け『天の真名井』ですすぎ、ばりばりと噛み砕き、ぷーっと霧のように吐き出しますと、五柱の男神が産まれ ました。

左の髪に巻いた珠飾りから産まれた長男は、あめのおしほみみ(天の忍穂耳)と申します。

右の髪に巻いた珠飾りから産まれた次男は、あめのほひ(天の穂日)。

額に巻いた珠飾りから産まれた三男は、あまつひこね(天津日子根)。

左の腕に巻いた珠から産まれた四男は、いくつひこね(活津日子根)。

右の腕に巻いた珠から産まれた五男は、くまのくすび(熊野久須毘)。

ところで長男の正式な名前は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と言って「まさに勝った。私は勝った、素早く勝った」という意味なのです。

そこで、天照大御神は、自分が勝ったと確信して、

「五柱の男神は、わたしの珠から産まれたのでわたしの子です。三柱の姫神は、剣から産まれたからおまえの子です」

と言われたのです。ところが、須佐之男はその言葉を聞くなり、飛び上がって喜び、

「それならこの『うけひ』はわたしの勝ちだ。邪心がないから清らかで、か弱い女の子を得たのだ。これでわたしの潔白が証明され た」

と自分勝手に解釈して、

「勝った! 勝った!」

とはしゃぎまわったのです。よくよく考えてみれば、お二人は『うけひ』をする前に男を産んだ方が勝ちだとか、女を産んだ方が勝ちだという取り決めをされてはいなかったのです。

早がてんした須佐之男の喜びようは尋常ではありません。田畑を壊し、溝を埋め、あげくの果てには、神々の台所にまで大便をまき散らしふざけ回りました。

けれども天照大御神はとがめないで、やさしく、

「糞のようなのは、酒に酔って吐きちらしたゲロでしょう。田のあぜを壊して溝を埋めたのは、耕す土地を増やそうとしたのでしょ う」

と他の神々から弟をかばわれました。そんな姉の心を知らず、調子にのった須佐之男の乱暴は、ますますひどくなるばかりです。

まだら模様の馬の皮を生きたまま逆はぎにして、天照大御神がお仕事をされている機織り小屋の上に登り「えいっ!」とばかりに天井から投げこんだのです。

部屋にいた機織り女はたいそう驚き、気絶してその場に倒れ込んでしまいました。その拍子に手に持っていた梭(両端の鋭く尖った横糸を通す木の道具)を取り落としてしまい、それが運悪くほと(女陰)にぐさりと突き刺さり死んでしまいました。

天照大御神はそのありさまをすぐ近くで見ておりました。

そもそも機織り小屋は神様の衣を織るための神聖な場所です。そこを血で穢したうえに死人までだしたのです。

天照大御神は、こ のとんでもないことをしでかした須佐之男の行いに、激怒し、嘆かれました。しかし、悲しみのあまり怒る気力も失せたようで、ただ黙ったまま外に出られると、そのまま『天の岩戸』にお隠れになられてしまいました。

するとどうでしょう。高天原は夜のように真っ暗になってしまったのでございます。

さあ大変なことになってしまいました。このお話はまたこの次 に。
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